胸いっぱいの幸せ
***
「ほらセナ、おいで」
先に馬車を降りたルカに手を引かれ自分も馬車を降りると、周囲の視界は真っ暗で少し警戒する。
ここはどこなんだろうと軽く周囲を見回すと、森のような木々の多い場所であることがわかった。でもそれ以上はこの視界だとわからない。
「僕が手を引くからついてきて欲しい」
「どこに行くの?」
「危ない場所じゃない、それは保証する」
「…わかった」
私はもう一度差し出された手を取って彼の進む道をついていく。しかし周囲は森の雰囲気なのに思いの外道が整っていて意外に感じた。
教会から直接ここに連れてこられた私は、ドレスから着替えていないから足も慣れない靴を履いていて、森の中なんてまともに歩けない気がするのに。
そのまましばらく歩いていると、何やら開けた場所が視界に入ってくる。狭く伸びた木々を抜けていくと、正面にはいつか見た丘が広がっていた。
開けた地形に転落防止用の柵と手作りっぽい椅子…間違いない、ここはいつかに来た場所。
でも、今この丘が纏っている空気はその日見た夕焼けのそれとは全く違っていた。
「綺麗…」
頭上には満点の星空が輝いている。
日本では見たこともないような数の星々が空に敷き詰まるように輝いていて、弾んだ体が大きく息を吸った。
すると空気と一緒に森の木と土の匂いが肺に取り込まれる。その感覚はとても安らかで、どこかで感じていた緊張のようなものの最後の一本がほぐれたような気がした。
「いい景色だろう? だが綺麗なのは空だけじゃないんだ」
「え?」
彼の指さす先に視線を向けると、そこには街明かりを灯す首都の大通りが見える。日本の夜景ほどじゃないけど、その温かな街灯や夜店の灯りはいつもより活気付いて見えた。
「今日は大通りに夜店が並んでいるんだ。城下は祭り状態でね」
「あぁ、私もニコから聞いた。今日はお祭りやってるんだよね」
城下町では新しい時代の幕開けと称して、本日の聖女と魔王の結婚を祝うお祭りをやっているらしい。日本みたいに屋台がたくさん出たりしてるんだろうな、と思うと少し行きたい気持ちが芽生える。
「綺麗…」
街明かりは小さな星空のようだ。
キラキラ、キラキラ、温かい光が通りを包んでいる。でも日本の夜景とは似ても似つかない。
「君の前世の街並みはどういった景色なんだ?」
同じように町の灯りを眺めながら、ルカが私に問う。私は隣に立つ彼の柔らかな口元を少し眺めてから、彼と同じ景色に視線を戻した。
「こんなに綺麗じゃないよ。ここよりずっと背の高い建物ばかりあって、町中を照らしている光に温かさは感じない。あそこじゃ星なんて見えないし、この景色の方が好きだな」
満点の星空に温かい光。蛍光灯やLEDでは絶対に表せない…発展途上の文化の光が街にはあって、完成された社会にはない何かと星空がコントラストになった景色は綺麗だ。
「…そうか、よかった」
「あの世界に帰ろうとは思わないよ。両親には悪い事したなって思うけど…もうここが私の現実だから」
「…」
「貴方のことも、貴方以外のことも、全部自分の意思で決めたことだよ」
あの世界に帰れる、と言われた時私はなんて答えるだろうと定期的に考える。特に理由があるわけじゃないけど、自分の心の疲れを測るのにちょうど良かったからだ。
でも私は毎度「帰らない」と決まった答えを出す。
最初は意地を張っていた部分もあると思うけど、だんだん帰るとか帰らないとかそういう問題ではないような気がしていた。
“ここが私の現実なんだ”、と受け入れられるようになってからは特に。前世では何度も逃げたいと思っていたのに、今はできる限り逃げたくないと思っている。
それは、ここが憧れた世界だったからなんだろうか。それとも、何か…
「セナ?」
「!」
「どうした? 無理をさせてしまっただろうか」
「ううん、違うよ。少し感慨に耽ってたみたいな…?」
いけない、ちょっとぼーっとしてたな。慣れないことをした一日だったから少し疲れたのかもしれない。
とはいえやっていいことじゃないな、今は。
「感慨?」
「うん。今日、この景色を貴方と見ていることに一番時間の流れを感じるの」
「僕と…」
「貴方は今生きているもの。生きて私のそばにいて、これからもずっと一緒にいたいって思うから。だから、ここまで私は歩いてきたんだなって」
きっと今の私は、よほど腑抜けた顔をしてるんだろうなぁって自分で思う。
でも、今くらいは許されたい。やっとここまできたんだもの。
貴方が、死の運命に勝ってここにいる。
それはずっと私が願っていた世界だ。
神様はどうしてこの世界に私の魂を置いたんだろう、その答えはわからない。
でも、今となってはわからなくていいような気もする。そんなことよりも、今は目の前を護ることの方がずっと大事だもの。
「僕も、君を知ることができて良かったと思う。こうして今生きていることも」
「よかった…そう言ってくれて」
「そしてこの先も君と歩んでいきたいと思う。だからこれを…」
そう言ってルカは懐から何かを取り出すと、小さく何かを呟いた。その呟きは小さな灯火となって、星のように周囲にいつくも浮かび始める。
その温かな光に包まれた私たちの真ん中に彼の手は差し出されていた。
そしてその手中で、小箱に入った指輪が小さく輝いている。
「これを、受け取ってほしい」
「これって…」
急なことに少し困惑してしまう。
だってこれって、私の予想が外れてなければ…婚約指輪、だよね?
「ずっと渡す機会を探っていたんだ。指輪を用意したはいいものの、いざ渡すとなるとつい考え込んでしまって」
久しぶりに見たな、ルカの自信のない顔。なんて彼を見ながら思う。
普段から静かというにはやや暗い空気を纏っている彼だけど、それでも自信がないという印象とは少し違うように思う。
でも、自分に価値を感じてないことを話していた時はいつもそんな顔をして「僕にそんな価値はない」と言うんだ。
そんな彼の、心細そうな姿を私は久しぶりに見ている。
「君が故郷に帰りたいと願っていたとしたら、この指輪は枷になるんじゃないかと思ってしまって言い出せなかった。君の思いを信じきれなかったんだ」
「それは違うような…」
「いや、違ったりはしない。お互いいつ死ぬかわからない仕事をしているからと指輪を用意して…それでいて、僕は怖気付いた」
「…」
そんなに焦らなくてもいいのに、と最初に思った。
お互いいつ死ぬかわからない仕事なのは本当だけど、もっとゆっくり進むこともできるはず。
「後悔はしたくないと準備しておいて肝心な部分で怖気付くなんて、情けない話だ」
目の前で、彼が俯いている。
心細い気持ちの寄る方を失ったまま。
あぁ、もう、本当…真面目な人だなぁ。
「ルカ」
私が彼に声をかけると、ハッとしたように彼は顔を上げた。長い前髪の奥にある瞳の表情は周囲が薄暗くてわからないはずなのに、なんとなく焦っているのと不安で揺れているのだとわかる。
そのわかりやすい姿は普段の彼では絶対と言っていいほど見れるものではない。
そう思うと、少しだけ笑ってしまった。
「そんなに焦らなくても、私はどこにも行かないよ」
「あぁ…君は確かにそう言った」
「そうだよ、ここには私が支えたい人がいるからね」
「…支えたい人?」
なぜ今の会話の流れで彼が動揺するのかわからないけど、目の前の彼は少し不安の色を強めた雰囲気を纏っている。
何か勘違いさせることを言っただろうか…支えたい人は目の前にいるのに。
「私はね、貴方の背中を支えられる人になりたかったの」
みんな、貴方を引っ張っていくことばかり考えているの。
どうしてだろう、ファンの人たちの反応はいつも彼を上から見ていて引っ張ってあげなきゃいけないって思って人が多かった。もしかしたら私の視野が狭くてそう見えていただけなのかもしれないけど。
でも、私は貴方が引っ張ってもらわないといけない人だなんて思ったことはない。むしろいつもその逆に考えてた。
貴方はいつも“自分”がはっきりしてる人で、他人を護っていける人だって思っていたから。
だから私は、そんな貴方に憧れて、好きになって、貴方の少し暗い背中を支えてあげられる人になりたかった。
「ずっと夢見てた、貴方の部下になれること。そして今その夢は叶って、それなのに貴方は私の隣にもいてくれるの」
「セナ…」
「帰ったりするわけないじゃない。私は今、世界で一番幸せなんだから」
確かにこの世界は私の現実で、いつからか帰ることも考えなくなったけど、でも今はそれだけじゃない。
私は自分の目標を達成した。それなのに貴方が私の恋人でいてくれるなんていまだに夢なんじゃないかって思う時がある。
それでも、私はこの場所を誰かに譲ったりなんか絶対にしない。
だから、この指輪に対する私の答えは最初から決まってる。
「…指輪、もらっていい?」
「いいのか?」
「一応、付き合って半年っていう短さだけどそれでもよければ」
「それ、今言うことじゃないと思うけど」
「あはは」
場の緊張をほぐそうとしたら苦笑いされてしまった。ちょっと恥ずかしい私は返ってきたツッコミに対して乾いた笑いを返すことしかできない。
でも彼の緊張は少しほぐれたのか、呆れたようではあるけど小さく笑って小箱の指輪を取り出し、私の左薬指に静かに嵌めてくれる。
「…」
薬指で輝く指輪には、小さな宝石が埋め込まれている。薄暗い場所ではなんの種類なのかまではわからないけど、光を反射して輝くそれはとても美しい。
「…っ」
それを見ていたら、ぼろ、と大きな一粒が頬をつたった。
「セナ!?」
「いや、その…大丈夫、ちょっと感極まっちゃったっていうか」
急に泣き出しておかしいのはわかっているつもりなんだけど、涙が止まらない。
こんな現実があっていいんだろうかと、どうしても思ってしまう。
いいんだろうか、こんなに幸せで。
貴方とこれからも歩んでいけるなんて。
「ほんと…うれしい…っ、でも私で、いいのかなって…」
不安だ、私なんかが彼の婚約者だなんて。
もう貴族的なマナーやルールは覚えてないし、品がある人間でもないただの暴れ馬みたいな女だし…そう考えると少し悲しくなった。
しかし彼が嘘をつかない人なのは私が一番わかってる。だから、泣いてちゃいけないんだけど。
「いいもなにも…僕は君以外の女性と関係を持とうだなんて思ったこともない」
そう言ってルカはいつかのようにハンカチを差し出してくれて、私はまた自分でハンカチを持っているのに出すのを忘れていた。
彼の差し出してくれたハンカチを受け取ると、今度は彼がそっと抱きしめてくれる。
彼の熱は温かくて安心できて、さらに涙が止まらなくなってしまう。
それなのに、彼はそこに文句をつけるでもなく一緒にいてくれた。
「愛している、セナ。君以外をそばに置きたいと思うことはない…だから、この先も僕と共にいてほしい」
「はいっ…!」
泣きじゃくって恥ずかしいのに、彼の胸の中が心地よくて離れられない。
温かな灯火の中で噛み締める幸せは、新しい希望を見つけ出せた心の高鳴りに似ていた。
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