51話 アーリア戦闘団を討て③
帝都東京。統合軍司令部、地下特設作戦指揮室。
青白い蛍光灯に照らされた大型メインスクリーンには、太平洋南岸の狂暴な嵐のリアルタイム中継が映し出されていた。
現在、マゼラン海峡に向けて最大戦速で突進している『天鳳』の、露天甲板に設置された暗視カメラからの映像だ。
それは、まさしく地獄のような暴風雨だった。
波高は優に十メートルを超えている。九万トン級の天鳳の巨躯を以てしても、激しい大うねりの度に甲板は右に、左にと狂ったように大きく傾き、画面全体が激しく上下にブレる。
だが、その白く泡立つ死の甲板上では、海軍の甲板員たちが、自らの身体に命綱を括りつけ、容赦なく叩きつける横殴りの豪雨と波飛沫に塗れながら、転がるようにして戦機の発進準備を狂ったように進めていた。
作戦指揮室に集まった十数人の高級将校たちは、誰も言葉を発しなかった。ただ、緊迫した呼吸の音だけが、機械のハミング音に混じっている。
高野五十六大将は、コンソールの端に表示されるリアルタイム気圧計の数値を見つめた。
折れ線グラフは、奈落へ落ちるように急降下を続けている。嵐は、これからさらに強まる。
「暗号班による、敵『ルーデンドルフ』の捕捉確度は」
高野が、低く掠れた声で訊ねた。
「九十七パーセントの確度で、間違いありません」参謀長が即座に答えた。
「シェルナー元帥の司令部が放った、信じがたいほど無警戒な旧式暗号のおかげです。独軍の隠密補給拠点は、チリ南部プエルトモント港の北岸ドック。……天鳳の現在位置からであれば、この大嵐の中であっても、六時間以内に戦機大隊を射程圏内へと展開可能です」
高野は深く頷いた。だが、老いた貌は硬直したままだった。
その隣には、腕を組んだ長田叡山が直立していた。
頬に刻まれた深い切創が、室内の冷酷な人工光を浴びて、青白く、不気味に浮かび上がっている。
「……長田。本邦の強硬派どもは、まだ騒いでいるか」高野は、声を極限まで潜めて訊ねた。
「先ほども、陸軍省の参謀本部から直接の割り込み電報が届いた」長田は、抑揚のない声音で返した。
「『大和』の喪失。さらにはパナマ運河での反応弾使用の一件で、大ゲルマン帝国に対する反応弾を用いた電撃的な対独報復攻撃を求める意見陳情書。……すでに陸海軍の将官、二十七名の署名が集まっている」
「二十七名、か」
「昨日までは十四名だった。……文字通り、倍増だ」
高野はスクリーンから視線を外さなかった。
日本海軍の誇りであった戦艦大和の轟沈。その冷酷な事実が、本国だけでなく、軍部中央の神経をどれほど狂わせ、暴力的な方向へ向かわせているか、この一週間で嫌というほど見せつけられていた。
狼狽した将校たちは狂乱し、パナマ地峡でハルテンベルクが使用した「反応弾」への報復と結びつけ、「今すぐベルリンを、東部アメリカの占領地を灰にしろ」と喚き散らしている。
だが、一度でも報復の火蓋を切れば、ドイツも間違いなく東京へ反応弾を放つ。そうなれば、それは制限戦争の終わりであり、人類全体の破滅への移行を意味していた。
「……あの、あまりにも都合よく傍受されたエニグマは」高野は言った。
「ベルリン側の、意図的な罠か『謀殺』かもしれないね」
長田の鋭い双眸が、微かに細められた。
「そうもかもな。ベルリンの権力構造とて、一枚岩ではないのは、先の大戦でのSSと帝国軍との内紛で証明済みだ」
高野はそれ以上、思考を深くは追わなかった。敵がどのような謀略を企んでいようとも、今、自分たちに与えられた選択肢は一つしかなかった。
映像の中で、一機の戦機が格納庫からエレベーターで引きずり出されてきた。
吹き荒れる暴風雨の中、甲板員たちが四人がかりでその装甲を支え、キャパルトの固定位置へと押し込んでいく。
漆黒の装甲を纏った、あの試作機『零式二型改』。
「一ノ瀬、だな」長田が呟いた。
「ああ。これであの男は、あのアーリア戦闘団と三度目の激突になる。彼なら完璧に任務を遂行してくれるだろう」
高野は遠い昔を思い出すような表情を浮かべる。
「ルーデンドルフを沈め、アーリア戦闘団をマゼランの海へ叩き落とせば、大和の喪失を相殺する決定的な政治的材料になる。……完全に銃後の傷を癒すことはできずとも、少なくとも、陸軍の血気盛んな強硬派どもの口を塞ぐ材料にはなる」
高野は言った。
「そうでなければ」長田が、その言葉を重く反芻した。
「この戦争は、救いのない『大量虐殺』へと変わってしまうな」
「運命の皮肉だな。先の大戦に続き、彼の双肩に日本の。いや、世界の運命が掛かっているとは」
荒れ狂う嵐の映像は、揺れ続けていた。
すべての破滅をその背に負い、『天鳳』は進撃を止めない。冷酷な運命の分岐点が待つ、プエルトモントへ向けて。
───
一方、天鳳の最下層、第二格納庫甲板。
地響きのような嵐の轟音が、九万トンの巨大な船体をきしませ、波が船腹を叩くたびに、頭上の巨大な鉄骨や隔壁が不気味な金属音を上げて軋んでいた。
だが、格納庫の内部に満ちていたのは、その自然の驚異すら排熱ノイズとして掻き消すほどの、刺すような「殺意」と「緊張」であった。
第七独立戦機大隊の全員が、自らの愛機の前に整然と並び立っている。
一ノ瀬は、全員の前に歩み出た。
「──全員、聞け」
彼の低く引き締まった声だけで、軋む格納庫の喧噪が一瞬で遮断された。
「暗号班の執念により、敵潜水母艦『ルーデンドルフ』の緊急寄港地が、捕捉された。南米チリ南部、中立港プエルトモントの北岸に設けられた、独軍の極秘補給拠点だ。現在、接岸中か、あるいは到着の直前である」
背後のスクリーンに、チリ西岸の、引き裂かれたナイフの刃のように複雑怪奇に入り組んだ「フィヨルド群」のホログラム地図が明滅する。
「これより作戦計画を説明する。我々第七大隊は、天鳳を発艦後、大西洋の嵐を避け、チリの峻険なる山岳地帯を超低空で南下する。アンデス山脈の東側、吹き荒れる山肌に沿って飛行し、チリ軍の索敵レーダーの完全な死角を抜ける。海岸線に到達した瞬間、プエルトモントへ一斉に突入し、停泊中のルーデンドルフを奇襲、撃滅する」
副長の鹿嶽が、ヘルメットを抱えたまま、鋭い眼光で手を挙げた。
「チリは表向き中立国だ。独軍が公式な大口径防空陣地を構築している可能性は低い。だが、アーリア戦闘団がいる」一ノ瀬は言った。
「彼ら自身が、港に接岸中であっても、本能的にアドラーを飛ばして迎撃してくる可能性が極めて高い」
誰も沈黙を破ろうとはしなかった。
「アーリア戦闘団」という言葉が持つ、あの圧倒的な技量と狂気の質量を、この場にいる全員がその精神と肉体に刻み込まれているからだ。
「戦術優先順位を言う」一ノ瀬は全員を見据えた。
「第一優先目標は、超大型潜水母艦『ルーデンドルフ』の撃沈だ。アドラーを個別に墜とすことよりも、まずはあの巨獣を潰す。艦が沈めば、彼らが搭載しているアドラーも、すべてが冷たい深海の藻屑となる」
「アーリア戦闘団のアドラー群が、我々の頭上を塞いだ場合は」浅見がどこか投げやりだが、覚悟を秘めた瞳で訊ねた。
「戦闘経験のある俺たちと、白城少佐率いる陸戦大隊が共同で対処し、奴らの視線を完全に引き付ける。その隙に、あの桃木中佐率いる海軍空戦隊が、最大火力を以てルーデンドルフへの対艦攻撃に集中する手筈だ」
「……了解」浅見は、短く応じた。
一ノ瀬は、新兵の七宮、南、坂巻、舞草の顔を、順にその視線で射抜いていった。
「他に質問はないか」
肺を圧迫するような、重い沈黙が流れる。
「ならば最後に、大隊長として一つだけ言う」と、一ノ瀬は続ける。
「任務の達成は最優先だ。それは軍人として変わらない。だが、それと同時に、全員が『生きてこの天鳳の甲板に帰還する』。この二つを、矛盾する二律背反と思うな。矛盾すると考える脳髄があるなら、今すぐその安っぽい思想を叩き潰せ。生きて任務を完遂する。俺たちは、そのために鍛え上げてきたはずだ」
誰も、微動だにしなかった。新兵たちの瞳には、恐怖を乗り越えた、鋭い光が静かに宿っていた。
「以上だ。これより第七大隊は戦闘に突入する。総員、持ち場につけ。奮励努力することを期待する」
一ノ瀬らが機体に乗り込むと、上部油圧ハッチが開放され、アンデスの冷気と太平洋の狂暴な嵐の絶叫が、格納庫の奥へと濁流のように流れ込んできた。




