第12話
数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。
しばらくお付き合いくださいますと嬉しいです。
数日後の定期お茶会。ガゼボのテーブルには、先日ルシアンが必死にブレンドした、あの優しい香りの紅茶が淹れられていた。
ルシアンはすっかりお気に入りになったそのお茶を一口すすると、いつもの心地よい距離感に甘えるように、何気なく言葉を口にした。
「そういえばさ、エレノア。俺たち、いつまで『婚約者』なんだろうな?」
ルシアンにしてみれば、「これだけ商会も成功して俺たちの未来も確実なんだから、そろそろ正式に籍を入れる時期(結婚式)の話をしようか」という、未来への甘えを含んだ質問だった。
だが、その言葉を聞いた瞬間、エレノアのティーカップを持つ手が、かすかに止まった。
彼女は少しだけ考えるように視線を落とした後、いつもの陶器のように感情を悟らせない完璧な淑女の表情を浮かべて、ルシアンを見つめた。
「……きちんとお伝えして差し上げた方がよろしいのかしら?」
「え? 何を?」
「あと、147日ですわ」
「――えっ?」
あまりにも具体的な数字に、ルシアンは一瞬絶句した。しかし、すぐに頭の中で日数を計算し、ガタリと椅子を鳴らして立ち上がる。
「147日後って……あと半年もないじゃないか! 式の準備も何も進んでないよ!? ウエディングドレスなんて、この前作ったドレスよりもっと仕立てに期間を要するものだろう?! あぁ、大変だ、すぐに招待客のリストを作って聖堂も抑えないと……!」
大慌てで頭を抱える婚約者を、エレノアはどこか哀しげな、けれどつとめて冷静な菫色の瞳で見つめていた。
「? ルシアン様、落ち着いてください。違いますわ。……婚約が終わるのは、結婚するからではありません」
「……え?」
ルシアンの動きがピタリと止まる。
「147日後に、私とあなたの婚約が『解消』となりますので」
「……は?」
耳を疑う、という言葉そのものの状態だった。ルシアンは頭が真っ白になり、目の前の少女の顔を凝視する。冗談を言っているようには到底見えなかった。
「解消って……なんでそんなこと言うんだ? 俺が何か怒らせるようなことを――」
「その日になれば、すべてお分かりになりますわ。本日はお開きにいたしましょう」
エレノアはそれ以上何も語らず、すっと立ち上がると、完璧な規律の礼をして去っていった。
◇
呆然としたまま、ルシアンはどうやって帰ったかも分からぬ足取りで侯爵邸へと戻った。
自室のベッドに倒れ込み、激しく混乱する頭で必死に考える。
(愛想が尽きた、ということなのか……? いや、そもそもエレノアは、俺に愛想なんて最初から持ち合わせていないはずだ。じゃあ何故だ? あの『147日』という具体的な期間は何なんだ?)
そもそも、これは家同士が決めた政略結婚だ。伯爵令嬢であるエレノアが、独断で「婚約解消」などと口にできるはずがない。ましてや自分に愛想を尽かして口をついて出ただけという幼稚な可能性など皆無であることはルシアンが1番わかっていた。
ということは、当然、両家の当主が納得していることが前提となる。
自分の父親が、この話を知らないはずがないのだ。
「親父! 頼む、話を聞かせてくれ!」
ルシアンはなりふり構わず、父親である現侯爵の執務室へと取り次ぎを求め、強引に押し入った。
デスクで書類を検分していた侯爵は、息を切らして飛び込んできた嫡男を、酷く冷ややかで蔑むような目で見下ろした。
「……お前は、まだそこなのか」
エレノアとのやり取りを話すと、開口一番、父親から放たれたのは、あまりにも容赦のない突き放しの言葉だった。
「親父、知ってるんだろ!? エレノアが言ったんだ、あと147日で婚約が解消になるって! あれは何の冗談なんだよ!」
「冗談なものか。エレノア嬢が言った通り、あと147日後、お前たちの婚約は合法的に解消となる。我が侯爵家も、すでにそれを承諾している」
「なっ……なんでだよ! 理由を教えてくれ!」
必死にすがりつく息子に対し、侯爵は不敵な笑みを浮かべ、冷酷に言い放った。
「理由なんぞ、お前に教えてやる義理はない。足りないお前の頭で考えろ、この大馬鹿者が」
そのまま、有無を言わさぬ態度で執務室を追い出されてしまった。
ガチャン、と重々しい扉が閉まる。
静まり返った廊下で、ルシアンは激しい戦慄に襲われていた。
自分の知らないところで、あの完璧な婚約者と、自分の父親の手によって、着実に「婚約終了」の準備が進んでいる。
これまで「彼女と俺はいずれ当たり前に結婚する」と、あぐらをかいて甘えきっていた未来が、足元から音を立てて崩れ去っていく。
――初めて、猛烈な『焦り』と『恐怖』が、ルシアンの胸を支配した。
(……エレノアと、別れたくない。あいつを失いたくない……!)
ドクドクと、うるさいほどの心拍数が耳の奥で鳴り響く。
ルシアンは自分の胸を強く掴み、生まれて初めて、その底なしの絶望の中で自覚し始めるのだった。
自分にとってエレノアという女性は、失っては生きていけない、唯一無二の存在なのだということを。
タイムリミットまで、あと147日。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回もお楽しみくださいますと幸いです。




