表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Shangri-La ─ 生きて、死を越え、何かを遺せ。  作者: sora
【第二幕】バグってないです

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

229/359

百六層:バグってないです.03


天使社会の“誇りの象徴”、白燈(アルシェ)

その崩れた回廊の一角にある──“風の間(ヴィンツァ)”。


その執務室の壁や柱は真新しい“白”に塗り替えられていた。

一度崩れたクリスの私邸は、再建は施されているものの、その爪痕は隠しきれていない。


窓も壁もきちんと機能しているため、部屋の中は暖炉の火で十分に温められていた。

本来ならソルの西日が差し込む時間帯。

けれど今はカーテンが閉ざされ、炎の赤だけが揺らいでいる。


「……また、適性外(オーバーフロー)の武器?」


紙を一枚めくりながら、クリスが声を落とす。

白い執務机の上には分厚い観測結果。

つい昨日までは毎日一枚……それも、数行で済んでいたはずのもの。

それこそ、フジがジャックを連れ出して“勉強”させないかぎり、動きなんてほとんどなかったはず。


それなのに、技術主任アントラによって持ち込まれたそれは、一冊の本のような厚さがあった。

アントラは一瞬、息を呑んだ。


「はい。全部で100件以上。昨日から今朝にかけて、リアルタイムで転送されてきました」

「……」

「しかも、適性外ウフ使用時の反動値は──臨界を一秒未満で自動補正しています。普通なら……即死ですね」


デスクの前に立つアントラの目は、少しだけ血走っていた。

既に赤で囲まれたエラー値と、“観測対象者:ジャック・J・ジッパー”の名が並ぶ紙面。


クリスの金色の瞳がその名前を見た瞬間、わずかに揺れた。


「これ全て、()()からの記録です。……今も絶えず、送られてきてるはずです」


アントラはいつものゴーグルを額に押し上げ、作業手袋を手に持ったまま立っている。

ログに並ぶ数値は、もはや紙ではなく、彼には燃え移る炎のように見えていた。

通信機という初の試みに関する報告よりも、その熱がはるかに上回っている。


彼の報告は済んだが、クリスはすぐに反応を返さなかった。

指先でページをめくるように、観測ログを一瞥する。


「……“ネク”?」

「あ、はい。昨日、対象者本人による発声確認済みです。“Unit19”に対して音声入力で。彼が名前を──」

「そう。少しは“反応するようになった”のね」


それきり、彼女はページを閉じて、書類の束の上にそっと置く。

中身なんてどうでもいいと言わんばかりに。


「……」


アントラはその静かすぎる指先を、じっと見つめた。


「……で、その通信機と、音声システム……?あなたが独断で実装したのよね?」

「……まあ、はい。でも、結果的に」

「そうね。“結果的には”、よかったわね。彼が反応したんだから」


間が落ちる。

クリスは金の瞳を静かに伏せた。


「──ただ、“観測機”が個を持つ必要があるかは、再考すべきかもしれないわ。彼にとっての“きっかけ”が必要だったにせよ、“見る”だけでいい物が、“話す”必要があるかしら」

「……ただ発語するだけじゃないですよ。ちゃんと何万通りと書き込んだ条件から、適切な“会話”を──」

「同じことよ」


ぴしゃり。

クリスは指先を組んだまま、静かにはっきりと言い切った。


「情報を記録する機械に余計な感情回路をつけることが、正義にとって本当に効率的なのか──それはまた、別の話でしょう?」

「…………」

「それに、神獣信仰に対する配慮も欠けている」


彼女は机にひじをつき、静かに椅子に背を預ける。


天使社会は「誇り」と「戦い」で成り立っている。

武器を振るう者こそ一人前。

だから、歯車や配線に手を伸ばす者はいつだって少数派だった。


クリスが科学に興味を示さないのは、彼女が戦士や女だから、だけじゃない。

天使の中で「技術屋」はそもそも異端で、数えるほどしかいない。

戦うことを選ばなかった天使は、どれほどの成果を積み上げても、どこかで“片隅”に追いやられる。


だからこそ──アントラの狂気じみた執念も、なおさら異彩を放っていた。

アントラ自身もそれは分かっている。

分かっているが──


「特に、名前は力を持つものよ、アントラ。不用意に与えるものではない。私たちがどれだけ“ひとつの名前”に振り回されているか……よく分かっているはずよ」


クリスはアントラを見ていなかった。

視線は窓の向こう──空のずっと下に浮いている、ヴェルトルク。


その言葉は、冷たい批判というより──天使社会そのものの声に聞こえた。

武を重んじ、戦いを誇りとし、剣を握らぬ者を片隅に追いやる。

その空気が、彼女の言葉を通して、ひときわ鋭く突き刺さってきた。


……けれど。


それでもアントラはやめられなかった。

歯車を回すこと。コードを組むこと。未知を問い続けること。

誰も振り返らないその道を、笑われても、狂人と呼ばれても、歩き続けるしかない。


それが彼にとっての「誇り」であり、唯一の支柱だった。


アントラは、人知れず拳を握った。

分厚い手袋がぎゅと音を立てる。


けれど、その小さな音は──炎よりも確かに、彼の胸の奥で鳴っていた。


「そうね、でも──」

「……」

「……機械に名前を与えたくらいで、騒ぐようなものではないわね。ごめんなさい」


どうせその程度のことで、ジャックが変わるとは思ってない。

どれだけの数の天使が彼に振り回されて、声をかけて、火を起こそうとしているか。

それでもなお動かないからこその、“不動の男”。


クリスは、諦念(ていねん)にも似たため息を重く落とした。


「…………了解しました。技術局としては、今後も記録を継続します」

「ええ。それだけでいいのよ。黙って観測して、黙って記録して、黙って、そこにいる。……“疲労”のなさが、機械のいいところでしょう?」


……彼の監視に機械を採用したのは、休まず見ていられるという点だけじゃない。

そうしていれば、誰も傷つかないと思っていたから。

でもその真実を、アントラに語る必要もなかった。


アントラは軽く会釈だけを残し、執務室を後にした。

指先が震える。

でもその震えのまま……



バン──!



重たい扉を、音を立てて閉めた。

白く美しい廊下へ出たアントラは、いつものように工具の詰まったポーチを肩から下げたまま、怒りの気圧を全身からまき散らしながら廊下を突っ切る。

崩壊の日に負った足の傷が痛んでも気にならない。



黙って観測して、黙って記録して、黙ってそこにいろ……?

はァああ!?何様だっての!こっちはね、一個組み上げるのに!

丸三日寝ないでコード書いて、通信と言語モジュール調整して、ウフ共鳴軸の誤差と格闘してんのよ!?


誰もいない廊下に、安全靴の踵が立てる音だけが響いた。

まるで、正義の白壁に小さな傷を刻むように。



「音声システムは無駄ぁ?あれがなきゃ、あのバケモノは“初めての名前”を口にしなかったっつーの!!記録より記憶だってこともわかんないわけ?!」


駆けるように白亜の館を飛び出して、坂を転げるように降りていく。

そのまま仮設の研究棟へ足を踏み鳴らして進む途中、すれ違った新人研究員がぎょっとして彼を避けた。

でも、アントラはおかまいなしに歩く。


「……いいよ、分かった。報告?しないよ。今さら止めろとか言われたって、もう手ぇつけてるし!いいんでしょ?“結果的には良かった”んだから!!“付け足すな”とは言われなかったもんねーだっ!!」


勢いよく研究室の扉を開く。

バタン!と大きな音を立てて、中にいた副主任が肩を揺らした。


アントラは雑に白衣の袖をたくし上げる。

まるで戦闘準備のように、鼻息を荒くしながら自分のデスクへと突き進む。


「しゅ、主任…?」

「──やってやるさ。時間外に、ね?ハーウェンの時間に。黙って。誰にも言わず。こちとら趣味と愛と意地でやってんの!!」

「え、え?」


彼の耳には何も入っていなかった。

困惑する研究員をそっちのけで、ネクの学習ファイルがひとつ、またひとつと書き換えられていく。


ただの反発心ではない。

怒りの根源は技術畑の天使としての誇りだったかもしれない。

けれどその真ん中。

宿った火種は、モニター越しにでも拡がった、“個を貫く者”の炎の一部に他ならなかった。


──そしてその炎を、記録し、繋ぐ役目を担うのは。

他でもない、自分と“ネク”だ。


「……いいさ。あんたが黙ってても、ネクが語ってくれる」


白衣の袖をまくり上げる手は、もう震えてはいなかった。

代わりに、その手の奥で──ひとつの新しい“声”が、確かに目を覚ましていた。



*



エザンバウトの工場群。

その隙間に建てられた技術局は、あの崩壊の日からおよそ七年経った今でも、相変わらず仮設のままだった。

復興を第一に掲げたクリス。

街や港はそれなりに復興が進んでいるというのに、この場の優先度合いの低さが、壁を軋ませる音が証明している。


空はすでに宇宙を映し、星々の輪郭が静かに膨らんでいた。

世界が音を失い、ただハーウェンの欠けた月だけが、呼吸していた。


誰もいないはずの研究室から、カチャカチャと操作音が漏れていた。

青白いウフ(とう)のちらつく下、ひとり、アントラがコアの前に座り込んでいる。


「……なんで、そんなバカみたいな動きできんのさ。計算不能って、どゆこと?重力の理屈どこいった」


モニターには、エラーを吐き出した観測ログが何十件も重なっている。

視点はすべて──ジャック・J・ジッパー。


破壊と獲得と転用。

“鍵を奪う戦い方”が、毎回違う法則で記録されていた。


クリスに“技術者の矜持”を踏み躙られて以来、はや一年。

アントラはひとりで“ネク”のアップデートを繰り返していた。

毎晩、ソルの時間が終わる頃にネクはヴェルトルクを出発し、ハーウェンの時間にすべてを終わらせる。



朝方にはまた、当たり前のように──対象者ジャックの周りを、回り続ける。



ジャック自身はそのことを、特に気にも留めていなかった。

クリスも、技術局の部下も、誰も知らない。

これは、ただの()()()()()だった。


けれど、アントラが知らないまま……


毎夜繰り返される“成長”が、わずかに──

ジャックという星の自転を、変えていっていた。



ネクという“生きる”衛星は、誰も住めない“死の星”に、かすかに光の記憶を思い出させていた。



壊して、また作って。

ぶつけて、また測って。


その繰り返しのなかで、ジャックは少しずつ──炎の届く距離を覚えはじめていた。

槍を突き出す間合いでもなく、剣を振るう間合いでもない。

誰かを守るために、他人を焼かない“距離”。


戦いだけではない。言葉の温度も。

態度や、目線の向け方ひとつさえ、

それは機械だからこそ許された失敗の数々だった。


生き物なら壊れて終わる過ちを、ネクは何度でも繰り返し、記録し、残した。


そして、その繰り返しの中で。

死んだように座り込んでいた男の炎が──ほんのわずかに、“他人”を測りはじめていた。


……だが、報告される数値のデータから、まだ、アントラはそこまで読み取れていない。



「ハイ次っ。前回のアップデートじゃ反応速度が1.3秒遅延……うん、ダメ。だから言ったじゃん、音声処理層もっと深く積んどけって……!」


床に投げ捨てた紙束が、イデラの言語モジュール資料であることを、誰も知らない。

この短い月日の中でも進化し続けるイデラのデバイス。

以前よりは記憶能力や処理能力は良くなっても、まだまだネクの全てを記録するには、その見た目にそぐわず余りに”薄い”。

足元にはフロッピーディスクが何十枚と散らかる。


その一枚一枚を、アントラはまるで宝物のように指先で撫でた。


「……“丁寧に記録する”んだよ。あいつの動きも、言葉も。全部、丁寧に。徹底的に」


モニターに並ぶログを見つめながら、アントラはただ息を呑んだ。

イデラ(そう)の科学は、異種族の中でも飛び抜けて進んでいる。

けれど“今”の人類ですら、人工知能と呼べるものは、せいぜい単語を返す程度の拙いプログラムに過ぎない。

「会話」など、夢物語の域を出なかった。


なのに──ネクは言葉を紡いでいる。

それも、まるで意思を持つかのように。


人類の科学技術、そこにウフというかつての神獣に近しい遺物……ドラゴンの血の化石が噛み合わざることで生まれた存在。


それが、ネクだった。


けれど、それはただの奇跡ではなかった。

短期間に何度も壊され、何度も作り直し、何度もアップデートを繰り返したその反復が、初めて、短命種である人類より一歩先を進んでいた。

偶然や魔法による産物ではない。

それは確かに、汗と意地と弛まぬ研鑽による結晶だった。


作業台には、壊され、再生され、積み重ねられてきたネクの歴代観測Unitが並んでいる。

それは失敗の墓標であると同時に、未来の支柱だった。

まだ滑らかとは言えない銀球のコアが、かすかにウフ灯の揺らぎを反射している。


アントラはネクを通して、“ジャック”の輪郭を掴もうとしていた。


たったひとりの命のために、社会を敵に回した“化け物”。

鍵を奪って集める常識はずれ。

そのくせ、誰も無視できない力を持っていて──

絶対に誰かを殺さない戦士。

一部の天使からは、陽だまりのような暖かさで見守られている存在。


……矛盾だらけじゃん。

何が本当の姿かわかんない。

エラーコードばっか。データは使い物になんない。



でも、だからこそ──“言葉”だった。


 

ジャックは、誰にも語らない。

その胸の内を、島民や身近な戦士にすら、吐露しないという。


じゃあ、もう見るだけじゃだめだ。

直接、()()()()()()


幸い、ネクという名前をつけてから……

ジャックは、“応える”ようになった。


相手が生き物じゃないから、話しやすいってだけかもしれない。

でも──それで十分だった。


一方的でも。ネクを通してジャックの思想を掴みたかった。

言葉がなくても、機械眼が体温や鼓動や細かな変化を記録した。

爪を弾く行動は苛立ちの兆候。石段を指先で叩くのは思案中……

積み重なった行動の記録。それを、アントラが聴ける。観れる。


「見えてきたぞ、ジャック……お前、思ったより“狂ってない”じゃん。破壊と同じくらい、受け取ってる。試してる。測ってる。……なら、こっちも応えなきゃ失礼ってもんでしょ」


廊下の奥で誰かが足音を立てる気配がした気がして、アントラは一瞬だけ振り向いた。

だが、声はかけられない。

この時間、誰にも邪魔されないのがわかっている。

……でも、やっぱりまだ暗闇は怖い。


「……夜のうちに終わらせる。ゼノラで音のウフ使った伝声処理の論文、新しいの出たらしいじゃん?早いとこそいつも積んで、もっと滑らかに、観測させてやる」


それは単なる改良じゃない。

“機械に問いを投げかける”という、誰もまだ試したことのない遊びだった。

画面には、最新ログの末尾にタグが加えられていた。



《更新内容:視線検知反応 → 0.3秒短縮》

《音声出力反応 → 同一語彙からの連続文生成に対応》



「……こっちの問いかけにも、答えられるようにね」


アントラはそう呟いて、マグのコーヒーを煽った。

冷め切った味も、もう気にならなかった。


彼の瞳には、科学でも魔法でもない“問いの先”が、ぼんやりと浮かび始めていた。

マグを置いた音が、仮設研究室にひとり響いた。


作業台の上で、銀球のコアがわずかに瞬く。

それが、誰の呼吸にも似ていた。


その静けさの中で──問いは、生まれたばかりだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ