第11話 八歳の少女とシャベル二刀流……剣がなくても問題ない
二人で森の中を歩き始めて、しばらく経った。
相変わらず、景色は変わらない。
木。
木。
そして木。
「……この森、広すぎない?」
「広いね」
「もっとこう……道とかないのかな」
「ないね」
「……そうだよね」
ハリッサの返事が迷いなくて、妙に心に刺さる。
俺は改めて周囲を見回した。
ゲームなら、マップを開けば現在地が分かる。
目的地に印を付ければ、だいたいの方向も分かる。
採掘ポイントだって表示される。
でも現実は違う。
マップなし。
案内なし。
目印なし。
あるのは――森。
「ゲームより不便だ……」
「ゲームって何?」
「……なんでもない」
危ない。
最近、ゲームのことをそのまま口にしてしまうことが増えている。
この世界がファイナルオンラインに似ていることは間違いない。
でも、同じだと思って行動するのは危険だ。
魔法は触媒が必要。
身体は疲れる。
腹は減る。
そして、現実には痛みがある。
ゲームとは違う。
……まあ、パーティーは使えたけど。
「アカリお姉ちゃん」
「ん?」
「遅いよ」
「……ちょっと待って」
俺は足を止めた。
ハリッサも止まる。
「大丈夫?」
「大丈夫……」
嘘だ。
大丈夫だけど、大丈夫ではない。
身体年齢は十歳くらい。
だけど、ステータスはレベル1から始まったばかりで、力も体力も低い。
この身体が小さいこともある。
でも、何より――。
「……ハリッサが速すぎるんだよ」
「そう?」
「そう」
八歳の少女に置いていかれる十歳くらいの俺。
文字だけを見ると微妙な気持ちになる。
「もっとゆっくり歩いて」
「うん!」
ハリッサは素直に頷いた。
そして――。
ゆっくり歩き始める。
……速い。
「ハリッサ」
「うん?」
「もうちょっと」
「これくらい?」
「もうちょっと」
「これくらい?」
「……もういいや」
俺は諦めた。
たぶん、この子の「ゆっくり」は俺の普通より速い。
しかも本人に悪気がない。
困った。
でも――。
それ以上に気になることがある。
「ハリッサ」
「なに?」
「バレンティス剣術って、どうやって覚えてるの?」
「……分からない」
「分からない?」
「うん。思い出そうとしても、頭には何も浮かばない」
ハリッサは少し考える。
「でも、身体は分かるよ」
「身体が?」
「うん」
ハリッサは近くに落ちていた太い枝を拾った。
「これでも使える」
「枝でも?」
「うん」
そして、構えた。
「……」
さっきまでの幼い少女とは、空気が違った。
肩の力が抜ける。
足の位置が変わる。
身体の軸が、すっと通る。
ただの枝を持っているだけなのに、なぜか「剣」に見えた。
「これがバレンティス剣術?」
「たぶん」
「たぶんなんだ……」
ハリッサが枝を振る。
ヒュッ。
「……速い」
もう一度。
ヒュッ!
俺の目が追いつかない。
「すごいな」
「そう?」
「うん」
鍛冶師としても興味が湧いてくる。
これだけの動きをするなら、武器にもかなりの要求があるはずだ。
重さ。
長さ。
重心。
硬さ。
バランス。
「ちゃんとした剣を作るなら……」
俺はハリッサを見る。
「やっぱり、本人に合った剣を作らないとな」
「うん!」
「まだ鉱山見つかってないけどね」
「見つかるよ!」
「……その自信はどこから来るんだ」
ハリッサは笑った。
すると――。
ぴたり。
ハリッサが突然立ち止まった。
「どうした?」
「あっち」
森の奥を見る。
「何かいる」
「またか」
俺は耳を澄ませた。
……何も聞こえない。
「何がいる?」
「動物だと思う」
「何匹?」
「……三匹」
「三匹?」
「うん」
即答だった。
俺には何も分からない。
なのに、この子には分かるらしい。
「どうして分かるの?」
「なんとなく」
「なんとなく……」
便利すぎる。
その能力、俺も欲しい。
鍛冶師だけど。
「来るよ」
ハリッサが言った直後。
ガサッ!
茂みが揺れた。
次の瞬間。
「グルルルル……」
三匹の狼が姿を現した。
「……本当にいた」
しかも三匹。
俺は反射的に身構えた。
「ハリッサ、下がって!」
「大丈夫」
「でも――」
「武器ある?」
「…………」
その質問に、俺は少し考えた。
ない。
ハリッサ用の剣はまだない。
そこで――。
「あ」
思い出した。
「これならある」
俺はアイテムボックスからシャベルを取り出した。
「はい」
「シャベル?」
「うん」
ハリッサはシャベルを受け取る。
しばらく眺める。
そして――。
構えた。
「……」
「いや」
俺は思わず止めた。
「なんでそんなに自然なの?」
「こう?」
「いや、合ってるけど……」
合っている。
ものすごく合っている。
シャベルなのに、ちゃんと剣術の構えになっている。
「これ、武器じゃないよ?」
「硬いよ」
「そうだけど」
「じゃあ武器」
「…………」
理屈としては分かる。
分かるけど。
「そういうものなのかな……」
ハリッサは気にせず狼を見る。
狼もハリッサを見る。
互いに動かない。
緊張感のある空気。
そして――。
一匹の狼が飛び出した。
「ハリッサ!」
次の瞬間。
ドンッ!
鈍い音が響いた。
「え?」
狼が地面を転がっていく。
ハリッサがシャベルを振り抜いていた。
「…………」
俺は固まった。
一撃。
本当に一撃だった。
「強っ……」
狼が起き上がろうとする。
ハリッサは一歩踏み込む。
そして――。
ドンッ!
シャベルの平たい部分が、狼を地面に叩きつけた。
「終わり」
「……シャベルって、そんな使い方するものだっけ?」
「違うの?」
「いや……」
違うと思う。
たぶん。
きっと。
いや、絶対。
でも――。
本人が強すぎて、もう何も言えない。
残り二匹の狼が唸る。
そして、左右から同時に飛び掛かった。
「二匹!」
俺が叫ぶ。
その瞬間。
ハリッサがアイテムボックスを見るように俺を見る。
「もう一本ある?」
「あるけど……」
ハリッサは手を伸ばした。
「ください」
「……はい」
俺は反射的にシャベルを渡した。
そして――。
ハリッサは両手に一本ずつシャベルを持った。
「…………」
俺は無言になった。
「ハリッサ」
「うん?」
「何してるの?」
「二本」
「それは見れば分かる」
「二本あったから」
「そうだね」
「二本のほうが強いよ」
「そうなの?」
「うん」
「…………」
俺は思う。
普通なら。
普通なら剣を二本持つ。
短剣を二本持つ。
そこまでは分かる。
でも。
シャベル二本。
「……まあ、バレンティス剣術なら何でもいいのか」
「うん」
「やっぱりそうなんだ……」
狼が飛ぶ。
ハリッサも動く。
「――っ!」
右のシャベル。
左のシャベル。
ドンッ!
ドンッ!
二匹の狼が別々の方向へ吹き飛んだ。
一本ずつ。
ほぼ同時。
「…………」
森が静かになった。
ハリッサは、何事もなかったようにシャベルを下ろした。
「終わったよ」
「……うん」
俺は倒れている三匹の狼を見る。
次にハリッサを見る。
もう一度、狼を見る。
「……三匹」
「うん」
「シャベル一本と二本で倒した」
「うん」
「八歳」
「うん」
「おかしくない?」
「そう?」
「そう」
本人に自覚がない。
それが一番怖い。
でも――。
俺の頭の中では、別の意味でも大変なことが起きていた。
――ピロン。
「……え?」
聞き慣れた音。
目の前に文字が浮かぶ。
【レベルが上がりました】
【レベル1→レベル4】
「……え?」
俺は目を瞬いた。
「レベル……四?」
たった三匹。
しかも俺は何もしていない。
戦ったのは全部ハリッサだ。
「パーティー経験値って、こんなに入るのか?」
ゲームでは、こんな上がり方はしなかった。
俺は自分のステータスを開く。
確かにレベル4。
「すごい……」
でも。
もっと気になることがある。
「ハリッサ」
「うん?」
「レベル上がった?」
「分からない」
「聞こえなかった?」
「何も」
「ステータス画面は?」
「出ない」
「……やっぱりか」
俺には見える。
ハリッサには見えない。
それなのに、さっきの戦いを見る限り――。
「絶対、強くなってるよな」
「そうかな?」
「絶対」
俺はハリッサの手を見る。
細い腕。
小さな手。
その手でシャベルを二本。
そして三匹の狼を、ほとんど瞬殺。
「……普通じゃない」
「そう?」
「うん」
俺は思わず笑ってしまった。
なんというか。
おかしい。
いろいろおかしい。
でも――。
嫌いじゃない。
むしろ、面白い。
俺は鍛冶師だ。
強い使い手を見ると、どんな武器を持たせればもっと強くなるのか考えてしまう。
「ちゃんとした剣を作ったら……もっと強くなるのかな」
「なると思う!」
ハリッサが即答した。
「……自信あるね」
「だって、アカリお姉ちゃんが作るんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、強くなるよ」
「……なるほど」
なぜか妙に嬉しい。
そして――。
さっきハリッサが戦った姿を思い出す。
速い。
綺麗だ。
無駄がない。
ただシャベルを振っているだけなのに、その動きには妙な魅力があった。
「……なんだろうな」
胸の奥が少し高鳴っている。
もっと見たい。
もっと強くなったところも見てみたい。
そして――。
もっと強い武器を作りたい。
その気持ちが、妙に強くなっている。
「……まあ、いいか」
今は理由なんて分からなくてもいい。
鍛冶師としては、とにかく最高の武器を作ってやればいい。
そのためにも――。
「早く鉱山を見つけないとな」
「うん!」
二人はまた歩き始めた。
ハリッサは二本のシャベルを持ったまま。
「……そのまま持っていくの?」
「うん」
「一本返してくれてもいいんだよ?」
「こっちが使いやすいから」
「そう……」
俺は前を向きながら思った。
たぶんこの先、普通の剣を渡しても。
この子なら二本持つ。
……いや。
三本持つかもしれない。
やっぱり、ちゃんと観察してから武器を作ろう。
★
――その頃。
クラリアルとは別の場所。
神々の領域では。
「……また一人ね」
女神アリステラは、目の前に浮かぶ光景を見つめていた。
彼女が異世界へ送り出した者たち。
そのうち、まだ生きている者もいれば、命を落とした者もいる。
現在、転生を完了した者は全体の一割ほど。
「もう少し普通の条件を出してくれたらいいのに……」
アリステラはため息をついた。
無限の力。
絶対不死。
最強の魔法。
すべての人に愛される能力。
そんな無茶な要求をする者も少なくない。
「私、女神だけど万能じゃないのよ」
誰に言うでもなく呟く。
そして、アカリの様子を確認する。
「この子は……」
森の中。
小さな少女と一緒に歩いている。
「……仲間ができたのね」
アリステラは少し安心した。
最初は一人だった。
しかも、かなり無茶な条件で転生させてしまった。
鍛冶師。
それも、魔王討伐より鍛冶を優先しそうなタイプ。
「本当に、勇者として大丈夫なのかしら……」
アリステラが苦笑する。
すると。
「……ん?」
ハリッサがシャベルを二本持っていることに気づいた。
「…………」
しばらく黙って見る。
ハリッサが二本のシャベルを振る。
アリステラも黙っている。
「…………」
さらに見る。
「…………」
そして。
「……なんで?」
それが、女神アリステラの正直な感想だった。
「剣を渡してあげなさいよ……」
当然だが、その声はアカリには届かない。
当の本人たちは。
「次はもっと強い武器を作ろう!」
「うん!」
二本のシャベルを持った少女と、鍛冶師の少年――いや、少女の身体になったアカリが、仲良く森の奥へ歩いていく。
そして二人は、まだ知らなかった。
この小さな出会いが。
やがてクラリアル全体を巻き込む、大きな物語の始まりだったことを。




