6話 雨と竜と追いかけっこと
控えめに降っていた雨が次第に強くなっていく。屋根から滴り落ちる水滴が放置されていたバケツにたまっていき、その音に自然と走るリズム、息を吸うテンポがそろっていく。
二人で放牧地まで息を切らしていくと、放牧地はもぬけの殻だった。まさかあの巨体でどこかへ隠れられるとも思わない。
まさか脱走してしまったのかとあたりを見渡した、そのとき。まっすぐ通った道の奥から、竜が優雅に首を上下させながら近づいてくるのが見える。
よく目を凝らすと、ドレイオがその綱を引いて歩いてきていた。
「ドレイオが先に気づいていたのか。良かった。またけが人が出るところだったな」
一足先にドレイオのもとへ着いたカイランが、心底安堵したように息をつく。
「なんとなくそうじゃないかと思ったからな」
彼の引いていた竜が、じゃれつくように綱を噛んだ。金具を甘噛みするようにくわえ、それをたしなめるように鼻面を撫でる。
「お前も先に気づけるようになれよ」
見習えよ、とドレイオはカイランの横にいたエルグを指さす。竜も少し胸を張って、自慢げにしていた。
癪に障るが、彼は雷雨になる可能性に気づいていたからこそ、急に押しつけるような真似をしたのだろう。予知能力というか、行動力は褒められるべきものだ。だとしても、さすがに急だったが。
しかし、けが人というのはどういうことなのだろうか。
「確かにドレイオ君が気づいてくれなかったら大変だったよ。だってこの前だって、オルマちゃんは雷と大雨で興奮した竜の牙が当たって怪我したんでしょ」
ドレイオでもカイランでもない、高めの声。声のした方を見ると、ドレイオの少し後ろに、もう一頭の竜を引いた少女が立っていた。
「ここにいたのか。朝、ミレアさんが探していたぞ」
「俺もそれは聞いたな。俺が放牧地へ来たときにちょうど来たから、それまで何をしていたのかは俺も知らねえが」
カイランの驚いたような声に、ドレイオがのっかる。
隣に立つ竜は落ち着き払っていて、長いまつ毛を物憂げに伏せ、美少女と言っていいような雰囲気を漂わせている。そしてその綱を持つ彼女もまた、水色の髪と落ち着いた佇まいが美しかった。目にかかったすっかり湿って張り付いた前髪を、綱を持たないほうの手で上へかき上げる。ほっそりした腕が袖からのぞいた。
探していたと言われても気に留める様子もなく、彼女は「ねえ」とカイランにうなずいて見せる。
それから、やっとこちらに気づいたようで、
「あら。あなたが来ると言っていた新しい子?」
こんにちは、と彼女は優雅に、綱を持ったまま一礼して見せた。
「イリナと言います。よろしくね」
「よろしくお願いします! ふ、不束者ですがよろしくお願いします」
「面白い人ね」
イリナが目を細める。
いたたまれなくなって、思わず助けを求めるように二人を見る。上品さに気圧されてカチコチに固まったこちらを見て、カイランは腕を組んだまま子どもを見るような穏やかな目をし、ドレイオは目線をそらした。竜は大きくあくびをした。
山のほうの上空から、ガシャーンと何かが割れるような雷の音が聞こえる。
「おい、エルグ。そんな茶番をしてる暇はねえ。イリナさん、こんなやつ放って行きましょう」
「行くぞ」
引き綱を少し前に引き、尻上がりの短い口笛を吹いた。独特な音色だが、どこか耳に残る。それを合図にして、ドレイオの引いた竜がゆっくりと足を踏み出す。一歩ごとに体が尾が揺れ、重い振動が伝わる。思わず立ち尽くしていると、カイランに袖を引かれ、慌てて道を譲った。
「エルグ君っていうのね。覚えておくね」
イリナも同じように合図をして、竜舎のほうへ去っていく。竜のほうはこちらを一瞥すると、「あなた?興味がないわ」と言わんばかりにそっぽを向いた。
「ドレイオ君はもうエルグ君と話したの? ずるいのね」
「単にあなたが忘れていたんでしょ」
「あら、教えてくれたっていいじゃない」
遠ざかっていく二人──いや、二人と二頭の会話が、すっかり強くなった雨に打たれつつ聞こえていた。
「かわいい」
「奇遇だな。俺もずっとそう思ってる」
思わずつぶやいた声を聞いていたカイランが、並んで立っていたエルグを肘でつつく。
「同士よ。このまま君にイリナちゃんの良さを語ってもいいんだが、中に入らないか」
言われてから、ふと我に返った。ごうごうと音を立てている雨粒にさらされ、二人とも水浴びでもしたような有様になっている。カイランに至っては白い服に水がしみこみ、うっすらと透けていて、少々目のやり場に困る格好になってしまっていた。
「走るぞ」
どちらが言ったのか、もはや分からない。
濡れたシャツを脱いで振り回すカイランと、馬鹿みたいに全力で竜舎へ向かって走る。跳ね上がった泥が足に当たり、靴に雨がしみ込んで体全体で雨を感じる。その冷たさが、不思議と心地よかった。
「どっちが早いか勝負しないか。」
突然言い出したエルグに、カイランが豆鉄砲を食らった鳩のように呆けた顔をする。しかし、すぐに満面の笑みに変わる。
「光栄だ。俺は鍛えているからな。せいぜい差を開かせないようにするといい!」
それを聞いて、雨の匂いと獣の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。




