第4話
数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。
しばらくお付き合いくださいますと嬉しいです。
ルシアンの日常は、相変わらず華やかで忙しかった。
社交界の夜会に顔を出せば、瞬く間に美しい令嬢たちに囲まれる。彼にしてみれば、それは幼い頃から変わらない、ごく当たり前の日常の光景のはずだった。――しかし、最近になって、その会話の内容に少しばかり不思議な変化が起きていることに気づく。
「ルシアン様、そのお召し物、もしやエレノア様の商会の新作ではございませんこと?」
「まぁ本当! 仕立てのラインが本当に美しくて……、刺繍もお綺麗ですわねぇ!わたくしの兄にも勧めたいくらいですわ」
令嬢たちがルシアン自身を褒める言葉の中に、最近よく「エレノアの商会」という単語が混ざるようになったのだ。
ルシアンは、お茶会の時にエレノアから手渡された濃紺の仕立てジャケットの袖をそっと撫ぜた。自領の綿を使っているとかで、確かに驚くほど軽くて動きやすい。
(みんな、本当にエレノアの店のことをよく知っているんだな……)
そこでルシアンの胸に、ふとした好奇心が芽生えた。
これまでは、彼女が何か熱心に商売をやっているという事実を、ただ表面的な知識としてしか捉えていなかった。けれど、自分が知らないところで、彼女はこれほど多くの人々を動かす何かを作り上げているらしい。
次のお茶会まで待つのも少し退屈だったルシアンは、散歩のついでといった気軽な足取りで、王都にあるエレノアの商会の執務室へと足を運んでいた。
◇
「ルシアン様? 次のお茶会は明後日のはずですが……」
突然の訪問者に、机で書類を検分していたエレノアが、菫色の目を丸くして顔を上げた。
ルシアンはいつもの悪気のない笑顔を浮かべながら、彼女の向かいの椅子へと勝手に腰を下ろす。
しばらくすると従業員らしき女性が2人分のティーセットをもって入ってきた。ルシアンはお礼を言って受け取り、優雅な仕草でお茶を入れながら話し出す。
「いや、ちょっと気になっちゃってさ。ほら、これ」
ルシアンは自分のジャケットの襟元を指差した。
「最近、夜会に行くと、みんなにエレノアの商会の服だってすぐに見破られるんだ。エレノアの商会って、今どれくらい凄いの? 良かったら俺にも教えてよ」
「……私の、商会の話ですか?」
エレノアは一瞬、本当に意外そうな顔をして瞬きを繰り返した。ルシアンが自分のビジネスに、世間話ではなく真っ直ぐな視線を向けてきたのは初めてのことだったからだ。
こくりと1口喉を湿らせたあと、エレノアはその瞳に柔らかな色を宿してルシアンに微笑んだ。
「ええ、構いませんわ。……ちょうど最近ですと、我が領の綿織物の流通網が王都まで完全に繋がったところですの」
エレノアが、手元の大きな地図を広げる。
その瞬間、ルシアンは「おや」と思った。
いつも淡々と無表情で、規律の化身のように澄ましているエレノア。そんな彼女の瞳に、見たこともないような細やかな熱が灯っていた。
「今までは原材料として他領に買い叩かれていた綿花が、糸になり、布になり、こうして最上級の衣服となって王都の富裕層へ届く。このルートを一本化することで、無駄なコストを実に41%も削減することに成功いたしましたの」
エレノアは流れるような手つきで地図を指し示し、いつになく早口で、生き生きと言葉を紡いでいく。
ルシアンは、彼女の言葉の内容の半分も理解できていなかった。ただ、彼女の動く唇や、楽しそうに細められる菫色の瞳、そして、夢中になるあまり少しだけ前に乗り出しているその小さな体を、ただぼんやりと見つめていた。
(へえ……エレノアって、こんな風に喋るんだな)
トクン、と。胸の奥が、ほんの少しだけ奇妙な音を立てたような気がした。
社交界のどんな美女に耳元で囁かれても、こんな風に視線を奪われたことはない。
いつもすましていて、何を考えているか分からないと思っていた、幼馴染のような存在の婚約者。
その彼女が、自分の愛するものの話をして、こんなにも生き生きとした表情を見せている。
(……なんか、ちょっと可愛いな)
それは、これまで「女の子は等しく優しくしてあげるべき対象」としか思っていなかったルシアンが、初めて身内であるエレノア個人に対して抱いた、名前のつかない違和感だった。
「エレノア」
「はい? ……何か、私の計算に不審な点でも?」
急に名前を呼ばれ、エレノアが我に返ったように言葉を止める。
ルシアンは机に肘をつき、手のひらであごを支えながら、彼女をじっと見つめた。その蜂蜜色の瞳には、いつもの社交界での作り笑いではない、純粋な興味の光が宿っている。
「ううん。ただ、商売の話をしてる時のエレノアって、いつもより楽しそうだと思ってさ」
「は……?」
エレノアの白い頬が、一瞬にして微かに朱に染まった。
「もっと聞かせてよ。君がどんな風にこの数字を組み立てたのか。俺、エレノアの仕事のこと、ちょっと興味出てきた」
「ル、ルシアン様、そのような不条理なからかいは……リソースの無駄遣いですわ……!」
ノートでバタバタと顔を隠すエレノアを見て、ルシアンは胸の奥がくすぐったいような、不思議な気持ちになる。
これまでは「決められた未来の婚約者」として、空気のように当たり前に隣にいるだけだった。
けれど今、ルシアンの心の中に、ほんの小さなさざ波が立っている。
「婚約者だから」ではなく、エレノアという一人の人間の内側を、もう少し覗いてみたい。
そんな小さな、しかし確かな心の変化に、ルシアン自身もまだその理由を捉えきれないまま、ただ彼女の珍しい照れ顔を眺めているのだった。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回もお楽しみくださいますと幸いです。




