21話 伏撃①
オンタリオ州北部、湖沼地帯の外縁。
十二月の硬く冷えた大気が、戦機の外装板をきしませていた。水面には薄氷が張り詰め、月光を鋭く跳ね返している。第七独立戦機大隊は丘陵の影に身を潜め、獲物を待っていた。
独軍の通信を傍受し、谷道を通過する補給列車を叩く。岩と枯れた針葉樹に擬装を施した機体群は、死を待つ猛禽のように静止していた。
「……なあ」
三人だけの秘密回線に、七宮の声が滑り込んだ。訓練中に彼が見つけた、公式記録に残らない空き周波数。今では七宮、伏野、南の三人だけが共有する、戦場の「隠れ家」だった。
「今日まで何回目だっけ、俺たち」
「九回目」
伏野が即座に、事務的な口調で答える。
「九戦九勝、損害ゼロだ」
「なあ……俺たち、凄くない?」
「ああ、凄えよな」
南の声には、隠しきれない全能感が滲んでいた。
「特に、俺の射撃がさ」
「図に乗るなよ。前回の強襲で一番機を仕留めたのは俺だぞ」
伏野が鼻で笑う。
「桐島さんより速かった」
「あれは混乱して棒立ちだっただけだ。誰でも当たるさ」
南が軽口で応じる。
「俺の四番機の方が難しかった。回避運動に入りかけたところを脚から砕いたんだ。あれを逃してたら、鹿嶽副長が危なかったかもしれないぜ」
「それを本人の前で言ってみろよ。制裁の飲み比べに付き合わされて、朝まで地獄を見るぞ」
七宮の冗談に、伏野が微かに笑う気配がした。
「まあ、実際のところ俺たちは強い。傷一つ負わずに、あの独軍を相手にこれだけやれるなんてな。訓練学校じゃ、独軍の戦機は悪魔の化身みたいに教え込まれたもんだけど。一ノ瀬隊長にもこの前檄入れられたけど、拍子抜けってもんさ」
「だよなぁ」
七宮が言葉を継ぐ。
「最初は、実戦ってもっと……こう、内臓が飛び出すような恐怖があると思ってた。でも、案外やれる。思ってたより、世界はシンプルだ」
「わかる」
南が同調する。
「今はもう、楽しいとさえ思う。敵を捕捉して、少佐の合図で引き金を引いて、粉砕して、消える。あの『噛み合った』瞬間は最高だ」
「俺たち……案外、戦争に向いてるのかもな」
半ば冗談めかした七宮の言葉が消えないうちに、全体通信が冷徹に割り込んだ。
「全機、聞け。谷道東端に目標確認。……輸送車列ではない」
一ノ瀬の声だった。いつもより、わずかに重い「間」がある。
三人は反射的に秘密回線を閉じた。
「繰り返す。輸送車列ではない。戦機部隊だ。機種不明──形状から新型と判断する。各機、現在位置で待機。俺が確認する」
一ノ瀬の零式が、音もなく稜線から首を覗かせた。暗視モニターに映し出されたのは、従来のドイツ機とは一線を画す、不気味なほどに洗練された輪郭だった。
Ⅵ号「レーヴェ」より一回り大きい。しかし、装甲の重なりは「機械」というより「筋肉」を彷彿とさせた。無骨な工業製品の概念を脱ぎ捨てた、有機的なまでのスマートさ。
Ⅶ号戦機──「アドラー」
「鹿嶽」
一ノ瀬が呟く。
「見えている。歩行時の重心移動が、レーヴェとは比較にならん。見た目以上に素早く厄介そうな機体だな」
「ああ」
一ノ瀬は四秒、思考を加速させた。谷道は狭く、両側は急斜面。こちらの伏撃位置からなら、敵が稜線を超えるまで反撃の射角は取れない。地形の利、先制の利。条件は依然として、こちらにある。
「全機、予定通り行く。俺が先行する。合図を聞き逃すなよ」
複数の肯定が返る。一ノ瀬は零式を低く沈め、稜線ギリギリを滑るように加速した。谷道まで百、五十、三十──。
「──今だ!」
一ノ瀬の零式が稜線を飛び越え、空中に身を躍らせた。
だが、その瞬間に一ノ瀬の背筋を戦慄が走った。
先頭のアドラーが、すでにこちらを「見ていた」。
奇襲のはずだった。だが、稜線から機影が露出したコンマ数秒後、敵機はすでに砲口を完璧に固定していた。まるで、そこに現れることをあらかじめ確信していたかのように。
「──ッ!」
一ノ瀬は反射的に姿勢制御スラスターを全開にし、機体を横へ叩きつけた。
炸裂音が夜の静寂を切り裂く。自機の右肩装甲が、掠めただけでひしゃげ、吹き飛んだ。
「回避しろ! 反応速度が異常だ、突っ込むな!」
しかし、警告はあまりに遅すぎた。
左翼から飛び出した鹿嶽、浅見、桐島の三人は、歴戦の直感で致命的な射線を回避していた。だが、右翼から躍り出た、万能感に酔う三機──七宮、伏野、南は、すでに敵の「キルゾーン」に深く踏み込んでいた。
谷道の奥、闇の中に潜んでいた別のアドラーが、滑らかな動作で立ち上がった。
待ち伏せに対する、完璧なカウンター。伏撃を「予見」した上での罠。
高出力電磁砲の鋭い発射音が谷間に響き渡る。
伏野機の胸部装甲が、正面から無造作に撃ち抜かれた。
「爆発」ですらなかった。あまりの超高速弾に、機体中央部は抵抗の暇もなく「蒸発」した。コックピット・ブロックを含む上半身が、原形を留めぬ鉄屑と化して谷底へ崩れ落ちる。
「……伏野!?」
七宮の絶叫が通信を震わせた。
返答はない。そこにあったのは、圧倒的な「死」の静寂だけだった。




