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35話 再戦②

前回と同じ轍は、二度と踏まない。一ノ瀬はアドラーとの距離を一気に詰めながら、機体を左右非対称に激しく蛇行させた。人間の生理的限界を無視した、不規則できわめて予測困難な軌道。アドラーの射撃管制を狂わせるための機動だ。

だが、クーメルのアドラーは静止したまま微動だにしなかった。

一ノ瀬が必殺の射程に踏み込んだ、その瞬間。

アドラーが、重力を遮断したような滑らかさで動いた。跳躍ではない。横滑りするような機動。それは一ノ瀬が予測した機動の、完全に「逆方向」だった。

放った120ミリ電磁砲の光条が、虚しく空間を切り裂く。

 

(──速い!)

 

前回を上回る反応速度。一ノ瀬は瞬時に理解した。あの日、極寒の谷道でクーメルが見せた動きは、性能を「試していた」に過ぎなかったのだ。今、奴は本気でシステムを稼働させている。

アドラーが電磁砲で反撃に出た。高周波ブレードではない、超高速徹甲弾の斉射。

一ノ瀬は機体を半転させて辛うじて致命線から逃れたが、左肩の複合装甲が薄く抉られ、火花を噴いた。掠めただけ。それなのに、コクピットを激しく揺さぶる衝撃は、あの日零式の手足を奪った絶望そのものだった。

一ノ瀬は一気にスラスターを逆噴射し、距離を開けた。

 

『良い機体だな、一ノ瀬少佐』

 

ノイズのない通信回線から、クーメルの穏やかな声が流れる。

 

『だが、機械のガワを少しばかり取り替えた程度で、この絶対的な差を埋められると?』

 

アドラーが、地を這うような超低空から一瞬で上昇し、一ノ瀬の懐へ飛び込んできた。下から上への斬撃。一ノ瀬は上昇スラスターを全開にしてそれをかわそうとしたが──。

そこに、すでに高周波ブレードの白熱する死線が回り込んでいた。

完全に機動を先読みされていた。

咄嗟に左腕のシールドブロックを盾にして受けた。ブレードが装甲板を激しく削り、超高熱の金属融解液が飛び散る。左腕の関節駆動系に致命的な深度のエラー信号が点滅するが、一ノ瀬は強引にスラスターを吹かして再び距離を取った。

 

『どれほど機体を替えても、操る人間の「癖」までは書き換えられない』

 

一ノ瀬は荒い呼吸を整え、明滅するコックピットのコンソールに視線を走らせた。

左腕のパラメーターが二十パーセント低下。戦闘開始から、わずか三分。一瞬でここまで追い詰められた。

前回は両脚を切断された。今回も、その破滅へと至るカウントダウンがすでに始まっている。

クーメルは一ノ瀬の動きの「二手先」を見据えてような、戦いぶりを見せつけてくる。

 

(なら、二手先をさらに踏み潰すだけ……!)

 

一ノ瀬は再び、スロットルを押し込んだ。今度はフェイントなし。最短距離を、ただ最大推力のみで突っ込む。

アドラーがその直線軌道をあざ笑うように側面へスライドした。一ノ瀬は強引に機首を捻り、アドラーを視界に捉え直しながら電磁砲を至近距離で放った。

弾丸は、アドラーの残像を掠めて外れた。

だが、その強引すぎる射撃は「牽制」として機能した。クーメルが、次の回避行動を対処するコンマ数秒の遅れが生じる。

その一瞬を、一ノ瀬は逃さなかった。右腕にマウントされた高周波ブレードを展開。右肩をきしませながら、アドラーの腰部結合部へと力任せに叩きつけた。

激しい金属摩擦音。

アドラーの腰部装甲板がひしゃげ、激しい火花が飛び散った。深くはない。しかし──あの日から初めて、奴に刻み込んだ、確実な一撃。

アドラーが大きく退がり、一定の距離を取って静止した。

 

『……なるほど』

 

クーメルの声から、わずかに余裕が消え、硬質な冷たさが混じった。

 

『多少は、使える玩具になったようだ。楽しませてくれる』

 

「勘違いするな。お前の能書きを聞くために、わざわざ新車に乗換えてきたわけじゃないんでね」

 

『いいえ、これは分析ではなく、純粋な賞賛ですよ』

 

アドラーが再び跳んだ。上に跳躍したと見せて瞬時に左へ機動、そこから重力加速度を利用して急降下する、常識外れの「三次元複合機動」。あの日、一ノ瀬すら見ていないアドラーの本領。

一ノ瀬は本能のまま回避行動を取ったが、完全には避けきれなかった。

右肩に激しい衝撃。直撃ではない。アドラーの質量そのものが衝突したのだ。零式二型改の右腕の反応速度が、急速に低下していく。

距離を開けた。また、開けざるを得なかった。

アドラーは巨大な製鉄所の煙突の影に滑り込み、再び静止した。

動かない。また、こちらの出方を待っている。

一ノ瀬は機体を正面に向けたまま、思考を高速で回転させた。このまま小手先の技術で打ち合えば、削り切られるのはこちらの装甲だ。最終的には、あの谷道とまったく同じ「全損」という結末に辿り着く。

 

『正直に、現実を申し上げましょうか』

 

煙突の影から、クーメルの穏やかなトーンが戻ってくる。


『少佐。君は強い。この旧人類の限界点においては、おそらく最も私に近い。前回の短刀の一撃は、確かに私の演算の外にあった。そして、今しがた腰部に刻まれた打撃も。……認めましょう』

 

一ノ瀬は答えず、ただ計器を睨みつけていた。

 

『ですが、近いということは、届くという意味ではないのだ。君自身、いま肌で感じているはずだ。私の動きが、読めそうで読めない。届きそうで、決して届かない。……そのコンマ数秒、数センチの隔絶こそが、遺伝子レベルで決定づけられた、超えられない設計上の限界なのです』

 

アドラーが、煙突の暗闇から静かに、優雅に滑り出てきた。

急がない。時間は自分たちの味方であり、獲物はすでに手負いであると完全に理解している者の、余裕に満ちた歩調。

 

『私は、理想の人類としてライプニッツ研究所の設計図通りに生み出された。反射速度、状況演算、人工筋肉の出力。そのすべてが、君たち旧人類の生理的限界を遥かに超越して最適化されている。君がどれほど戦場で泥水をすすろうが、最新の機体を取り寄せようが、この壁だけは越えられない。それは才能の多寡ではなく、設計の次元が違うのです』

 

「……そうだな」

 

一ノ瀬は、低く応じた。

通信の向こうで、クーメルがわずかに息を呑む気配がした。敗北の肯定など、彼が用意した問答には存在しなかったのだろう。

 

「お前の言う通りだ、クーメル。俺は、個人の能力でお前には逆立ちしても勝てん」

 

一ノ瀬は、零式二型改のスロットルから、わずかに力を抜いた。

 

「だがな──ここ(戦場)は、能力の優劣を競う競技場じゃない」

 

『……何を言っている』

 

「戦争は、一対一じゃ成立せんからだ」

 

その瞬間、地表の暗闇が「爆ぜた」。

廃墟の瓦礫に身を潜めていた一機の影──右腕を喪失し、戦闘不能と判断されていたはずの、白城少佐の六式。

彼は撤退などしていなかった。機体をコンクリートの死角に完全に潜め、アクティブセンサーを切り、ただの一度きりの「機」を、掴み取るため待ち続けていたのだ。

残された左腕一本で、限界まで電磁加速(チャージ)した120ミリ電磁砲の、完全な死角からの、無慈悲な狙撃。

アドラーの胸部装甲が、正面から無造作に貫かれた。

動力炉への、完全な直撃だった。


『──ば、か、な──ッ!?』

 

爆発自体は、小さかった。

 

しかし、超高度にシステム化された精密機械の「心臓部」を内側から崩壊させるには、それで十分だった。

アドラーの金色の電子眼が、瞬時に光を失って明滅する。四肢の人工筋肉から力が抜け、機体はその強大な質量と重力に従って、廃墟のコンクリートの床へとあっけなく崩れ落ちた。

重低音だけが響いていた戦場に、静寂が訪れる。

一ノ瀬は、ただその鉄屑を見下ろしていた。

通信回線に、白城の、相変わらず優雅で落ち着いた声が流れてきた。

 

『──一ノ瀬少佐。これで、貸しは帳消しだな』

 

一ノ瀬は、深く、深く息を吐き出した。

 

「……助かった。見事な狙撃だ」

 

『お互い様だ。貴方が命懸けで奴の「視線」を釘付けにし、講釈に付き合ってくれなければ、狙いを定める隙すら得られなかった』

 

一ノ瀬は、崩れ落ちたアドラーを見つめていた。

これほど圧倒的で、超人的な性能を誇った「新人類」が、無防備な背後からの一撃で、こうもあっけなく沈んだ。

どれほど設計が完璧であっても、戦場に「絶対」は存在しない。死角は等しく存在する。システム化された美しさは、泥まみれの想定外から己を守る盾にはなり得ないのだ。

能力が優れた者ではなく、最後まで泥臭く生き残ろうとした者が勝つ。

それが戦場を生き抜くための、たった一つの真理。クメールはその資質に限っていては、一ノ瀬や白城に対し劣っいた


他のアーリア戦闘団の機体も桐島や浅見の活躍により数を減らしており、クメールの戦死が決定打となって撤退を始めていた。


一ノ瀬は、全体通信に切り替え、静かに命じた。


「全機、陸戦兵団の負傷機を牽引しろ。これより総員、戦域を後退する。任務完了、俺たちの勝ちだ」

 

『了解!』

 

夜の闇を突き抜けて、若い兵士たちの、引き締まった返事が次々と帰ってきた。その声は自信に満ち溢れており、聞いていた一ノ瀬は頼もしい気持ちになった。

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