百十六層:君を救わないと決めた日.02
グリプはグリヴェスの広場に面した部屋の一角で、その放送を聞いていた。
つい昨日の夜、エザンバウトから送られてきた同層間通信機……その受け機と共に、広場に張られた白い幕。
そこへ映される白燈の中庭と、クリスの姿。
それに天使だけではなく、ゼノラから様子を見にきた商人たちも感嘆の声をあげたのが、もうずっと前のことのように──
今や、広場は混沌としていた。
あちこちで歓喜と嘆きの声が上がっていた。
その二面性が、ジャックという男がいかに測れないかと示すように。
「……ジャックさんが、白燈に座るなんて…了承するわけない」
「…だろうねえ」
「てことは、これは──彼女の、独断…?」
グリプは苦々しく呟いた。
そのすぐ脇で、窓越しに広場を見下ろしていたバンズが、帽子を深く被り直す。
「……ゾムリスさんたちは?」
「──嫌な予感するってんで、放送前からヴェルトルクに戻ってるよ」
「……ジャックさん…また……」
暴走するんじゃ?
その言葉を続けることはなかった。
いや──たぶん、大丈夫。
何度も同じ過ちをするような天使じゃない。
それに、戦士らがきっと、今度こそ止めてくれる。
そう思うのに、胸の奥のざわめきは収まらなかった。
小さな手が拳を握る。
窓枠を叩くように、何度も振り下ろし、悔し気にグリプは唇を噛んだ。
バンズはそれを静かに見ていた。
やがて、その拳をやんわりと手のひらで受け止めると、静かに脇へと収めさせる。
「ボス。今日は不参加にしてよかったねえ」
あえての軽い口調が、余計にグリプのやるせなさを刻むようだった。
でも、軽口を叩いた声の奥には、確かな不安が滲んでいた。
いつもの顔を見せられないからという理由ではなく、
クリスと同じ向きには歩けない。
そういう小さな抵抗のつもりで、新年の儀の参加を蹴った。
でも、そんな意地よりもっと、守らなきゃいけないものがあったんじゃないのか。
あの場にいれば、会場を荒らしてでも止めに入って、
ジャックさんはそんなつもりないって否定できたかもしれない。
そう考えるだけで、目頭が熱くなってしまう。
「ああ、もう……!こんなだから、いつまでもジャックさんは独りでどうにかしようってしちゃうんだ…!」
雇用主なのに。
僕の背中を押してくれた彼の火を、
あの日、最後まで見届けるって言ったのに。
なにも約束が守れてない。
顔を覆った指の隙間から、ぽとりと雫が落ちた。
バンズはあえて、何も見なかったふりをしたまま。
ただやさしく、その肩を軽く叩いただけだった。
──その指先に、ほんのかすかな震えを隠しながら。
*
廃闘技場の空気は今日も穏やかだった。
突き立てられた大剣のまわりに生える柔らかい空草が風に揺れる。
それを抜くでも踏むでもなく、ジャックは静かに座っていた。
いつものように、鍵束の一つを手に取り、感触を確かめる。
今日の武器は双刃の斧。
重量はあるが、構造は素直だった。
今日は珍しく、昼間でも闘技場に島民の姿がなかった。
子供の駆けまわる音も、アウディやノイマンらの影もない。
まるで皆が示し合わせたように、朝から、誰もここへは来ていない。
ジャックは特に気にしていなかった。
そういう日もあるだろ、と。
ネクだけが変わらずジャックの周りを廻っている。
いつもの距離。いつもの速さで。
「……なんか、お前も今日は静かだな?」
ネクは一瞬だけ、応答までの間を伸ばした。
記録データはすでに揃っている。
だが、今ここでそれを伝えれば、彼の“今”を乱すと判断して──
「……“気のせい”です」
ジャックは「ふーん」とだけ答え、また鍵束へ視線を落とした。
ネクのコアに残った“未送信の情報”だけが、かすかな熱を帯びて沈殿していく。
ジャックは双刃の斧をしばらく眺め、指先で刃を軽く叩いた。
ただ重みを確かめるだけで、振るう気配はない。
「なあ、ネク」
ゆっくりと口を開きかけた、その時だった。
「──ジャック!!」
闘技場に、複数の靴音が響いた。
ゾムリスたちだった。
彼を筆頭に、ラスターや、アウディら、島に残った戦士も、一度離れた戦士も関係なく。
その後ろには、ノイマンや島民たちもちらほら見える。
皆が肩を上下させ、焦燥の滲んだ顔をしていた。
「…なんだよ」
ジャックは片眉をあげた。
その焦り方を見ただけで、面倒事だと察したように、声が低くなる。
戦士たちは足を止めず、闘技場の中央へ雪崩れ込む。
いつのまにか、ジャックを囲む輪ができていた。
光が遮られ、広いはずの空間がやけに狭く感じられる。
ゾムリスが肩を掴んだ。
口に咥えた火のつかない煙草が震え、声が荒ぶ。
「お前──お前、クリスと最近会ったか?!」
「……は?」
「会って、何か話したか?!」
揺さぶるように問い詰められ、ジャックはめんどくさそうにその手を払った。
ラスターが顔をしかめたまま、ゾムリスを押しのけるように前へ出る。
「クリスじゃなくても、あのフジとか言う男と最近なにを話したか、教えてくれるよねジャック」
「なにって──そもそも会ってねえよ。どっちも」
「どっちも…?クリスにも、フジにもかい?」
「だからそう言ってんだろ。なんなんだよ」
気だるげに答える様子に、嘘は見受けられなかった。
いや、嘘なんてついても、この男にはなんの得もない。
そう皆が目くばせして、誰ともなく、拳を握った。
「……てことは、やりやがったな、あの女」
低い唸り声が輪の中を震わせる。
──“あの女”。その言葉が、まるで鋭い氷片のように空気を裂いた。
尋常じゃない怒りが、そこに燻っていた。
怒りの熱がじわじわと広がっているのに、自分だけがその温度に置き去りにされている。
「おい、どういうことだよ」
ジャックは訳が分からないまま、適当な戦士の腕をつかんで問いただす。
「クリスが、お前を──白燈に据えるって宣言したんだよ…!」
闘技場に冷気が走った。
その一言で、すべての視線が一斉にジャックへ突き刺さる。
「──はあ?」
心の奥底から漏れ出た声だった。
一瞬、何を言われたかわからなかった。
アルシェ…たしか、誇りの象徴の椅子。
天使社会を統一するやつが座るっていう──クリスが、誰を座らせるか決めるために、ずっと囲ってたっていう。
……誰が頷いたよ、そんな話。
「ジャック、お前にはずっと言わねえようにしてたがな……」
ゾムリスの低い声が、煙草を折る音と共に落ちた。
その言葉に、場の温度が一気に下がった。
「島の外じゃ、お前はすっかり“英雄”だ」
「……は?」
「エザンバウトを割ったことすら、美談にされてるよ」
ラスターが吐き捨てる。
誰かの舌打ちが響く。
「世間じゃ、ガットの拘束理由ははっきりしてない。でも、悪魔の法が許さなかった。天使社会じゃなく、悪魔がな」
ゾムリスがラスターの言葉に続ける。
「それを助けるための崩壊を──クリスは“誤解からの戦い”と語ってる。エザンバウトに悪魔の使者が来てた噂を聞いて、クリスと悪魔が繋がってるって、お前が間違えたってな」
「……」
「そして長年、死神が統べる悪魔どもに弱腰だった天使種で、噛みつける奴が出てきたって騒がれた」
ジャックの眉がぴくりと動く。
その仕草にラスターが畳みかけた。
「その後、君が“新ジャック派”を潰して回った。それが“弱者救済”と結びついた。……クリスの統治と同じ理屈だよ。君は悪者退治のヒーローにされたのさ」
「……」
「結果、“正義のために友を守った英雄”って物語が出来上がって……少し前まで、内政がクリス。守護はジャック。どっちが白燈に座るのか?なんて賭けてる奴までいたんだよ」
鍵束を強く握る音が響く。
金属音が骨をきしませるように鳴る。
「問題はその白燈だ。あの椅子に、お前を座らせると、蒼殻全土にクリスが宣言した。──たった今な」
ゾムリスが眉間に手を寄せた。
静まり返った空気を破ったのは、アウディの震える声だった。
「ジャックさん……ひとことも、許可してないんすよね……?」
誰もがジャックを見つめていた。
しかし彼は誰かに目線を合わせることなく、まっすぐに上を向く。
空の遥か上空に浮くエザンバウトを睨みつけるようにして、ジャックは低く吐き捨てた。
「──最初から……やり方がめんどくせえんだよ」
声に怒鳴りはない。
ただ、冷えた怒気が地面に落ちていく。
──英雄?
ただの怒りで剣を振って、誰かの昨日までを壊しちまった俺が?
ただひとり、ガットを取り返すために動いただけなのに、なんでそれが社会の問題にすり替わる。
どうしてそんなに、“俺”を“美しく”したがるんだよ。
「俺に命令したいなら──せめてまっすぐ来いよ」
フジに連れ回されて、あちこちの島の戦士を潰してきたのは、そういう理由だったのか?
誰を焼いて、誰を焼かずに済むのか。
社会に生きるって方法を教えるって言っときながら、結局、駒のひとつとして既成事実を作る為だけに動かされてただけだ。
大きなため息をつく。
それは、積み上げられた虚像の重みに押し潰されそうなため息だった。
エメラルドの瞳は、軽蔑の奥に、深い疲労の色を沈めていた。
「……ジャックさん、実際、どうなんすか?あの日、クリスと何があったんすか……?」
アウディが恐る恐る問いかけた。
その場の全ての視線が突き刺さっていた。
ジャックはそれを見渡すように一瞥して、短く、重い息を吐く。
言う必要ねえと思ってた。
言っても、どうしようもねえから。
ガットが悪魔領で働かされてるなんて、言えば余計に悲劇にされると思ったから。
でも、もう、黙ってることさえ面倒だった。
「……このまま悪魔領に乗り込んでも、ひとりでどうにも出来る問題じゃねえって言われただけだ」
「……」
「それより、俺が大人しく社会ってやつに生きさえすりゃ、ガットを処罰しねえように悪魔たちに脅しかけるって取引だった」
言葉は淡々としていた。
でも、握られた拳がわずかに震えているのを、ノイマンは確かに見ていた。
「……くだらねえ」
笑うしかなかった。
ぽつりと、言葉が落ちる。
疲れきって、すり減って、面倒くささが滲み出た声だった。
俺とガットの命を、勝手に“取引の材料”にしてる時点で、もうくだらねえ。
誰が何を噂して、どんな適当なことを語ろうと。
俺が俺であることは、俺自身が何よりわかってる。
いつも通り、黙ってりゃいい。
何もせず、ここにいれば、それで救える命がある。
そういう、話だったはずだ。
でも。
──このやり場のねえ拳を、いい加減、どこに納めりゃいいのか。
誰かに教えてほしかった。
振り上げたら、また島を割るようなことになる。
自分の火力の強さは痛いほど学んだ。
でも……この熱の扱い方は、まだ曖昧なままだ。
だから、ジャックは乱暴に、鍵束と共に両手をポケットへ押し込み、鼻で笑った。
まるで拳自体を封じるように。
「……ほっとけよ。どんなに待ったって、俺はあそこに行く気なんかねえんだからよ」
吐き捨てるような声音。
世論も、クリスの声明も──全部無視して背を向けようとする、いつものジャックだった。
……その瞬間。
「──そうやって黙り込むから、勝手に“英雄”が作られてんだろうが!!」
ゾムリスの怒声が、闘技場を震わせた。
掴んだ手が強くジャックの肩を揺さぶる。
「お前が嫌なら、ちゃんと否定しろ!“行かねえ”でも“知らねえ”でもなく、“座らねえ”ってはっきり伝えてこい!」
ジャックの目がわずかに見開かれる。
……驚いた。
誰も自分にそんな言い方をしたことはなかった。
間違えない前提で扱われるか、あるいは恐れて口を閉ざされるか──そのどちらかばかりだった。
ガットでさえ、俺の選択には口を出さなかった。
いや、ガットだからこそ、か。
あいつは判断材料は差し出しても、いつも黙って見てるだけだった。
一瞬、反射で腕を振り払おうとしたが、できなかった。
ゾムリスの眼差しには、ただまっすぐな“心配”が宿っていた。
「行動に責任を持たせてえなら、ちゃんと言葉にもしろ!!」
「……」
ジャックは何も言わなかった。
けれどその足は、止まっていた。
自分自身も気づかぬまま、胸の奥で小さなざわめきが生まれていた。
それがなにか、明確な言葉を知らなかった。
でも、嫌じゃない。
むしろほんの少し──嬉しかった。
嬉しい?……なんで。
わかんねえ。
でも、ちゃんと目が、合ってるからかもしんねえ。
それだけで、胸が少し、軽くなった。
ジャックは、ゾムリスの橙の目をまっすぐ見返した。
それからラスターの空色の瞳。アウディの色の濃いサングラス。
他にも、色んな色の瞳。
でも、全部同じような熱が宿る目を、ひとつずつ、しっかりと。
それから、人垣を避けるように頭上へ避難していたネクが、最後に視界に滑り込んできた。
空の上から、何かを見下ろしているような静けさ。
……確かに、言葉が足りないって、ネクが言ってたな。
黙ってるだけじゃ、“誤解”が“真実”になっても文句は言えねえって。
──だったら言いに行くべき、なんだろうな。
英雄なんて綺麗なもんじゃねえって。
表層だけ見て勝手に思い描いてるお前らの中の“俺”が、
本当は“ただの俺”でしかないって、叩きつけてやるしか、ねえんだろうな。
「……分かった」
いつになく、素直な声だった。
ジャックは肩をすくめ、闘技場の出口へ歩き出そうとした。
「行ってくる」
予想外の軽い言い草に、全員が一瞬、呆気にとられた。
アウディが慌てて前へ出る。
その背を止めようとしたが──もう誰も、本気で止められないことを理解していた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいジャックさん!否定するって、どうやってするつもりすか?!また上から降ってきたりなんかしたら、新しい火種になるだけっすよ!」
「……ちゃんと否定しろって言ったじゃねえか」
ジャックのどこか拗ねたような声に、場が一瞬静まる。
いつもなら彼が睨みつけるだけでその場が凍るのに、今はどこか、年相応──むしろずっと幼い子供のように見えて、皆が目を見合わせる。
一拍おいて、ラスターのため息が苦笑のように落ちた。
「やり方ってのがあるだろう?君だって、獣じゃないんだから」
静かに、でもしっかりした声色でラスターは言った。
そこにはいつもの軽さがありつつも、どこか力強い音が宿っていた。
「“ただの拒絶”なら、また勝手に物語にされるだけだよ。謙遜とかね。間違いなく、嫌がってるって伝わんなきゃ、意味がない」
「……」
「力じゃない。ちゃんと“自分の言葉”で叩きつけるんだ。誰も代わりになんかできない、“君自身”が、はっきりとね」
その声は、怒鳴りではなかった。
けれど確かな熱量を持ちながら、それ以上に──柔らかだった。
ジャックのエメラルドの瞳が揺れる。
……変な気分だ。
命令されるのは嫌いなはずなのに。
いつもなら、ラスターのめんどくせえ説教も、うるせえって払いのけるはずだった。
でも、出来なかった。
真剣に見つめてくる目が、周りの戦士たち全員が、心から自分を思って言ってくれてると伝わったから。
一歩離れて様子を見ていたノイマン。
その灰青の目と目が合ったとき、ノイマンは何も言わないままうなずいた。
島民たちは、男も女も、ガキもジジイもババアも関係なく──
真っ直ぐに、俺を見てる。
「ずっと、ガットがいねえからこそ、俺らが代わりになんなきゃって思ってたけどよ……」
ゾムリスが一歩、ジャックへと近づく。
「今ようやくわかった。あいつが言ってた、“俺になるなよ”って意味」
動けないままのジャックの肩へ、ゾムリスが拳を叩きつけた。
痛くはない。それでも──
ドン、と、力強い音が鳴る。
「ガキじゃねえんだろ、ジャック!自分のことは、自分でやれ。お前の火が、ちゃんと燃えてるなら──世界にそれを見せてみろ!」
空気が張り詰める。
誰も口を挟めない。挟まない。
全員が、その火の立ち上がりを待っていた。
ジャックはゆれるエメラルドを一度伏せた。
……なんか、むず痒い。
ジャックは舌打ちした。
だがそれは、苛立ちの音ではなく──覚悟の照れ隠しのように響いた。
「……チッ、めんどくせえな」
その奥の瞳には、燃え上がる火が確かに宿っていた。
誰も何も言わなかった。
ただ、彼の足音が、沈黙を割る。
重く、決して誰の代わりでもない、“個の決意”の音だった。
輪を離れたジャックへ、ネクが高度を下げて回り始める。
靴音が石畳を響かせる。
着古したジャケット、汚れたブーツ、焦げた手袋。
でも、その背中はなにより、真っ直ぐだった。
戦士らが一拍おいて、示し合わせたように追いかける。
息をすることすら忘れて、島民たちはその背を見送った。
そこに映っていたのは“英雄”でも“怪物”でもなく──ただひとりの、戦士だった。
*
エザンバウトのざわめきは収まらなかった。
歓声と怒号がぶつかり合い、まるで風花の花弁が嵐に煽られるように乱舞している。
壇上に立つクリスの声も、もうその波を鎮めきれない。
「……静まって!」
金の瞳が必死に群衆を射抜く。
だが声は掠れ、民衆の熱は揺らぐ炎のように膨れあがっていくばかりだった。
使者や記者が前に押し寄せ、島民の抗議と混乱がさらに膨らみ──
彼女は声の重みを感じながら、立ち尽くすしかなかった。
その時だった。
「…………」
最後列にいた島民が、ふいに声を呑んだ。
続いて、もうひとり。さらにもうひとり。
なぜか。
理由はわからない。
ただ、広場の奥から押し寄せていたざわめきが、波を返すように少しずつ引いていった。
やがて、誰かが小さく呟いた。
「……来たぞ」
人垣が、自然に割れていく。
その隙間から現れたのは、青磁のタイルを踏みしめる、重い足音だった。
──ジャックだった。
陽を浴びて輝く銀の長髪。
意思の強いエメラルドグリーンの瞳。
研ぎ澄まされた刃のような、完璧な造形美。
ただ歩いてくるだけで、群衆の目が奪われていく。
歓声も怒号も消え、広場を包むのは、息を呑む音だけだった。
“英雄”と呼ばれることを拒む男。
だが、その存在が放つ引力は、否応なく皆を従わせていた。
彼のすぐ後ろにはゾムリスやラスターら戦士たちの姿もあった。
彼らが控えめに人垣を割りながら進むたび、群衆はさらに沈黙を深めていく。
やがて、白城の足元……花咲き誇る演説壇の前に辿り着いた。
立ち止まったジャックの肩を、ゾムリスが叩く。
低く、しかし誰にも聞こえるように囁いた。
「……分かってるよな。言葉、端折るなよ」
ジャックは横目で睨み、口の端を歪めて小さく笑った。
「うるせえな。ガキ扱いすんな」
ほんの一瞬。
広場に、張り詰めた空気の中で、かすかな笑いの温度が差した。
そして──ジャックは壇上へ、視線を上げた。
広場全体が、次の一言を待つかのように、息を呑んで凍りついた。
一方、壇上に立つクリスの胸には、かすかな震えが走っていた。
人垣を割って現れたその姿──
「……自分から、来てくれたのね」
足音のたびに、胸の奥で何かがほどけていくのを感じた。
声が自然に漏れていた。
金の瞳が、ジャックを映す。
否定するだけなら、彼はきっとこれまでのように背を向けていただろう。
知らないふりをして、遠くにいることもできたはずだ。
それなのに。
彼は──自ら、ここへ歩いてきた。
「この後すぐ、迎えを出す予定だったのよ」
「……」
言葉が少し、熱を帯びていた。
胸の奥で囁く。
──もしかして。
私の覚悟が、願いが、少しでも届いたの……?
そんな想いを孕んだ瞬間。
ジャックは壇上を見上げ、わずかに首を振った。
「──俺は、白燈に座らねえ」
刃のように鋭い言葉だった。
広場を覆っていた熱気が、一瞬にして凍りついた。
誰も声を上げられない。
ただ、風花の花弁が、静かに落ちる音だけが聞こえた。
クリスの胸に膨らみかけた希望は、残酷なほど淡々と斬り落とされた。
その痛みは、彼女だけのものではなく──広場全体に、静かな衝撃となって広がっていった。




