44話 レセップス作戦②
密林は、想像を絶するほどに静まり返っていた。
それが、一ノ瀬が最初に覚えた、肌を粟立たせるような違和感だった。
1953年7月9日、作戦二日目。
第七独立戦機大隊は、パナマ運河西岸に広がる湿った熱帯雨林を北上していた。最終水門を目指して泥濘を踏み越える、合衆国連邦軍『第一戦機師団』の側翼を遮蔽しつつ、遭遇した残敵を掃討する。それが彼らに与えられた任務だった。
「──左前方、微弱な熱源反応」
先行する南の機体から、押し殺したトーンの報告が入る。
「全機、停止。地表へ伏せろ」
一ノ瀬は静かに命じた。
電子センサーは湿気で事実上死んでいたが、カリフォルニアの森で鍛え上げられたパイロットたちの「肉眼」は機能していた。鬱蒼としたシダの葉が群生する五百メートル先、巨木の根元で、不自然な緑の揺らぎがあった。
「パナマ共和国軍だな」副長の鹿嶽が、照準器の倍率を上げながら吐き捨てた。
「こちらの接近にまるで気づいていない。マヌケな野郎どもだ。……少なくとも、独軍じゃないな」
「数は」
「七、いや八機。旧式のⅣ号戦機だ。外装の防湿処理もまともになされていない。装甲、火力ともに、我々の敵ではないな」
「桐島、右から回り込んで退路を塞げ。浅見は左翼。俺が正面から注意を引き付ける。──行け」
「了解」
二人のベテランの応答が重なる。
展開に要した時間は、わずか二分に満たなかった。桐島の六式が右翼の巨木を蹴って突入した瞬間、浮足立ったパナマ軍の隊列は一瞬で崩壊した。あとは、一方的な「作業」に過ぎなかった。戦闘を放棄して投降した者は拘束し、武器を捨てて逃走する者はあえて追わなかった。
「……これで四回目だ」七宮が、電磁砲の排熱を行いながら、コックピットの中で額の汗を拭った。
「今日だけで、四回目の待ち伏せだぞ」
「しかも、全部パナマ軍のポンコツばかりだ」南も怪訝そうに応じる。
「独軍の正規部隊が、ただの一度も姿を見せないのはどういうことだ?」
一ノ瀬は二人の対話を意識の端で聞きながら、霧に煙る密林の奥、その暗い深淵を見つめていた。
戦域の進捗報告が、作戦マップに更新される。
リー大佐率いる米第一戦機師団は、予定タイムラインを二時間も前倒しして第一水門の外縁に到達。東岸ルートを強襲する白城の第一陸戦大隊も、ほぼ無抵抗のまま進撃を維持していた。海上では第一機動艦隊が圧倒的な制海権を誇示し、後方からの兵站線も完璧に機能している。
すべてが、順調だった。
冷酷な軍事地政学の常識を疑いたくなるほど、あまりにも、都合よく進みすぎていた。
「鹿嶽」一ノ瀬が声をかけた。
「何だ、少佐」
「この戦況展開、お前はどう見る」
「……現地軍を『肉の壁』として使い潰し、前線の消耗を担わせているのだろう」鹿嶽は実務的な予測を述べた。
「運河地帯に篭もる独軍主力は、陣地の防壁を楯に、我々をジャングルの深部まで十分に引きずり込んでから叩く──。それは、当初から想定されていたシナリオだ」
「ああ。だからこそ、計算が合わん」
一ノ瀬は、零式二型改のコンソール上に、自らの手で簡易的な進撃曲線を引いた。
「独軍が『陣地防御』に徹するつもりなら、パナマ軍による待ち伏せは、その絶対的な『時間稼ぎ』でなければならない。我々の進撃速度を一日でも、一時間でも遅らせるために。……だが、今の戦闘はどうだ? 共和国軍の抵抗はただの散発的な自殺行為に過ぎず、こちらの進撃を露ほども遅滞させていない。つまり──」
一ノ瀬は、そこで思考を止め、地峡を覆う巨大な緑の天蓋を睨みつけた。
「──独軍には、ハナからこの運河を、血を流してまで死守する意思がない。あるいは」
「あるいは?」
「運河防衛以外の何か別の『目的』のために、動いているかだ」
通信回線が、水を打ったように静まり返った。
切り開かれた巨木の間から、陽光を浴びて鈍くきらめくパナマ運河の水面が、不気味なほど穏やかに見えていた。
───
──7月10日、作戦三日目。午前十一時。
リー大佐率いる合衆国連邦軍『第一戦機師団』の先鋒部隊は、パナマ運河の心臓部──最終水門まで残り二キロの地点にまで到達していた。
鬱蒼とした密林が徐々に薄れ、視界が開け始める。
地峡の中枢に近づくにつれ、人為的に切り開かれた緑の隙間から、無機質なコンクリートの巨大構造物群がその姿を現し始めていた。水門管理施設の、要塞と見紛う重厚なコンクリート建屋が、陽炎の向こうで白く聳え立っている。
「目標の最終水門まで残り二千ヤード!」
先頭を行く副官の、興奮と安堵の混じった声が通信機から響く。
「このまま平押しを維持すれば、午後一時前には目標を完全制圧できます、大佐!」
「焦るな、周囲の警戒を怠るんじゃない」
リーは、M24パーシングのコックピットで、FCSに表示される冷え切ったパラメーターに目を凝らしながら部下を叱った
「パナマ軍の残党に、足元をすくわれるなよ。……防湿ハッチを開け、視認索敵を怠る──」
その瞬間、前方の『緑』が、まるで巨大な怪物の顎のように、一斉に裂けた。
いや、それは「爆発した」のだ。
青々と生い茂る原生林と、精巧な赤外線遮断用カモフラージュネットの底から、鋼鉄の巨躯群が、砂煙と怒号と共に一斉に立ち上がった。
一機や二機ではない。十、二十、三十──。
広帯域オプティカルセンサーが、限界を超えた異常ターゲット数を検知して金切り声を上げ、リーはその画面を凝視したまま、心臓が凍りつくのを感じた。
これまで一度も姿を現さなかった。欧州と、今まさに北米を席巻している独軍戦機部隊たちが、このジャングに潜伏していたのだ。
それが、いつから牙を研いで待ち伏せしていたのか、想像することすら恐ろしかった。
「──総員、撃て! 応戦しろ!」
リーは操縦桿を引きちぎらんばかりに引き、絶叫した。
「散開、散開! 足を止めるな、密集するな! 殺されるぞ!」
ドガァァン! と、空間を激しく震わせる128ミリ電磁砲の超高速徹甲弾が、先頭を進んでいた米軍のパーシング三機を一瞬で、文字通りスクラップへと変え、爆発の紅蓮が原生林をオレンジ色に染め上げた。乗員脱出のスモークシリンダーが、黒煙の中に虚しく飛び散る。
リーは機体を強引に横へ跳ばし、激しいGに耐えながら、周囲の戦況を必死に把握しようとした。
(──クソが! これまで相手にしていた共和国軍の旧式とは、次元が違いすぎる!)
降り注ぐ徹甲弾の雨。
敵の中核に鎮座するのは、重装甲のⅤ号『ヴォルフ』、そしてあのカナダで悪夢を見せたⅥ号『レーヴェ』。
その数はすでに四十を超えていた。
これまで徹底して戦意を隠し、一度も姿を現さなかっ主力が、この最終水門の手前という、米軍が最も油断し、進撃速度を上げて密集した「最悪のキルゾーン」に、全兵力を集中させて待ち構えていたのだ。
「押しつぶされるぞ! 動け!」リーは狂ったように通信機へ怒鳴り散らした。
「第二大隊、左翼のブッシュに潜り込め! 第三大隊は右の残土を楯にして、ひたすら反撃を維持しろ! 立ち止まった機体から順番に、あの獅子の餌食になるぞ!」
「──大佐! 被弾、右脚駆動系が、うわぁぁぁ!」
副官のパーシングが、レーヴェの重徹甲弾をまともに浴び、装甲板を激しく火花と共に爆散させて大きく傾いた。辛うじて機体を立て直したものの、スラスターから不気味な黒煙が噴き出している。
「──司令部へ、いや、周囲の全日英部隊に緊急暗号を打電!」
リーは操縦桿を握る両手に血を滲ませながら、必死にパーシングを遮蔽物の影へと滑り込ませた。
「こちら米国第一師団! 最終水門手前千五百ヤード地点にて、大規模な独軍装甲部隊と交戦中! 奇襲を受け、全戦線が崩壊の危機にある! 直ちに、直ちに最大規模の増援と支援を要請する! 繰り返す、我々は罠に嵌まった! 支援を!」
密林の湿気と、独軍が組織的に散布している強力なジャミング電磁波により、通信モニターには砂嵐とノイズが激しく踊る。
並の指揮官なら半狂乱になりそうな状況であるが、合衆国の命運を託された彼は違った。目の前の問題を直視しながら、戦場の違和感を瞬時に察しとったのである。
(──この近接戦闘の質量の差は、近隣部隊からの戦術支援だけでは、絶対に押し戻せん。洋上の艦隊からの支援も必要だ。だがしかし……)
「第一機動艦隊へ、直通の極秘超長波回線を開け!」
リーは命じた。
「洋上の大和へ直接、緊急要請を叩き込む! ──日本艦隊の主砲による、艦砲射撃支援の座標データをただちに送信しろ!」
「大佐、狂っています!」副官が、煙を噴くコックピットから必死の形相で叫び返した。
「この至近距離での艦砲撃ですぞ! 大和の46センチ砲が直撃すれば、敵も我々も、この密林ごと一瞬で蒸発します! 航空支援に留めるべきでは!?」
「わかっている!」
リーは、正面から迫りくる独軍のⅥ号レーヴェの、巨大な死神のような砲口を見つめ、歯を剥き出しにした。
「だが私の直感を告げているのだ!! ゲルマンのクソった共は、まだ『ワイルドカード』を隠しているとな!!」




