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23話 日英戦前史(1940年代)①

1940年に勃発した第二次大戦は、幾分の困難を経つつ半世紀以上続く日英同盟勢力にとって極めて好都合なものであった。


開戦当初、英国政府の基本方針は明快だった。ドイツ帝国主義とコミンテルン共産主義の共食いを黙って見物する。どちらが勝とうと互いに消耗し、欧州大陸の覇権は棚上げされる。英国はその間、島の防衛を固め、植民地からの富を蓄え、漁夫の利を得る。日本も同じ計算で、欧州の火事を遠くから眺めていた。

しかし1941年春、その算盤が狂い始めた。

タネンバウム作戦によってフランスが三週間で降伏した。予測を大幅に上回る速さだった。続くフリードリヒ作戦でソ連赤軍三百万がワルシャワ近郊で包囲殲滅され、赤軍の西方展開能力は事実上崩壊した。ドイツ帝国による欧州大陸の完全制覇が、もはや絵空事ではなくなっていた。


ロンドンの首相官邸で夜を徹した閣議が開かれた。結論は一つだった。このまま傍観すれば、英国は欧州から孤立したまま、圧倒的な経済力と軍事力を持つドイツ帝国と単独で向き合うことになる。フランスという緩衝は消えた。ソ連という対抗勢力も潰えようとしている。今動かなければ、二度と動ける状況は来ない。

同時に、東京でも同じ議論が行われていた。欧州でドイツが全てを飲み込めば、次に向く先は太平洋だ。ドイツの南洋基地、インド洋の通商破壊、中東の石油。既にその輪郭は見えていた。英国から参戦要請が届いた時、日本の閣議はむしろ待っていた、という空気だったという。


1941年12月8日。夜明け前。

キール軍港に英国王立海軍の艦載機が殺到し、ドイツ大洋艦隊の主力艦三隻が係留中に撃沈された。同じ時刻、トラック諸島近海に日本海軍機動部隊が姿を現し、ドイツ東洋艦隊の本拠地が炎上した。電撃参戦だった。どちらの奇襲も、ドイツ側には全く予期されていなかった。

日英同盟が牙を剥いた後、戦況は新たな局面へと移った。


日本は南太平洋のドイツ勢力を早々に駆逐した。トラック諸島を奪取し、マダガスカルのドイツ海軍基地を無力化し、インド洋の通商路を回復した。その後、日本は二つの戦線に兵力を振り向けた。

一つは「大陸戦線」。ソ連赤軍の残存勢力と連携し、ウラル以西で押し戻されたロシアの再建を支援しながら、東欧のドイツ傀儡政権を順次崩していく長い消耗戦だ。日本の機甲部隊と戦機部隊がシベリア鉄道経由で西へ向かった。

もう一つは「海峡戦線」。英国本土を守るドーバー海峡の制空・制海権を巡る戦いだ。ドイツ海軍の潜水艦と快速巡洋艦が英本土への補給路を狙う中、日本海軍の護衛部隊と空母機動部隊がその封鎖を破るために大西洋へと展開した。


二つの戦線は、それぞれ別の顔を持っていた。大陸戦線は泥と雪の消耗戦。海峡戦線は海と空の機動戦。そしてどちらの戦線にも、帝国陸海軍の若い戦機将校たちが送り込まれ、戦い方を覚え、生き延びた者だけが帰ってきた。


しかし、参戦の決断が遅すぎた代償は、想像以上に重かった。

大陸戦線では、日本が戦力を投入した時点でソ連赤軍の骨格はすでに折れていた。ウラル以西の主要都市を結ぶ補給網は断たれ、各地の守備隊は孤立した島のように点在するだけだった。日本軍の到着は、崩壊の速度を幾分か緩めたに過ぎなかった。

1943年。ドイツ帝国軍は三度にわたってモスクワへの総攻勢をかけた。一度目は撃退された。二度目は郊外まで達した。三度目の攻勢は、前二回の消耗を踏まえて練り直された作戦だった。Ⅵ号戦機レーヴェの集中運用と砲兵の精密支援を組み合わせたその突破力は、モスクワ防衛線を外縁から順番に剥がしていった。

クレムリンの地下指揮所で防衛戦を指揮した指導者は、最後まで撤退を拒否しモスクワとともに死んだ。政治局員の大半も同じ運命を辿った。ソ連という国家の意思決定機構は、モスクワの陥落とともに事実上消滅した。

1944年冬、ドイツ軍の先鋒はウラル山脈の麓に達した。山岳地形を前に補給線が限界に達し、前進は自然に止まった。銃声が止んだわけではなかったが、組織的な戦闘は終わった。停戦交渉の相手すら定まらないまま、大陸戦線は静かに幕を閉じた。


事実上の敗北だった。日本とソ連、双方にとって。

一方、海峡戦線では別の悲劇が進行していた。

1944年夏。ドイツ帝国は大陸戦線が収束しつつあるのを見て、その余剰戦力を一点に集中した。作戦名「ゼーレヴェ」。

 

Ⅴ号戦機ヴォルフとⅥ号戦機レーヴェを大量投入した海峡突破作戦は、それまでの戦いとは次元が違った。どちらも陸海空を問わない統合機だった。ドーバー海峡の制空権を奪いながら、同時に上陸部隊の直接支援を行い、英国の沿岸砲台を一つずつ潰していく。日本海軍の護衛艦隊が懸命に阻止しようとしたが、大西洋からの補給線ごと断ち切られ、海峡の制海権を維持できなかった。

上陸から六ヶ月後の1945年初頭、ロンドンが陥落した。

英国政府はスコットランドに後退し、その後カナダのバンクーバーへと亡命した。ブリテン島は失われた。半世紀以上の間、ヨーロッパの外で唯一ドイツに対抗し得た海洋帝国の本拠が、こうして地図から消えた。

残されたのは、インド帝国、カナダ、そして日英同盟の盟友として戦い続ける日本だけだった。もはや勝利は望み薄ではあったが、敗北はしていない。

 

彼らの戦争は、まだ続いていた。

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