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54話 会敵③

二機対一機。

戦術上の数においては、明らかに一ノ瀬たちが優位に立っていた。

端から見れば、それは二度の大戦を最前線で潜り抜けてきた猛者たちによる、非の打ち所のない完璧な波状攻撃に見えたはずだ。

だが、一ノ瀬の五感が告げる生々しい肌感覚は、その戦力比とは完全に真逆の、不吉な寒気を捉え続けていた。

鹿嶽とのコンビネーションは、精密機械のように機能していた。鹿嶽の六式が泥臭く圧力をかけて射線を限定し、生じたコンマ数秒の隙を一ノ瀬の零式二型改が突く。

互いの位置情報をデータリンクさせ、ハルテンベルクのアドラーの回避ベクトルを確実に制限しようと試みていた。

 

──しかし、制限できていなかった。

ハルテンベルクは、二機の連携パターンを完全に手中に収めた上で、優雅にのたうち回っていた。

一ノ瀬が必殺の射線を引くより前にその未来位置から身を退け、鹿嶽が重力限界の圧力をかけようと迫るより前に、空間の角度を変えてすり抜ける。二機を前にアドラーを常に最適な配置を取り続けていた。

それだけではなかった。

一ノ瀬は、自らの『零式二型改』の反応速度が、じわじわと低下していることに気づき始めていた。

単独でハルテンベルクを追い詰めていた時よりも、判断の出力が、半瞬、遅い。

隣を走る「鹿嶽の六式」の生存を意識し、彼の回避スペースを確保しようとする判断が、純粋な神経反射の中に余分な演算処理を混入させていたのだ。

差が、開いている。

数に頼って挑んでいるはずなのに、アドバンテージが砂のように指の隙間からこぼれ落ちていく。

 

『──一ノ瀬! 左翼のドック影から回り込む、奴の退路を塞げ!』

 

鹿嶽の荒い声が回線を走る。

 

「……わかった!」

 

了解を返すその声が、自分でも嫌になるほど、半瞬だけ遅れたことを一ノ瀬は自覚した。

十回目の激しい交差が終わった。

アドラーの黒い外殻装甲には、擦り傷一つ刻まれていない。逆に、一ノ瀬の零式二型改は、酷使された左腕シールドブロックの駆動関節が、摩擦熱のエラーによってまた数パーセント、応答速度を低下させていた。

通信回線の奥から、不意に、静かなため息が漏れ聞こえた。

人間が、諦念を交えて吐き出すような、実になめらかな生々しい音。だが、その声の主は、遺伝子レベルで人間の定義から切り離された『新人類』であった。

 

『──一ノ瀬少佐』

 

ハルテンベルクの声が、冷たく、静かに響いた。

 

『率直に、言わせて貰いますよ』

 

一ノ瀬は応答せず、ただ機首を鋭角に捻った。

 

『先ほどから、あなたの神経反射速度が著しく低下しています。……鹿嶽少佐との連携を開始したその瞬間から、一貫してね』

 

「……能書きはいい、お前のセンサーのバグだろう!」

 

『いいえ、バグなどではありません。わかっているなら、その低下の原因について、あなたの脳細胞もすでに答えを出しているはずだ。……私とあなたの性能差が広がったわけではない。あなた自身が、その不要な気遣いによって、自ら奈落へ落ちていったのだ』

 

一ノ瀬は、唇を血がにじむほど強く噛み締めた。

 

『隣を飛ぶ「旧人類」の挙動を、あなたの脳は無意識に計算している。だがね、少佐。彼はあなたの「本来の領域」の速度には、逆立ちしてもついていけない。彼を意識したその瞬間、あなたの純粋な反射能力に、致命的な予測ノイズが混ざり合う。……あなたは今、本来あるべき速度で動けていないのです』

 

鹿嶽が、割って入ろうと割れた回線から声を荒げた。

 

『──黙れ、この化け物が! 一ノ瀬、耳を貸すな、こいつは──』

 

「鹿嶽、待て!」一ノ瀬がそれを制した。

 

『あの日、冷たい雪原で散っていったクーメルも、まったく同じことを感じていましたよ』

 

ハルテンベルクの声のトーンが変わった。それは冷酷な計算ではなく、ライプニッツ研究所の奥で真理を探求する、純粋な学究の徒のような知的好奇心。

 

『あなたの反射速度の最大値は、誰とも連携していない、完全な「孤立状態」においてのみ出力される。たった一人で、絶体絶命の絶望に追い詰められ、退路のすべてを塞がれた剥き出しの瞬間に。……それは、訓練や戦場での経験によって後天的に獲得された技術ではない。あなたの肉体の、その設計図に直接組み込まれた、根源的な初期反応なのです』

 

プエルトモントの海霧の中で、漆黒のアドラーが不意にピタリと機動を停止した。

引き金を引くことをやめ、ただ金色の電子眼を明滅させて、一ノ瀬を見つめている。

 

『私には、絶対の確信があります。一ノ瀬少佐』

 

ハルテンベルクは囁いた。

 

『あなたは、自分自身では自覚すらしていないようですが、間違いなく──我々の同胞たる、アーキタイプ(根源人種)だ。これまでの、そして先ほどまでの異常な反応速度が、何よりの証明だ』

 

「それと全く同じ戯言を吐きながら、あっさりと爆散していったクーメルという阿呆がいたな」

 

一ノ瀬は、乾いた喉から声を絞り出した。

 

「いい加減、耳が腐りそうだ。お前たち大ゲルマン帝国が得意とする、くだらん選民思想にはな!」

 

『違いますよ、少佐』ハルテンベルクの声は、どこまでも穏やかで、優雅だった。

 

『肌の色や瞳の大きさ、国籍の有無で劣等か優等かを区別する……そのような、旧人類たちの幼稚なナショナリズムを語っているのではないのです。我々『新人類』と、この星を覆い尽くしている現生人類とでは、ネアンデルタール人とホモ・サピエンス──いや、サヘラントロプスほどの、絶対的な進化の隔絶があるのですよ』

 

「お前とて、その劣等人種とやらの母親の腹から生まれたはずだ。どれほどの違いがあるというんだ」

 

『それは誤りだ』

 

ハルテンベルクは、静かに笑った。

 

『私たちのルーツは、人類直近の「過去」からは来ていないのですから』

 

「何だと……?」

 

一ノ瀬の声のトーンが、わずかに変質した。

ハルテンベルクの張り巡らせた言葉の糸が、一ノ瀬の防衛の閾値を、初めて内側から突破した。

ハルテンベルクは、そのコンマ数ミリのノイズを、鋭く聞き取っていた。

 

『すべては──あの日、奉天に訪れたイノベーション・デイに、この世に現出した【箱舟】から始まったのですよ』

 

『──一ノ瀬!』

 

鹿嶽の、引き裂くような絶叫が回線に割り込んだ。

 

『聞くな! 奴は語る言葉そのものを武器として、お前の思考を乱しにかかっている! それが奴の狙いだ! ──思考を戦闘へ戻せ!』

 

「……分かっている、分かっているさ」

 

一ノ瀬は答えた。

だが、その声はいつになく薄く、頼りなく霧の中に霧散した。

鹿嶽は、一ノ瀬の零式二型改の挙動を見て、血の気が引くのを感じた。

一ノ瀬の完璧であったはずの、霧を舐めるような微細機動が失われている。彼の集中は、目前のアドラーの銃口ではなく、ハルテンベルクが口にした『箱舟』という、不吉極まる禁忌の響きへと完全に囚われていた。

まずい。このままでは、一ノ瀬の首が危ない。

 

『一ノ瀬、位置を変えろ! 北へ跳べ、今すぐにだ!』

 

鹿嶽は叫んだ。

一ノ瀬の機体が、ハッチをきしませて上昇スラスターをふかした。

だが、その動きには、いつもの獣のような野性味がない。一呼吸、決定的な時間が、そこから抜け落ちていた。

鹿嶽は、操縦桿を握り締め、心臓の奥でひとつの「決断」を下した。

 

(──このまま続ければ、一ノ瀬は堕ちる。あの男の言葉の鎖を、俺が力ずくで引きちぎるしかない)

 

「──ハルテンベルク中佐!」

 

鹿嶽は、自らの六式の全周波回線を全開放し、冷酷な朝霧の中へと吼えた。

 

「お前の薄汚い能書きの、話し相手をしてやるのは……この俺だ!」

 

鹿嶽の六式が、アドラーに向かって狂暴な雪煙を上げて吶喊した。

正面からの、完全な直線突撃。

回避のためのスラローム機動すら一切行わず、120ミリ電磁砲を連続限界チャージで斉射しながら、まっすぐに、死線へと身を滑り込ませる。

当たらなくても、それで良かった。

一ノ瀬を、ハルテンベルクの言葉の罠から、物理的に切り離すための時間を、一秒でも稼げれば良かった。

 

『……極めて、不愉快なノイズですね』

 

ハルテンベルクの声から、先ほどまでの穏やかな好奇心が、一瞬にして霧散した。

そこに現れたのは、冷酷な、ただエラーを吐き出すバグを排除するためだけの、全く体温の感じられない、平坦な「処理」の意思だった。

アドラーが動いた。

鹿嶽の直線突撃を「待つ」ことすら、彼らはしなかった。重力を遮断した機動で、アドラー自らが、突進してくる六式を「迎え撃ち」に跳んだ。

一ノ瀬のオプティカルに、その最悪の軌道が映り込んだ。

 

「──鹿嶽! 止まれ! 退がれ、鹿嶽ぇぇぇ!!」

 

だが、一ノ瀬の叫びは、プエルトモントの海を震わせる咆哮の中に掻き消された。

閃光が一瞬。

アドラーの右腕にマウントされた高周波ブレードの刃が、超高速のすれ違いざまの一閃を放った。

爆発の紅蓮は、そこには存在しなかった。

超高速の刃は、鹿嶽の六式の胸部装甲板を、正面から無造作に、極めて精密に、コンマ数ミリの狂いもなく打ち抜いていたのだ。

ブレードの光条は、コックピットのわずか数センチ手前に走る、メイン動力ラインを寸分の狂いもなく貫通していた。

ドォ、と、不気味な青白い電気火花が、六式の全身をきしませて明滅する。

一瞬にして、鹿嶽の六式の全システムが強制遮断され、金色の電子眼が、ふっと灯火を消すように失われた。

動力を完全に失い、ただの数十トンの冷たい鉄屑と化した機体は、アンデスの冷気の中を惰性で滑走し、そのまま、音もなく冷たいプエルトモントの海面へと、深々と没していった。

 

「……鹿嶽」

 

一ノ瀬は、操縦桿を握り締めたまま、海を見つめた。

 

「鹿嶽……! 応答しろ、鹿嶽!!」

 

ノイズ混じりの大気からは、ただ、静かな波の音だけが、虚しく返ってくるだけだった。

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