第1話
数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。
性懲りも無く2作目です。
しばらくお付き合いくださいますと嬉しいです。
陽光が優しく降り注ぐ王都の大通りは、色とりどりのドレスを纏った貴婦人や着飾った紳士たちで、今日も目まぐるしいほどの賑わいを見せていた。
その華やかな雑踏の中にあっても、彼の存在は一際目を引いた。
ルシアン・ヴァレンタイン。ヴァレンタイン侯爵家の三男で、常に女性に対して物腰柔らかに接しておりいつも違う女性との逢瀬を楽しんでいる。
ルシアンの蜂蜜を溶かしたようなブロンドの緩やかなくせ毛が、軽やかな歩調に合わせて優雅に揺れる。すれ違う人々が思わず振り返る中、彼の艶やかな髪からは、風に乗ってふわりと上品な香りが漂っていた。
「あら? ルシアン様、今日はいつもと香水を変えられたのかしら? とってもいい香りがいたしますわ」
隣を歩く子爵令嬢のマリアが、扇を口元に当てながら、うっとりとした視線を彼に送る。
ルシアンはすかさず彼女の方へ体を半分向け、蜂蜜の瞳を細めて魅惑の微笑みを浮かべた。女性に声をかけられたなら、一瞬の退屈も与えず、極上の時間でもてなす。それが幼い頃から紳士として仕込まれた彼の流儀だった。
「そうなんだよ。よく気がついたね、マリア! と言っても、これは香水ではなくて香油なんだ。少量を髪の毛に馴染ませると、指通りも滑らかになるし、何より程よいいい香りがずっと続くんだよ。ほら、触ってみて?」
ルシアンは少し腰を屈め、マリアの目の前へと素直に頭を突き出した。これほど至近距離で整った容姿を見せつけられ、マリアは頬を林檎のように染める。
「まぁ、ほんとに……。お花と、少しハーブのような清々しい香りがいたしますわ。髪の毛もいつも以上にツヤツヤで……! わたくしもつけてみたいわ。どちらでお求めになりましたの?」
「エレノアに貰ったんだ。確か、彼女の商会で取り扱っている商品だと思うんだけど」
「まあ、エレノア様の商品でしたのね! でしたら品質は折り紙つきですわね」
王都で今もっとも勢いのある気鋭の商会――その若き女性主人の名を聞き、マリアは納得したように深く頷いた。
「良かったら今度買ってみるといいよ。いくつか香りや効果の違う種類があるみたいだから」
「ルシアン様はお詳しいのね! もし良ければ、わたくしに似合うものを選んでいただきたいのだけど……」
上目遣いで袖を引くマリアに、ルシアンは他意のない明るい笑顔を返した。
「いや、俺は何も知らないんだ。ただ渡された物を使っているだけだからね。効果と使い心地だけは、俺が身をもって保証するけど!」
マリアは思った反応が返ってこず、一瞬戸惑うも笑顔をまた浮かべて言う。
「まあ。それでは、エレノア様はルシアン様の好みをよくご存じなのですね」
「そうなのかな?」
マリアに言われ、ルシアンは歩みを緩めて少しだけ考えた。
そう言われてみれば、確かにその通りかもしれない。
ルシアンは強すぎる香料が苦手だった。
甘ったるい匂いも、あまり好まない。
そして何より、髪につけるものなら、べたつかないサラリとした質感を好む。
口に出した覚えはないはずなのに、いつの間にかエレノアはそれらすべてを完全に把握し、彼の髪に最適な調合を導き出していた。
「そういえば……最近、こういうものをよく貰うんだよな」
「まあ、羨ましいですわ。婚約者の方から贈り物をいただけるなんて、とても素敵なことではありませんか」
「贈り物、というほどでもないよ。お茶会のときに『試してみてくださいな』って、試供品みたいに渡されるだけだからさ」
ルシアンは可笑しそうに肩をすくめて笑った。
エレノアは昔からそういうところがある。
いつも完璧な淑女の微笑みを崩さず、彼に必要なものを、必要なときに、必要なだけ渡してくるのだ。それが一体何のために開発されたものなのかを聞いても、
『きっとルシアン様のお役に立ちますわ』
と、いつもの穏やかな笑顔で返すだけ。
だからルシアンも、そこに他意があるなどとは深く考えたことはなかった。
「でも、エレノア様の商会の商品なら、ぜひ試してみたいですわ。次のお茶会で、お友達にも勧めてみます」
「うん、結構いいと思うよ。俺も気に入ってるし」
「ルシアン様がそこまでお勧めになるなんて、よほどお気に入りなのですね」
「俺が?」
「ええ、そうですわ」
指摘され、ルシアンは再び少し考えてから、今度は小さく肩をすくめた。
「……そうなのかもな」
口にしてから、自分でも少し意外な答えだった。
エレノアから渡されたものなら、何となく使ってみようと思う。そして気づけば、それらが自分の日常に深く溶け込んでいる。
それはルシアンにとって、いつの間にか当たり前のことになっていた。ただ、それだけのことだと思っていた。
「エレノア様の商会の商品は、最近社交界で本当によく耳にいたしますわ」
「へえ、そうなんだ」
「ええ! わたくしも先日、姉とお揃いでシミューズを購入したのですけれど、本当に着心地も肌触りも良くて……!」
マリアの声が、少女のように弾む。その熱の入りように、ルシアンはエレノアの商会が想像以上に社交界を席巻していることを肌で感じた。
「姉の方はすっかり気に入ってしまって、今度はドレスもお願いしようかと言っておりましたわ」
「えっ、ドレスまで作ってるの?」
「ええ。それだけではありませんのよ。最近はドレスに合わせるための、素晴らしい宝飾品のお取り扱いも始められたそうで」
「そんなところまで……」
思わず、ルシアンは端整な眉を上げた。
言われてみれば、婚約者であるはずのエレノアの商会について、自分はほとんど何も知らない。商会を経営していること、そしてそこそこ繁盛しているらしいこと。知っているのは、その程度の表面的な情報だけだった。
ルシアンは普段の私生活を思い返し、ふと思い出したように自分の袖口へと目を落とした。
上質なシャツの袖を留めているのは、ルシアンのブロンドの髪と同じ色をしたトパーズ。それを精巧な技術でひし形にカットした、見事なカフスボタンだった。
これも、数ヶ月前の定期お茶会でエレノアから手渡されたものだ。
『ルシアン様には、いつもより少し胸元の開いたシャツと、こちらのカフスボタンがきっとお似合いですわ』
完璧な淑女の微笑みでそう言われ、ルシアンは「君が言うなら」と深く考えずに身につけるようになった。すると不思議なことに、ここ最近、社交界の友人たちがこぞって同じカットの宝石を袖口にあしらい始めている。
「……もしかして。俺が最近身につけている物って、全部エレノアの商会のものなのか……?」
「全部? そうなんですの?」
「……うん。このカフスもエレノアから貰ったんだ。そういえば随分前だけど、仕立ての良いガウンやシャツも、試着してほしいって何着か貰った気がする」
「まあ……! エレノア様ったら。エレノア様は、ルシアン様のことが本当に大好きなのですね!」
目を見開いて声をあげるマリアに、ルシアンはふっと視線を落とし、自嘲気味に、けれどどこか楽しげに唇を綻ばせた。
「……いや。多分これは、俺が『大好き』なんじゃなくて、俺を上手く使っているんだろうな」
「まあ……」
マリアが驚いたように、さらにパチパチと大きな目を丸くする。
純真な令嬢からすれば、婚約者を商売の道具(広告塔)にするなど、冷酷な政略結婚の極みのように思えたのだろう。
けれど、当のルシアンは気にした様子もなく、いつものように軽やかに肩をすくめてみせた。
「まあ、エレノアのすることだったら、俺はなんだっていいんだけどさ」
自分でも、どうしてそんな風に思えるのかは分からない。
ただ、エレノアが自分を都合よく利用しているのだとしても、不思議と嫌な気はまったくしなかった。むしろ――。
「……なんだか、いかにもあいつらしくて面白いな」
そう呟いて、ルシアンは声を立てて笑った。
不快感や陰りなど微塵も混ぜていない、春の陽だまりのように朗らかな笑顔だった。
利用されている側が、こんなにも嬉しそうに笑うなんて。
その歪な、けれど確かにそこにある深い情愛の匂いに気づいたマリアは、何か言いたげに口を開きかけた。
けれど結局、その言葉を飲み込み、そっと扇で口元を隠した。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回もお楽しみくださいますと幸いです。




