第9話 お風呂に入って、お揃いの服
ハリッサを拘束していた金属を取り除いたことで、ようやく彼女は自由に動けるようになった。
それまで身体を縛っていた巨大な枷は、すべて【金属精製】によってインゴットへと変わっている。
目の前には、大量の金属塊。
その光景を眺めながら、俺は改めて思った。
「……これ、本当に大丈夫だったのかな」
「何が?」
「いや……」
ハリッサは不思議そうに俺を見る。
少なくとも本人は元気そうだ。
それに、拘束具を外したことで表情もずっと明るくなっている。
なら、今は細かいことを考えても仕方がない。
「まあ、いいか」
俺は気持ちを切り替えた。
「まずは食べようか」
「うん!」
ハリッサは即答した。
……やっぱり、まだお腹が空いているらしい。
さっきまで栄養ゼリーを大量に食べていた。
普通なら、しばらく何も食べたくなくなると思う。
俺なら間違いなくそうなる。
だが、ハリッサは違った。
俺はアイテムボックスを開く。
「何がいい?」
「おにぎり!」
「……おにぎり?」
「うん!」
ハリッサの目が輝いた。
どうやら、かなり気に入ったらしい。
俺はツナおにぎりを一つ取り出して渡した。
「はい」
「ありがとう!」
ハリッサは嬉しそうに受け取る。
そして――。
ぱくっ。
「おいしい!」
ものすごい勢いで食べ始めた。
あっという間に、一個目がなくなる。
「もう一個?」
「うん!」
渡す。
食べる。
また渡す。
食べる。
「……すごいな」
思わず眺めてしまう。
食べる速度も速い。
なのに、苦しそうな様子はまったくない。
「もう一個」
「はい」
また一個。
「もう一個!」
「はいはい」
さらに一個。
最初こそ笑っていた俺だったが――。
「……十個」
十個食べた。
「二十個……」
まだ食べている。
「三十……」
止まらない。
俺は途中から、完全に数えることにした。
「五十……六十……」
ハリッサはひたすらおにぎりを食べ続けている。
細い身体のどこに入っているのか、本気で分からない。
「……八十」
まだ終わらない。
「百……」
俺は思わずハリッサの腹を見る。
「苦しくない?」
「ぜんぜん!」
「……そう」
そう言われてしまうと、何も言えない。
さらに食べる。
「百二十……」
「おいしい!」
「百三十……」
「おいしい!」
「百四十……」
「まだ食べられるよ!」
「……本当に?」
そして――。
「百四十九!」
そこで俺は手を止めた。
「……もう一個で百五十だよ」
「食べる!」
即答だった。
俺は最後の一個を渡す。
「はい。百五十個目」
「いただきます!」
ぱくっ。
そして、それもあっという間に食べ終わった。
ハリッサは満足そうに笑う。
「お腹いっぱい!」
「…………」
俺はしばらく何も言えなかった。
百五十個。
ツナおにぎり百五十個。
いったいどれだけ食べれば気が済むんだ。
「……人間って、そんなにおにぎり食べられるんだな」
「食べられるよ?」
「いや、普通は無理だと思う」
たぶん。
少なくとも俺は無理だ。
ハリッサは自分の腹を軽く撫でる。
「いっぱい食べると元気になるね!」
「それはいいことだけど……」
俺はハリッサを見る。
巨大な拘束具を軽々扱えるほどの力。
異常な食欲。
そして、長期間まともに食べていなかったとは思えないほどの回復。
やっぱり、この子は普通の八歳児ではない。
「……不思議な子だな」
「?」
ハリッサは首を傾げる。
まあ、本人に自覚がないなら仕方がない。
今はそれよりも――。
「ハリッサ」
「うん?」
「お風呂、入りたい?」
「お風呂?」
「身体を洗うんだよ」
「洗う?」
「うん。今、かなり汚れてるから」
ハリッサは自分の服を見る。
泥。
土。
長い間、身体を洗っていなかったのだろう。
服も髪も、かなり汚れている。
「……お風呂、入りたい!」
「じゃあ、準備しよう」
さすがに森の中で、本格的な風呂を作るのは難しい。
でも、俺にはアイテムボックスがある。
水もある。
容器もある。
そして――。
「火を使えば、お湯は作れる」
俺は必要な道具を取り出した。
水を用意する。
そして、火を使って温める。
魔法の触媒が必要だと分かってから、火属性魔法も使えるようになった。
「ファイア」
小さな炎が生まれる。
「便利だな……」
ゲームでは単純な攻撃魔法だった。
でも、現実で使ってみると生活にも使える。
お湯を沸かす。
明かりにする。
火を起こす。
もしかすると、魔法は戦闘以外のほうが便利なのではないだろうか。
そんなことを考えながら、水を温めていく。
「熱くなってきた」
ハリッサも興味深そうに眺めている。
「これで身体を洗えばいいの?」
「そう。熱すぎないように気をつけて」
俺は温度を確かめる。
そして、ハリッサにお湯を渡した。
「ゆっくり洗ってね」
「うん!」
ハリッサは身体を洗い始めた。
少しずつ泥が落ちていく。
汚れていた肌が見えるようになってくる。
そして、長い金髪からも汚れが落ちていった。
「……髪、長いな」
「そう?」
「うん。すごく長い」
しかも、綺麗な金色だ。
洗っていくほど、その美しさが分かってくる。
「これ、乾かすの大変そうだな……」
俺は髪を見る。
この長さと量では、自然乾燥だとかなり時間がかかりそうだ。
そこで――。
「あ」
俺には魔法がある。
火。
そして風。
「……組み合わせればいい」
「組み合わせ?」
「うん」
ゲームでは、魔法を自由に組み合わせるなんて簡単にはできなかった。
でも、この世界ではすでに、ゲームとは違う現象が起きている。
試してみる価値はある。
「ヒート……」
火属性の魔法で、温かい空気を作る。
そこへ――。
「ウインド」
風を起こす。
ふわっ。
温かい風が、ハリッサの髪を優しく揺らした。
「わあ!」
ハリッサが目を輝かせる。
「これ、気持ちいい!」
「やっぱりできるな」
俺は少し嬉しくなった。
ゲームのルールにはなかった使い方。
でも、現実では魔法を組み合わせることができる。
「便利だ」
温かい風を送りながら、少しずつ髪を乾かしていく。
やがて――。
「できた」
ハリッサの長い金髪が、さらさらになった。
泥にまみれていた姿とは、もう別人だった。
「……すごい」
俺自身も驚いた。
綺麗な金髪。
整った顔立ち。
汚れがなくなったことで、その容姿がはっきりと分かる。
まるで、どこかのお嬢様のようだ。
「ハリッサって、もともとはこんな感じだったのかな」
「分からない」
「そっか」
記憶がない。
自分がどこから来たのかも分からない。
それでも、今のハリッサは少し安心したような顔をしている。
俺はそれを見て、少しだけ嬉しくなった。
「服も替えようか」
「この服?」
ハリッサは自分のぼろぼろの服を見る。
「うん。さすがにそのままじゃ大変だから」
俺はアイテムボックスを開いた。
中には、女神から用意してもらった衣服が大量に入っている。
俺が使うための服だ。
「これなんかどう?」
取り出したのは作業用の服。
動きやすい。
丈夫。
何より、鍛冶師として使いやすい。
ハリッサに渡す。
「着てみる?」
「うん!」
しばらくして――。
「どう?」
ハリッサが出てきた。
作業着を着ている。
さっきまで泥だらけで、ぼろぼろだった少女とは思えない。
でも――。
「……やっぱり作業着だな」
「ダメ?」
「いや、動きやすいし、いいと思う」
今の俺が持っている服の中では、これが一番現実的だ。
ただ。
「でも、俺も同じ服なんだよね」
俺は自分の服を指差す。
ハリッサは俺を見る。
そして、自分を見る。
もう一度、俺を見る。
「……お揃い?」
「そうなるね」
「お揃いがいい!」
嬉しそうな声だった。
「アカリお姉ちゃんと一緒がいい!」
「……そっか」
その言葉を聞いて、胸の奥が少し温かくなった。
まだ出会って間もない。
ハリッサのことを、俺は何も知らない。
それでも。
こんな広い森の中で、一人ではなくなった。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「うん!」
俺とハリッサは並んで歩き始めた。
服も同じ。
靴も同じ。
並んで歩けば、姉妹のようにも見えるかもしれない。
俺自身には、そんなつもりはなかった。
ただ、ハリッサを助けただけ。
そう思っていた。
けれど――。
隣を歩くハリッサを見る。
嬉しそうに歩いている。
その姿を見ていると、不思議な感覚が胸の中に広がっていく。
この子を守らなければ。
そんな気持ちが、いつの間にか芽生えていた。
俺はまだ、その気持ちの名前を知らなかった。
そして。
このあと俺は、さらに驚くことになる。
この少女が持っている「力」が。
ただの腕力ではないことを。
そして――。
彼女が覚えているという、バレンティス剣術。
それが、俺の鍛冶師としての人生にも、大きく関わってくることを。
このときの俺は、まだ知らなかった。




