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Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第二幕】愛と誇りと、正義と命

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百十一層:愛と誇りと、正義と命.03


ソルの光がちょうど天頂に差し込んでいた。

雲も生まれない高さに浮くエザンバウト。

ソルの眼差しは、新しく織り直された陽傘(ひがさ)にわずかにこされながら、島を真っ直ぐに照らしていた。


ジャックが星のように堕ちて島を割ったあの日から、二律動が経った。

十年に一度のヴァルカニア祭は二度見送られ、時間は静かに過ぎ去っていく。


街の復興は全て終わり、以前と同じように白い街並み、青磁のタイルが道に敷かれる。

崩壊に巻き込まれた港も、位置を変えて新しく開かれ、島旗(とうぎ)が風になびいている。

鉱山道の開通は全てではないにしろ、災害前の八割ほどまで採掘量を回復させることが出来ていた。

一見すると元の美しい経済の島。



誰もが復興したと口にするが──同じではなかった。



エザンバウトは割れて、三割小さくなった。

南の縁に立つ白燈(アルシェ)の眼前に堕ちた衝撃は、島核を揺らして、まるで地震のように全体へ。

島民や家屋、ベンチやトロッコ……あらゆる物が一度浮いて、静かに戻された。

でも、あの衝撃は、ウフ鉱山の裏手、港、北の縁のカノクィム石碑を巻き込み──島の外縁を削り取った。


幸い、割れた島には重力のウフ含有が最低値あったため、そのまま落下とはならなかった。

崩れた瓦礫や土地の一部は、およそ7600m下の海まで落ちたものもある。

けれど、大半はその形のまま、かすかに高度を下げ、エザンバウトの周りに未だ浮いている。


島民にとっては、それが空に刻まれた傷跡だった。



そしてその“欠けた縁”こそが、今日の復興祭の場だった。


崩れた島の縁のひとつには、簡易な柵と共に広場が新設されていた。

青磁の青緑が一面に敷かれ、真新しいそれらがソルの日を反射して煌めく。

タイルの上には、島の切れ目に沿うように、十個ほどの小さな金製の火鉢が置かれている。

陽光の意匠が刻まれたその中には、煌々と燃える炎。


その火鉢に集まった島民たち。

一人ひとりの手に握られた、氷の欠片のような花弁をもつ風花(かざはな)──グラヴァ。

高高度の薄い空気の中でしか咲かない、ソルの光を浴びて揺れるその花。

どれほど厳しい環境でも咲くその花は、二律動のあいだ途絶えず立ち続けた島民たちの誇りを、そのまま象ったようだった。


そして同じ手にはグラヴァと共に、小さな紙片が握られていた。

紙には──「あの日失ったもの」や「置いていきたい過去」がそれぞれの字で書かれていた。


順番に、並ぶの火へと進み出る。

花と紙をひと束にして炎へ投じると、柔らかな焔が立ち上がり、書かれた思いはすぐに煙となって空へ還っていく。


子どもも、老天使も、戦士も。

誰もが立ち止まり、胸に手を抱き、あの日の痛みをそっと手放していく。

焔の揺らぎは、二十年を越えてなお消えない島民たちの意志のようだった。


クリスはその光景を端から見守っていた。

エザンバウト復興記念の開会式の主催者として、彼女は列に加わることない。

ただ、全ての島民の儀式が終わったその後、“再生の火"へ花束を入れるその時を静かに待っていた。


見守りながら、炎に吸い込まれていく紙の数を“杭“のように感じていた。

燃やされていくのは死者の名ではない。



──自分が背負わせた“痛みの数"だった。



その重さを背負うように、クリスは静かに両手を胸の前で組んだ。

だが、その表情を覆う冷静さの奥には、誰にも見せられない私的な顔が覗きそうになる。


この崩壊を引き起こしたのは、他でもない自分の判断だった。


ジャックに、“社会“という枷をはめるために仕組んだこと。

あの男に自分の火の危うさを教えるために、どうしても、犠牲は必要だった。


これでも最小限になるように配慮を施した。

悪魔たちへガットの居場所をリークしてすぐ……

ジャックは真っ先に私の元へやってくると確信していたからこそ、

港を閉めて、街の祭の片付けと理由をつけて民を集めた。


採掘者も、戦士も訓練兵も、技術者たちも……私の私邸からなるべく遠ざけた。

それに──ジャックが。

彼が、怒りに眩んでいてもなお、不殺を貫いたから。


……でも、島は二度と元には戻らない。一度傷ついた心も、一生癒えない。


分かった上で、それでもなお、未来の“正義“のために下した判断だったはずよ。

全部を救うことなんてできないわ。

でも、大多数を救うことはできる。

私がやるべきは──天使の多くが、長く、平和に暮らせる社会を作ること。



これが正義だったはずよ……そう、だったはず。

でも、それを“正義”と呼んでいいのか。

あの日、崩れた白燈を前にした自分に、胸を張って答えられるだろうか。


まぶたを閉じれば、崩壊直後にグリプに言われた言葉を、未だ思い出す。

“正義の器は、欠けていないか?“

あの時は気にも留めなかった言葉は、日を追うごとに私に問いかけてくる。


ただ、始めた以上、もう、投げ出すことは許されない。……たとえ、罪悪感に心が折れそうでも。

ひとつ息をつくたび、胸の奥で重い石が沈んだ。


伏せた金の瞳は、誰も見つめていなかった。

けれど、その一歩後ろに控えるフジだけが、クリスの胸の内を読んだかのようにチラリと一瞥する。

何も言わない。銀の瞳は、責めるでも慰めるでもない。

ただ──「見ている」。

それだけで、クリスの心臓がひとつ強く脈打つ。


復興祭とはいえ、どこか空気は落ち着いている。

誰も声を高らかに喜んでいない。

……復興とは見た目ばかりだ。それが、この島の現実だった。


火の粉が風に舞い、頬をかすめたとき。

背後から声がかかった。


「クリス様」


振り返ると、他島からの使者のひとりが立っていた。

本当は呼びたくもなかった、他島の責任者や、使者たち。

けれど、事実上“経済の島“が生き返ったことは、大体的にお披露目しなければいけない。

面倒くさい。

でも、それが“蒼殻(そうかく)“における安定に繋がり、そしてジャックを“英雄“にするために必要なことだから。


形式的な挨拶を受け流し、話題が経済や治安に移った時だった。

使者の男が、わかりやすく熱を帯びた声で口を開いた。


「ジャック・J・ジッパーの名は、今やクリス様の“無言の剣”として広がっています」


ぴくりとクリスの眉が動く。

使者の瞳に浮かぶ期待の色。

どの島へ視察に行っても、今やジャックは“化け物”よりも、“英雄”の旗の色が濃い。

でも。


──今じゃないでしょう。


この島は、その名に崩され、ようやく復興したところなのよ。

島民たちは、まだ彼の名を聞いて平静ではいられない。

そう目線で制しても、使者は気づく様子もない。

むしろジャックの名に引き寄せられるように、他の責任者がまたひとり、歩み寄ってきた。


すぐ後ろに控えていたフジも、空に向けていた銀の瞳をわずかに使者たちへ向けた。

……いや、そんなはずはないのに。

疲れているせいか、フジがこの状況を楽しんでいるようにすら見えてしまった。


「最初は、鍵を奪うなど天使の恥晒しだと私も思いました。しかしそのおかげで“蒼殻(そうかく)”の厄介な戦士どもはあっという間に骨を抜かれ、今では戦士を名乗る者の暴力沙汰はほとんどありません」

「一時期乱立した“ジャック派”も、本人が淡々と潰して回り、旧派閥の戦士たちも奔走しているとか……」

「ヴェルトルクに渡ったことはありませんでしたが、弱者には優しく、強者には容赦しない……その噂が真実だと、我々も実感しましたよ。なんせ、()()()()()ですからね」


……その言葉が、まるで称賛であるかのように語られることに、胸の奥で鈍い痛みが広がった。

知ってるわ。彼が優しいことくらい。

あの崩壊の日、怒りに視野が狭まった中でも、誰かの泣き声に気が付いて──

ジャックは、すぐに剣を下ろした。


私はそれを、目の前で見てた。


強すぎる力に、ほんの少し前まで怯えて“化け物”と呼んでいたじゃない。

彼の“本当”の姿を今更になって気づいたくせに。



──同じ口で、その名を語らないでよ。



クリスを囲う影が増える。

次々に声が重なる。

声量に気を配ることもなく、むしろどこか──熱狂的に。

それは彼が原因で日常を失ってしまったこの場に似つかわしくない熱気で、ジャックの名を掲げ始めていた。


寄った眉間の皺を、慌ててほどく。

公的な顔を崩してはいけないと分かっていても、呼吸は浅くなるばかりだった。


「全盛期、ヴェルトルクの島民は三倍以上に増えたと聞きます」

「戦士があれだけ集まっても、諍いが起きなかったのは驚異的だ」

「裁判所の悪魔たちも、以降は法の強制を緩めてきている」

「やっぱり、彼の“力”がどれほどあるか、奴らにも伝わったんでしょうな」


クリスは黙って聞いていた。

けれど胸の奥では、杭を一本一本打ち込まれていくような痛みを覚えていた。

この“英雄”という言葉を、よりにもよってエザンバウトで聞かされるとは。

この島は──彼が堕ちて割れた場所なのに。

分かっている。

その彼が“島すら割った事実”こそが、対悪魔社会への抑止力になっていることも。

それを利用しているのが私自身だということも。


でも。


分かっているけれど──まだ島民の誰の心も癒せていないのに。

自分で引いた引き金だから余計に、“今は”静かにしていたいのに、

……理解はできても、この場での言葉選びに、胃が焼けるような思いがした。


ひとりからふたり、ふたりから三人に。

その声は、祈りの静けさをじわじわと食い荒らし、いつしか“喝采”へと変わっていた。



「もしジャックが、死神ダーツに対する“対”になれるなら……悪魔との確執も和らぐかもしれません」

「クリス様。新しい秩序の象徴として……どうか、彼を導いていただきたい」



使者たちの視線が、一斉にクリスへ注がれた。

その期待と安堵の色は、彼女にとっては呪縛にも等しい。



──導く。



ずっとそのつもりでいたはずなのに、他人に音にされた途端、何故かとても()()()()()()()()()()


私は、あの日この島に犠牲を背負わせてまで、彼を縛るために仕組んだはずなのに。

英雄に仕立て上げたいのは、私の方だというのに。



……どうしてかしら。

今、すべて投げ出して、泣いてしまいたいわ……



唇を閉ざす。

心の中で「これ以上言わないで」と吐き捨てながら、表情は崩さない。

ただ、涙を殺したまま、冷たい金の瞳を光の方へ向けたその時。



「……ふざけんな!!」



広場に張りつめた空気を、ひとりの叫びが切り裂いた。

声の主は、広場の露店前にいた若い男。

手にはまだ燃やし切っていない花が握られていた。


「英雄だと!?あいつが堕ちてきたせいで、父さんは足を折ったし、家も工場も……全部壊れたんだぞ!」


彼の震える声に、周りの島民たちがざわめく。

押し殺していた怒りと悲しみが、次々に溢れ出す。


「港を失った朝を覚えてるか!?」

「子どもを抱えて泣いてたのは誰だ!」

「どうしてあれが“英雄”なんだ!」


──それはまるで、燃やした紙に書かれた“失われた過去”が、炎になって舞い戻ったかのようだった。


クリスはただ立ち尽くすしかなかった。

その叫びを止めることも、慰めることもできない。

止めなければと思うのに、声が出なかった。

背に感じるフジの沈黙が、余計に心を締めつけた。


島民の怒号が広場に広がる。

燃える花弁の香りよりも、その熱が空気を揺らしていた。

怒りはひとりからまたたく間に伝わり、風に煽られた炎のように広場を包んだ。


群衆のざわめきや涙交じりの声が響く。

怒れる大人に泣く子供。剣さえ抜きかねない戦士たち。


「奪ったのは、俺たちの暮らしだろ!!」


あちこちで声が上がる。

でもそれがこの島の全ての声じゃなかった。


「でも、島の全部が浮いたのは……誰も殺したくなかったから、でしょう?」


ぽつりと、花屋の女が呟いた。

空気が張り詰める。

誰かが拳を振り上げようとして、その前に、また別の声が割り込んだ。


「誰も死ななかった。この崩壊具合で……それはもう、奇跡だよ」

「はあ?!じゃあ、あれが、あんなのが英雄だって言うのかよ爺さん?!」

「命だけは…絶対に奪わなかった。そんな奴、今までどこにいたんだよ……」

「殺さなきゃ、なんでもありだって言うの?!」


風が巻く。声が、波のように広がる。

化け物だと糾弾する声と、信じたい気持ちが同じくらい、この場に存在しているようだった。

声を荒げる誰かが、ジャックを肯定する誰かへ掴み掛かると、クリスの兵士たちが慌てて駆け寄った。

押し合いながらも拳を握ってにじり寄る島民らを、なんとか体で押しとどめる。


焦げた花弁の匂いが、風にちぎれて漂った。

だがその混乱を、鋭い声が断ち切った。



「──必要なのです」



炎にかき消されることなく、澄んだ声が広場を貫いた。

振り返ると、声の主は同じく参列していた──アネモルム島の責任者だった。


最低空に浮かぶ、“愛と文化の島”アネモルム。

愛の神獣の名を関するはずの島の主が発するには、あまりに冷静で静かな声だった。

年老いた天使の男が、一歩前に進み出て、列を見渡すように言葉を放つ。


「皆が嘆くその痛みは、私も理解している。しかし……ジャック・J・ジッパーは今や蒼殻(そうかく)の秩序を形作る“要”だ。彼がいなければ、裁判所の悪魔どもが再びこの空を蝕むかもしれぬ。戦士たちが暴走し、また混乱の時代へ戻ってしまうかもしれぬ」

「……っ!」

「この島は高度が高いゆえに悪魔を寄せ付けぬ。襲撃は圧倒的に少ない。だからこそ、人口も多く、経済の中心地として栄えている。だが、低空の島こそ、常に暗闇に怯えて生きていることも、事実なのだ」


島民の怒りが一層高まる。


「知らねえよそんなの!!」

「俺たちが犠牲になったのは、その“要”を作るためか?!」

「この二十年、どんな思いで街を直してきたと思ってんだよ!」


政治の理屈と、民の感情。

ふたつの声が正面からぶつかり合い、火鉢の炎が風に揺れる。


クリスは唇を噛んだ。

声を上げれば、この均衡はすぐに崩れる。

けれど黙っていれば──民衆の傷はさらに深くなる。


どちらの声も理解できる。だからこそ声を出せない。

この場を、どうやって納めるべきなのか、分からなかった。


炎の揺らぎの中で、感情と理屈がぶつかり合う。

声が高まるたび、火鉢の焔が不安げに揺れる。

白いマントの下で、クリスが強く拳を握る。



その時、フジが一歩前に出た。




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