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Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第二幕】引火点

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百二十六層:引火点.03


「ねえ凌!天使の領土って浮島群なんだっけ?」

「…なにそれすごいファンタジーじゃん」

「……」


翔の歓声に、亜月のツッコミ。そして凌の無言。

何を言われても答えない獏のブレないスタンスは、どこかジャックのそれを思わせる。


指先に乗る小さな蜘蛛を、反対の手で風よけを作ってやりながら見つめたまま、凌は沈黙を保っていた。

あれは、()()()()()()()なのか──

あの妖怪の声は聞こえないが、何かを囁きあっているように、どうしても見えてしまう。


グリヴェスの港は、風がよく通る。

港へ滑るように入るころ、ツュシカの鐘が二度鳴った。

船を降りた瞬間、凌は無言で空を仰いだ。

バンズがチラリと横目で見る。


「なんか島でさえ落ちそうで怖いんだけど…」

「えー!すごい楽しいじゃん!」

「翔くんほんとメンタル鬼すぎ…」


活気づく港。忙しなく働く商人たちの姿。

露店の声。漁船を迎え入れる鐘の音。

それを横目でちらちら見ながら、言葉が止まらない子供らが、逆に微笑ましく思えてきた。


「…まずは俺のボスに会ってもらうけど、いいかい?」


凌はあくび混じりに応じた。


「最初から航路をこっちに決めてただろ」

「…やっぱり、ここにジャックがいないって知ってるのか」

「まあね」

「あんた、本当に掴みどころがないよ」

「へえ」


どうでもよさげに返事して、凌は紅い目を細めた。


「意図的に情報隠す奴に言われたくないね」


空気がピンと()る。音のない合図。


亜月と翔が遠くで漁師たちの仕事を眺めている。

少しの距離しか空いていないはずなのに、やけに遠くに感じるほど、凌の周りだけ、暗く重い影が包むようだった。


「…隠してるわけじゃないさ」

「……」

「なにごとも順序ってやつがあるだろ?」

「…ならいいけどね」


風に靡く凌の羽織の裾に、蜘蛛が滑り込むのが見えた。

あのちいさな生き物が視界にチラつくだけで、生理的に落ち着かない。

ソルの暖かな光の下だというのに、背筋がぞわりと粟立った。


「凌ー!みてこれ!変な魚!」


張り詰めるような空気が、ふっと軽くなる。


凌が振り返ったことで、彼の視野から自分が消えたからなのか。

自分の影ににじり寄る何かが、すっと消えたように思えた。

子供らを振り返る彼の目は、さっきまでとはまるで違う。


「…なんで魚なんか持ってんだよ」

「貰った!ちゃんとお金払ったよ!」

「そういうことじゃない」


はあと小さくため息をついて、いつもの調子に戻った凌が、再びバンズを見た。

その目は、目線が交わっても、もう暗さを感じさせない。


「……行こうか」

「だってさ」

「ねえねえバンズさん!これ食べてみたいんだけど!」

「…ああ、厨房に頼んでみるよ」

「やった!!」

「翔くんほんと図太すぎ」



賑やかな交易の街を抜けて、グリプの屋敷前に四人はたどり着く。

白と青の美しい景色。

それに感嘆する素直な反応が子供らから返ってくるのが新鮮だった。


客間に通してソファを勧めると、凌はひとり用の腰掛を選び、亜月と翔が大きな三人がけに落ち着いた。


「じゃあ、ちょっと待っててくれ」

「はーい」


元気な翔の声にふっと思わず笑ってしまった。

扉を閉めれば、入れ替わりに、廊下の先からグリプが歩いてくる。

その傍らには、自分が不在中の護衛を任せていたゾムリスの姿が見える。


「バンズ、戻ったって聞いたけど…」

「ああ、ボス。中にいるよ。居場所は、まだ聞けてない」


バンズの答えを聞いたグリプは、少し背筋を伸ばした。

まあ、ジャックにもガットにも近しい何かを感じる男だが……

あの子供らの様子をみるに、そこまで緊張する必要はなさそうだが。

律儀にネクタイを締め直した若き統治者。

その横で、バンズが扉を代わりに開けた。


その先に見えた三人に、グリプは少しの間沈黙する。

振り返ってくる青い目は、明らかに想像外の人物がふたりいることに戸惑っていた。


「…悪いボス。奥が獏の山本凌、手前ふたりは連れだ」

「……初めまして。僕はグリプ。グリプ・メイリー・カーンといいます」


気を取り直して柔らかに笑うボスと、その後ろでため息をつくゾムリス。

すっかりこの三人の空気に飲まれてた。

面目ないと軽く会釈すると、グリプは苦笑を浮かべるだけだった。


「どうも」


大抵はグリプの幼さから驚く天使が多い中、凌は特に気にしないように短い返事をした。

むしろ、ソファのクッションを押し潰していた翔の方が「わっか」と呟いたのが聞こえる。


「あんたがそこの天使のボス?」

「他人行儀だねえ…名前は名乗ったはずなんだが」


バンズが空気を和らげようとしたが、凌はどうでもいいとばかりに、ソファへ腰掛けるグリプを見やる。


「そうです。ご無礼があったなら謝罪します」

「別にないよ」

「凌はいつもこんななの!」


不機嫌ともとれる態度の凌を押しやって、翔がへらへら笑う。

うるさそうに手でそれを払う様子を見て、グリプは緊張が解けていくのを感じる。


声は、とても優しい。

ガットさんと共犯者だっていうし、

妖怪って…もっと恐ろしいものかと思ってたけど……

その灰銀の髪はジャックを思わせ、独特な沈黙の保ち方はガットに似ている。


が、このどちらとも違う。


むしろ、不器用ながらも柔らかさを感じた。


「お呼び立てした理由は、すでにバンズから聞いていますか?」

「…ああ、聞いてるよ」

「そうですか。では──率直に伺います。ガットさんの居場所を、教えていただけますか?」


静かに目線をグリプへ向けていた凌が、その名前を聞いて、ふっと息を吐いた。

深く腰掛けていたソファから体をおこし、包帯の巻かれた手を広げる。


「その前に、約束をちゃんと守れるのかどうか」


「それに尽きる」と続けた彼の指の隙間から、また、蜘蛛。

バンズはグリプの脇へ立ち、凌と取り交わした話を伝えた。


「ジャックに伝えてもらう代わりに、このお嬢さんたちの保護をする約束を交わした」

「そう。でもあんた、大事なこと話してないよな」


ぞわりと、バンズもグリプもゾムリスも、揃って冷たい指が背筋を逆撫でしてきたような、不快感を覚えた。

外は明るい。いつものソルの光なのに、室内だけ温度が落ちる。

窓を背に、椅子の背もたれで影を作る男の紅い目が、静かに胸の中を覗くように見つめてくる。


「ガットが裁判所から抜け出したことで、天使社会は戦争寸前なんだって?」

「……そうです」


黙っていても仕方がないことだと、グリプは素直に答える。

凌はバンズへ向けていた瞳を、グリプの青い目へずらした。


「ガットさんは、今の天使社会の秩序を保つ最後の砦でした」

「少しは知ってるよ。ガットがどうして裁判所へ堕ちて、裁判官になったのか」

「そうですか……」

「それに関わってるのが、ジャックって奴なんだろ」


先程までソワソワしていた亜月も翔も、真面目な話に気圧されたのか、静かに座っていた。

おかげで見慣れたはずの部屋全体が、昼なのに暗く、異様な空気に包まれている。


「そんな戦争勃発間際の地で、どうやって守ってくれるのか」

「……」


その紅い目は、言葉以上の刺を帯びていた。


「話す前に連れ出すってのは、誠意とは程遠いと思うけど」


彼の指から蜘蛛が糸を垂らす。

グリプは静かに息を飲んだ。

代わりに、バンズが言葉を選びながら答える。


「…悪いね。どうしても、ジャックに伝えてもらわなきゃならないんだよ」

「……」


影が不気味に伸びているように見えるのに、実際は何も変わらない。

でもその表面が揺らめいているようで、ただの錯覚だと分かっていても身が竦む。

……悪魔が、飛び出してきそうだ。

ゾムリスが咥えかけの煙草を外し、グリプが息を詰めた横で、バンズが一歩前へ出る。


「その子らは責任もって守るよ。浮島が危険になるなら、別のところでも。命に変えて守るさ」

「…へえ」


──肩の力が抜ける。部屋の明るさが、遅れて戻る。

凌はゆるやかにソファの背にもたれる。

瞼を閉じれば、その白い肌に深い隈が際立った。


「……まあ、じゃあ、俺もひとつ黙って着いてきたから、お互い様ってことで」

「…何を、黙っていると?」


唾を飲み込んでから、グリプはゆっくり尋ねた。

凌は淡々と、いつもの調子で答える。


()()()()()()()()()()()()()()()

「──は?」

「“今この瞬間”の座標は取れていない、って言えばいいか」


悪びれる様子もなく、凌は告げる。

唖然とするグリプたち三人をよそに、彼の指の隙間を蜘蛛があるく。


「あんたら、俺の場所を調べた時に、蜘蛛に会っただろ」


ちらりと、グリプが確認の眼差しをバンズへ向ける。


「…ああ。妖怪のあんたの情報は、妖怪に聞くのが早いと思ってね」

「女郎蜘蛛。あれに調べらんないことはないよ。ガットがゼノラ(そう)にいる間は、特に」


蜘蛛と聞いた瞬間、包帯の上を滑るそれに全員の視線が吸い寄せられた。


「だから、調べようと思えば調べられる」

「……では、協力していただけますか?」

「このふたりを任せられるなら」


包帯の擦れる小さな音。

紅の瞳が、子どもらを一瞬だけ撫でた。


「手厚くお預かりします。僕がお約束します」


蜘蛛で調べられるという凌の言葉にも、何の担保もない。

それでも、誠意でしか証明できないと分かっているはずの相手に、グリプは真っ直ぐな眼差しを向けていた。


青い目に嘘は見えない。

……ガットみたいな観察眼はないけど。

ここに着く前、船の上で店長から買った情報によれば、この若い島主は堅実派だ。

凌は口角だけで笑った。


「…分かった」

「信じていただけるんですか?」

「あんたも俺を信じなきゃ成り立たないけど」

「信じます。信じないと始まりませんから。それに……」


間髪入れない答え。


「ガットさんが協力したなら──あなたは嘘をつかない。僕は、そう判断します」


続いた言葉に、凌は何も返さなかった。

けれど今度こそ、表情の乏しい彼が柔らかく笑ったように見えた。

その評価の仕方は、共感できる。


「じゃあ早速だけど」


凌は柔らかい声のまま切り出した。


「こいつらが高空病になる前に、移動したい」


言われて、グリプは翔と亜月の顔色に気がついた。

透明なエアフィルター越しでも、わずかに血の気が悪い。


「……やはり、高度のせいですね。こちらへどうぞ。ゼノラ(そう)の外交相手を迎えるために、空調を整えた部屋があります」


案内されたのは、館の奥にある一室だった。

白漆喰の壁は光をよく反射し、窓は厚い硝子でしっかりと閉ざされている。

壁に埋め込まれた風と炎、それに氷のウフが微かに唸りを上げ、外気よりも柔らかい空気が循環していた。


装飾は控えめだが、椅子やソファは柔らかく、磨き込まれた木の机には交易で使う器や布が整然と置かれている。

窓のそばの小さなタンスの上に、色なしの宝石花(レカン・フローラ)が飾られている。

豪奢ではないが、清潔で、整っていた。


一歩部屋へ入れば、まるで別の(そう)に踏み込んだように暖かい。

着込んでいた防寒具もエアフィルターも外して、翔が大きなソファへ勢いよくダイブした。

亜月はほっと息をついて、少しだけ背を伸ばす。


ふたりの様子に、凌も何も言わず視線を逸らした。

壁に指を添わせれば、羽織の下から蜘蛛が一匹滑り出る。

……ここなら、少しの滞在は出来そうだ。


フィルターを外した亜月たちとは逆に、酸素を薄めるためのフィルターを口元に宛てがうグリプが部屋の中へと入ってくる。


「いかがでしょうか。地上に合わせて調節はされていますが、あくまで人工なので……長く居過ぎれば、逆に地上へ戻った時に酸素酔いに似たものを患ってしまいますが」

「──あんたらの戦争が、どう転ぶかで、長居するかどうかは決める」


淡々と返す凌を、グリプは遠慮がちに見上げる。


「……このあと滑空船を用意します。着いてすぐで申し訳ありませんが、ジャックさんの所へ向かっていただけますか?」

「……いいよ」

「ありがとうございます。助かります。それでは、バンズ、凌さんの……あれ?」


ここで初めて、グリプは凌がエアフィルターも防寒具もなしにこの場にいたことに気がついた。

環境調節された部屋でも、外の高地でも、彼の格好は変わらない。

……なのに、まるで地上にいるかのように、普通に話せている。


「えっと……」


思わず言葉を詰まらせたグリプ。

部屋の入口で待機しているバンズは目を細め、ゾムリスはかすかに眉をしかめた。

そんな彼らを一瞥し、凌は軽く羽織の裾を払う。


「エアフィルターも防寒具もいらない」

「……その、それは妖怪種、だからですか?」


ちらりと凌の紅い目と合う。

すかさず「すみません、無知なもので」とグリプが目を伏せた。


「……さあ、種族のせいかは知らない」


平坦な声だった。

いつの間にか亜月や翔までこちらを向いていて、居心地が悪くなる。

いつかガットが言っていた言葉を思い出した。


俺の心臓の鼓動がおかしいとかなんとか……

心音なんて気にしたことなかったけど、酸素なんて、俺には最初から存在していないものなのかもしれない。

それに──


気まずい沈黙が落ちかけたところで、バンズが肩をすくめる。


「妖怪ってのは、一括りにできない種族らしいからね。生まれ方も固有能力(ノータ)もバラバラだって話だ」


グリプは「なるほど」と小さく頷き、視線を逸らした。

一瞬、じゃあ連れのふたりはなんの種族なんだろうと疑問を持って──声には出さずにしまい込んだ。


その横で、凌は何も答えず、ただ指先まで覆う包帯に視線を落としていた。


──全身に負った大火傷。

これのせいで、熱も寒さも鈍くなった。

地上でも時折感じるこの違和が、浮島ではいっそう際立つ。

獏という種のせいなのか、自分単体の事なのか……

確かめようがないとは言え、眠りも浅く、感覚も鈍く、食事もまともに取れないなんて。


…改めて思い返しても、たしかにこれじゃ死んでるみたいだって言われるのも無理ないな。


黙り込んだ凌の服の裾を、翔が引いた。

意識が自然とそちらへ引き戻される。


「…凌、僕たちはここで待ってるの?」

「……そう。外に出ても、お前らはいい事ないだろ」

「すぐ、戻ってくる?」

「さあ」


不安げな亜月の声。見上げてくる翔の幼い目。

翔の小さな頭を軽く撫で、「大丈夫」と短く返す。


「店長の蜘蛛がこの部屋にいる。何かあったら言うといい」

「え、でも……」


声だけしか聞こえない相手に助けを求めて、どうすれば…?

そんなふたりのまなざしと、女郎蜘蛛という凌以上に掴みどころのない存在の提示に、グリプたちがわずかに緊張する。

それを知った上で、凌はふっと息を吐いた。


それは笑みともため息ともとれない、かすかな音だった。



「…時に、命を落とすより、社会的に殺される方が辛いこともある」



たった一言。

でもその言葉はグリプたちへの警告であると同時に、

彼ら三人の天使には別の意味で刺さっていた。


社会的な死──

それは今まさに、何処にいるか分からないガットであり、

蒼殻(そうかく)の底に沈黙するジャックでもあったから。


静寂が落ちた。

誰も、しばらく言葉を継げなかった。



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