第18話 再戦への決意
意識が戻った。
最初に感じたのは、身体のあちこちに残る鈍い痛みだった。
頭が重い。
身体を起こそうとしても、思うように力が入らない。
何が起きたのかを思い出そうとした瞬間、脳裏に一人の男の姿が浮かんだ。
デュランダル。
そして、あの言葉。
『一刀両断』
次の瞬間、圧倒的な斬撃が私たちを襲った。
……そうだ。
私たちは、負けたのだ。
「……っ!」
思い出した途端、反射的に身体を起こそうとした。
しかし、痛みが走り、思わず動きを止める。
焦るな。
まずは状況確認だ。
敵はどこにいる?
ハリッサは無事なのか?
周囲に危険はないのか?
ゲームなら、戦闘不能から復帰した直後は敵の位置と残りHPを確認するのが基本だ。
……いや、ここはゲームじゃない。
HPが残っていれば何とかなる、なんて都合の良い話ではないのだ。
そんな当たり前のことを、私は今さらながら思い知らされていた。
「……ハリッサ!」
痛みをこらえながら、周囲を見回す。
すると、すぐ近くにハリッサの姿があった。
彼女は静かに座っていた。
いつものように長い金髪が肩から流れ、こちらを見つめている。
「アカリお姉ちゃん!」
私が目を覚ましたことに気付くと、ハリッサは勢いよく駆け寄ってきた。
「よかった……! 本当に、よかったです!」
「ハリッサ……。身体は大丈夫?」
「はい! 私は大丈夫です!」
そう言って、ハリッサは自分の身体を見せるように両腕を広げた。
私は彼女の姿を確認する。
腕。
肩。
胸元。
腹部。
見える範囲には、傷らしい傷がない。
服にも、あのときの激しい戦闘を思わせる痕跡は見当たらなかった。
「……あれ?」
思わず声が出た。
「ハリッサ、怪我は?」
「怪我、ですか?」
「うん。デュランダルに斬られたでしょう?」
「……」
ハリッサは自分の身体を見下ろした。
その表情が、少しずつ変わっていく。
「……そう、ですよね。私、確かに斬られたはずです」
「だよね?」
「とても痛くて……そのあと、よく覚えていません」
ハリッサは困惑した表情を浮かべた。
「でも、今はどこも痛くないんです。身体も普通に動きますし……」
「……」
私はもう一度、ハリッサの身体を確認した。
傷跡すら見つからない。
治療を受けた形跡も、私が確認できる範囲にはない。
いったい何が起きたのだろう。
回復魔法?
それとも、特殊なスキル?
あるいは、私の知らない何かが働いたのか。
ゲームなら、状態異常や特殊効果のログを確認したいところだ。
しかし、現実にはそんな便利な履歴表示はない。
そもそも、私たちがどうやって生き残ったのかさえ、まだ分かっていないのだ。
「ハリッサ、本当にどこも痛くない?」
「はい。大丈夫です」
「無理はしてない?」
「していません!」
ハリッサは少しだけ胸を張った。
いつもなら、その様子に安心できたかもしれない。
けれど、今回は違った。
あれほどの斬撃を受けたのだ。
無傷で済むような攻撃ではなかった。
私自身が、それをはっきりと覚えている。
「……分かった。今は無理に動かないでね」
「はい。アカリお姉ちゃんも、無理しないでください」
「うん。私は……」
そこまで言って、私は自分の身体を確認した。
そして、胸元に手を伸ばす。
そこには、私が身に着けていた胸当てがあった。
ただし、以前と同じ姿ではない。
「……え?」
胸当ての表面には、深い傷が刻まれていた。
いや、傷というよりも、斬り裂かれた跡だ。
金属の表面が大きくへこみ、刃が通った部分には鋭い溝が残っている。
私はその溝を指先でなぞった。
冷たい金属の感触が伝わってくる。
ここに、あの一撃が入ったのだ。
「……これ、私の胸当てだよね?」
「はい。アカリお姉ちゃんが着けていたものです」
「だよね……」
当たり前のことを確認してしまった。
でも、確認せずにはいられなかった。
これがなければ、私はどうなっていたのだろう。
デュランダルの斬撃は、私の身体を捉えていた。
防具がなければ、致命傷になっていた可能性は高い。
いや、あの威力なら、それ以上の結果になっていてもおかしくない。
「……助かったんだ」
胸当てが一撃を受け止めてくれた。
そう考えるのが自然だった。
もっとも、完全に防げたわけではない。
これだけ深く傷ついているのだから、受けた衝撃も相当なものだったはずだ。
今も身体が痛むのは、そのせいなのかもしれない。
「アカリお姉ちゃん……?」
「うん。大丈夫。ちょっと考え事をしてただけ」
私は胸当てを見つめた。
これまで、武器や防具を作るときには品質や性能を意識してきた。
より良い素材を使い、より良いものを作る。
品質を上げることができれば、性能も上がる。
鍛冶師としては、ごく当たり前の考え方だ。
けれど、今回の一撃で、その考え方だけでは足りないと分かった。
どれほど性能の良い装備でも、相手の攻撃が想定を超えていれば壊される。
装備の性能を上げることは大切だ。
でも、それだけで十分なのだろうか。
私は胸当てに刻まれた深い溝を、もう一度見た。
もし、素材の強度がもっと高かったら。
もし、斬撃を受け流す構造にできていたら。
もし、魔力を使って防御性能を引き上げられたら。
考えられることはいくらでもある。
……ああ。
こういうことを考えていると、少し楽しくなってくるのが困りものだ。
ついさっき、死にかけたばかりだというのに。
普通なら、もっと恐怖を感じるべきなのだろう。
もちろん怖い。
デュランダルの強さを思い出すと、今でも身体がこわばる。
だけど、それと同時に、私は鍛冶師として考えてしまうのだ。
この胸当てを、もっと強くできないだろうか。
あの一撃を受けても壊れない装備を作れないだろうか。
……我ながら、かなり重症かもしれない。
けれど、今はその性格に助けられている気もした。
考えるべきことがある。
やるべきこともある。
ただ怯えているだけでは、何も変わらない。
私は胸当てから手を離し、改めてハリッサを見た。
「ねえ、ハリッサ」
「はい?」
「あのときのこと、どこまで覚えてる?」
ハリッサは少し考え込んだ。
「デュランダルが私たちの前に現れたところは覚えています。そのあと、戦ったことも……」
「うん」
「でも、あの剣が振り下ろされた瞬間から、記憶が曖昧なんです」
ハリッサは自分の手を見つめた。
「私は、何もできなかったのでしょうか……」
「そんなことないよ」
思わず、即答していた。
ハリッサが驚いたように顔を上げる。
「あの相手は、私たちが想定していたよりもずっと強かった。私だって、まともに対応できなかったんだから」
「でも……」
「ハリッサだけのせいじゃないよ」
慰めるために言ったわけではない。
これは事実だ。
デュランダルの力は、私たちが今まで相手にしてきた敵とは次元が違った。
これまで積み重ねてきた訓練が無意味だったわけではない。
ハリッサは確実に強くなっていたし、私だって鍛冶師としてできることを増やしてきた。
半年間、修行を続けた。
鉱石を掘り、素材を見極め、失敗を繰り返しながら金属を鍛えてきた。
高圧縮赤晶石を使った鍛冶だって、簡単にはいかなかった。
思うようにいかないことばかりだったけれど、それでも前に進んできたつもりだった。
それなのに。
デュランダルの前では、その努力が通用しなかった。
圧倒的な実力差。
それを認めるのは、正直つらい。
けれど、認めなければ対策も立てられない。
「……私たちは、まだ足りないんだね」
私がそう言うと、ハリッサは唇を引き結んだ。
「はい」
その声には、悔しさがにじんでいた。
「もっと強くなりたいです。次は、アカリお姉ちゃんを守れるように」
「……うん」
私は小さく頷いた。
ハリッサが強くなりたいと思う気持ちは、よく分かる。
けれど、彼女一人が強くなれば解決する問題でもない。
今回、私たちは武器や防具の性能も含めて、相手との力の差を見せつけられた。
戦う本人の技量だけではどうにもならない場面がある。
だからこそ、私は鍛冶師なのだ。
武器を作る。
防具を作る。
使う人が持っている力を、少しでも引き出せる装備を作る。
それが、私にできることだ。
「ハリッサ」
「はい、アカリお姉ちゃん」
「次にデュランダルと戦うときは、今回みたいなことにならないようにしよう」
ハリッサの瞳が、まっすぐ私を捉えた。
「……はい!」
力強い返事だった。
ただし、ここで勢いに任せて再戦を申し込むのはよくない。
相手の実力は分かった。
そして、今の私たちでは勝てないことも分かった。
ならば、やるべきことは一つだ。
「まずは装備の見直しからだね」
「装備、ですか?」
「うん。武器も防具も、今回の戦いを踏まえて改良する必要があると思う」
私は胸当てを持ち上げた。
傷ついた金属が、光を鈍く反射する。
「この胸当てがなかったら、私は助からなかったかもしれない。でも、これだけ壊されてしまうなら、もっと強くする必要がある」
「……アカリお姉ちゃんが、また作るんですか?」
「もちろん!」
気付けば、少しだけ声が大きくなっていた。
「こんな壊れ方をしたんだよ? 鍛冶師としては、原因を調べて改善しないと!」
……いや、改善しないと、じゃない。
改善したい。
強度を上げる方法を試したい。
素材の選び方も、鍛え方も、魔力の使い方も見直したい。
できることなら、あの斬撃にも耐えられる防具を作ってみたい。
考えれば考えるほど、試したいことが増えてくる。
ただし、今すぐ鍛冶場に飛び込める状態ではない。
身体は痛いし、胸当ても壊れている。
何より、私たちが生き延びた理由すら、まだ完全には分かっていない。
……まずは休むべきだ。
そう、休むべき。
分かっている。
分かっているのだが。
「……ハリッサ」
「はい?」
「壊れた胸当てって、修理と改良を同時にできると思う?」
「えっと……今は、休んだほうがいいと思います」
「……はい」
正論だった。
ぐうの音も出ない。
どうやら私は、思っていた以上に鍛冶のことしか考えていないらしい。
いや、違う。
鍛冶のことを考えているからこそ、生き延びるための対策を考えられるのだ。
たぶん。
きっと。
……そういうことにしておこう。
私は小さく息を吐き、改めて周囲を確認した。
デュランダルの姿はない。
戦闘が続いている気配もない。
あのとき、敵は何らかの理由で撤退した。
こちらを完全に倒し切るよりも、優先しなければならないことがあったのだろうか。
だとすれば、今回の襲撃は本当に終わったのか。
それとも、単に先送りになっただけなのか。
今の私には判断できない。
ただ一つ、確かなことがある。
あの相手は、私たちが放っておいても問題ないような存在ではない。
そして、次に遭遇したときも、今回と同じ結果になるとは限らない。
次は、本当に命を落とすかもしれないのだ。
「……アカリお姉ちゃん」
ハリッサが、私の手をそっと握った。
「私は、アカリお姉ちゃんと一緒にいたいです」
「……うん」
「だから、次はもっと強くなります。アカリお姉ちゃんを守れるくらいに」
私はハリッサの顔を見つめた。
彼女もまた、今回の戦いで何かを感じたのだろう。
いつものように元気いっぱいというわけではない。
けれど、その瞳にははっきりとした決意があった。
「私も、もっと良い武器と防具を作るよ」
「はい!」
「それから、無理はしない。勝てない相手には準備を整えてから挑む」
「……アカリお姉ちゃんが、そう言うんですね」
「えっ、何かおかしい?」
「いえ……ちょっと意外だったので」
ハリッサが、ほんの少しだけ笑った。
……失礼な。
私だって、ちゃんと考えている。
ゲーム脳だからといって、何でも突撃すればいいわけではないのだ。
勝てない敵がいるなら、装備を整えて、準備をして、勝てる方法を考える。
それが攻略というものだ。
そして、この世界では失敗すれば本当に死ぬ。
だからこそ、攻略には慎重さが必要になる。
今回の敗北は、決して無駄にしない。
私はそう心に決めた。
鍛冶師として、そしてハリッサと一緒に生きていく者として。
次にデュランダルと対峙するときには、ただ一方的に斬られるだけでは終わらせない。
武器を強くする。
防具を強くする。
そして、私たち自身も強くなる。
そのために、できることを一つずつ積み重ねていこう。
……とはいえ。
まずは、この身体を何とかしないといけない。
「ハリッサ。もう少し休んだら、身体の状態を確認しようね」
「はい。アカリお姉ちゃんも、ちゃんと休んでくださいね」
「分かってるよ!」
そう答えながら、私はもう一度、傷ついた胸当てを見た。
この傷は、私たちが敗北した証拠だ。
だけど、同時に、生き延びた証拠でもある。
いつかこの経験が役に立つ日が来る。
今はそう信じるしかない。
そして、その日が来たときには――。
今度こそ、胸を張って戦えるようになってみせる。
私はハリッサの手を握り返した。
再戦への決意は、もう固まっていた。




