20話 アーリア戦闘団
オンタリオ州南部、廃工場を急造の作戦盤で埋めた独軍西方軍集団前線司令部。
大型の換気扇が回る不快な重低音の中、参謀長が「ビスマルク作戦」の戦果報告を読み上げた。地図上では、オンタリオ南部の要衝は次々と黒十字の旗に塗り替えられ、日本軍第9師団と英軍第51師団は後退を続けている。数字の上では、進撃は予定通りの曲線を描いていた。
「……損害を述べよ」
司令官、ヴィクター・モルドー大将が低い声で遮った。
参謀長の手がわずかに止まる。
「通常の前進損害に加え、後衛戦闘での損失が予測値を大幅に超過しています。過去六日間で、大隊規模以上の先鋒部隊が五度にわたり強襲を受け、いずれも戦闘継続不能な打撃を被りました」
「五度」
モルドーがオウム返しに呟く。
「すべて同じ部隊か」
「証言と戦闘パターンから、日本軍の同一部隊と推定。新鋭の六式戦機を中核とした独立大隊です。稜線や廃墟を完璧に利用した一撃離脱。接触を最小限に抑えつつ、こちらの急所だけを正確に突いて離脱していく……。現場からは『幽霊』と呼ばれ、忌避されています」
モルドーは地図の上の一点を睨みつけた。
「所詮は進撃を阻む羽虫に過ぎん。だが、放置すれば感染症を招く。臆病と恐怖という感染症をな」
「抜本的な対策が必要です」
参謀の一人が進言した。
「現在の追撃部隊では機動力、練度ともに不足しています。相手の変則的な機動を力ずくでねじ伏せる、圧倒的な精鋭を投入すべきです」
「案があるなら言え」
参謀たちが一瞬、顔を見合わせた。重苦しい沈黙の後、若い参謀将校が意を決して口を開いた。
「閣下。予備戦力として後方に控える武装親衛隊戦闘団『アーリア』の投入を。最新鋭のⅦ号戦機『アドラー』を擁し、ウラル戦線では一個大隊でソヴィエト一軍の反撃を防いだ実績があります。あの日本軍部隊を狩るには、これ以上の適任はおりません」
室内の空気が、瞬時に凍りついた。
モルドーはゆっくりと地図から目を上げ、発言した参謀を射抜くような視線で凝視した。
「……却下だ」
「しかし閣下、このまま損害が重なれば」
「却下だと言っている」
モルドーは弾かれたように立ち上がり、窓の外の荒涼とした景色を睨みつけた。その背中は、怒りよりも拒絶に強張っている。
「それ以上、その名を口にするな」
命令というよりは、呪縛を振り払うような警告だった。失言を悟った参謀は青ざめて沈黙した。
モルドーは震える手で地図を指し示した。
「陸軍の中から追撃専任の選抜隊を編成しろ。Ⅵ号改良型の増援も急がせろ。やり方は選ぶ。我々は『軍人』としてこの戦に勝つ」
───
「選抜隊二個大隊が、半日で粉砕されただと……!?」
モルドーの怒号が司令部に木霊した。冷静沈着を地で行くこの老将が声を荒げるのは、部下たちにとっても初めての経験だった。
「……事実です」
参謀長が、耐え難い屈辱に唇を噛みながら答えた。
「地形に誘い込まれ、袋叩きに遭いました。確認されただけで戦機四十一機が損失。……全滅判定です」
モルドーは力なく椅子に崩れ落ちた。地図上のフレンチリバーから西への距離を指でなぞる。
「閣下」と参謀長が静かに言った。
「率直に申し上げます」
「言え」
「このまま日本軍の後衛部隊に翻弄され続ければ、二つの問題が生じます。一つは損害の累積による士気の低下です。精鋭を選んで送り込むたびに叩かれる。現場の将校たちの間に、あの部隊には敵わないという空気が生まれつつあります」
「もう一つは」
「日英軍に時間を与えることです」
参謀長は地図のサドベリー西方を指した。
「彼らは現在、後退しながらも防衛線を模索しています。湖沼と丘陵が入り組んだこの地形で、十分な時間を与えれば堅固な防御陣地を構築できる。そうなれば、我々の進撃速度は劇的に落ちます。バルバロッサ作戦との連携にも支障をきたす」
室内が静まった。
若い参謀将校が、今度は慎重に口を開いた。
「閣下。アーリア戦闘団の件、再度ご検討いただけないでしょうか。通常部隊では対応できないことが、これで明らかになりました。あの部隊を止められるのは、同等以上の戦力しかありません」
「わかっている」とモルドーは低く言った。
「閣下」
「わかっていると言った」
モルドーはしばらく黙っていた。窓の外で、カナダの冬の風が廃工場の壁を叩いていた。
参謀たちは何も言わなかった。言う必要がなかった。数字と地図が、すでに答えを出していた。
モルドーは深く息を吐いた。それから、傍らの副官に向かって言った。
「アーリア戦闘団の隊長を呼べ」
副官が敬礼して部屋を飛び出していく。参謀たちの顔に安堵の色はなかった。そこにあるのは、異物を招き入れてしまったことへの、本能的な恐怖だった。
二時間後、重厚な扉が開いた。
入ってきた男を見て、モルドーが抱いたのは「既視感」であった。ワシントンに送り込まれたあの『神童』ハルテンベルクと同じ、寒気を覚えるほどの若さと美貌だった。
武装親衛隊中佐、エーリヒ・クーメル。二十五歳。
寸分の皺もなく着こなされた黒い親衛隊制服。右胸の騎士鉄十字勲章が、磨き上げられた冷たい光を放っている。金髪、灰色の瞳、彫刻のような輪郭。まさに総統が謳う「ゲルマンの理想」を具現化した容貌だが、その瞳に宿る静寂は、二十代の若者が持っていいものではなかった。
「モルドー大将閣下。お招きいただき、光栄の至りです」
完璧な角度の敬礼。だが、その指先には上官への敬意ではなく、形式をなぞるだけの軽蔑が透けて見えた。
「……座れ」
「感謝いたします」
クーメルは背筋を一切崩さず着席した。
「状況は把握しているか」
「日本軍の独立部隊が、閣下の不甲斐ない追撃部隊を『七度』にわたって撃退した件でしょうか。ええ、把握しております」
モルドーの眉が跳ねた。
「……七度だと? 我々の報告では五度だ」
「今朝八時、後退支援中の中隊が日本軍大隊と接触し、三機を失っています。閣下の情報部が書類を整理している間に、我々は現場の『生きた声』を回収しましたので」
参謀長が屈辱に顔を歪めた。モルドーは内心で悟った。こいつらは、呼ばれる前から、陸軍の無能を観察して楽しんでいたのだ。
「アーリア戦闘団に、当該部隊の排除を命じる」
モルドーは吐き捨てるように言った。
「承りました」
クーメルは即座に、そして事務的に応じた。
「ただし、条件が一つ。アーリア戦闘団は帝国親衛隊の直轄であり、陸軍の指揮系統からは独立しています。作戦の立案・実行、および情報の処理はすべて我々が独自に行います。閣下には後ほど、清算された『結果』のみを差し上げましょう。よろしいですね?」
丁寧な言葉の裏にあるのは、我々の邪魔をするなという思惑だった。
モルドーは数秒の沈黙の後、絞り出すように答えた。そして願わくば、幽霊とアーリア戦闘団が共倒れすれば良いとも思った。
「了解した」
「賢明なご判断。感謝の至りです」
クーメルは立ち上がり、初めて口の端を吊り上げた。それは笑みというより、獲物を見つけた獣の相貌だった。
「あの部隊の指揮官は、なかなか『人間』の限界を知っているようだ。閣下の思惑通り、共に果てるまで刃を交わすのも一興かもしれませんね」
クーメルが去った後、司令部には死のような沈黙が降りた。モルドーは扉を睨みつけたまま、誰にともなく呟いた。
「気味が悪い。あれは、人間ではない。人間を模した『別物』だ」
誰も、否定する者はなかった。




