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第8話

数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。

しばらくお付き合いくださいますと嬉しいです。


 十三歳のエレノアと十五歳のルシアンは、一見すると順調に婚約期間を継続していた。


 だが、ルシアンが年上の男性へと成長すればするほど、彼の周囲の女性関係は華やかさを増していく。それは彼が「女性には等しく優しくするべき」という歪んだ騎士道教育を愚直なまでに守り続けているからだったが、社交界では「放蕩息子」という不名誉な噂が独り歩きを始めていた。


 そしてその噂は当然、両家の当主たちの耳にも届いていた。







「エレノア、少しゆっくり二人で話さないか」


 ある日の午後、父親にそう誘われ、エレノアは重厚な応接間で父と向かい合って座っていた。


 普段は穏やかな父親が、今日ばかりはひどく痛ましそうな、そして申し訳なさそうな顔で娘を見つめている。



「エレノア、私はお前が心配なのだ。……ルシアン殿の、あの社交界での放蕩ぶりは聞いているだろう。彼は定期のお茶会には律儀に足を運ぶが、それ以上の深い関係を築こうとしないし、お前を個人的にデートへ誘うこともしないと聞く。そんな誠意のない男に、私の大事な一人娘を嫁がせなければならないということが……私は不甲斐なくてたまらないのだ」



 父親は借入金の明細が置かれた机を前に、情けなさそうに頭を抱えた。


 エレノアは、ルシアンとの婚姻によって我が伯爵家が得られる巨大な財政的メリットを完全に理解していた。そして何より、誰にでも優しくあろうとするルシアンの本質を知っているからこそ、彼を恨む気持ちなど微塵もなかった。



「お父様、お気になさらないでください。私はすべて納得しておりますわ」


 エレノアのあまりにも落ち着いた様子に、父親は深くため息をつき、「お前がそう言うなら、私もひとまずは見守る姿勢をとるが……」と力なく笑った。そして、ぽつりと苦しげに呟いたのだ。





「――侯爵家からの資金援助に頼らずに済む方法が、何かあればなぁ。そうすればエレノア、お前をこんな理不尽な義務から解放して、自由にしてやれるのに……」





 その言葉を聞いた瞬間、エレノアの脳裏にひとつの完璧な計算式が閃いた。





(なるほど……。では、私が稼げばよろしいのですね)





 自室に戻ったエレノアは、さっそく「稼ぐとは何か」を真剣に考え始めた。当主でもない自分が、民から勝手に税金を徴収するわけにもいかない。合法的に、かつ侯爵家からの援助を完全に過去のものとするほどの莫大な富を得るためには、どうすればいいのか。


 彼女はすぐさま屋敷の図書室へと赴き、司書に命じてお金や流通、交易にまつまつわるあらゆる書物を用意させ、寝食を忘れて熟読した。



 読めば読むほど、エレノアの心は高鳴った。

 売上、仕入れ、原価、利益。商売というものは、すべてが自分の大好きな「計算」と「数字」に基づいて組み立てられている。


 自分の得意なことを活かせば、この世界の理不尽な政略さえも書き換えるお金を稼ぐことができる――そう確信した彼女は、次に領地の気候や既存の特産品、販路に関する資料を徹底的に調査した。



 そこで目をつけたのが、我が領の温暖で適度に雨が降る、綿花の栽培に適した気候だった。

 当時、領内の農園は小規模に綿花を栽培し、それを「原材料」のまま他領の商人に安値で叩き売っていた。エレノアはその農園を私産で買収し、自らの事業へと組み込んだ。



「原材料をそのまま売るなど、不合理の極み。生産から加工までを自領で一括管理し、利益率の高い川下(衣服)まで自分たちで持っていくのですわ」




 しかし、十三歳の小娘が始めた新事業に、領内の古い大人たちが黙っているはずがなかった。


 最初の大きな障害となったのは、領内で長年布地づくりを牛耳ってきた老舗織物ギルドの親方、バルトロだった。彼はエレノアが提示した「厳しい品質基準と工程チェックの義務化」の書類を机に叩きつけ、鼻で笑った。


「お嬢様、糸の紡ぎ方や織り方にまでいちいち細かく口を出すな。俺たちは何十年もこのやり方でやってきたんだ。小娘の気まぐれな思いつきに付き合う暇はない。ハイクオリティだかなんだか知らねえが、手間暇をかければそれだけ職人の人件費がかさみ、大赤字になるのは目に見えている」


 周囲の職人たちも、バルトロに同調して不満げな視線をエレノアに送る。


 だが、エレノアは眉一つ動かさず、完璧な淑女の所作で一枚の紙をバルトロの前に滑らせた。そこには、緻密に計算された「数字」が並んでいた。


「バルトロ。あなたの言う『手間暇による損失』を、正確に計算したことはありますか?」


「ああん?」


「現在、あなたのギルドが納品している布地は、糸の太さの不揃いによる不良率が平均一四%。これらを廃棄、あるいは安値で買い叩かれることによる年間損失は、金貨八十枚にのぼります。一方、私が提示した事前検品システムと最新の織機を導入した場合、初期投資に金貨三十枚かかりますが、不良率は二%以下にまで低下しますわ」


 エレノアは淡々と、しかし淀みのない声でバルトロの目を真っ直ぐに見つめた。


「人件費の増加を考慮しても、品質向上によって製品の市場価値は三・五倍に跳ね上がります。差し引きで、あなたのギルドの純利益は来期だけで前年比一四二%の増加を予測しておりますの。……バルトロ。長年の勘と、私が提示したこの絶対的な数字、どちらに従う方があなたの職人たちの腹を満たせるか、計算できないほど愚かではございませんでしょう?」


「……っ」


 完全な正論、いや、完璧な数字の暴力の前に、バルトロはぐうの音も出ずに絶句した。十三歳の少女の皮を被った「ビジネスの怪物」の片鱗を前に、職人たちは完全に圧倒され、エレノアの軍門に降るしかなかった。



 品質管理を徹底した結果、商会の綿織物は瞬く間に一級品としての評価を得た。


 だが、エレノアの強かな商魂はそこで止まらない。綿織物が売れれば、当然、他の領主たちも綿花の栽培に乗り出してくる。先手を打つため、エレノアは周辺の領主たちへ、他が気づく前に異例の提案を持ちかけた。


『我が商会が種子、栽培方法、品質管理の方法すべてを無償で提供いたします。その代わり、一定品質以上の綿花は、我が商会がすべて一定価格で永久に買い取りましょう』


周辺領主たちにとっては、「確実な売り先と現金収入」が確保されるメリットしかない契約だった。彼らは大喜びでサインしたが、これによってエレノアの商会は、市場の原材料をほぼ「独占」することに成功した。生産規模は爆発的に拡大し、他領が追随する隙を完全に潰したのだ。


 こうして手に入れたハイクオリティな糸や布地を用いて、エレノアはハンカチやシーツなどの寝具、そして肌に優しい繊維を用いたシミューズやネグリジェの生産に着手。王都の、小さな子供を持つ富裕層の貴族家庭を中心に販売を開始すると、瞬く間に口コミで販路が広がっていった。




そして十四歳になる頃、エレノアは次のステップのために、最愛の婚約者を利用することを思いつく。



『ルシアン様、我が商会の新しい部屋着ですわ。試着してみてくださいな』


『へえ、いい肌触りだね。ありがとう、エレノア』



ルシアンは喜び、外で悪気なく友人たちに話した。



『最近、エレノアがプレゼントしてくれた部屋着が気に入っていてね』


『お前、あの数字女が渡してきたものなんか使っているのか?』


『使ったことないのかい? すごく軽くて気持ちいいんだよ。今度試してみるといい』


それを盗み聞いた社交界の令嬢たちが『ルシアン様があれほどお気に入りですって!?』と色めき立ち、翌日には注文が殺到した。もちろん、ルシアンは自分が「広告費ゼロの最強の広告塔」として利用されているとは夢にも思っていない。



さらにエレノアの恐ろしいところは、高級品を売る一方で、厳しい検品で弾かれたB級品の処理まで計算していたことだ。貴族向けに得た莫大な利益を、劣化品の最終仕上げ費用に補填。貴族向けよりランクは落ちるものの、平民でも手の届く「低価格ながら圧倒的に良質な大衆向け商品」を作り出す仕組みを構築した。市場の全階層のシェアを、彼女の商会が瞬く間に牛耳っていった。


布製品が完全に軌道に乗ると、いよいよドレスやジャケットなどの高級衣料へ着手。

しかし、服が売れるようになると、エレノアは店内のマネキンを眺めながら気づいた。



「ドレスだけでは、美の計算式は完成しませんわね」

ドレスを最高に輝かせるには、それに合わせる髪飾り、ネックレス、ブローチが必要不可欠。エレノアはそれらを一括で提案する「コーディネート販売」を思いつく。


最初は他から仕入れていたが、帳簿をめくるうちに、エレノアのスミレ色の瞳が冷たく光った。


「宝飾品の、この不条理なまでの利益率の高さ……。他から仕入れるのはコストの無駄ですわ」


そう気づくや否や、エレノアは宝石の産地を直接押さえ、一流の金細工師、銀細工師を引き抜いて専属契約を結んだ。





原材料の綿花から、最高級ドレス、そしてそれを彩る宝飾品にいたるまで――。


わずか数年のうちに、エレノアは衣料・装飾品・美容品を一つの商会で網羅する、王都最大の「ラグジュアリーブランド」を完成させてしまったのだ。



すべては、実家を自立させ、ルシアンを義務から解放するため。



ビジネスの怪物となった十四歳のエレノアは、次なる標的――ルシアンの父親である「現侯爵」の元へ面会を申し込むべく、冷徹に事業計画書をまとめるのだった。

お読みいただきましてありがとうございました。

次回もお楽しみくださいますと幸いです。

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