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18話 合衆国の落日②

ロングは笑みを保とうとしたが、頬の筋肉はひきつり、仮面が剥がれ落ちるのを止められなかった。


「それは……つまり、宣戦布告だと?」

 

「誤解を避けるために申し上げます」とハルテンベルクは続けた。その口調はあまりに穏やかで、まるで明日の天気予報を読み上げるかのようだった。

 

「帝国は合衆国を、ソヴィエトのような絶滅すべき劣等種とは見なしていません。しかし、北米において日英同盟と対峙する際、合衆国が『中立』という名の聖域であり続けることは、地理的に許容し得ないのです。日英の同盟国と地続きの国境を持つ以上、貴国が彼らの不沈空母となるのは時間の問題だ。であれば、帝国としては先手を取らざるを得ない」

 

リンドバーグが激昂し、立ち上がりかけた。ロングはそれを手で制したが、その指先は目に見えて震えていた。

 

「……つまり、帝国は我が国を武力で蹂躙し、占領すると、そう言うのだな」

 

「『占領』とは、いささか旧時代的な表現です」ハルテンベルクは事も無げに言った。

 

「かつての英仏のように植民地を築くつもりも、貴方がたが先住民に行ったような野蛮な排斥を行うつもりもありません。ただ、合衆国が日英の側に立つという『過ち』を犯さぬよう、反動分子を一掃し、一時的に管理下に置くだけのこと。我が国の国家社会主義という高度なシステムを導入し、この国を再設計する。いわば、文明的な救済……『手助け』と言った方が正確でしょう」

 

「手助け……だと?」

 

ロングの唇から、乾いた笑いとも呻きともつかない音が漏れた。建国以来の民主主義が、わずか二十八歳の若造によって「非効率な旧態」として塗り潰されようとしている。

その時だった。

 

「貴様ッ、ふざけるな!」

 

弾かれたように立ち上がったのは、リンドバーグだった。温厚で知的な「孤独な鷲」の仮面が剥がれ、一人のアメリカ人としての激昂が爆発した。彼はテーブルを叩き、ハルテンベルクに一歩詰め寄る。

 

「私は大西洋の両岸に平和をもたらすために尽力してきた。帝国が秩序ある文明の守護者だと信じていたからだ! だが今の言葉は、ただの強盗の理屈だ。そんな暴論を、このホワイトハウスが、そして私が許すと思っているのか!」

 

リンドバーグの怒号が部屋を震わせる。側近がその隙に外の警護官を呼ぼうと扉へ手を伸ばした。

だが、ハルテンベルクの表情は一片の揺らぎも見せなかった。彼はリンドバーグの剣幕を、まるで羽虫の羽音でも聞くような、退屈極まりない眼差しで見つめていた。

 

「静かに。リンドバーグ君、君のような『旧人類』役割はもう終わったんだ」

 

ハルテンベルクは視線すら動かさず、事務的な短さで命じた。

 

「クラーラ。雑音を消せ」

 

刹那、空気が爆ぜた。

ロングの目には、背後にいたはずのクラーラの姿が「消失した」としか思えなかった。次の瞬間、彼女はすでにリンドバーグの懐に潜り込んでいた。

 

「あ──」

 

リンドバーグが声を出す暇もなかった。クラーラの白皙の右手が顎を、左手が後頭部を、精密機械のごとき無機質な動作で固定した。

乾いた、嫌な破壊音が室内に響いた。

英雄の体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。絨毯に沈んだ彼の首は、生物学的にはあり得ない角度で固定されていた。かつて世界を熱狂させた瞳は、焦点のないままホワイトハウスの天井を虚ろに仰いでいた。

 

「ああ……あ、あああ!」

 

ロングは椅子から転げ落ち、壁まで後退った。側近が懐の拳銃に手をかけるが、それよりも速く、ハルテンベルクが消音装置付のルガーを抜いた。二発。側近の眉間と胸に正確な穴が開き、彼は悲鳴すら上げられずに地に伏した。

 

「さて、大統領閣下」

 

ハルテンベルクが立ち上がった。倒れた死体を無造作に踏み越え、ロングの前まで歩み寄る。その瞳が、不気味な金色の光彩を帯びていた。

 

「少し、記憶の整理をしましょうか。歴史というものは、常に勝者の都合の良いように編まれるべきものですから」

 

ハルテンベルクの冷たい指先が、ロングの額に触れた。

 

「……見なさい。扉を蹴り開けて入ってきたのは、誰だ?」

 

ロングの脳内に、暴力的なヴィジョンが直接流し込まれた。

帝国の大使ではない。そこにいたのは、日英同盟に魂を売り、親独政策を進める大統領を抹殺しようとする、血走った目の合衆国軍人たちだ。

 

「そうだ。日英の息がかかった反逆者どもが、平和の使者である私を、そしてリンドバーグ氏を殺害しようと乱入したのだ。クラーラが私を守ったが、リンドバーグ氏らは間に合わなかった。……違いますか?」

 

「リンドバーグは……日英の、スパイに……」

 

ロングの瞳から意思の光が消え、ハルテンベルクと同じ、底なしの虚無が混じり始めた。

ハルテンベルクは満足げに頷くと、人形のように動かなくなったロングの手を取り、受話器を握らせた。

 

「国家の危機だ、大統領。今すぐ閣僚を集めなさい。軍部の反乱を鎮圧し、合衆国の正当な政府を守るため、ケベックに展開中の我が大ゲルマン帝国軍に『治安維持の介入』を要請するのです。貴方の国民を救えるのは、帝国の慈悲だけだ」

 

ロングは憑かれたような手つきで、震える指でダイヤルを回した。

 

「……こちら、合衆国大統領、ヒューイ・ロング。緊急事態だ……。親日英派によるクーデターが発生した。リンドバーグ氏も犠牲になった。直ちに閣僚を招集せよ……。そして、大ゲルマン帝国軍に……救援を、要請する……」

 

受話器を置いたロングの顔に、もはや先刻までの苦悩はない。あるのは、ただ主人に従う忠実な「影」としての安寧だけだった。

 

「賢明な判断です、閣下。後は我々新しき根源人種、『アーキタイプ』にすべてお任せ下さい」

 

ハルテンベルクは窓の外を見た。

ワシントンの空を染めていた血のような夕焼けは終わり、深い、底なしの夜が訪れようとしている。だがその暗闇の先、北の空からは、帝国の戦機が発する重低音が、大陸を震わせる地鳴りとなって響き始めていた。

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