第15話
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「ルシアン様!? あなた様が、一体なぜそのようなことをなさっているのですか!?」
新しい織物原反が届いたとエレノアの元に通知が来るのと同時に、運び込みのための従業員に欠員が出ており港に置いたままになっているとの情報が飛び込んできた。
会議のためにその通知を知るのが発生の1時間ほど遅れてしまったが、知ってからすぐにエレノアは港に向かった。しかしそこに荷物は既になく、後始末をしていた従業員に顛末を聞いて卒倒しそうになったのだった。
ここは港から少し離れた商会の倉庫。
そこには上着を脱ぎ捨てて自ら大汗をかいて運び込んでいるルシアンの姿があった。
いつも完璧に澄ましている彼女の仮面が、驚愕で完全に剥がれ落ちている。
「あ、エレノア。ちょうど今、こっちの搬入が終わったところだよ」
ルシアンは額の汗を腕で拭い、蜂蜜色の瞳を真っ直ぐに彼女へ向けた。
あの日、冷酷なカウントダウンを告げられてからというもの、ルシアンの行動は劇的に変わっていた。定例のお茶会に一秒の遅刻もしなくなったどころか、毎日こうしてエレノアの商会へ押しかけては、彼女の仕事の補助――スケジュール管理から書類の仕分け、果ては倉庫の肉体労働にいたるまで、商会主である彼女の雑務をすべて率先して引き受けていたのだ。
今日の貨物の処理は、エレノア不在の執務室で事務仕事を手伝っていたルシアンが、急ぎの通知を確認して自ら動いた結果だった。従業員に指示をだし、荷馬車をできる限り稼働させて日雇いの労働者を雇い自らもそれに参加することで、滞りなく貨物の移動をなしえていたのだった。
「そんなことしなくて良いのです、ルシアン様! 貴方様は侯爵家の令息なのです。商会の不手際はわたくしが処理するべきですし、そもそもこのような作業は、雇った人足たちがすれば済むことですのに……!」
「なぜ? 俺は君と結婚するんだから、君の商会が上手く回るよう手助けするのは当たり前だろう?」
ルシアンは息を整えながら、少しも悪びれずに、けれど今までにないほど真剣な声で言った。
「もちろん、この商会の主は結婚したって君のままだよ。俺が横から経営に口を出すつもりはないし、君にしかできない素晴らしい『計算』を、これからも続けてもらいたいんだ。……でもね、エレノア。君にしかできない仕事にもっと集中してもらうため、君のパフォーマンスを最大限に上げるためなら、俺は俺にできることなら何だってするんだよ」
「ル、ルシアン様……」
「だって、君の夫になるのは俺だけの席だからね」
その言葉は、あまりにも強烈なストレートとなってエレノアの胸に突き刺さった。
エレノアは言葉を失い、細い唇を微かに震わせる。ルシアンの言葉の端々から伝わってくるのは、これまでの「甘え」でも「義務」でもない。一人の男として、彼女の人生のすべてを背負い、守り抜こうとする圧倒的な覚悟だった。
◇
夕暮れ時、片付けを終えた二人は、商会の執務室で並んで座っていた。
ルシアンが淹れてくれたお茶を飲みながら、エレノアはまだどこか落ち着かない様子で、手元の帳簿に視線を落としている。その白い横顔は、夕日の光のせいだけではなく、ほんのりと可愛らしい朱に染まったままだった。
「エレノア」
ルシアンが静かに名前を呼ぶ。エレノアが僅かに肩を震わせ、パチリと大きく瞬きをして顔を上げた。
ルシアンは机に肘をつき、彼女の菫色の瞳を真っ直ぐに見つめる。その瞳には、これまでの社交界で見せていたような気楽な微笑みは一切なく、ただ一人の女性への焦がれるような情熱だけが揺れていた。
「俺さ、147日って言われたとき、本当に頭が真っ白になったんだ。どうして君や親父が、俺たちの婚約を終わらせようとしているのか、その本当の理由は今の俺にはまだ分からない。……でもね、一つだけはっきりと分かったことがある」
ルシアンは手を伸ばし、机の上に置かれたエレノアの小さな手を、包み込むようにそっと握りしめた。
驚いたように指先を強張らせる彼女を逃がさないよう、けれど優しく体温を伝える。
「俺は、家同士が決めた『婚約者だから』君の隣にいたいんじゃないんだ」
ルシアンは一言一言、自分の魂を刻みつけるように言葉を紡いだ。
「ただの義務の未来なら、俺は全部破り捨てたって構わない。侯爵家の都合でも、伯爵家の都合でもなく、俺自身の意志で、一人の男として――君を選びたいんだ」
「……っ」
エレノアの瞳が、今度こそ大きく見開かれた。
彼女の頭脳が、ルシアンのこのあまりにも不条理で、完璧な予測モデルを跡形もなく破壊する発言に、完全にキャパオーバーを起こしてストップする。
「だから、勝手に一人でタイムリミットを決めて、俺を置いていかないでよ。俺、君にふさわしい男になるために、取れる手段は全部とって足掻いてみせるから」
ルシアンは悪戯っぽく、けれどどこか切なそうに微笑んだ。
家の自立のため、ルシアンを自由にするために、孤独に戦ってきたエレノア。
そんな彼女の完璧な包囲網のただ中に、ルシアンは一歩も引かずに踏み込んできた。
147日後に訪れるはずの「完璧な破棄の未来」が、目の前の男の、あまりにも真っ直ぐで不条理な情熱によって、激しく揺らぎ始めていることに――エレノアは、ただ胸のうるさいほどのバグを感じながら、呆然と立ち尽くすことしかできないのだった。
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