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Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第二幕】神話を殺すには

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241/356

百十八層:神話を殺すには.01


夜の白燈(アルシェ)は、生者の気配を拒むように、異様なほど冷え切っていた。

その中庭に、まだ群衆のざわめきの残滓(ざんし)が漂っている気がした。

けれど、今そこに立つのはクリスと、

いつの間にか現れ、壁に寄りかかったまま沈黙しているフジだけだった。


頭上の空は冴え渡り、濃紺の宇宙を裂くように無数の星がまたたいている。

新年最初の流星群が、白い尾を引いて次々と落ちていった。

まるで天が、祈りという名の神話を散らすように。


クリスは手袋を外したまま、強く握った拳を胸に当てる。

その奥にまだ残る痛みを抑え込むように。


「……フジ」


金の瞳が揺れていた。

為政者の仮面をまとい直したつもりでも、微かな震えは隠せない。


「集めて」


その声は低く、けれど決して迷ってはいなかった。


「……各局責任者を、全員。──今すぐ。“正義の再定義”を始めるわ」

「……戦争でも始める気かァ?」

「──そうよ」


フジは薄く笑った。

銀の瞳が、どこか待っていたように細められる。


「やっと言ったな」

「……」

「英雄に裏切られたなら、次は怪物を狩るしかない。──そういうこったろ?」


クリスは答えなかった。

けれど沈黙が、何より雄弁にその決意を語っていた。


フジはゆっくりと頭を垂れる。

その笑みは相変わらず不穏で、けれど忠実な従者のように見えた。


「了解しました。すぐに」


彼の足音が回廊を去る。

冷たい風が吹き抜ける。

その時、ひときわ大きな流星が夜空を裂いた。

白い尾が城壁に反射して、一瞬だけ中庭を昼のように照らし出す。


ひとり残ったクリスの瞳に、その光が宿る。

震えと共に、確かな熱を宿して。


「……ジャック。あなたが変わらないと言うなら──私も、私の正義で進むしかないのよ」


その小さな呟きは、誰にも聞かれず、流星群の残光と共に、夜は静かに神話を閉じた。



*



白燈(アルシェ)の最奥──かつて歴代の統治者たちが戦略を練ったという円卓の間。

ライパビが火へ還ったあと、誰も踏み入れることがなかったそこに、複数の影が集まっていた。


窓は閉ざされ、壁にかけられた無数のランタンが灯っている。

しかしそれは炎ではなく、光のウフによる“揺れない炎”だった。

明暗をはっきり分けるその光は、部屋の半分だけを照らしている。

残り半分に意図的に落とされた暗闇へ、集まっていた天使たちは、わずかに身を固くさせていた。


そこに集められたのは、アントラをはじめとする技術局の主任、戦術担当官、心理分析官、記録官…

各局責任者たちがずらりと円卓に並んでいる。

皆、昼間の新年の儀とその結末を目にしたばかりで、重苦しい沈黙をまとっていた。


円卓の表面には、歴代の統治者たちが残したであろう無数の傷が刻まれている。

けれど、それらも長い空白の時を経て、薄く埃を被っていた。

座るべき椅子はすべて整えられているのに、どこも妙に空虚で──

だからこそ今、そこに腰を下ろす彼らの影が、いやに重たく見えた。


ハーウェンの時間に、各局の責任者だけが集められるなんて前代未聞だ。

それも、昼間のジャック乱入事件から、まだ半日しか経っていない。


皆がものも言わぬ間に察していた。

クリスがなにを決意してしまったのかを。


だから、誰も口を開こうとしない。

口火を切った瞬間、自分の声が「化け物退治」に賛同した証になる。

そのため息ひとつでさえ、沈黙を割るのを恐れるようだった。


光の半分と、闇の半分。

その境界線が、まるで英雄と怪物の顔を分ける仮面のようで、

集まった天使たちは、無意識に影の方を見ないようにしていた。


やがて扉が開き、クリスとフジが入室する。

一斉に立ち上がる者たちに、クリスはわずかに手を上げただけで座らせた。

彼女の表情は凍り付いたまま、声だけがよく通った。


「……これより、ジャック・J・ジッパーの()()()()()()を始めます」


その言葉が落ちた瞬間、空気が凍り付いた。

誰もが口に出すのを避けてきたその決断を、彼女は自ら告げた。


全員が頭のどこかで予期していたはずだった。

だが、“討伐”という単語が明確に告げられた瞬間──

その言葉の意味は、ただの戦略や命令ではなく、“終わり”の始まりとして場に落ちた。

全員の喉が渇く音がする。


「彼は、長く沈黙してきました。“戦士の島”でひとり、何も言わず、動かず。いつかは、社会に馴染んでくれると信じていた。──でもそれは、もはや私たちの正義と並ぶものではないと判断します」


淡々と。



「今日からあなたたちは──“神話”を討伐する者になる」



神を殺す方法を、国家が正式に承認した瞬間だった。


クリスの言葉には、もうかつての希望や慈悲はなかった。

あるのはただ、秩序を維持する者としての鉄の意思。


「……記録官、開始を」


彼女の凍てつくような声が暗闇に落ちた。

誰も拍手も、声も上げなかった。

筆の走る音が響く。

その音がまるで、ひとつの生命の終焉を記録する筆致のように聞こえた。


紙をめくる音ひとつ、息を呑む気配ひとつまで響いてしまうほどに、空気は張り詰めている。


「作戦や武装案は、現実味がなくても構わない。想像の範囲にとどまらず、あらゆる可能性を提示して。技術局は、“不可能”という言葉を捨てなさい。最終的にそれを“可能”にするのが、私たちの戦争です」


技術局長アントラが、白衣の袖を直しながら笑った。


「やだなあ……超合金のネクが何度壊されたと思ってるんですか?やるならマジで、宇宙船並みの強度用意しないと無理ですよ」


アントラの声が一瞬だけ揺れた。

誰にも気づかれないほど、ほんの一瞬。

誰も笑わない。笑えない。


エザンバウト崩壊後、すぐにジャック討伐を掲げなかった理由を、ここにいる各局責任者たちは名言されずとも察していた。

クリスはジャックに“蒼殻(そうかく)”を任せたがっている。

冷静な彼女が、盲目とまで言えるほどには──彼に対してだけ、ひどく執着していた。


意見しなかったのは、単純にクリスに勝てる者がいなかっただけではない。

政治的な理由は誰もが頷けるものだったからだ。

だが、あの日の“重力の狂い”を体験したからこそ、誰ひとり彼女に賛同することもなかった。


そして、ついに彼女が彼を見限った──いや、“現実”を見た今。

誰もが理解していた。

──いま書かれているのは命令書ではなく、神話の墓碑銘(ぼひめい)だと。


もう戻ることは許されない。

自分たちの“平穏”のために、あの男を同胞とみることをやめなければならなくなってしまった。


それが正しいのかどうかは、もう、この場で議論することではない。



重い空気を裂くように声を上げたのは、戦術官だった。

震えを隠すように指を組み、早口で言葉を吐き出す。


「……最も確実なのは、暗殺かと。人目の少ない時を狙えば……」


だが、その声は途中で切られた。

フジがクリスの一歩後ろに控えたまま、冷えた口調で言い放つ。


「無理だろうなァ。あいつは闘技場を出てこねえが、孤立しているように見えても、必ず戦士か島民が周囲にいる」

「ですが──」

「一時期散った戦士たちも、ヴェルトルクに戻りつつある。ハーウェンの時間なら、普通の天使たちは多少大人しいかもしれねェが……あいつらはもう“闇”を恐れない。それに──」


心理分析官が息を呑む。

軍司令部長が、円卓の下で拳を握りしめた。

フジは彼らの反応など気にも留めず、銀の瞳が細めて続ける。



「暗殺者の刃が届くと思うか?──()()()に」



沈黙。

誰も、何も反論できなかった。


アントラが明かりの灯らない側の白い壁へ、そのまま映像を映した。

ネクから送られてくる、ジャックの映像記録だった。

各局責任者らはすでに、全員が一度は目にしたことがあるそれら。

円卓に重ねられた(おびただ)しい量のデータだけなら、機械の不調だと一笑に伏せたはずだった。

だが、壁の映像はそれを許さない。


誰と戦うでもなく、ただ鍵束の武器をひとつずつ試すだけで、地面が砕け、闘技場の観覧席の石壁が震えるように見える。

あくまでただの、カメラ越しだと言うのに。


それだけではなかった。

フジに連れ出され、新派閥を潰していった際の戦闘ログも同様に映し出される。


適性外(オーバーフロー)の使用記録と、それらを無効にするような反動耐性。

敵から奪った武器でさえ使って戦う異端の戦闘スタイル。

予測不能な攻撃パターン。

“反応不能領域”と定義された間合い。

そこに映るのは、戦略という枠組みを逸脱した“戦場そのもの”。



──個人のスペックを超えている。あれは、戦場に現れる()()だった。



カメラは、観覧席の石壁が粉を吹く瞬間をスローで捉えた。

石の粉が雪のように舞う──その画が、誰の胸にも張り付いた。

責任者のひとりが思わずペンを落とす。


それは恐怖というより、たったひとりの天使への希望が崩れていく音だった。


アントラがゴーグルの奥で眉をひそめ、机を指でとんとんと叩く。


「……殺すって、マジで言ってる?あれ、どうやって倒すのさ。ウチらの知ってる武器じゃ、まず効かないって」


軍司令部長が低い声で応じる。


「だからこそ議題になっている。個人の武勇でどうにかなる相手ではない。軍勢でも“まともに”やりあっては、押し潰せないだろう。──だが、どんな怪物にも“穴”はある」


心理分析官が震える指先で紙束をめくりながら、言葉を差し挟んだ。


「……感情的には“化け物”と呼ぶべきではありません。ただ、彼の価値観の重心が“ひとり”に偏りすぎているのは事実です。それは行動予測という観点では、最大の脆弱点になり得る」


静かに聞いていたクリスが、瞳を伏せた。

その“ひとり”──ガット・ビター。


それは、刃では届かない場所へ落ちる、“命の(おもり)”だった。


窓のランタンの灯りがわずかに揺れた気がした。



「……ガット・ビターを利用することは避けたい。彼は最後の枷よ。あの“重し”が機能する間は、無闇に手を出す必要もない」



その口元から、鋭い言葉がこぼれた。

慈悲のように聞こえる言葉だった。

しかし実際には、“化け物を殺す準備”をするための時間稼ぎに過ぎない。



「このまま“飼い殺し”にできるなら、それが一番だわ。でも、あの男がいつまでもヴェルトルクという檻に収まっているとも思えない」

「……」

「方法を──探しなさい。…いざというその時、彼を()()()()()()()を」


円卓を囲む面々の喉が、ごくりと鳴る。

誰も逆らえなかった。

フジだけが、薄く笑みを浮かべていた。


アントラは重たいため息を吐き出す。

その目だけは、壁に写る戦闘ログではなく、ネクと毎夜交わされる会話の中身を思い出していた。


ネクは、作られた知能だ。

でも、いまじゃあいつの“軌道”の中に、確かに──意志の輪郭があるとウチは思ってる。

語られず、燃やされず、ただ重力と行動で示された「何か」が、確かに。


そしてそれは、紛れもなくジャック・J・ジッパーが灯したものだと分かっているからこそ、

今この空間に座っているだけで、胃の奥がひっくり返るようだった。


最っ悪……。


「手の内は……幸い、分かっています」


心理分析官の声が円卓に落ちる。

ざわめきが走った。

責任者のひとりが眉をひそめながら、紙のデータをテーブルへ投げた。


「……観測球で撮り溜めた戦闘データ、か」

「そうです。クリス様の指示で派閥潰しに出向いた際、彼の戦闘行動はすべて記録されています。さらに、闘技場でひとり、延々と鍵束を試し使いする映像も残されている。──“練習”とも“遊戯”とも呼べない所作が、彼を最も表している」


白い壁に投影が走る。

光のウフを通して、空間にジャックの姿が浮かぶ。

音だけが響かない、無音の映像。


汗ひとつかかず、大剣を片手で振り抜き、双刃の斧を投げ、次の瞬間には弓を引く。

重すぎて普通の戦士なら持ち上げすらできない武器を、無造作に扱い、時に刹那で捨てる。


「……一つの武器を極めているわけではない。すべてを“その場”で体得する。記録によれば、初見の鍵でも三合あれば十分、使いこなす」


戦術担当官の声に、心理分析官が紙束を叩いた。


「剣、槍、斧、銃。全部です。武器の特性と敵の配置、距離、地形、ウフの相性まで、その場で組み合わせる。……“ひとりで部隊をやっている”ようなものですね」


無音の映像の中で、銀髪がひらりと揺れる。

何度目かの一撃のあと、観覧席の石が粉を吹いて崩れた。

いつの間にか映像は廃闘技場に変わっている。


「鍵束には、数百の武器が記録されています。全部を、こうして一度ずつ“試し使い”している。こちらがどんな編成を組もうと、あの頭の中では、常に最適解を引き当てる前提で考えるべきでしょう」


誰かが小さく呟いた。


「……個人のスペックを超えている。あれは、戦場そのものです」


心理分析官が、震える指先でページをめくる。


「逆に言えば、“鍵を持たなければただの男”でもある……と、言いたいのですが」

「ですが?」

「その“ただの男”が、噂では拳だけでも最強クラス、という致命的な矛盾を抱えている」


わずかな笑いすら、誰の口からも漏れなかった。

それは“逃げ場のなさ”の証明にしか聞こえなかったからだ。


心理分析官がその沈黙を振り切るように、顔をあげた。

けれど、円卓の上で組んだ指が震えていることを、フジは何も言わずに見ていた。


アントラが頭を抱える。

……言っておくけど、それなんの希望にもなってない。


「いやいやいや、ウチらにどうしろってのよ……戦闘兵器ってレベルじゃないってマジで!」

「……」

「ここの訓練兵の戦闘データと見比べてみる?!だいたい戦士なんて自分の武器しか使わない連中ばっかでしょうよ!良くて二刀流!なのにあれ!!持ち球いくつ抱えてんのよ?!鍵見てウフの相性を瞬時にはじき出す?!できるかあ!!」


アントラのヒステリックな声だけが円卓に響く。

クリスは黙ったまま投影を見つめていた。


白い壁の上で長い銀髪が揺れる。

その姿は美しく──だからこそ残酷だった。


「……全ての映像を洗い直せ。彼の強さを証明するためじゃない。“殺すための穴”を探すためにだ」


戦術担当官の一言で、円卓の空気がさらに重く沈んだ。

そしてそのまま、有無を言わさぬまなざしでアントラを睨んだ。

反論したい気持ちを無理やり飲み込んで、アントラはゴツゴツと何度も額を卓へ打ち付ける。


「……どのみち、暗殺みたいな小細工じゃなく、万全の準備の上で、正面から挑むしかない」


軍司令部長の言葉に、椅子の背凭れがきしむ音がした。

誰も賛成も否定もできない。ただ、息を詰めて耐えるしかなかった。


クリスの視線が、揺るぎなく壁に投影された銀髪の男を射抜く。


「──ならば、“審問”の形をとりましょう」

「審問……?」


心理分析官が小さく問い返す。


「それは……その、あくまで彼に口頭で下れと告げる場を──」

「言葉が通じるならば、それは化け物ではないわ」


声は凛としていた。

だが胸の奥にあるものは、恐怖と決意のせめぎ合いだった。


「けれど、多くの天使が今日の放送を見て、彼には言葉が通じないと知ってしまった。今、皆は内乱の可能性におびえているはずよ」

「……」

「だから、彼がヴェルトルクで静かにしている間は無事で済むと、社会的圧をかけて沈黙を促す。──けれど、その裏では着実に“準備”を進めていく」


コツコツと、彼女の指が円卓を叩いた。


「審問という形をとるのは、民のためよ。正義は暴力ではない。最後に必ず、慈悲の場は用意されるべきだわ」


静まり返った円卓に、その言葉だけが沈殿する。

重圧に押し潰されるような沈黙の中、誰も息を吐くことさえ忘れていた。


「ただし、彼が“言葉を介さない怪物”であり続けるならば……」


──コツン。


指先の音が、静かに止まる。



「──その瞬間、審問の場は()()()()()()()



誰も声を出せなかった。

ただ、揺れないランタンの光と、落とされた暗闇の境界だけが、彼らを無言で分かち続けていた。


けれどそれは錯覚だ。

この部屋に、炎はひとつもない。


静まり返った円卓に、ひとつの共通認識だけが残る。



──ここで刻まれるのは、()()()()()()()()()()()()()だ。



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