25話 再編①
第三次大戦が勃発してから、初めての正月が来た。
バンクーバー、在カナダ日本軍司令部。再編のために戦線を離脱し、後方へ引き上げてからようやく二週間が過ぎようとしていた。
司令官・大幡の執務室。一ノ瀬は着席したまま、電子端末の画面に並ぶ無機質な数字を凝視していた。
「任務が任務とはいえ、だいぶ手酷くやられたな」
大幡の指が、冷徹な統計をなぞる。
「六式の喪失は一機。伏野准尉の機体だ。……だが、中核たる四式の損耗が看過できん。三十六機中、十八機を喪失。ちょうど半数だ」
一ノ瀬は無言で頷いた。その数字は、自らの血で書き上げた痛恨そのものだった。
アドラーに伏野が討たれた後も、大隊は執拗な独軍の追撃を振り払いながら、断退戦という地獄を這いずり回った。クーメル率いる『アーリア戦闘団』との再戦こそ免れたが、通常の独軍部隊との交戦で、満身創痍の四式は次々と屑鉄に姿を変えた。
「乗員だけは全員生還させたようだな。……機体は捨てても、人は見捨てない。お前らしい甘さだ」
「機体はまた造れます。しかし、熟練の乗員の代わりはどこにもいません」
一ノ瀬の低い言葉に、大幡は顔を上げ、皮肉げな笑みを浮かべた。
「よし。今月半ばに本土から到着する補給船団から、お前の大隊へ優先的に機体を回してやる。船団がUボートの餌食にならないよう、精々祈っておくんだな」
「……感謝します」
「礼には及ばん。必要な戦力を必要な場所へ投じる。それだけのことだ」
大幡は再び端末に目を落とし、事務的なトーンで告げた。
「それと、良く任務を果たした褒美だ。一ヶ月の休養を『命じる』」
「命令、でありますか」
「ああ、命令だ。次の任務まで、良く食い、良く飲んどけ。もう下がっていいぞ」
一ノ瀬は頷き、退室した。
廊下を歩きながら、彼は大幡の言葉を反芻していた。この男は自分を、ひいては長田派閥の流れを汲む者たちを警戒してきた。その男が、優先手配という露骨な「恩」を売り、さらに休養を「命令」した。
(一ヶ月後には、断りきれないほど重い任務が来るかもな……)
大幡は、そういう手回しを欠かさない男なのかもしれない。一ノ瀬は一月の刺すような冷気の中、重い足取りで玄関へと向かった。
司令部の車寄せには、一台の軍用車が停まっていた。運転席から桐島が顔を出す。
「お待ちしていました、少佐」
助手席に乗り込むと、車は灰色の霧が立ち込めるバンクーバーの街へと滑り出した。しばらくの沈黙。桐島は視線を真っ直ぐ前に固定したまま、滑らかな手つきでハンドルを捌いている。
「桐島」一ノ瀬が切り出した。
「言いそびれていた。色々と気を使ってくれたようで、礼を言うよ」
桐島の手が、わずかに動いた。
「アドラーに七宮と南が狙われた時、お前が割り込まなければ二人は死んでいた。……それだけじゃない。あの後も、俺が指揮に追われている間、若い連中の面倒を見てくれたそうだな」
「職務の範囲です」
「そういう話じゃない。七宮が伏野を失って動けなくなった時、お前が掛けた言葉……鹿嶽から聞いた。南が整備班に当たり散らしたのを収めたのも、お前だそうだな」
「あれは南が悪かったです」
桐島が、淡々と、しかし芯のある声で言った。
「整備班に当たるのは筋違いだ。叱って当然です」
「叱り方だ。お前は南に、自分の過去を……かつて戦友を失った時の話をしたそうじゃないか」
桐島は答えなかった。信号で車が止まり、窓を叩く雪混じりの雨音が、車内の静寂を際立たせる。
「怒りをどこへ向けていいか分からない苦しさは、理解できると言っただけです。私も、かつてはそうでしたから」
「感謝している。本来、それは隊長である俺の仕事だ。それを、お前に肩代わりさせた」
信号が青に変わる。
「大隊長の仕事は、他にあるはずです」
桐島はアクセルを静かに踏み込んだ。
「俺のような、前線しか知らぬ人間がその間を埋めるのは、当然のことです」
「そうだな。そういうことにしておこう」
「それに、過度な心遣いはアイツらには不要ですよ。自分たちなりに、折り合いはつけているようですし」
「そうか……。やっぱり、俺達の頃より、今の若い連中の方が器用で、戦争上手なのかもな」
一ノ瀬がそう言うと、桐島の口端が、ほんのわずかに動いた。笑ったのか、それ以外の感情表現なのかは判然としなかった。
霧の深いバンクーバーの街並みが、二人の横顔を等しく灰色に染めていった。
──
扉が閉まった。執務室に一人残された大幡は、しばらく椅子に深く座ったまま動かなかった。
「悪運の強い男だ」
誰にともなく、吐き捨てるように呟いた。
「だが、次は保たんだろう」
引き出しから物理的な鍵を取り出し、机の端に置かれた重厚な金庫を開ける。中には、暗号化された電子端末が一台だけ収められていた。司令部のネットワークとは物理的に隔離された、独立端末だ。
電源を入れ、幾重もの認証を通す。
新規ドキュメントを開き、彼はある件名を入力した。
「冬季反攻計画『突号作戦』」
「……その悪運が続くうちは、せいぜい役立たせてもらうとしよう」
大幡は再び指を動かした。
主のいない冬の執務室に、無機質なキーボードの打鍵音だけが、死の足音のように静かに響き続けた。




