貴方と出会って一年経って
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「百二十八、百二十九、百三十…」
あの日、ルカさんに出会ってからようやく一年。早速引越し先の荷解きを終えてから始めた筋トレやジョギングもだいぶ成長してきた。
最初の壁はイザベラの体の筋力のなさ。お貴族の令嬢だからイメージ通りっちゃそうなんだけど、前世の記憶を活かして少し走ってみようとしたら五百メートルも走らないうちにバテちゃうし、プランクは二十秒も続かないしでスタート地点の低さになんとも言えない気持ちになったのは記憶に新しい。
しかし今や毎朝四キロのジョギングにプランク、剣の素振り、スクワットに腕立てと一通りのことはできるようになり、最低地点である五百メートルから始まったジョギングの最高距離が日を追うごとに伸びていくのは快感すらある。やがては十キロまで伸ばす予定だ。
騎士と言うだけあって剣を扱う以上体力と筋力は欠かせないし、その点についてはだいぶ歳の割には高い値を維持てしていると思う。
でも将来のために勉強はしなくちゃいけないし、何よりこの世界で必要なのは“魔法”だ。
「ふぅ…」
腕立てふせを終えて立ち上がり、水を飲みながら前世について考える。
この世界である漫画『神託の剣』の主人公のケントは孤児として故郷の村で生活していた。親戚の家に預けられ農民の一人として生活していたところ、神託を受けた聖女エルシィに運命を告げられて葛藤と小さな事件を経て冒険に出ることを決意する。
ブラック企業で口から魂を出しながら働いていた私にこの漫画を勧めてくれたのは親だった。私の家は親が漫画好きで、私は家中に漫画があるのが当たり前に育ってきている。そんな親が「息抜きに」と勧めてくれたのが『神託の剣』。
多分ストーリーが王道でわかりやすかったから勧めてくれたんだと思うんだけど、意外と独自設定多くて全容をきちんと把握しようとすると知識が求められるという絶妙な塩梅の漫画でもあった。
そのバランスが面白くて読み進めていた時だ、私が彼のあの顔を見てしまったのは。
推しであるルカ・キャリントンは本当に地味な男で、目元は基本的に長い前髪で顔は見えないし、事務的な話し方のセリフも多く冷たい印象すら受ける。上騎士団長である兄がメインキャラの一人なので副団長というそれなりの立場なのにやや影すら薄い。
しかし作戦参謀としての腕がよく、設定では罠や継戦のための人員配置がうまいと言うことになっていた。作中でも彼の建てた作戦でオークの群れをワイヤートラップ爆弾に嵌めて魔法士の負担を減らしつつ確実に撃退する、というなんとも無慈悲な作戦が描かれている。
それだけではどう足掻いても地味なキャラではあるのだけど、彼は勇者ケントとともに旅に出る騎士の少女カトレアと深い関係にあることが番外編にて描かれていた。
カトレアの育った村は彼女が幼少の頃部族間の争いによって滅んでしまっており、騎士団が仲裁に入った頃にはカトレアを残して村そのものが滅んでしまっている。そんな天涯孤独な彼女保護したのがルカさんのいるキャリントン家。
ルカさんはカトレアのことをとても大切に思っていることが作品本編でもよく描かれていて、彼の実の兄であるレオ相手よりよほど家族のような親密さで描かれていた。
それは、そんな中のシーンの一つ。
彼がカトレアに向かって静かに微笑んだ、それだけのことに私の鼓動は確かに一瞬止まった。
その些細な微笑みは確かに私の心を動かして、それで…
「…負けない」
だから私は負けられない。
貴方を寿命以外で死なせたりなんかしない、少しでも幸せな一生を迎えてほしいから。
「あぁ、次は魔法やらないとな…」
昔のことを考えすぎたな、と一つため息をつく。持っていた水瓶と汗を拭いた布を付近の柵に置いて今度は深呼吸をした。
「すぅ…は…ぁ…」
心を無にするようなイメージで何度か深呼吸を繰り返す。それと同時に両手を胸の前に構えた。
「…」
静かに目を開けて数秒、掌の前にゆらりと拳大の炎が浮かぶ。そのまま私は人の顔程度までそれを大きくしてから、何事もなかったかのように炎を消した。
「よし…」
今日も基礎は順調なようだ、と次は右腕を眼前に伸ばす。
今私の魂が入っている体の本来の持ち主であるイザベラ・アンブローズは、『神託の剣』内でも高い人気を誇る悪役令嬢だ。
イザベラは勇者として城にやってきたケントに一目惚れし、彼と仲のいいヒロインである聖女エルシィを妬んで何かと横恋慕や嫌がらせをしてくるキャラクターでもある。
しかし同時に彼女は上級魔法まで易々と使えてしまう炎魔法の天才で、敵に回ってしまうには厄介なキャラクターだ。
アンブローズ家というのが元々魔法に強いようで、炎、水、土、雷、風の五元素の中でも炎魔法に特化した血脈らしい。お父様が教えてくれた。
とはいえお兄様は炎だけでなく雷と風も若干使えるのでそれはそれで羨ましい。魔法の属性は先天的な才能に依存するらしく、イザベラは炎の素養しか持っていない。
まぁだからこそ炎魔法であれば極めれると漫画の中の彼女を信じてこうして練習を重ねている。
「『火蜥蜴招来』…」
伸ばした手の向こうを見つめて一つ呟く。すると目の前に炎の輪が現れ、その内側から炎の体を持つオオトカゲが現れた。
のそり、と現れたそれは私の方を見て指示を待っている。『火蜥蜴招来』は文字通りサラマンダーと呼ばれる炎のオオトカゲを召喚する魔法。炎の精霊の一種であるサラマンダーを召喚し、一時的に使役することができる。
とは言え私はまだ無詠唱でこの魔法を使えない。詠唱破棄はできるとはいえ戦に使うなら魔法名の詠唱すらしてる暇はないんだけどな。
「サラマンダー」
私が召喚したサラマンダーに声をかけると、相手は小さく反応を示す。なので私は用意した的に向かって指を差しサラマンダーの視線を誘導して、
「アタック」
そのまま攻撃の指示を出した。するとサラマンダーは反射的に三発の火球を作り出し正確に的に当てる。当然木でできた的は燃え上がり、地面に崩れ落ちた。
とは言え下は土なので後で水でもかけておけば問題ない。
「オッケー、ありがと」
そう言って私は懐から一枚のクッキーを取り出してサラマンダーに手渡す。するとサラマンダーは嬉しそうに目を細めてクッキーを受け取り消えていった。
基本的に精霊との契約には対価が伴う。でも一時契約から生涯契約にもできたりと幅は広い。
対価は食べ物とか相手の好きなものであることが多く、お菓子で対価を払える子が来てくれると正直助かっている。お菓子は作ればいいしね…。
精霊を元の世界に帰すための合図として対価を与えることが多いけど、もし対価を払う前に何かで精霊が帰ってしまったら、そのために召喚し直すのがルールだと教えられた。
「安定しないな、中級でも無詠唱とはいかないなんて」
現状の己の実力に悔しさを強く感じる。
魔法には基本的に呪文の詠唱、詠唱を破棄して名前のみで発動、完全な無詠唱の三段階が存在していて、当然どんな魔法だって無詠唱が好ましい。
でも私は中級魔法すら無詠唱で出すことができず、悔しさでギリ、と奥歯が鳴った。
鍛錬を始めて一年で結果を焦るのはよくないとわかっていても、こんなことではと思ってしまう。
「こんなんじゃ足りない、足りないよ…」
こぼれ落ちた言葉にも焦りは感じている。焦ったらよくないとわかっているのに、それなのに死ぬ気で握りしめた拳から血の一つも出ないことすら悔しかった。
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