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Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第三幕】太陽の重さ

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八十七層:太陽の重さ.07


悲鳴が、風に裂かれていた。



蒼殻(そうかく)の空は、“昼の陽”の残光を残していたはずだった。

だが今は、その余韻さえも、残されていない。


炎が、島々を舐めていた。


滑空船が燃え落ちる匂い。

崩れた建材が、空へと落ちていく鈍い音。

それらすべてを押し潰すように、低く、長く──獣の遠吠えが響いていた。



白い幕に投影されるソルファリウムの審問を、

すべての天使が固唾をのんで見守っていた。


静寂と、自分の鼓動と。


おとぎ話のように顕現した、ソル・ベリリウムの“ランタン”の眩い光だけが、世界のすべてを、形作っていた。


──はずだった。



赤黒い槍が、一閃した。



ジャックが“ランタン”を手にした、その瞬間。

多くの天使は、“ランタン”の顕現により白んで見えなくなった白幕ではなく、夜の入りから昼に戻った空を見ていた。


だから──その一撃を目にした者は、実際にソルファリウムの地にいた天使だけだった。


戦わない天使たちは、急に明るさを失った空を見て──

それから、もう一度白幕に視線を投げた時には、すでにそこは、“戦場”になっていた。


クリスとジャックの一騎打ちではない。

化け物退治の光景でもない。

映写機が映し出していた光景は、生死も判別できないほど血に濡れたクリスとジャックの姿。



そして、羽をもった赤黒い軍勢に蹂躙されていく、精鋭の戦士たち。



それからは、あっという間だった。


羽を持った軍勢ではなく、獣が、島に降り立った。

ソルファリウムの高さまでは登れなかった、狼人(ウェアウルフ)らだった。


“大扉の島”ウルスナで滑空船を奪ったあと、ジルジオは一度上を目指したが──

寒さもさることながら、息のできなさに降下を余儀なくされた。

呼吸がままならない苛立ちが、唸る喉と、逆立つ剛毛に現れていた。

鋭い爪で地面をひっかきながら、ジルジオは叫んだ。


「息が出来ねえじゃねえかおい!」


だが、その咆哮に振り返った天使たちの中に、多くの女を見つけると、獰猛な牙を見せつけるようにして笑った。



「──いいね。女だ」



一歩、踏み出すと、

天使たちとの対格差が際立った。


戦闘民族なんて聞いてたが、戦えそうなナリじゃねえ。

武器も持っちゃいねえ。光輪もねえ。

……これが本当に天使なのかよ。



翼が退化してるなら──ここにいるのは異形種(スリム)と同じだな。



頭一つ違う視線の高さから、ジルジオは悲鳴をあげる天使たちを見渡していた。

逃げる気配すら、甘い。


「……だがまあ、この“高さ”で生きられるってことは、それなりに体は丈夫なんだろ」


だったら十分だ。

“母”は、強いにこしたことはねえ。


後ろに続く狼人(ウェアウルフ)らに、顎で指示を出した。



「女は生け捕り。──男は殺せ」



複数の遠吠えが、宇宙を透かすように、夜へと変わる空へ溶けていく。

駆けるというよりも、跳ねるように散った群れを横目に、ジルジオは上を見た。


ノクタリスのような、分厚い雲がない。

白い息があっという間に流れていく高空の風は、どこか、風の爪谷に似たものを感じさせる。

……だが、あれより圧倒的に、寒い。


その寒さの中、突き抜けるように澄んだ空に、ハーウェンの目が昇っていた。


背筋が、疼く。

かつてないほどに。

爪が、牙が、肉を裂くのを今か今かと待ち構えているのは、きっとあれのせいだ。


「──けどまだ、欠けてるな」


あと少し。数日もすれば、星層の狼が完全に目を開く。

そうなれば──



キング・ハーウェンの眼差しに見初められたその時にのみ、自分たちの“本当の姿”を、取り戻せる。


だが──

月も太陽も昇らないノクタリスで生まれ過ごした狼人らは、まだ誰も、その“本当”を知らない。



──満月ではない。

だが、すでに“眼差し”は届いている。


ハーウェンの影が、彼らの本能をなぞっていた。



“神獣の島”ソルファリウム。

グランはその中央に佇んでいた。


足元には、崩れた石と、血溜まり。



──“仕留めそこなった痕跡”。



血槍を放った瞬間、標的がわずかに体をひねったのを、グランは見ていた。

その後、少しの間だけ胸が動いていたことも。


体の中心を貫いた。

……だが、“死体”は確認できていない。


フジとの契約の履行は、ジャック・J・ジッパーの完全な死。



──死んでいるかどうか、確かめねばならない。



吸血鬼の羽の羽ばたきと、天使の戦士による応戦の雄たけび。

戦場という空間の中心に、静かに歩み寄る靴音が、遅れて届いた。


グランが振り返ると、そこにはフジが立っていた。

白い軍服に身を包み、いつもの薄笑いを口元に浮かべている。



その手には、ソル・ベリリウムの“ランタン”が握られていた。



「よォ。──外したなァ」



生死の確認はとれていない。

だが、まるで、殺し切れていないことを確信している言い方だった。


グランはガーネット色の目を細めて、フジを軽く睨む。


「……まだ生きていると?」

「あァ、生きてる」

「なぜ分かる」

「そういう男だからだァ」


何の説明にもなっていない。

顔をしかめたグランに、フジは喉奥をひっかくような笑いを零す。


「あいつは簡単には死なねェ。“死なねェように”生きることを叩き込まれてきた。“死なせねェ”ための装置もある。──ジャックを担いで逃げた男がいただろ」


フジはランタンを指先でなぞる。

中に灯る陽は落ち着き、一見すると、そこらのランタンと何の違いもつかなかった。


「"死なねェ”男と、“死なせねェ”男。そいつらが逃げ込んだ先もまた──“死”を拒絶する場所だ」

「……どういうことだ」

「説明はめんどくせェからしねェよ。……複雑なんだよ。世界はお前らが思ってるよりずっとな」


あっさりと踵を返しながら、フジはにやりと笑う。

月明りに、彼の薄い金の髪が淡く光った。

足元のふたつの血溜まり。

そのうちのもう一つを一瞥して──すぐに銀色の瞳は前を向く。


「“ランタン”は手に入った。だが、ジャックは追いかけて殺せ。……確実に」

「逃げ込んだ先は」

「ゼノラ層。十中八九、ノードとリウェルタの街道の途中にあるグレイロック診療所だろうよ」



……そこまで分かっているのか。



グランは口にせず、内心で舌を打った。

分かっていて、情報を吐かない。

フジという男の不気味さが、まさしく滲む立ち位置にいる。


視線だけで部下に指示を飛ばせば、自分を戦場から隔離するように周辺に立っていた吸血鬼の数名が飛び去って行く。


その背中を見送るように、フジがゆっくりと顔をあげた。



「“外”に出るって覚悟を決めたのはそっちだ。よく見て回るといい。いまこの世界が、どれだけ美しく見えても──どれだけ軋んでいるかってことを」



そのまま一歩、歩き出す。


ふと、足が止まる。


視線だけが、そこにあったはずの血溜まりをなぞる。

ジャックのものではない。

もうひとつの、命の最期の痕跡。



「……あんたまで殺す気はなかったんだけどなァ」



……まあでも、生きていたら、きっとクリスも障壁になった。


それは、心の中でだけ呟いた。

けれど、そう思えたのは──

それなりに長い間、補佐官として働いていたからこそ。


それが、最後の(はなむけ)だった。



「じゃァな」



それだけを残して、フジは去っていった。

片手にソルの“ランタン”を揺らしながら。


小さく灯る陽の重さを、感じながら。



極寒の風だけが、彼の金髪を流していった。



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