百五層:バグってないです.02
翌朝、まだ研究所が静かな時間。
アントラはコーヒー片手に、いつものように風が少し入り込む仮設研究室で自らのデスクに座っていた。
昨晩組み上がった観測Unit19。
ハーウェンも黙る時間まで、技術局の天使らは作業を続けていた。
夜の静けさが、まだ部屋の片隅に残っている。
他の研究員は午前中暇をだしている。
自分も、いつもよりはゆっくりとした始業だった。
すっかり辺りは明るいし、なんなら遅めのブランチに近しい時間。
ウチの子、ちゃんと対象者のもとへ戻ったかな?
いや、何回も繰り返してる航路だから、さすがにもう迷子にはなんないでしょ。
そんなことをぼんやり考えながら、キーボードの上を、コーヒー片手にぐったりした手がすべっていく。
半分寝ぼけたまま、分厚い箱のようなパソコンの画面を見つめる。
最新モデル、裏ルートでイデラから引っ張ってきてもらったはずなのに……
たぶんあと二,三年もすれば、もっと機能も見た目も変わったものが出てくるんだろうな。
発電所も蓄電施設もないから電気なんてないし。
雷のウフのエネルギー出力調整したコンセント。
その受け口を作って起動にこぎつけるまでに、どれだけ時間を要したことか。
…そんで、どんだけ爆発させたか。
破壊されたUnitたちを見下ろして、ふと沈黙する。
でも、そんな彼の弛まぬ努力のおかげで、イデラ技術の最たるもの──“電波”の仕組みを、観測球に組み込むことが出来ていた。
電波はイデラ層の専売特許じゃない。
神獣だって文句言えないよ、こっちは理屈で飛ばしてんだから。
科学技術は、どんな生き物でも扱える平等な力のひとつだ。
でも、この通信機が社会に受け入れられるのか?
それはまた別問題だった。
遠方から空を超えて情報が届く技術……
一部は、神獣への冒涜とか言い出しそうだなあ。
空を横切るのはソルとハーウェンのまなざしが〜とか、
音を震わすのはツュシカの祝福のもとであるべきなのに、機械がしゃべるなんて〜とか……
あーー想像するだけでウンザリしてきた。
今の段階では、まだ双方向の声は届けられない。
話せるロボがほしくて長い間書き溜めてきた会話パターンのモジュールを組み込んだに過ぎないから、
まだ、あの観察球が“現場判断”して話せるようになっただけ。
それでも、充分神域を犯してるんだろうけど……
そんなことより、結果を見るのにドキドキする。
仮設の天井の隙間から、朝の風が一筋吹き抜けた。
ざらつく文字のウィンドウを開いた。
そして画面に移ったログを確認しようとして、まず何度か瞬きをした。
「…名前、ついてる?」
そこに浮かぶ文字は、エラーコードなどではなく。
Unit19に、個を表す──ネクという名前が与えられたことが記されていた。
……ざらつく文字の列が、ほんの一瞬、光の粒を散らした。
それが、“声にならない声”のように見えた。
いや、まさか?
確かにおしゃべり機能つけたんだから、なにかしらは反応しろよって思ってたけど…
アントラ自身は、ジャックという存在を目にしたことが一度しかない。
しかもそれは、いつもと変わらない研究室で手を動かしていたときに、台風のように、星の墜落のように、やってきた。
あらゆる機材を巻き込んで、重力が歪む空間。
全てが浮き、天井が地面になるような重力酔いの中で、彼が立っているのを遠巻きに見ただけ。
その狂気じみた姿のみが、眼球に焼き付いていた。
いまだに思い出すだけで、あの時打った背中の痛みを思い出す。
息をすることさえ許されないほど、痛烈だった痛みを。
……あの時ガラスで切った足も、まだ完全に治ってない。
だからこそ、アントラは眉をひそめる。
あの狂気の塊が、どうして“名前を与える”なんて真似をしたのか。
「……」
しばらく画面に浮かぶ”ネク”という単語を見つめたあと、アントラはUnit19──いや、“ネク”の稼働報告を開く。
途端に、ズラリと画面に文字の羅列が飛び出してきた。
目が覚める。
それは、一件、また一件、どれも違う武器の使用履歴だった。
炎のウフ。氷のウフ。
光、影、風、水、雷。
戦闘向きじゃない音や地、毒などの希少種まで──
「ちょ、ちょっと待って!?なにこれ……」
画面をスクロールする指が止まらない。
どれも適性外。どれも異常な安定値。
どれも、通常の生体じゃ耐えられない負荷を“当たり前”のように処理している。
コーヒーのカップが傾いて、白衣の裾に染みが広がる。
でもそれに気づきもしない。
火消しのために、ほんの一瞬他人の鍵を使って戦うなんて話じゃない。
一本の鍵を何度も、あるいはすぐに次の鍵に持ち替えて。
それを延々と、朝から──?
「……これ、常人じゃ、まず死ぬよ……」
画面をなぞる目が止まったところに記されていたのは──
《戦鎚:影のウフ搭載
適性:外
判定:臨界を0.7秒で調整
戦術:滑走+跳躍+落下を応用し自動補正(起点:斜面)》
アントラは、ぽつりと呟いた。
「……冗談でしょ、こいつ」
なのに胸の奥で、誰にも言えない興奮が、静かに熱を持ち始めていた。
それは、機械を見ていた言葉ではなかった。
観測者の向こうにいる“誰か”に向けた、心の震えだった。
技術者である前に、観察者である前に。
アントラという天使が、初めて──「こいつ」と名指した相手に、確かな“何か”を見た。
…単なる“記録”じゃない。これは“意志”だ。
ふと、ログの末尾。
命名の瞬間の一行がそこにはあった。
《Neq:命名由来不明》
《憶測1:語源(記号≠ "not equal")→「いずれにも属さぬ問い」》
《憶測2:語源(神獣古語 *ne-ku*:「語られぬ問い」)》
その名前が画面に浮かんだ瞬間、心臓が小さく跳ねた。──生きてる、と思った。
「……本気かよ」
名を持ったネクが、ただの観測機ではなくなった日。
そして──そのネクが見つめる“星”の中心で、世界は、理という名の殻を焼き切ろうとしていた。
*
昼を超えて研究室に研究員たちが集まってくると、そこには衝撃の第二波が降り立った。
ネクが、驚異的なスピードで、リアルタイムにデータを転送し続けてくるからだ。
背後で別の研究員が、ネクのデータを見てぽつりと呟く。
「……ほんとに“通信”できてる……」
回収の必要がないデータたち。
けれど、感嘆にも似た声で呟く研究員たちは、止まることを知らないままに送られ続ける文字の羅列に、やがて寒気を覚え始めていた。
ウフ灯の明滅が、まるで呼吸のように規則を乱していた。
「というか、ジャックってすごいですね……これだけの適性外ウフを…」
アントラは工具で通信端子をいじりながら、目も合わせずに答える。
「これこそ機械に分析できない、バケモンって感じだよねー」
「…クリス様も、無敗でここまで来られたわけじゃないですか……」
「あーね。そうらしいね」
カチャカチャと工具がこすれる音。
ふと、ひとりの天使が「…怖いですね」と呟いた。
「こんなのが、クリス様とぶつかるって…」
「まだまだ復興も進んでませんよ。街の方も一回全部が浮いたから瓦礫だらけだし、島核が揺れてボロボロですし」
「自分たちの発明が霞みますよ……よっぽど、この男ひとりの方が恐ろしい」
口々にこぼれ落ちる彼らの胸の内を、ゴーグルの奥からちらりと見た。
「何十律動かけても届かないものを、あいつひとりで塗り替えてる感じ、しますよね…」
……気圧されるのは分かる。
正直、ウチだって自分が作った発明品からのデータじゃなきゃ、まずはバグかと疑うレベルだった。
でも、そのありえない数値を叩き出してくる男が、
何度も破壊を繰り返してきた奴が──機械に、名前をつけた。
ただ一度きりの“命名”が、アントラの中で、確かに何かを刻みつけた。
それは“発明”ではなく──“記憶”だった。
昼食替わりのケーキを直で掴み、そのまま齧りながら、アントラは何気なく呟いた。
「──まあ、どっちもどっちじゃないの?」
「え?」
「ジャックとクリス。どっちも無敗。どっちもアホほど強い。そして、どっちが正しいとか、どっちが間違ってるとか、そんな単純な話じゃないでしょ。まあ最近はやりすぎな感じしてるけど」
まるでクリスの正義を否定するようにも捉えられる発言に、ドア近くにいた研究員が震えた。
光と音のウフを使った監視システム”残光晶”。
大きなアメジストの原石のようなそれは、部屋の角に置かれている。
誰かがそっと棚の隅から、音と風のウフが埋め込まれた“遮音機”を取り出し、そばに置く。
残光晶の内部で、光の粒が一瞬だけざらついたように揺れた。
その瞬間、記録が“ぼやけた”ことを示すわずかなサインだった。
ザリ……と鳴ったノイズ音に、アントラは口角を上げる。
「記録に残っても大丈夫だって。ウチの首は切れないっしょ」
「でも、クリス様は…」
「うん、正義の天使だよね。だからこそ、“正義”の形を強制する。でもそれは、科学とは真逆じゃん?」
指についたクリームを舐めたあと、通信端子をカチッと嵌めるアントラ。
「科学はほら、答えを決めつけるんじゃなく、問い続けるものじゃん。世界の未知を既知に変えるとか、イデラの学者もよく言ったもんだよね。かっこつけすぎっての」
分厚いゴーグルを押し上げながら、アントラは少年のように笑った。
その屈託のない笑みは、研究員たちの胸に“どうして自分がここで技術を磨き続けているのか”を思い出させた。
普段は狂った天使に見えても、中身は純粋だ。
数名の研究員が、ほんのりと顔を綻ばせる。
「ウチは戦闘ムリだし、発明できてれば満足だけど。むしろ天使種ではその方が超少数ってか」
「……」
「押し付けに近い正義なんて、昔気質の戦士たちには溜まったもんじゃないだろうし?そもそもこういうのって、戦争のたびに生まれるでしょ。発明も、英雄も……神話もさ」
うんざりしたように。
けれど、やっぱり何かを諦めたような眼差しで。
クリスとそう世代が変わらないアントラもまた、悪魔との不可侵条約が締結されるまで、何度も戦争を経験してきていた。
天使種としては、まだまだ壮年の半ばに分類されるアントラ。
けれど、技術局の中では最年長だった。
ここにはそもそも“若輩”しかいない。
年齢を重ねた天使ほど、新しいものには手を出しにくい。
軍事局、諜報局……数多ある管轄の中で、技術局はクリスが初めて公的に設置したもの。
彼女もまた、歴代統治者の中では年は若い。
“弱者救済”のための技術として取り入れたものだったが──
「時代の波ってやつでしょ。いつまでも剣と盾あればいいような社会じゃ、どこの層でも取り残される」
結局、力のない弱者が技術に頼って生きてるって、彼女は思ってんだろうね。
生活も豊かにはなるけど、同じだけ、こうして戦争に必要な技術を磨けって圧をかけてくる。
……兵士を叩き上げる訓練官に向ける目線と、何が違うんだか。
「……なんか、切ないですね」
アントラは一瞬だけ目を細めてモニターを見る。
しかしすぐに口を尖らせて、テンションをぶち上げた。
「だからイデラって最高なのよ!!」
「…えっ」
勢いよく立ち上がったせいで、椅子が倒れて壁にぶつかる。
仮設の支柱が不安げな音を立て、一番近くにいた副主任が慌てて椅子を立て直した。
「なに!?あの種族!?本気でバグなの!?寿命?短命?は?関係ない!あいつら朝から晩まで燃えてんのよ!文字通り命で研究してんの!」
「え、主任…」
「も〜〜〜ッほんとさ!!機械仕掛けの義手とか動力脚とか、ぜんぶ実験済み!“試作”って言葉にロマンを感じすぎでしょ?!天使の何十年分を、数ヶ月で詰め込んでくるの!技術に魂込めすぎじゃない?!血管千切れそう!!」
「……ちょっと落ち着いて…」
「……はあ」
またどこからか集めたイデラの雑誌をバサバサ捲りながら、アントラは言葉を雨のように降らせている。
そのほとんどが誰にも伝わらないものだった。
技術の進歩も早いが、人類は言語の変化も早すぎる。
新しく生まれては消えていくそれらを、長寿の天使らは覚える気にはならなかった。
だが、目の前の男は違う。
まさしくイデラオタク。
……そのオタクという言葉さえ、最近の流行りらしい。
研究員たちは顔を見合わせ、肩をすくめ合った。
──やっぱり、この主任は狂っている。
けれど、その狂気こそが未来を繋ぐのだと、誰もが知っていた。




