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命を賭ける仕事(後編)

 

 ***

 

「副団長、失礼します。アンブローズです」


 襲撃事件の事後処理を終えて城に帰ってきた矢先、私はルカさんに呼び出されたので副団長執務室に顔を出している。

 特段呼びつけられるようなことも思いつかないけど、なんの話だろう。

 一先ずまたドアが自動で少し開いたのでそれを合図に中に入る。すると部屋の奥には険しい顔をしたルカさんが執務机の奥に置かれた椅子に座って私を見ていた。


「本日はご苦労だった」

「ありがとうございます」

「早速だが、先ほどの家屋内での戦闘について聞かせてほしい」

「今ですか? 後ほど報告書は提出しますが…」


 どうして今口頭で話が聞きたいのか、それが一番気になった。

 今日のことは絶対経緯をまとめて報告書を出さないといけないし、それで済むように思ったからだ。

 だけどルカさんは私の言葉に眉間の皺を深めて声をさらに低くする。


「僕の言葉が聞こえないか? 説明を求めているのは今だ」

「…わかりました」


 やっぱりさっきの戦闘で私がサイクロプスの拳を喰らいかかったのに怒ってるのかな…。

 無理もないか、完全に私の不注意だったしルカさんを戦闘に参加させてしまったのは私のミスだ。

 やっぱり今口頭で説明する意味はないようにも思うけど、彼がそう言うのであれば私に拒否権はない。なので一先ず説明のために口を開いた。


「戦闘のありました屋内とその周囲に逃げ込んだ目標を追いかけていた際、屋内にて女性が人質になっているのを発見し、彼女の解放と引き換えに私が囮になりました。それから建物背部から突入したオースティンとハリアーを一時制止しハリアーに増援要請を任せ離脱させ、敵の注意を引き口頭での交渉をしましたが決裂したため無力化を試みました」


 戦闘中に出したオオトカゲは、私の数少ない契約精霊だ。オオトカゲ…サラマンダーはは比較的個体数が多く対価が安い個体が多いため契約が結びやすい。

 物理戦闘はできないけど、動きが俊敏で火球を使った中距離支援ができるし、単独でも多少の戦闘なら行えるので気に入っている。


 精霊が召喚された時、彼らは代理の体をこちらに送ってくるので一部を除き戦闘で倒されても死ぬことはない。そういう意味だと安心していいんだけど、やっぱりやられてしまう姿を見るのは心が痛くなる。

 今日はオオトカゲがいてくれたから助かったけど、頻繁に頼るのがいいとは思わない。


「危険を冒してまで戦闘に持ち込んだ理由は?」

「交渉の決裂と周囲の状況から増援がすぐにくることはないと判断しました。オースティンの戦闘力も踏まえ不利点は少ないと判断し、戦闘による無力化を決行しました」

「…」


 一通り報告を終えると、ルカさんは頭が痛いと言いたげな様子で大きなため息をつく。私はそれに申し訳ないと思いつつ無理もないと思った。

 交渉が決裂したからって戦闘に持ち込んだのは突っ走りすぎたと思う。いくらオースティンさんが強いって言っても、彼を危険に晒したことに変わりはないし。


「…君の問題行動に関して三番隊から話は聞いていたが、言葉が出ないな」

「申し訳ありません。副団長にお手数をおかけしてしまって…」


 どう考えてもあの時サイクロプスの拳から私を助けてくれたのはルカさんだろう。もちろんあの時屋内に入ってきてたのがルカさんだったっていうのもあるけど、巨体なサイクロプスの体をあんなに綺麗に切り落とせる風魔法使いなんて早々いない。

 あの時建物のドアは開きっぱなしになってたから、開いている場所から初級魔法である音速刃ソニックソードを打ち込んでそのまま突入、相手の不意を突いてその勢いで小悪魔を制圧…という流れが一瞬で起きたと私は読んでいる。

 風魔法は足元に風の力場を作って動きを早める魔法とかもあるから、目にも見えない速さで全てが終わったに違いない。


 ルカさんが初級魔法に詠唱を必要とするわけがないし、彼の矢の腕前を考えれば、たとえドアが半分しか開いてなかったとしても確実に音速刃ソニックソードを当てられたと確信できる。

 いやむしろ、あんな離れ技が一瞬で行えるのは騎士団の中でルカさんだけだろう。


「アンブローズ班長、君は何故ここに呼ばれたのかをわかっていないな」

「班員を危険に晒し、副団長にお手間をかけさせてしまったからではないのですか?」


 今日のことはどう考えても私の判断ミスだ。

 ドアに鍵がかかっていなかった段階で罠である可能性はわかっていたのに、なんの策も考えなかった私が悪い。


 そもそも敵が屋内に逃げ込むなんて、その段階で罠を疑うべきなのにオースティンさんたちに私はなんの指示も出さなかった。警戒してもらえるよう私がもっと考えを巡らせるべきだったのに。

 オースティンさんとハリアーさんがなんの警戒もなく屋内に突入した…とは考えづらいけど、待ち伏せされて誰か死んでた可能性だってある。


「その程度のことで口頭説明を求められていると思っているのなら、随分と考えが浅いようだ」

「え…」

「確かに君のミスは多い。しかし最もたる部分は君が君の立場を理解していないことにある」


 彼の言葉の真意を、私は言われただけでは気づけなかった。

 確かにルカさんの言うとおり私は私の立場を理解できてない行動をしたけど、彼の言い方から考えると私はまだ何かに気づいていないことになる。

 私は何を見落としているの?


「聞き方を変えよう。“戦場で指揮を取る人間がいなくなった時、何が起きる?”」

「混乱、でしょうか」

「質問に質問で返すのは感心しないな」

「…混乱と、恐怖です」


 ルカさんの問いに、うっすらと嫌なものが心の中に浮かび始める。

 その“嫌なもの”が本当に責められているとしたら、私は確かに大きなミスを犯した。


「では君の立場はなんだ?」

「第八班、班長です」

「では何故指揮官が、囮などということをやっている?」

「…」


 私に答えられる言葉はない。どう考えてもルカさんの言うとおりだ。

 私は常に班の人に指示を出してまとめないといけない。不利な状況で応援を求めるのは当然のことだし、自分が身動きできない状況を作るなんて一番危ないこと。

 オースティンさんが経験豊富で強くて、たまたま陽動がうまくいって…そういう歯車が偶然噛み合ったから誰も死ななかっただけ。現に私はサイクロプスの拳で死にかかってる。


 これでもし別働させてたニコとバーグさんに何か起きていたら?

 相手が人質に後からなにか仕掛けていたら?


 今日もし誰かが死んだら、それは絶対に私のせいって状況だったんじゃないか。

 全部考えが及んでなかったんだ。


「申し訳ありません」


 悔しくて、拳を握りしめながら頭を下げる。

 あの時、オースティンさんに動かないよう言ったのは私だ。オースティンさんは私の指示に従っただけだし、私に何か策があるかもって思ったのかもしれない。

 考えてるつもりになってただけで、私は自分の力に溺れてたんだ。


「君は中位としての経験も浅い。だが甘えたことをしていられる状況でもないのはわかっているな?」

「はい」

「では必要であるべき点を踏まえて報告書を提出するように。あと…」

「?」


 突然言葉を濁す彼に疑問を抱き、思わず顔が上がる。すると彼は軽く咳払いをしてから再び私を見た。


「…終業後に時間が欲しい。そうだな、僕の仮眠室に来てくれ」

「? 了解しました」


 なんとも言いづらそうにそう言った彼の中に何が起きているのかはわからないけど、とりあえず彼がそう言うのであれば後で向かうことにしよう。

 とはいえ今日の終業までは後三時間…へんな仕事入れないようにしないとな。


 それにしても、団長と副団長は騎士団の庁舎内に専用の仮眠室があるんだからすごい…。実質個人の部屋なわけだし、中も広くて過ごしやすそう。

 ここまでキャリントン家がその威光を示し続けてきたからこそそういう待遇になるのかもしれない。


「話は以上だ。業務に戻ってくれ」

「了解しました、失礼します」


 会話も終わったので静かに彼の部屋を出る。そして廊下であらためて悔しさに奥歯を噛んだ。

 大きな後悔は私の背中に重くのしかかる。今日の私は本当に判断ミスがひどかったとしか言いようがない。


 班長としての実戦は初めてじゃなかったのに。まだまだ勉強することばかりだ。

 もっと頑張ろう。あの人に絶対に死んでほしくないけど、死んでほしくないのはあの人だけじゃない。

 できる限り誰にも死んでほしくないから。

 

 ***

 

 こんこん、と目の前のドアを軽く叩く。

 約束通り今日の仕事を終えた私はルカさんの仮眠室に来ていた。


 今日は戦闘があったばかりだから少し残業したけど…しかし残業が少しで済んだのは私の班に負傷者がいなかったからだ、ありがたいと思いこそすれ疎むものは何もない。

 とはいえ、終業後にそのままこの部屋に来るのは少し気が引けて私服に着替えてきちゃったけど、あってただろうか…。


「副団長、お約束通りアンブローズが参りました」


 ノックと同時に名乗ると、ドアの向こうから入ってほしいとの返答が返ってきたのでそっとドアを開ける。


「!」


 しかし部屋の奥の人影に反応して反射的に一歩下がったら、それすら見越していたように相手は動き私を強引に部屋の中へ引き摺り込み、同時にやや乱暴な音を立ててドアを閉めた。

 驚いている私の腕を掴む相手の力は強くて、咄嗟のことに判断しきれない私はそのまま…なぜか相手に強く強く抱きしめられている。


「…」


 私を抱きしめているのはルカさんだ。それはなにもしなくとも、香りと感触でわかる。

 けど、肝心の彼は何も言わない。ただ少し苦しいくらいに感じるほど強い力で私を抱きしめて離さなくて、その姿は何かに追い詰められているように感じた。


「ルカさん…?」


 かといって彼の心情を察することまではできないので、ひとまず彼の名前を呼んでみる。すると彼は勢いよく私を自分から引き剥がして、それなのに私の両肩を強く掴んだまま彼は恐怖と焦りと怒りが混ざったような表情で私に言った。


「なんてことをしたんだ君は!」


 彼の叫びに私が最初に感じたことは「何事?」という疑問。しかし驚いて呆けてる私を置いて彼は私の体を確認するみたいに触れてから大きなため息をついた。


「本当に、無事だった…」

「えぇ、まぁ…ルカさんが助けてくださいましたから」


 このタイミングで大袈裟になることだろうか? さっきも執務室で話をしたのに。

 でも私の言葉と状況を飲み込めていない様子に彼は納得がいっていないと言いたげな表情を見せる。


「本当に心配したんだ、人の気も知らないで…」

「それは…ご、ごめんなさい…」


 そんなに心配してくれたのか、さっき話をした時は普通にお仕事についてのお説教だったから、そっちにばかり頭が行ってたな…。

 申し訳ないな、私のことで振り回すの。


 でも心配してくれて嬉しいって思う自分もいて…そっちはよくないことのように思った。

 視線が下に向く私の頬に彼の手が滑る。そのまま持ち上げられた視線の先にいた彼は、安堵したように落ち着いた様子で微笑んでいた。


「いいんだ、君に何もないなら…報告を聞いた時は肝が冷えたけど」

「う、すみません…」


 やっぱり申し訳なさが心の表にくる。

 それでも心配してくれて嬉しいと思ったのは、ルカさんが私と同じことを考えてくれてるんだってどこかで思ってしまったからだ。立場が逆だったら私はルカさんを襲ってるやつを粉微塵にして燃やし尽くすもの。


「ひとまず座ろう、紅茶を用意しておいたから」

「ありがとうございます」


 促されるままに部屋の中央あたりに置かれたテーブルへ移動する。仮眠室と聞いていたけど、この部屋の中は純粋な個人部屋のようになっていた。

 大きなベッドにテーブルとソファ、小さなクローゼットと思しき扉に窓と暖炉…こんな部屋で仮眠だけ済ませると言うのは、些か勿体無いような。


 部屋に置かれたソファは対になるようにテーブルを挟んで置かれているから、他人が来訪することも考えられているのかもしれない。

 なので、当たり前に片側のソファに腰掛けようとしたところ、


「あの…ルカさん?」


 何故か流れるように彼の膝に乗せられてしまった。詰まるところ私と彼は同じソファに腰掛けている。

 …どうしてこうなった?


「なにかいけないかい?」

「少なくとも恥ずかしいんですが…」

「ここには僕たちしかいないんだから、気にすることはないと思うけど」

「…」


 あぁ、これは何を言っても自分の意見を変えるつもりがない時の言葉だ、と私は交渉を諦める。

 確かにこの部屋には私とルカさんしかいないけど、ついこの間屋外で同じことがあったような。


「今日はここにいてほしい、君を感じていたいんだ」


 そう言ったルカさんの表情は少し怯えてるように見える。まるで、いつかの私と同じものを抱えているような、そんな表情に。


「…」

「!」


 なので彼の首に腕を回して寄り添ってみた。彼から少し驚いたような呼吸の動きを感じたので、少なからず私の行動に動揺してるんだろう。

 私としては、もし彼が私と同じような怖さを味わったのなら私に何ができるだろうと思って…かといって考えついたのはこんなものだった。言葉をかけるというのも、なんだが薄っぺらいような気がして。


「セナ…」


 彼に抱きつく私を包むみたいに彼は抱きしめ返してくれる。だけどその手は明らかに震えていた。


「…今日、僕は任務に背くところだった」

「え…?」


 彼がぽつりと呟いた言葉を私は意外に思って、思わず彼の首に回していた腕を解いて自分の視界に彼の顔を映す。

 だけど彼は沈んだ様子のまま、また独り言のように言葉を続けた。


「君が屋内で支援を求めていると聞いた時、思わず体が飛び出していたんだ。そしてその先で君が敵から攻撃を受けそうになっているのを見て…僕はあのサイクロプスを殺しそうになっていた」

「!」

「殺しそう、ではないな…確かにあの時僕は相手を殺すつもりで魔法を放った。そこから先はあまり覚えていない」

「ルカさん…」


 彼の独白に対して素直に驚いてしまう。まさかルカさんがそんなに感情的になるなんて、と。

 確かにあの作戦の目標は敵の捕縛であって討伐じゃない。だからよっぽどのことがなければ相手を殺してはいけない任務だった。

 それを、普段から冷静で任務の遂行を優先して行動するルカさんが衝動的に破りそうになるなんて。


「驚かれるとは思っていなかったな、僕だって君には正面から思いを伝えているつもりだけど」

「あ、いや、全部嬉しいです。嬉しいんですが、ちょっと想像が追いついてなくて」


 私の言葉にルカさんは少し困ったように微笑む。


「君は僕にとって、かけがえがないものなんだと今日思い知ったよ。戦場であんなにも感情的になったのは初めてだからね」

「…」

「サイクロプスの拳が君に向いているとわかった瞬間、体は動いていた。君を失うかもしれないと確かにそう思ったから」


 そんなに私のことを大切に思ってくれていたんだと、不謹慎なことを考えてしまった。

 あの屋内で脚の切れたサイクロプスの傷口に感じた寒気は、彼の魔法に残された殺気だったのだろう。


 あの後の、険しい表情をした氷のような彼の姿も、同じものだと思っていいだろうか。

 そうだったらいいのに、そう考えてる自分は確かにいる。


「おかしいな、確かにこんなことは。まだ君と会話をするようになって一年も経っていないというのに」

「いえ、ありがとうございます」

「…錯覚してしまうんだ。君が何年も募らせてきた思いが、自分の中に積もっているような感覚に」


 それは錯覚でいてほしくないと言ったら、貴方はどんな顔をするんだろう…「いや、錯覚だよ」と否定しそうだ。

 それはそれで少し切ない。

 貴方の中に私がもっとたくさんあればいいのに。


「だから、君は僕が抱えたものよりもっと辛いものを抱えてきたんだろうと、考えてしまって」

「!」

「大切な人の死というのは、免れたとしてもとても悪夢のようなのだと学んだ。同時に、君の感情の重みの片鱗も。それはとても、長く抱えるというのはあまりにも苦しいだろう」

「…それは」


 確かに苦しかった。いや、今でも苦しいし、きっと一生苦しい。

 今、確かに貴方は生きていて、こうして私と話をしてくれる。だけどあの時死んでしまった貴方の記憶が変わることもない。

 今だって夢に見る、貴方が切り裂かれるあの瞬間を。


「だけど、同時に君がこの思いでここまできてくれたことを嬉しいと思ってしまったんだ。とても身勝手な考え方だ、申し訳なく思う。情けないな」

「そんなことは! そう言って頂けるとは思いませんでしたが…」


 それを言ったら私だって現金なものだ、貴方の言葉を嬉しいと思ってる。

 ここまでの十年に、意味があったんだと錯覚しそうになってしまうほどに。

 いいのだろうか、そう考えても。


「情けないさ。でも君の気持ちもありがたく思う。だから、もうあんな無謀なことはしないで欲しい」

「…はい、申し訳ありません」


 私は、私を抱きしめてくれる彼の胸板にそっと体を預けた。申し訳なさは当然あって、でも彼に安心してもらうにはこうしてそばにいる方がいいような気がした。

 不思議と緊張はしない。ただ、彼に悲しい思いをさせた分そばにいたいとは思う。

 本当に、言葉にできない感情だ、これは。


「…」


 普段の自分の心音より少しだけ早く脈を打っている音が聞こえる彼の胸板に耳を傾けながら、私の中で今日の後悔が蘇る。

 だから、私が貴方に思う“私にそんなに心を割いてくれなくてもいいのに”なんて言葉は無粋だろう。あんな怯えた顔をするほど彼は私を思ってくれたんだから。


「私、もっと強くなります。貴方をお護りできるように」


 あの家屋の中で私は、自分の力であの場を切り抜けることで貴方の信頼を得ることができると思っていた。

 中位騎士まで昇った私は貴方を護る実力を少しずつつけているのだと。


 でもそんなものは思い上がりだった。

 結局独りよがりに行動して周りを巻き込むばっかりで、そんなものは強さじゃないって言ってた漫画をたくさん読んできたのに。読んできたはずのことさえ理解できてなかった。


 ごめんなさい、ごめんなさい。

 私が弱いばっかりに。


「そんな…そんなことを考えてほしくて君を呼んだわけじゃない。僕のことなんて君はもう」

「それじゃダメなんです。私が貴方と一秒でも長くいたいのは私の意思だから、だから私は、貴方のそばにいれる私でありたい」

「セナ…」


 もう貴方は私の隣にいるの。

 誰にも渡したりなんてしない、絶対に貴方のそばにいれる私になる。

 貴方を護れる私になるんだ。


 そう思うと、思わず彼の服の袖をぐっと掴んでしまった。八つ当たりみたいだってわかってるのに、彼の気持ちに対する嬉しさとか自分の中の悔しさとか、いろんなものが渦巻いてしまって。


 ルカさんの言いたいことがわからないわけじゃない。私だって、立場が逆転していたら同じことを言うと確信できる。

 だけどそれは、目の前が幸せだからこのままでいいって…そんな言い訳をする理由にはならないから。


「愛しています、愛しているんです。だからここまできた。貴方を十年思い続けてきた。このままじゃダメなんです」

「…」

「今止まったら、私はきっと後悔する」


 今のままの私では、どこかで死んでしまうだろう。自分で言ってて悲しいけど、今の私に誇れるほどの力はない。

 そんなことではルカさんをお護りすることなんてできないんだ。そしてそれができない私なんて、私が認められない。

 私は、貴方と私のどちらものためにもっと強くなりたいんだ。


「君は少し真面目がすぎる」


 そう言った貴方は、苦笑いを浮かべながらも私をそっと解放してくれる。

 でも私は彼の態度に、そんなことはないけどな、と自分も内心で苦笑いになってしまった。


「貴方が言うほど真面目ではないですよ」

「君が言うと信憑性に欠けるな」

「自分のことはだらしないので…貴方の前では見せないだけです」


 脱いだ服とか、結構放ったりするし…部屋も綺麗かと言われれば少し煩雑としている。

 彼に矢印が向いてないことはどうしても手を抜きがちだ。


「そんなに僕に依存する要素はないと思うけど…」

「ありますよ、たくさん。貴方がいないなら死んだ方がマシだ」


 貴方もそうだったらいいのに、なんてつい考えてしまう。そうやって依存して離れられなくなったらいいのにと。

 貴方が死んでしまうかもしれないなら、どこかに閉じ込めて仕舞えばいいんだろうか。


「…僕の行動は思ったよりも責任が大きそうだ」

「責任…ですか」

「君は今、僕に“そうあれ”と言ったように聞こえたけど」

「…」


 貴方の言葉にすぐ返答ができなかった。

 確かにそうかもしれないと自分でも思ってしまって。

 貴方には自由でいてほしいとも、確かに思っているのに。


「君がそれを望むなら、努力しよう。でなければ君はおかしなことを言いかねない」

「おかしなことなんて…貴方は自由でいてくださればそれで」

「その言葉はすでに矛盾しているじゃないか。そうやって無理をするから言っているんだ」


 少しの無理があっという間に看破されてしまった。嘘は言ってないんだけどな、少なくとも貴方には。

 貴方が幸せであってくれるならなんでもいい。本当に他はいいんだ、なんでも。

 それこそ私なんて、もうたくさん幸せにしてもらったもの。


「!」


 なのに、貴方がまた突然私にキスをして、私は当然顔が熱くなる。

 どどどどうして!?

 そんな空気じゃなかったような。


「強がりな君は、今は要らない」

「つ、強がりなんて」

「しているだろ、もっと素直でいいんだ」

「うぅ…」


 強がってるわけじゃないのに。本当に貴方が幸せならそれが一番いいのに、どうしてそんなふうに思われているんだろう。


「僕がいいって、言って」

「え?」


 だけど戸惑う私に向かって、貴方は急にしおらしい表情を見せる。

 急にどうして、と思ってしまった。


「いいから、僕だけがいいって言ってほしいんだ」

「ルカさん…」


 寂しげで、まるで縋るような彼の姿に嬉しいと思っている自分が確かにいる。それと同じだけ、そんな顔をさせたかったわけじゃないのにって思う自分も。


 貴方も同じなのかな、同じだと思っていいのかな?

 貴方も、私だけ見てくれる?


「私は、ルカさんがいてくださればいいんですよ。貴方を幸せにしたくて私はここにいるんですから」


 つい調子に乗ったことを言ってしまったな…とは思いつつ、今は浮かれた自分に身を任せることにした。

 だって、あんなに寂しそうな顔をされたらつい素直になってしまう。


「だから私のそばにいてください。貴方がそうしたいと思ってくださるなら」


 そう言って貴方の頬を撫でると、貴方はまた私をぎゅっと抱きしめてくれて、静かに私の言葉に返してくれる。


「当然だ、僕が手放すつもりなんてないんだから」

「!」

「手放したりなんてしない。僕だってセナがいてくれればいい」


 返ってきた言葉は少し拗ねているようにも聞こえて、私はそれが嬉しくて少しニヤついてしまった。

 可愛い人だとつい思ってしまったし、何より彼がそう思ってくれるのが嬉しくて。


「好きだ、愛してる。だからもう心配させないでくれ」

「…はい、ルカさん」


 ここまできてさりげなく今日のことを掘り返すあたり、よほど心配をかけたみたいだ。改めて精進しようと心に決めつつ、何気なく部屋の壁にかけられた時計を見ると、思ったより時間が経っていることを知る。

 もうそろそろ食堂の閉まる時間だ。何か食べるなら早く行かないと…ニコにも、ルカさんに呼ばれてるって以外何も言ってないし。


「あの、ルカさん」

「なんだい?」

「そろそろ食堂に行こうと思うのですが…」

「それはここで食べればいいと思うけど」


 彼の腕を優しく叩いて解放してもらえるように呼びかけると、彼はさも当然ではと言いたげにそう返してきた。

 しかし私としては良くないようにも思う。


「公私混同はあまりよろしくないのでは…?」

「終業後なんだから自由だと思うけど。君と僕の仲はもう広まっているし」


 まぁ彼の言いたいこともわかる、と思うとすぐに言葉を返すことはできなくなってしまう。

 実際終業後はプライベートなんだから誰とご飯食べるかなんて自由だし、レオが知ってるくらいなんだから周囲に私とルカさんの仲が知れていてもおかしくはない。

 しかし、私には懸念すべき点がある。


「何か他に心配事でも?」

「夕食はいつも友人と摂っているので、一言も告げないのは心配でして」

「…」


 素直に心配事を口に出したら沈黙が帰ってきた。いちゃついてた時間に友人の話をし始めたから不服なんだろうか。

 しかしよく考えてみると、どうして周囲にルカさんと私の関係が広まっているのかは疑問が残る。

 お互い公私混同する方じゃないから、必要もないのに仕事中に会うことがまずないし、出かけたのだって二、三回程度…レオが噂でも流させてるのか…?


「如何なさいましたか?」


 とはいえあまり沈黙が長くても困ってしまうので一応問うてみる。

 すると貴方は軽く首を振ってから私に言葉を返した。


「いや、友人は大切にすべきだ。ただ、君がいいのなら食事は共にとりたい」

「わかりました、ありがとうございます」

「…お礼を言われるようなことは言ってないと思うけど」

「友人の話をした途端沈黙がありましたので、話しに行かせてもらえるのはありがたいと思いまして」

「!」


 私の一言に貴方は途端に顔を真っ赤にする。もしかして自分の態度に自覚がなかったんだろうか。

 だとしたらなんだこの可愛い生き物は。純粋で擦れてなくて、それは普段人と深く関わってないからなんだろうな。

 眩しい…精神年齢三十歳を超えるおばさんには眩しいよ。


 よく考えたら今の関係ってルカさんが十歳年下の子に手を出しているようで三十代のおばさんが若い子に手を出してる構図なんだよね、私生きてたら今三十は確実に超えてるし。

 ルカさんの年齢設定は二十七歳だもの…そう考えると申し訳なさあるな、ルカさんにもイザベラにも。


 っていうか日本の現代社会だと未成年に手を出すのは法律的にアウトなんだけど、この世界だとどうなんだろう。古いヨーロッパに近い世界観だからなんとかなるといいんだけど。

 そうでなかったらルカさんにとんでもない風評被害が…。


「いや、その、君の友人関係に口を出したかったわけではなくて」

「わかっています、だからお礼を言いました。食事、貴方の分も持ってきますね」

「あ、あぁ…」


 私はそのまま退室することを一言告げて彼の仮眠室を出た。そして一つ大きなため息をつきながら、中身がおばさんであると言うことを理由に交際は断った方が良かったのでは、と考えつつ歩き始める。

 やらかした…完全にやらかした。ここまで必死すぎて自分の年齢まで気に留めてこなかったよ。真相を知って振られでもしたらそれはそれでいたたまれない。

 とはいえ、彼を手放そうなんて気はもはや無いので、隠し通すか土下座するかの二択なのは確かだ。


「体が若いからって調子に乗るもんじゃないな…」


 ぽつりと呟く。

 あぁ、どうか真相がバレても振られませんように。


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