49話 アーリア戦闘団を討て①
空母への着艦は、機体に内蔵された着艦自動アシストシステムが稼働しているとはいえ、一ノ瀬らが想像していた以上に「綱渡りの力技」だった。
大型空母『天鳳』の飛行甲板は、日本が保有する軍艦の中では随一の広さではあるが、地上の広大な滑走路と比較すれば、あまりに短く、あまりに狭い。
おまけに巨艦は太平洋の荒波に揺れ、上空の風向きは突風混じりに目まぐるしく変化している。泥のカナダ、湿った密林の平地滑走に慣れきった陸軍の戦機部隊にとって、揺れる鉄板の上に時速数百キロの鉄塊を正確に叩き落とす作業は、感覚のすべてが狂うような恐怖であった。
『──短いい! 短すぎる!』七宮の、悲鳴に近い声が通信にこだまする。
『着艦誘導灯の光を見つめても、距離感が全くつかめません!』
『喋るな! スロットルを引け、機首を固定しろ!』
桐島がすかさず冷酷に怒鳴り返す。
一ノ瀬の『零式二型改』が、最も先頭を切って甲板に滑り込んだ。
着艦フックが三番ワイヤーを強引に引きちぎらんばかりに捉え、凄まじい衝撃と共に急制動。甲板員たちが狂ったように手信号を送り、煤まみれの零式をただちに下層のエレベーターへと押し込んでいく。
続いて副長の鹿嶽、桐島、そして浅見の順に、叩きつけられるように着艦を果たした。
南の六式が、アプローチの最終段階で海風に煽られて大きく姿勢を崩した。
キャットウォークから見守る海軍の甲板員たちの顔が緊張で一瞬にして強張ったが、南は辛うじてスラスターを逆噴射させて立て直し、甲板の縁に片脚を引っ掛けるようにして制動をかけた。
坂巻と舞草は、七宮の直後に降下した。
七宮は着艦の凄まじい衝撃で機体を大きく右に傾かせ、火花を散らしたが、複合関節は悲鳴を上げながらも折れることはなかった。
一ノ瀬は、ハッチを開けてキャノピーから身を乗り出し、熱気と塩水が吹き荒れる周囲を見渡した。
甲板上は、一秒を争う狂騒に包まれていた。
主力正規空母『大鳳』の同型艦である天鳳は、基準排水量九万トンを誇る大日本帝国海軍最大の巨大空母だが、陸海軍の機体がひしめき合う現状においては、窒息しそうなほど狭苦しく感じられた。
一ノ瀬は視線を上げた。
格納庫の入り口に、見覚えのある機体が並んでいた。白城翔一少佐が率いる、第一陸戦大隊の六式群だ。
白城本人が、塩を吹いた装甲の傍らに立ち、一ノ瀬の到着に気づいて軽く手を上げた。一ノ瀬も、煤けた手袋を差し出してそれに応じた。
その隣には、主翼を折りたたんだ見慣れない機体群が並んでいる。
海軍空母『天城』と『葛城』から緊急脱出してきた、艦載機仕様の六式戦機空戦仕様──あの地獄の奇襲を生き延びた、満身創痍の直衛隊の残骸だった。
「……あれ」七宮が、コックピットから降り立ちながらぽつりと呟いた。
「あの人、もしかして──」
飛行甲板のキャットウォークの端に、一人の海軍将校が直立していた。
女性だった。年齢は三十代の半ばほど。
潮風に濡れた艦載機搭乗員のフライトスーツを纏い、腕を組んだまま、大和が沈んだパナマの地平線を静かに見つめていた。その胸元にピン留めされた、数々の熾烈な従軍略綬は、一ノ瀬ほどの陸軍軍人であっても瞬時にそれと知る、特別な輝きを放っていた。
「……桃木中佐だ」
鹿嶽の言葉が、珍しく低く重く沈んだ。
桃木橙子中佐──。
第一機動艦隊・航空空戦隊の『至宝』と謳われた、帝国海軍の英雄。
先の大戦での海峡戦線において、旧式の機体でありながら単機でドイツ帝国空軍の精鋭二十七機を血の海へと叩き落とした不落の撃墜王。
本来ならば、彼女も大和上空の直衛任務を担当するはずだった。だが、彼女の率いる飛行隊が所属する『天鳳』が、突発的なエンジントラブルに見舞われてパナマへの到着が大幅に遅延。それが結果として、彼女たちを「大和轟沈の地獄」から生き残らせることになったのだ。
「……本物の、撃墜女王だ」七宮が息を呑む。
「見るんじゃないよ」浅見がすかさず七宮の肩を叩いた。
「いや、でも……」
「見るなと言ったら、見るんじゃないの。特に気が立っている相手はね」
その制止の気配を察したのか、桃木中佐がゆっくりとこちらを振り向いた。
一ノ瀬と、まっすぐに目が合う。
彼女の鋭い双眸が、一ノ瀬の駆る『零式二型改』を一瞥し、それから一ノ瀬の顔へと固定された。
「──零式二型改、ね」彼女の声は、低く、引き締まっていた。
「随分と珍しい機体に乗っているじゃない。……あぁ、貴方が陸軍の一ノ瀬少佐ね」
「はい」一ノ瀬は短く答えた。
「噂は、カナダ戦線から聞いている」
桃木は、組んでいた腕を解くことなく、品定めするように一ノ瀬を観察した。
「……私たちの、大和が沈められた」
彼女の声に、涙や怒りといった安っぽい感情は含まれていなかった。ただ、骨身に染み付いた冷酷な「物理的事実」を口にするだけのトーンだった。
「海軍の仲間が、数千人単位で死んだ。……そして私たちは、これから陸軍のあなたたちと一緒に、その仇を追うための共同追撃戦をやるそうね」
「そのようです」一ノ瀬は、一歩も引かずに応じた。
「アーリア戦闘団とやらを相手に生き残った実力。頼りにさせてもらうよ、少佐」
桃木はそれだけを言い残すと、再び組んだ腕に力を込め、重油の煙がたなびく太平洋の地平線へと、その冷徹な視線を戻した。
着艦完了からわずか三十分。
格納庫のスピーカーから、耳障りな電子チャイムと共に、緊迫した艦内放送が鳴り響いた。
『──各部隊長は、直ちに第一会議室へ集合されたい。繰り返す、各部隊長はただちに第一会議室へ。ただちに集結せよ!』
大隊の指揮を副長の鹿嶽に委ね、一ノ瀬は複雑に入り組んだ天鳳の隔壁通路を急いだ。
艦内の通路は、機材を運ぶ整備兵、他の船から救援し血と泥に汚れた海軍兵、そして兵站を詰め込む補給担当者が肩をぶつけ合い、蜂の巣をつついたような怒号と喧騒に満ちていた。
大和消失という、大日本帝国における「神話の崩壊」からまだ数時間しか経っていない。誰もが現実を受け止めきれず、しかし自らの役割を全うすべく、狂ったように走り回っていた。
第一会議室の防音扉を開けると、すでに青白い蛍光灯の下に、多くの部隊長たちが席を占めていた。
一ノ瀬は、白城が確保してくれていた隣の椅子に滑り込んだ。遅れて入ってきた桃木中佐が、入り口近くの椅子を音もなく引いた。
教壇の前に立ったのは、天鳳艦長・西村大佐であった。
五十代半ば。長身細身。その左頬には、かつての大戦で刻まれた古い火傷の痕が痛々しく残っている。海軍士官としての完璧な姿勢を保っていたが、その顔には、隠しきれない疲労と、それを力ずくで押さえ込む猛烈な闘志が同居していた。
「──全員、揃ったな」
西村艦長が卓上に広げたのは、南米大陸の最南端、流氷が浮かぶ過酷な『マゼラン海峡』が真っ赤な血のような境界線で示された最新の海図だった。
「現状を、事実のみ整理して説明する。本日、我が第一機動艦隊は建国以来、未曾有の壊滅的損害を被った。戦艦大和以下、十三隻が轟沈。天城、葛城は致命的な大破により、実質的な戦闘能力を喪失。直衛搭乗員の損耗も、甚大な規模に達している」
会議室に、息が詰まるほどの沈黙が満ちていく。
「諸君らも知っての通り、大和は我が日本海軍にとって、単なる一隻の主力艦ではない。……日本の技術力、国家の意志、そしてすべての軍人の誇りの象徴だ。その大和が、独軍戦機部隊の奇襲によって跡形もなく沈められた。この事実が本国に伝われば、国民の戦意に対し、計り知れない絶望的打撃を与えることになる。統合本部は今この瞬間も、情報の漏洩を防ぐための情報統制に苦慮している状況だ」
西村は、そこで言葉を切り、卓上の地図を拳で強く叩いた。
「──だからこそ、我々がここで立ち止まることは、断じて許されん!」
艦長の鋭い声が、会議室の壁を叩く。
「アーリア戦闘団を収容した、大ゲルマン帝国の超大型潜水母艦『ルーデンドルフ』は、現在、パナマ地峡からの全力離脱を図っている。彼らは南下し、この複雑怪極まる『マゼラン海峡』の迷路を抜け、勢力圏である大西洋へ逃げ戻るつもりだ。……もし、奴らをこのまま逃がせば、彼らはベルリンで歓迎を受け、全世界に勝利を喧伝するだろう」
西村の、血走った鋭い眼光が、並み居る陸海の精鋭たちの顔を射抜いて回る。
「だが、そんな事など断じて許されない。我々がその進路を遮り、マゼランの凍てつく海で奴らを引きずり出し、撃滅する。『大和を葬った悪魔を、我々が地獄の底で仕留めた』。その事実だけが、本国の国民の心が折れるのを防ぐ、唯一にして絶対の防波堤となるのだ」
誰かが、張り詰めた肺から熱い呼吸を漏らした。
「本艦『天鳳』は、これより日本軍の総力を挙げた追撃戦の、移動式洋上基地となる。マゼラン海峡までの海路は長く広大で、敵を補足できる機会は、そう多くないだろう」
西村大佐は、両手を卓上に強く突いた。
「だが、諸君に問う。大和は沈んだ。多くの戦友が死んだ。……こうして生き残った我々の責務はなんだ? ──無論、戦うためだ!! アーリア戦闘団を、何人たりとも大西洋へ逃がすな。ルーデンドルフごとマゼランの底へ引きずり下ろせ。それが、今この瞬間の、我々全員の絶対責務だ。それだけが、大和の底で冷たくなっていった英霊たちに捧げられる、唯一の血塗られた鎮魂歌である!」
西村艦長は顔を上げ、氷のような冷徹さで言い放った。
「以上だ。これより、我々は潜水空母『ルーデンドルフ』追撃戦を開始する!」




