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Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第三幕】太陽の重さ

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八十六層:太陽の重さ.06


「なあ……あんたに、話がある」



言葉を選ぶ、一瞬の間があった。

けれど結局、選びきれないまま、素の言葉が零れた。


……やっぱり、駆け引きは俺には向いてねえ。

グリグジャングは青髪をガシガシ搔きながら、ガットの反応を待った。


ガットは、ゆっくり顔を上げた。

コバルトブルーの視線だけが、グリグジャングを振り返る。


……天使語。だが、エアフィルターはねえ。

呼吸を無理してる様子もない。


思考の傍ら、その体の影で、ライフルへと伸びる指を悟らせないように。


「……誰だテメー」


グリグジャングの胸が緊張で軋むようだった。

これまで、ノクタリス層の中だけで完結していたことが、そうもいかなくなった。

その実感が、ガットに声をかけたことで、ようやく現実のものになった気がした。



目の前の男は明らかに──俺より重たいものを背負っている。



言葉が詰まった。

何から話せばいい。

どこまで遡れば。


自分が魔族であること。

今、蹂躙してるのも、同じ種族だということ。


そして──この男の大事な奴の情報を、上に伝えたのは、自分だということを……


拳を握った。

強く巻き込んだ爪が食い込む。



何かを言いかけた、その時。

また、新たな足音が階段を登ってきた。


ユヴェだった。


開けっ放しの屋上の扉から、ゴーグルを抑えながら飛び出してくる。


「ガット!病院敷地内の墓地管理棟の扉をヴェルトルクと繋いだよ!このあとセレスカとグラルメラに──」


言いかけた言葉が、グリグジャングを見て止まる。

この時、ユヴェはグリグジャングの種族を知らないままだった。



だが、()()()()()()()()()()



戦場避難民が来る前に滑り込んだ、魚人たち。

自分も知らなかった種族と、言葉。

見慣れない服装。

悪魔語や妖精語の、古い訛り。


そして、今、院内に溢れる患者や避難民たちが口々に囁く──

ノクタリスの大扉から魔族が出てきたという、噂。


言われずとも、グリグジャングの正体が分かりつつあった。

だから余計に、扉の接続を明かしていいのか戸惑う。


……危険な感じは、あまりしないけど……


指示を仰ぐように、ユヴェがゴーグルの奥でガットを見た。

ガットはそんな彼女の戸惑いを知った上で、無視してそのまま短く答える。


「セレスカもグラルメラも、繋ぐのはどこでもいい。どうせこの層も()()()()()侵攻対象だ。ただし、なるべく辺境に行けるようにしておけ」


淡々と指示しながらも、ガットの眼差しはグリグジャングに向けられていた。

魔族。その言葉を聞いた瞬間の反応を測るように。


案の定、グリグジャングの眉がピクリと反応した。

心拍数が上昇している。

ガットは耳で、ネクは生体反応で、そしてユヴェは彼が纏う空気の重さで。

それぞれがそのことに気がついていた。


「……非常用扉も、院外がいいよね…でも、敷地内で外にある扉ってあんまりなくて……」


張り詰めた緊張を邪魔しないように、ユヴェが控えめに問いかける。

それを聞いたガットは眉根を寄せた。

病院の敷地を囲う鉄柵。

そして病棟自体。

二重の壁を利用するつもりだった。


だがもし、セレスカかグラルメラが陥落して、病院の中から魔族が溢れたら。


……一発で落ちる。


「……扉の接続の時間は、計算さえ終わってりゃそうかからねえよな」


裁判所裏にある“イェオロフの鱗跡”──あそこで、ユヴェが扉を接続するときに掛かった秒数を、ガットは思い出していた。

……だったら、非常用扉は最終手段でいい。


「う、うん。まあ……」

「なら今はいい」


話は終わりだとばかりに、ガットは再び視線を鍵束へ落とす。

それを見て、グリグジャングが一歩踏み出した。


「待ってくれ。……俺にも、協力させてくれ」


言い淀みながらも、眼差しはまっすぐだった。

ガットはそんなグリグジャングを目を細めて測る。

聞き慣れねえ心拍だが、乱れはねえ。

目線、発汗、指の震え。

……嘘じゃねえのは、確かだ。


「……なら、まずは情報を開示しろ」


短く言葉が刺さる。

グリグジャングの喉仏が上下した。


「脈拍、聞いたことねえ速さだ」


真っ先に指摘された、心臓の速さ。

どうしてそれが分かるのか、医療目的以外で、心拍を図る理由がノクタリスには存在しなかった。

心臓が刻む時間が種によって異なることを、彼は知らない。


「“開かずの扉”が開いたってのは、本当か」

「……」

「テメーからは、あいつらと同じ毒の匂いがする」


ガットの言葉に、グリグジャングはわずかに肩を震わせた。

距離はある。だが、風もある。

他の銘族(めいぞく)のように香も焚かない自分からは、よりノクタリスの毒の匂いがするだろう。


……だとしても、鼻が良すぎる。


「……そうだ」


グリグジャングは噛み締めるように答えた。



「──俺は、魔族だ」

「……」

「ノクタリスの大扉から、出てきた」



指先が、無意識にポケットの中の航海日誌に伸びる。

ユヴェが小さく息を吞んだ。

ガットは分かり切っていた答え合わせに、短く笑う。



「──は。いまこの状況じゃなきゃ、殺してた」



ネクが何かを察知したように、ガットからわずかに距離をとった。

体の影でライフルを握る指に力が籠る。


「金属、そこの魔族を解析かけて、生体反応の精度を上げろ」

「了解しました」

「1200メートル圏内に踏み入った瞬間に撃つ」


澄んだ人工音声が、緊張をさらに引き締める。

ガットはひとことも余計な言葉を残さず、選り分けた銀鍵を数本手に取った。

残りは鍵束のまま、狙撃地点の柵にひっかける。


スコープを覗きながら、ガットは淡々と続けた。


「……協力したい理由を言え」


有無を言わさぬ声だった。

その短い言葉の中に、“同族を売る覚悟”を問いながらも、“それを許す奴”というレッテルが、貼り付いている。



グリグジャングは一度、アクアマリンの目を伏せた。


心臓が強く打つ。

けれどこの鼓動は、恐怖じゃない。

罪悪感と──戦う覚悟の音だ。


奥歯を噛みしめ、顔を上げる。


曇り始めた空と、眠りに着こうとしているソルの西日。

それに照らされたガットの背は、どこか獣じみている。



「……誰も、これ以上──悲しませたくねえ」



グリグジャングは深く息を吐き、振り返らないガットの背を、真っ直ぐに見据える。


「俺が外に出てきたのは……殺し合いをしたくてじゃない。仲間が毒に侵されてて、ここのドクターなら治せるって思ったからだ」

「……」

「誰かを救いたくて動いたはずなのに……」


結果的に、それ以上の多くを巻き込んで、不幸にしちまってる。

口に出すほどに、偽善にしか聞こえなかった。

自分でさえもそう思う。

……目の前の男が──友人を殺されかけた奴が、そんな俺を信用するとは、思えなかった。



それでも、目だけは逃げられなかった。



ガットの眼差しがグリグジャングへ向く。

ブルゾンはジャックの血止めに使ってしまった。

いつものフードがないせいで、鋭いコバルトブルーが、はっきり見える。


ユヴェは息を吞んでふたりの会話を聞いていた。

一歩前にいるグリグジャングの拳がかすかに揺れているのを見て、思わず口を開いた。


「本当だよ、ガット」


彼女の声にも、ガットの視線は揺れない。

グリグジャングのアクアマリンをまっすぐ捉えたまま、嘘の兆候を読んでいる。


「彼の友達とも、私少し話したの。……誰も、きっとこんなこと、望んでなかったよ」

「……前にも言ったはずだ。テメーは甘すぎる」


ガットは呆れたように吐き捨てて、視線をスコープへ戻した。


……揃いも揃って、真面目でいい子ばかりかよ。

さっきのシマとかいう戦士の女然り、戦える奴がみんな純粋すぎる。


小さく舌打ちを零した。


「……嘘をついてねえのは分かった。あとは行動で示せ」

「……ああ」


かすかにグリグジャングの肩が下りた。


その仕草すら、分かりやすくてうんざりだった。

ガットが首を鳴らす。

スナイパーライフルを肩にかけ、じろりとグリグジャングを見下ろした。


「……武器とウフは」


グリグジャングは一瞬の逡巡のあと、片手を持ち上げた。

そしてその手のひらに、小さな水球を浮かべて見せた。


後ろからそれを見ていたユヴェは、ゴーグルの下で目を見開いた。

ウフも使わずに、水を生み出した。

物理法則を完全に無視したその力に、革手袋の手が震える。


ネクがわずかに軌道を乱し、ガットにしか聞こえない程度の処理音を鳴らす。

何も言わずとも記録していく金属球に、ガットは軽い一瞥をくれるだけだった。


「俺は魔族だ。ウフは使わない。でも、水魔法は使える」


ライフルの銃口が、わずかにグリグジャングの眉間をかすめるように向けられる。

ガットの眼光は鋭い。


……ウフなしの能力──固有能力(ノータ)か。



「……他の魔族の固有能力(ノータ)は」



説明しなくても、多くを察するガットに内心で舌を巻きながら、グリグジャングは答えた。


「俺が知ってる限りじゃ、こっちに出てきたのは俺たち水魔法族と、同じ系統の火魔法族。それと、狼人(ウェアウルフ)、吸血鬼、死霊使いだ」

「火魔法族は、水じゃなくて火を扱うってわけか。……他は」

「ノクタリスじゃ、固有能力(ノータ)をあまり開示しない。全部を知ってるわけじゃねえが……」


狼人(ウェアウルフ)は月夜の晩に、ハーウェンの眼差しに見初められて本当の姿を知る。

吸血鬼はいまだ翼をもつ唯一の種族で、自らの血液を操る。

そして、死霊使いはもっとも謎に包まれているが──


「魂を掴むとも、死体を操るとも言われてる。……もっと多くのことが出来るかもしれねえけど、できねえかもしれねえ」

「……曖昧だな」

「そういう教育方針だった」


退化を何より忌み嫌う魔族にとって、固有能力(ノータ)の損失は存在理由の損失だ。

失えば、苗字を剥がされ、やがて存在すら“いない者”とされる。

……そんな種族が、固有能力(ノータ)の残り具合をおおっぴろげにするわけがない。



開示される情報を聞きながら、ガットは病院の地理と共に、戦場を頭の中で描いていた。


相手は初手でジャックを殺しにくる冷徹さと、合理性を持っている。

羽を持つ種族──吸血鬼。

おそらくそいつらが、ジャックを襲ったあの赤黒い集団だろう。


……浮島は空気が薄い。

エアフィルターもなしに、他種族の息は続かない。

続いたとして、寒さに凍えてせいぜい留まれて最低空の島、アネモルムぐらいだ。



──羽を持たねえ奴らが降りてくる。



だとしたら。

ガットは屋上から病院の敷地内を見下ろした。



「……最悪だな」



周囲は鬱蒼とした“自然地帯(ナール・ブレイ)”の森の中。

魔族が身を隠すには容易すぎる。

火を放てば籠城も不利。

まして、敷地内には夥しい土葬死体。


「──ガット。戦場を変える提案をします」


同じ答えに辿り着いていたネクが、わずかに控えめな声で言った。

だが、間髪入れずにガットは首を振る。



「だめだ」



ジャックを生かすには、ドクターがいる。

この病院を拠点にすることは、すでに決定事項だった。



少しの沈黙のあと。


「……魔族。テメーも下にいけ。前方は天使の女が、ハンマーと地のウフで配置に着いた。テメーは裏だ」


グリグジャングはゆっくり頷く。

浮いた水球が西日を浴びて静かに光った。


「……わかった」

「言っておくが、信用はしねえ」


銃口がすっと外れ、ガットは冷たい声を残す。


「妙な動きをしたらここから殺す」

「……」

「──生き残るために使ってやる。死にたくなけりゃ、やることをやれ」


グリグジャングの胸が熱くなる。

この男は、誰も信じていない。

だが、それでも戦っている。


──たったひとつの命を守るために。



グリグジャングはユヴェを振り返った。

屋上の端にある貯水タンクを指さす。


「あの水、借りてもいいか?」

「え……?」


貯水タンクの用途は知らなかった。

そんな文化はノクタリスにはない。

だが、そこに水がある気配だけは、確かに感じていた。


「あれはたぶん非常用で……水が欲しいの?」

「ああ。生み出すより、あるものを使ったほうがずっと消耗が少ねえんだ」


その一言を、ガットは聞き逃さなかった。

体の向きはすでに戦場へ向いていたが、耳だけは小さな情報も拾っていく。


「なら、ドクターか誰かに聞いてみる」

「助かる」


それだけ告げて、グリグジャングは足早に階段を駆け下りた。

背中に、ガットの冷たい気配を感じながら。


裏手へ回り込む途中、階段を駆け下りたところで、重い扉の軋む音に足を止めた。



……なんだ。



病院の敷地内──ユヴェがさっき繋いだばかりの墓地管理室の扉が、鈍い音を立てて押し開かれる。


そこに飛び込んできたのは、ボロボロの天使たち。

特に重い負傷をした者を、戦士数名が支えている。


ひとりの男が扉を抑えながら、怒号を飛ばす。


「早く行け!!ガットがいるはずだ!あとはあいつに聞け!!」


そしてすぐに、扉が閉まる。

その一瞬の隙間に見えた向こう側の“蒼殻(そうかく)”の空は、すでに夜を迎え、狼の遠吠えと吸血鬼の羽音が飛び交う地獄だった。


「行くっすよ!まずはエアフィルターつけて!」


戦士のひとり──アウディが先頭に立って病院へ駆けだす。

彼らの後ろに、子供や女、負傷者を抱える戦士らが続く。


泥だらけで、血の跡が散っている。

グリグジャングは思わず、胸の奥を掴まれたような息苦しさを覚えた。



……本当に、めちゃくちゃだ。



戦士のひとりが乱れた息を整える間もなく、即座にガットを探しに走り出そうとして、

仁王立ちしているグリグジャングに気が付いた。


「おい、顔に十字傷のある男どこにいる?!」


すぐさま、ガットのことだとわかった。

屋上を指さす。


「上だ」


答えを聞くより先に、数名の戦士が弾かれたように駆け出した。

通り抜けざまにアウディが「あざっす!」と軽い礼を告げていく。


よろけた負傷者の天使に、咄嗟に手を貸しながら、グリグジャングは唇を噛んだ。



もう、どうすればいいか、分からない。


ただ今は──病院を守る。

それだけが、この嵐を抜けるための道しるべだった。




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