第2話
数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。
しばらくお付き合いくださいますと嬉しいです。
マリアの迎えの馬車まで送り届け、流れるような美しい所作で彼女を車内へとエスコートする。
「今日は本当に楽しかったですわ、ルシアン様。また近いうちにお出かけいたしましょ?」
「あぁ、こちらこそ。楽しい時間をありがとう」
お互いに手を振り、愛想の良い微笑みで見送る。
だが、ガタゴトと音を立てて馬車が角を曲がり、その姿が見えなくなった瞬間だった。ルシアンの顔から、先ほどまでの「完璧な遊び相手」としての甘い笑顔が綺麗に消え去る。
踵を返し、今度は一人で華やかな繁華街を歩き出したルシアンは、ふと拳を口元に当てて考え込み始めた。
(そういえば……明後日は、エレノアとの定期のお茶会だったな)
婚約者の家に出向くのだ。当然、彼女に合う手土産を何か用意せねばならない。
つい今しがたまで別の女性と二人で親密に出歩いていたことなど、彼の脳内からは完全に消去されていた。ルシアンにとって他の令嬢たちとの時間は、言わば「頼まれたからこなす親切」に過ぎない。しかし、エレノアへ贈るものを選ぶとなると、途端に思考の熱量が変わるのだった。
「前回は花を持っていったからな。菓子……は、エレノアの好みじゃないし……」
先ほどマリアと流行りの品々を眺めながら歩いた街並みを、今度は全く違う視点で眺める。
世間の令嬢が喜ぶような「甘く可愛らしい焼き菓子」を差し出しても、エレノアはきっと困ったように微笑むだけだ。彼女は砂糖の過剰な摂取を『不合理なエネルギー効率』と言って嫌う。
かといって、きらびやかなアクセサリーもさほど喜んで身につけるタイプではない。素材の市場価値やカットの正確さばかりを見て、自分で身につけることには興味がないのだ。
花を贈れば静かに喜んでくれるようだが、それならば切り花を贈るより、彼女の家の庭園を二人で散歩する方が、よほど彼女の瞳が生き生きとするのをルシアンは知っていた。
「これは違う、あれも違うな……」
一軒一軒、並ぶ店を吟味しては足を止める。世間の流行に流されず、「エレノアという個人の本質」をこれほど正確に突いている自覚は、ルシアンには毛頭ない。ただ、せっかくの彼女との時間を少しでも居心地の良いものにしたいという本能だけが、彼を突き動かしていた。
そうして雑踏を歩いているうちに、ふと、シックな佇まいの一軒の茶葉店が目に入った。
店先に掲げられた上品なロゴには、見覚えがある。
「……あ、これ、見たことあるな」
足を止め、しばらくその看板を眺める。
いつだったか、エレノアの部屋の机の端に、この店の包み紙が置いてあった気がする。確か彼女は、香料が強すぎる流行のお茶を敬遠していた。
「甘すぎなくて、派手すぎない自然なフレーバーが多いんだったか……」
エレノアが、ここのお茶を気に入っていたような気がする。確信はない。
けれど、他のどの店の商品よりも、あの気高くて静かな婚約者の横顔にしっくりと馴染む気がした。
これ以上の良案も浮かばない。
「まあ、これでいいか」
ルシアンは満足げに唇を綻ばせ、カランコロンと涼やかな鈴の音を響かせて、店の扉を開いた。
◇
「ルシアン様、本日はお越しいただきありがとうございます」
白亜の玄関で待っていたエレノアが、完璧な角度の礼をしてルシアンを迎える。
エレノア・アシュフォード。彼女はアシュフォード伯爵家の長子である。ルシアンと8歳の頃に婚約を交わし、それ以来こうして定期的にルシアンが伯爵邸に出向き定期のお茶会を行っている。
腰を四十五度に折る動きに合わせて、後ろへ流していた艶やかな銀髪が、さらりと細い首元から垂れた。ルシアンの髪と同じトパーズのカフスを始め、彼女の商会は今や社交界の流行を牽引する素晴らしい宝飾品をいくらでも扱っているはずなのに。今日も彼女の胸元や耳元には、飾り気が一切なかった。
「相変わらず硬い挨拶だなぁ。婚約者とのお茶会なんだから、もっと楽にしてくれていいのに」
ルシアンは苦笑しながら、エレノアの小さな手を取る。
「ごめんね。もしかして、だいぶ待たせちゃったかな?」
優雅な仕草で、その白い手の甲へそっと口づけた。エレノアはわずかにその菫色の目を細めたものの、すぐにいつもの、陶器のように完璧な微笑みを浮かべ直す。
「ですが、ルシアン様は侯爵家の方ですから。私は伯爵家。この挨拶が正しい規律なのですわ。……あと、三十五分と少々お待ちしましたが、事前に遅れるとのご連絡をいただいておりましたので、私のスケジュール上の問題はございません」
あまりにも淀みのない返答に、ルシアンは一瞬ぽかんとした。
(三十五分と、少々……これは多分秒数も把握してそうだな)
そこまで正確に時間を数えているのか。呆れるのを通り越して、ルシアンは笑うしかなかった。
「……エレノアって、そういうところ本当に昔から変わらないよね」
「そうでしょうか?」
「うん。まあ、そこがエレノアらしくて俺は好きだけどね」
ルシアンは自然な動作でエレノアへ腕を差し出した。
「行こうか」
「はい」
エレノアは躊躇うことなくその腕に手を添える。
二人並んで、美しく整えられた庭園の小道を歩き出した。
「それで……ルシアン様、本日は何を持ってきたのですか?」
「え?」
「そちらの手に持っていらっしゃる箱です。珍しいですね、いつもは使用人に持たせているのに」
「……よく見てるね」
「婚約者ですもの。あなたの行動パターンの変化を観察するのは当然の義務ですわ」
さらりと効率的なセリフとして言われ、ルシアンは一瞬だけ黙った。義務、と言われるとなんだか少し寂しい気がする。
「……そうだね」
けれど、腕に触れる彼女の体温は心地よくて、いつもの安心感が体を満たしていく。ルシアンはなぜか、先ほど買った茶葉の入った箱を、少しだけ大切そうに持ち直した。
やがて二人は、いつものお茶会のためのガゼボへと向かっていった。
庭園の奥、薔薇に囲まれた白いガゼボには、すでに二人分の美しい茶器が用意されている。エレノアが優雅に席につくのを待ってから、ルシアンも向かいの椅子へ腰を下ろした。
「本日は、こちらのお茶を用意させましたわ」
エレノアが、使用人の淹れた琥珀色の紅茶を指し示す。ふわりと鼻腔をくすぐる柔らかな香りに、ルシアンはカップを覗き込み、それから自分が持ってきた箱へ視線を落とした。
「……あれ? これ、もしかして同じやつ?」
「まあ。お気づきになりましたの?」
「お土産にと思って買ってきたんだけど。……あ、そっか。これも君の商会の商品だったんだ?」
「ええ」
エレノアは小さく誇らしげに頷いた。
「正確には、私の商会が隣領から安く仕入れた茶葉を、こちらで独自に配合したものですわ。元の茶葉の質は並みですが、ブレンドの比率を変えるだけで、市場価値を三倍に引き上げることができますの」
「へえ、すごいな……」
ルシアンは改めてカップの中身を眺め、一口含む。いつも他の街歩きで飲まされる、これ見よがしに強い香料のと比べて、香りが驚くほど優しくて喉越しが良い。
「これ、本当に好きなんだよな。嫌な雑味がなくて」
「存じておりますわ」
「……またそれ?」
「何がでしょう?」
「俺の好みを知ってるって話。君、俺が何を好きか、いつも全部当てちゃうだろ」
「婚約者ですもの。お互いの嗜好データを把握しておくことは、お茶会の満足度を最大化するための基本ですわ」
さも当然のように数字のロジックとして返され、ルシアンは苦笑した。
「そうだったね。でも、嬉しいよ」
「……」
エレノアは答えず、優雅な仕草で紅茶をもう一口含み、ほぅっと静かに息をついた。
「君の商会って、こういうお茶の加工までやってるんだね。手広いなぁ」
「作っているというより、仕入れたものを『最も利益率の高い形』に変えているだけですわ。自領の工場で加工のプロセスをすべて内製化すれば、中抜きのコストを徹底的に削減できますでしょう?」
興の乗ってきたエレノアの瞳に、うっすらと熱が灯る。ルシアンはその強かで聡明な横顔を邪魔しないよう、短く相槌をうって続きを促した。
「最近は、隣領から仕入れた果実を使った商品も増やしておりますの。果物は日持ちがしませんから、そのままでは遠方へ運ぶのが難しく、生産地では二値同然で買い叩かれますわ」
エレノアはカップを手に持ったまま、指折りのジェスチャーを交えながら淡々と続けた。
「ですから、それを自領の設備で乾燥させたり、砂糖漬けにしたり、果汁を加工したり……そうして保存できる形にして、付加価値の高い『高級美容商品』や『フレーバーティ』として王都へ運ぶのです。そうすれば、価値のなかった果実が莫大な富を生みますわ」
「……随分、先の先までいろいろ考えてるんだな」
「ええ」
「なんだか、楽しそうだね?」
何気なく尋ねると、エレノアがパチリと大きく瞬きをした。
「……はい? 楽しい、ですか?」
「いや。商会の話をしてるとき、エレノアはいつもよりずっとよく喋るし、目がきらきらしてるからさ」
「……」
エレノアは少しだけ決まり悪そうに目を伏せた。
「そう、でしょうか……。自分では、よく分かりませんわ。感情で動いているわけではありませんもの」
「でも、傍から見てるとすごく楽しそうだよ」
ルシアンが優しく笑う。するとエレノアは、ほんの少しだけ困ったように眉をひそめた。
「……商会は、分かりやすいのです」
「分かりやすい?」
「はい。努力すれば、その結果がすべて、嘘偽りのない『数字』になって返ってきますから」
エレノアはカップをソーサーへ戻し、静かに語る。
「売上も、仕入れも、利益も。どれだけ正しい選択をしたか、どこで判断を間違えたのか。数字を見れば、感情を挟む余地なくすべてが明確に分かりますもの。……ですから、私は数字が好きなのですわ」
エレノアの真っ直ぐな言葉を聞きながら、ルシアンは少しだけ考える。
自分には、その感覚はよく分からない。数字を眺めているより、人と話して、その場の笑顔を作っている方がずっと楽しいと思ってしまうから。
けれど――。
「エレノアがそれを好きで、楽しんでるなら、それでいいんじゃない? 俺は、そうやって真剣な君を見てるの、結構好きだよ」
「……っ」
エレノアが弾かれたように顔を上げる。
「…………」
「……何でしょう、急に黙って」
「いや」
ルシアンは悪戯っぽく首を傾げた。
「今、エレノアがちょっと嬉しそうだったからさ。俺の婚約者は可愛いなと思って」
「……そんな不条理な変化、起こしておりませんわ」
「ううん、絶対嬉しそうだった」
エレノアはそれ以上言い返さず、逃げるように再び紅茶へ視線を落とした。
その横顔はいつも通り穏やかで、すました澄まし顔だったけれど。
ほんの少しだけ。本当に、ルシアンにしか気づけないくらいわずかに、彼女の白い頬が桃色に染まり、緩んでいるように見えた。
「それで?」
ルシアンは彼女の機嫌の良さを感じ取り、何気なく先を促す。
「これからは、何を売るつもりなの?」
エレノアはもう一度、今度はしっかりと顔を上げた。その菫色の瞳には、先ほどよりも明確な輝きが宿っている。
「まあ。私のビジネスに、興味を持ってくださったのですか?」
「そりゃあね。婚約者の商会がどんなすごいことをしてるのかくらい、知っておいた方がいいだろ?」
「……それは、そうですわね。義務としては正しい判断ですわ」
そう言ってエレノアが微笑む。先ほどまでの完璧な「人形の礼」の時よりも、ほんの少しだけ、人間らしく嬉しそうな笑みだった。
「でしたら――まずは、我が領の強みである綿花から高級衣料までの、サプライチェーンの垂直統合についてご説明いたしますわ」
そこから先のエレノアの「強かな商魂」の話を、ルシアンは思っていたよりずっと長く、そして心地よい気分で聞き続けることになるのだった。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回もお楽しみくださいますと幸いです。




