8話 いろいろな性格
言われた通り向かうと、ドレイオが竜の体を綺麗に整えてやっているところだった。コの字に石壁が迫る洗い場に、口輪めいた革具をはめられ、短い鎖で壁につながれている。
ドレイオの居る右の場所。落ち着きなく首を上下するたびに輪と鎖が擦れ、甲高い金属音が薄暗い空間に跳ねた。左隣には同じようにイリナと竜の姿もあった。
「エルグか。遅かったな。無駄なおしゃべりをしているならさっさと仕事を覚えるんだな。」
こちらを見向きもしない。
「なにを手伝えばいい?」
「見ていればいい。下手に入ってこられても邪魔なだけだ。」
「ドレイオ君ったら。もう少し優しく話してあげたらいいのに。新しい子がくるって聞いて一番……」
「変なこと言わないでください。イリナさん。」
隣からのぞき込んだイリナがからかうように言う。
ごめんね? と謝りながら、声だけはしおらしく、反省していない顔でエルグにぺろりと舌を出す。
ドレイオはやれやれと首を軽く振り、慣れた様子で布切れを手に取り、竜の鬣を濡れた毛並みに沿って拭き始める。
「そういえば、乗ったことはあるのか? お前は、竜に。」
台に乗って手を伸ばし、エルグに対する言動とは裏腹に優しい手つきで拭っていきながら尋ねる。
「ないよ。まったくの初心者。」
「その年で初めてなのは珍しいんじゃねえか。」
そっとドレイオが眉を上げる。
「確かに小さいころからやる子が多いけれど途中から始める子も少なくはないわよ。私も何人か知っているし」
人間が使うような物よりも一回りほど大きい櫛を手に持ちながら、イリナはあの子でしょう、それとこの子……と記憶をたどるように指で数えていく。
そう。
竜乗りは小さいころから竜と接し、信頼関係を築いていくのが一般的なのだ。大会に出ようと考えるのなら、竜と息を合わせなくてはいけない。むしろ人は添え物で、どこまで竜の呼吸に自分を合わせられるかだ、と師匠も言っていた。人が目立ってどうする、と頭をはたかれていた。そういえば、師匠は竜には乗せてくれなかった。兄はそれを涼しげに眺めていたっけ。つられて昔のことを思い出した。
「もう少しだ。これが終わったらやるから。」
エルグが物思いにふけっている間に竜のほうは飽きてきてしまったらしい。口の先でもにょもにょとドレイオの服を噛んでいる。厚い革手袋くらいなら容易く裂けそうな牙を持っているのに、やっていることは袖をねだる仔馬と変わらない。頭などエルグの身長くらいあり、そのうえ矢さえ通さないという硬い鱗を持つ生物とは思えないのだが。
「甘えん坊さんね。それに比べてあなたは大人よねぇ」
その様子を見てイリナが櫛をしまいながら語り掛けている。
「エルグ君。この子リアっていうの。リアお嬢さまって呼んであげるときっと喜ぶわ。」
よく似合っている、と思う。人に媚びない、まっすぐ硬い瞳をしている。
「そいつは気が強いから俺だとあんまり言うこと聞かねえからイリナさんがもっぱら世話をしてる。カイランもだめだな。オルマでもやっと、ってとこだ。」
そいつに何度噛みつかれそうになったか、とドレイオは溜息をつきながら、握っていた布巾をキュッと絞った。
「あら? リア、言われてるわよ。こんな暑苦しい男たちに触られたくありませんって。」
イリナがそうよね? と前髪を整えてやるように鬣に櫛を通す。
リアがまったくよ、と言わんばかりにうなずいた。ついさっきまで屋根を叩いていた雨も、雲ごと慌ただしく流れ去ったのか、外からは細い小鳥のさえずりが差し込んでくる。
「ドレイオのほうの竜は名前なんていうの? 男の子だよね」
「こいつか? こいつはキアンって言う。だが牝だ」
やんちゃそうだったからてっきり牡だと思っていたけれど、言われてからよく見てみればかわいらしい顔立ちをしているようにも見える。
体格がリアと比べて大きいから勘違いしていたのかもしれない。一回り以上の差がある。
「大きいからてっきり。」
「見慣れない奴が見ればそうなるか。こいつの方が年上だからだ。リアは2歳、キアンは3歳だ」
「赤ちゃんなんだね。」そう思うと甘えた仕草ひとつ、足の運びひとつまで、まだ加減を知らない子どものものに見えてくる。
「エルグ君。それは違うのよ。人間の2、3歳と違うから。竜の2歳は、人間にしたら中学生くらいになるの」
「そんなに違うんだ。」
竜は人間と同じくらい、またはずっと長く生きると父が話していたので、同じとばかり思っていたのだ。
「肉体的な成長は人間と違って早いのよ。」
イリナはそう話すと、もっとも精神的にはまだまだだけれどね、と大きな前足を伸ばして体を低くし、ドレイオのことをずっと甘噛みして離さないキアンを指さす。
「いつもああやってるから長くかかるのよ。」
先に終わったらしく、綱を付け替えて引き出す。
「エルグ君がせっかくいるから頼みごとをしちゃおうかしら」
「もちろん。任せてください!」
すると、頼もしいわ、と水の入ったバケツとブラシ、雑巾にさっと目をやる。
乱れた髪をパッと片手でしばりなおすのでさえ魅力的に見えてしまう。
「あれを洗って戻しておいてほしいの。そこの水道で。」
ほら、あそこのと言われて探すと、板を直接打ち付けたような荒々しいつくりの棚が目に入る。
隣に水道。あれですすいで閉まって置けということか。それくらいなら簡単だし、エルグにもできるだろう。
「よろしくね。ほら、行きましょうリア。お腹が空いたでしょう」
クルクルと回る舞踏会のお姫様を彷彿とさせるような優雅な足取りで去っていくのを見送ると、遅れてキアンのほうもどうにか終わったようで綱を付け替える音がする。
「これ、こっちもやっとけよ」
丁寧にお願いしていったイリナさんと違い、当たり前のように頼む。
「それは自分でやってもらっていいですか」
「新人がやらなくてどうするんだよ。それしかやれる事ねえのに。」
「こんな乗り手が乱暴なのはどうなんですか。ねえ、キアンちゃん。」
ドレイオの髪をむしゃむしゃと食べているキアンちゃんを見る。
「キアン、こんなやつ食い殺しちまえ。良い餌だ。」
当のキアンはといえば、何を言っているの? でも楽しそうね。そんなふうにでも言いたげに、楽しそうに首を揺らしている。ドレイオに促されると、すぐにリズムよく歩いていった。
「おお。終わったか。」
カイランが戻って来る。
「俺も手伝おうかと思ったんだが。遅かったな。」
「うん。大丈夫。ただ、これ。」
エルグが蛇口をひねった瞬間、上向きに水が跳ねて顔に冷たいしぶきがかかった。
思わず固まっていると、そこへカイランがやって来る。
「ん? どうした?」
濡れた顔のまま蛇口を指さすと、カイランは叱られた犬みたいな顔になる。
「雨で濡れたから。変わらないさ。なかなかその、イケてると思うぞ」
「フォローになってないから!」
「まあまあ」と一緒に片付けてくれる。
「おい、家に戻るぞ」
もう竜たちを戻してきたらしい二人の声がする。
「もうそんな時間か。夕食だ、家に行くぞ」
カイランが今日も腹が減ったな、と歩き出す。
「家って。事務所?」
「行ってからのお楽しみよ。エルグ君。」
「さあ、行きましょう。待ちきれないわ。」とイリナが手招きした。
手招きに慌てて走り出し、石の継ぎ目に足先を引っかけて、ずざっと膝から転ぶ。いつも大事なところで何かしらミスをする男。それがエルグである。
ドレイオが馬鹿だなあとからかい、イリナが大丈夫?と優しく微笑む。
――まあ、この際どうでもいい。そう思えるくらい、この空間はあたたかく、愛おしかった。




