第7話 森で見つけた、鎖につながれた少女
僕が異世界に来てから、一週間ほどが経った。
最初の日こそ、何もかもが新鮮だった。
目に映るものすべてが未知。
聞こえてくる音も知らないものばかり。
ゲームの知識を使えば何とかなる――。
そう思っていた。
だが、実際に生活してみると、思っていた以上に大変だった。
「……疲れた」
今日も俺は、森の中を歩いている。
一週間歩き回って分かったことがある。
この森は――とにかく広い。
広いという表現では足りない。
どこまで行っても木々が続いている。
少し歩けば景色が変わると思っていたのに、似たような木、似たような草、似たような岩が延々と続く。
おかげで、今では自分がどこから来たのかもよく分からなくなっていた。
「鉱山、どこだろうな……」
目的は決まっている。
赤ミスリルが採れる鉱山を探す。
そこで採掘を始め、鍛冶の準備をする。
そのために森を探索していた。
ついでに、魔物が出るなら倒してレベルも上げたい。
けれど。
「魔物、全然いないんだよな」
この一週間、ほとんど危険な生き物に遭遇していない。
時々鳥や小動物らしきものを見る程度だ。
俺としては安全なのはありがたい。
だが、レベル上げという意味では困る。
「レベル12くらいにはしておきたいんだけどな」
ゲームの知識から考えれば、森にはそれなりの敵がいてもおかしくない。
なのに、この場所にはほとんどいない。
女神が「魔物の活動が少ない場所」と言っていたのは本当らしい。
安全。
だが、不便。
異世界生活というものは、なかなか思い通りにはいかない。
そんなことを考えながら歩いていたときだった。
ふと、足を止める。
「……ん?」
何か、音がした。
風。
木々の揺れる音。
鳥の声。
そのどれとも違う。
俺は耳を澄ませた。
――カチャ。
「……金属?」
もう一度聞く。
カチャ……。
確かに金属が擦れるような音だった。
「誰かいるのか?」
人の声は聞こえない。
だが、音の方向には何かいる。
俺は慎重に近づいた。
森の中を進む。
枝を避ける。
草をかき分ける。
そして――。
「……え?」
目の前の光景を見て、俺は立ち止まった。
少女がいた。
年齢は――俺より少し下に見える。
金色の長い髪。
細い身体。
着ている服はボロボロで、泥や汚れにまみれている。
そして、その少女は。
「……拘束されてる?」
巨大な金属製の枷をいくつも付けられていた。
両手。
両足。
身体にも繋がっている。
まるで、逃げられないようにするためだけに作られたような、異様に大きな拘束具だった。
「なんだ、これ……」
俺は思わず息を呑んだ。
少女は地面に座り込んでいる。
目を閉じている。
眠っているようにも見える。
だが――。
「生きてる?」
俺は恐る恐る近づいた。
反応がない。
近くまで行っても動かない。
俺はしゃがみ込み、顔を覗き込んだ。
「おーい……」
反応なし。
「大丈夫?」
やはり反応しない。
胸元を見る。
呼吸はしている。
「……よかった」
少なくとも、生きている。
だが、どうしてこんな場所に。
どうして拘束されている。
誰がやった。
何のために。
疑問が次々と浮かぶ。
敵かもしれない。
何か危険な存在かもしれない。
それでも、放っておくことはできなかった。
「……とりあえず、助けるか」
俺は拘束具に触れた。
かなり大きい。
見た目からして相当な重量がありそうだ。
「こんなの、普通の人間には無理だろ……」
どうやってこんなものを付けたのか。
そもそも、この少女はどうして一人でここにいるのか。
俺は鑑定を使ってみた。
「鑑定」
少女についての情報が浮かぶ。
名前――ハリッサ・バレンティス。
年齢――八歳。
「八歳……」
俺は少し驚いた。
見た目は俺より少し下くらいに見えた。
身体年齢が十歳前後の俺と比べれば、確かに八歳くらいだろう。
それにしても――。
「ハリッサ・バレンティス……」
知らない名前だった。
ゲームの記憶を探ってみる。
聞いたことがない。
もちろん、俺が『ファイナルオンライン』のすべてを知っているわけではない。
でも、これほど異様な状況にいる人物なら、少しくらい記憶に引っかかってもよさそうなものだ。
俺はもう一度、少女を見る。
痩せている。
身体に肉がほとんどない。
服もひどく汚れている。
「……お腹、空いてるのかな」
それなら、まず食べさせればいい。
俺はアイテムボックスを開いた。
大量の食料が入っている。
パン。
牛乳。
水。
おにぎり。
そして――。
「栄養ゼリーが一番いいか」
柔らかくて食べやすい。
体力が落ちているなら、これが無難だろう。
俺は一本取り出し、少女の口元へ近づけた。
「ハリッサ?」
反応はない。
「食べられる?」
その瞬間だった。
少女の指が、ぴくりと動いた。
「……!」
目が開く。
青い瞳が、俺を見た。
そして。
「……食べ物?」
かすかな声。
「うん。食べ物だよ」
そう答えた途端。
少女の目が見開かれた。
「食べる……!」
「え?」
次の瞬間、少女は俺の手から栄養ゼリーを奪い取るように受け取った。
そして、ものすごい勢いで飲み始める。
「ちょ、ちょっと待って! ゆっくり!」
聞いている様子はない。
一本。
空になった。
「もう一本……」
「え?」
渡す。
飲む。
また渡す。
飲む。
さらにもう一本。
飲む。
「……まだ食べる?」
「食べる!」
即答だった。
そこからは、もう止まらなかった。
栄養ゼリー。
また栄養ゼリー。
さらに栄養ゼリー。
俺は思わず数を数え始めた。
「十……二十……」
まだ止まらない。
「三十……」
少女の細い身体のどこに入っているのか。
「三十五……三十六……三十七……」
そして。
「四十……」
四十本。
一本あたり二百ミリリットル。
合計――八千ミリリットル。
「……八リットル?」
俺は呆然とした。
「食べすぎじゃない?」
普通なら、とっくにお腹が膨れて動けなくなっていてもおかしくない。
なのに。
「まだ食べたい?」
「うん!」
少女は迷いなく頷いた。
「……すごいな」
俺は思わず感心してしまった。
だが、それ以上に驚いたことがある。
食べ始める前は、見るからに弱っていた。
肌も青白く、顔色も悪かった。
それなのに、ゼリーを食べ続けた結果。
少しずつ顔色が戻ってきた。
乾いていた肌にも潤いが戻り。
髪の汚れも目立ちにくくなり。
明らかに、元気になっている。
「……このゼリー、やっぱり普通じゃないな」
ゲームでは回復アイテムとして使うことがあった。
食事としても使えるが、現実ではもっと特殊な効果があるのかもしれない。
ただ、今の俺には確認する方法がない。
それでも、目の前の少女が元気になっている。
それだけで十分だった。
「ところで、ハリッサ」
「なに?」
「どうして、ここにいるの?」
少女の表情が止まった。
しばらく考える。
「……分からない」
「分からない?」
「うん」
少女は自分の名前を口にした。
「ハリッサ・バレンティス」
そして。
「八歳」
そこまでは覚えている。
だが、それ以外は分からない。
家族。
住んでいた場所。
どうして拘束されていたのか。
誰に拘束されたのか。
どうして森にいるのか。
どれも思い出せない。
「記憶がないってこと?」
「……うん」
ハリッサは少し悲しそうに頷いた。
「でも、剣術は覚えてるよ」
「剣術?」
「バレンティス剣術」
聞き慣れない名前だった。
「それだけは、ちゃんと分かる」
「そうなんだ……」
奇妙だ。
名前と年齢。
剣術。
それ以外は何も思い出せない。
意図的に記憶を消されたのか。
それとも、何か別の理由があるのか。
俺には判断できない。
「ハリッサは、俺のこと分かる?」
「うん」
「え?」
「アカリお姉ちゃん」
「……お姉ちゃん?」
俺は思わず自分を指差した。
「俺?」
「うん!」
ハリッサは嬉しそうに笑った。
俺は少しだけ困った。
俺の中身は大学生だった。
ステータス上の年齢は一歳。
でも、今の身体は十歳くらい。
そして今は、八歳の少女から「お姉ちゃん」と呼ばれている。
「……まあ、いいか」
考えても仕方がない。
異世界なのだ。
多少のことは、もう驚いていられない。
「ハリッサ」
「うん?」
「とりあえず、ここから出ようか」
俺は巨大な拘束具を見る。
彼女をここに置いていくことなどできない。
それに――。
これだけ食べられるなら、食料だけはしばらく安心だ。
俺のアイテムボックスには、まだ大量の食料がある。
ハリッサは俺を見つめた。
そして。
「うん!」
嬉しそうに笑った。
こうして。
長い森の探索の途中で、俺は一人の少女と出会った。
このときの俺はまだ知らなかった。
この少女が、ただ助けを待っているだけの普通の八歳児ではないことを。
そして――。
この巨大な拘束具を前にしても、俺がこれから目にするものが、俺の「異世界の常識」をまた一つ壊していくことを。




