第10話
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穏やかな木漏れ日が降り注ぐ庭園のガゼボで、エレノアとルシアンはいつものように定期のお茶会を開いていた。
先日の「ブティック視察」と称した一日が、ルシアンにとっては驚くほど楽しく、そして心地よいものだった。だからこそ、彼はカップをソーサーに戻すと、いつになく弾んだトーンで目の前の婚約者に提案を持ちかけたのだ。
「ねえ、エレノア。よかったら明後日、また一緒に外へ出かけないかい? 今度は仕事の巡回じゃなくて、新しく王都にできた劇場へ君を案内したくてさ」
ルシアンにしてみれば、これはごく自然な誘いのつもりだった。しかし、エレノアは小さく菫色の瞳を揺らし、本当に申し訳なさそうな顔で静かに首を横に振った。
「ルシアン様、せっかくのお誘いですのに、大変申し訳ありません。……あいにく明後日は、我が商会の新しい販路を拡大するため、他領の商人との面談予定を終日組んでおりますの」
「そっか……相変わらず忙しいんだね」
「ええ。今回お会いする方は、隣領で若くして絹織物の流通を成功させた、非常にやり手と評判の熱心な商人なのですわ。我が商会の宝飾品との共同事業について、かなり具体的な数字を提示してくださる予定ですので、外せない取引なのです」
エレノアは淡々と、明後日のビジネスの重要性を説明していく。
以前のルシアンであれば、ここで「へえ、本当に真面目で優秀な婚約者だな。応援してるよ」と、呑気な笑顔で終わっていたはずだった。だが、今の彼の胸の奥には、説明のつかない妙なモヤつきが、澱のように居座り始めていた。
(若くて、やり手……? 商人って男だよね…?終日二人きりで面談するのか?)
商売は基本的に男たちの世界だ。エレノアがこれまで、多くの男たちを相手に一歩も引かずに渡り合ってきたことくらい頭では分かっている。
なのに、なぜか「他の男と熱心に事業の話をしているエレノア」を想像した瞬間、胸の奥がひどく面白くなかった。
自分でも、なぜこんなに心が狭いような、焦るような気持ちになるのか理由が分からない。けっして嫉妬などではないはずだ。ただ、ずっと自分の目の前にいたはずの婚約者が、自分の手の届かない大人の世界で、他の男と完璧な数字のパズルを解いている姿を想像するのが、ただただ不愉快なだけだった。
◇
お茶会を終え、屋敷に戻ったルシアンは、自室のソファに深く腰掛けながら、ここ最近の社交界の様子を思い出していた。
エレノアの商会の勢いは、今や王都だけでなく周辺の領地をも巻き込み、留まるところを知らない。夜会へ行けば誰もが彼女の店の服や宝石を絶賛し、そしてその中心には、いつもエレノアから貰った試供品を身に纏っている自分がいた。
「…あぁ、なるほど…。やっぱりそういうことだったんだな」
ルシアンは手首のトパーズのカフスボタンをじっと見つめ、ぽつりと呟いた。
自分がこの綺麗な髪をなびかせ、彼女に貰った上質な服を着て社交界を歩くたび、周囲の人間が勝手にエレノアの商会へ群がっていく。エレノアは、ルシアンの「女性の誘いを断らず、常に華やかな中心にいる」という行動特性を、完璧に予測して利用していたのだ。
普通なら、婚約者にビジネスの道具(広告塔)として都合よく使われていたと知れば、プライドが傷ついたり不快になったりするものだろう。だが、ルシアンの胸に湧き上がってきたのは、嫌悪感などでは微塵もなかった。
(俺……エレノアの役に、立ててたんだ)
むしろ、自分の存在が彼女の愛する商会に、あの美しい数字に貢献できていたのだと知って、不覚にもじわじわと嬉しさが込み上げてきてしまった。
ルシアンはソファの背もたれに頭を預け、天井を仰ぎ見る。そこで初めて、彼は自分の感情の決定的な「違和感」と、真っ直ぐに向き合うことになった。
「待てよ……俺、もしかして」
ドクン、と心臓が小さく跳ねる。
「……エレノアに、もっと褒められたいのか?」
ただの『便利な広告塔』としてではなく。一人の男として、彼女の隣に立つにふさわしい存在だと、彼女のあの菫色の瞳に真っ直ぐ見つめられて、認められたいのではないか。
自分の心の中に生まれたその奇妙な欲求の正体を、ルシアンはまだ名付けられない。けれど、彼の中でエレノアという存在が、空気のような幼馴染の婚約者から、猛烈に意識せざるを得ない「一人の女性」へと、確実にその輪郭を濃くしていく。
――もっと、エレノアの視線が俺に向けばいいのに。
蜂蜜色の瞳にこれまでになく真剣な光を灯しながら、ルシアンは、自分からエレノアに会いに行くための『完璧な理由』をどうやって作ろうかと、必死に頭を悩ませ始めるのだった。
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