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16話 老兵死すべし②

「それこそあり得ないよ、リー」

 

かつてマッカーサーの副官を務めていたアイゼンハワーは、確信をもってそう断じた。

 

「あの男は自分をタフガイと周りに吹聴しているが、内心はただの小心者だ。あの1941年12月8日、日本軍がドイツ東洋艦隊本拠地のトラック諸島を奇襲攻撃した時、あれほど対日強硬策を主張していた極東軍総司令官ダグラス・マッカーサーは、ありもしない日本軍の攻撃を恐れ、指揮体制の改編を名目にフィリピンからハワイへと逃げ出した。今もそうだ。西海岸での遊説期間は終わっているのに、あれやこれや理由を並べてカリフォルニアから帰ろうとしない。そんな臆病者が、大ゲルマン帝国軍の脅威が迫るワシントンに戻れると思うかね」

 

リーはしばらく黙っていた。それから、絞り出すように言った。

 

「くそっ。クーデターを起こしたくなってきましたよ」

 

アイゼンハワーは少し間を置いて、静かに答えた。

 

「ああ。事前に計画と準備をしておくべきだったなかもな」

 

二人の間に、奇妙な沈黙が落ちた。

 

「ただ」とアイゼンハワーは続けた。


「それは我々にはできない。文民統制を謳う合衆国憲法に忠誠を誓った軍人だからだ。その原則を我々が破れば、この国の根が腐る。敵に負けるより、ずっと始末が悪い。それに」

 

アイゼンハワーは窓の外に目をやった。ポトマック川の向こうに、ワシントン記念塔が見えた。

 

「この苦境を招いたのは、政治家だけではない」

 

リーは黙って聞いた。

 

「孤立主義を強化し、軍備拡張を後回しにし、対独融和を掲げたロング大統領を選んだのは国民だ。そして我々軍人も、あの時声を上げなかった。議会が軍縮を進める間、粛々と従った。間違った指導者を選んでも、選ばれた者に従うのが民主主義だと自分に言い聞かせて、余計なことを言わなかった」

 

アイゼンハワーは振り返った。

 

「間違いを正す機会は何度もあった。1936年、ロングが孤立主義を打ち出した時。1938年、まだドイツと名乗っていた頃に大ゲルマン帝国がオーストリアに手を伸ばした時。1941年、日英が参戦した時。そして1945年、英国本土陥落に伴い追撃してきた大ゲルマン帝国と日英がカナダを戦場とした時。そのたびに我々は警告を発することができた。議会の公聴会で証言を求め、世論に訴え、現実を叩きつけることもできた」

 

苦悩を吐き出すように続ける。

 

「だがそうしなかった。軍人は政治に口を出すべきではないと自分に言い聞かせて。結果として今、大ゲルマン帝国という怪物を目の前にして何一つできないでいる。動員もできない。計画も通らない。ただ指をくわえて見ているだけだ」

 

アイゼンハワーは深く息を吐いた。その声に、初めて疲労ではなく悲しみの色が混じった。

 

「間違った政治を黙って見過ごした報いが、これだよ、リー。臆病な政治家に萎縮させられ、正しいと知りながら正しい行動が取れない。それが今の我々だ」

 

「閣下……」

 

「だが、だからと言って軍人の責務を放棄したり、無意味な玉砕を選ぶつもりはない」

 

アイゼンハワーは机の引き出しを開け、一枚の文書を取り出してリーの前に置いた。

 

「読め。新しい部隊の詳細だ」

 

リーは書類に目を落とした。編成表だった。戦機部隊、装甲連隊、支援部隊、規模は一個師団。装備の欄に記された機種名を見て、リーは顔を上げた。

 

「これは……我が軍の最新鋭戦機『M24パーシング』ではないですか。よくここまで集めましたね。それ以外の装備も一級品ばかりだ」

 

「議会を通さずに動かせる予算と権限を使い、半年かけてかき集めた。表向きは西海岸防衛のための実験的編成だ。誰も本気で中身を調べていない。おかげで最新鋭機をカリフォルニアに密かに集中配備できた」

 

「しかし、何のために東海岸ではなく西海岸のカリフォルニアで」

 

リーの問いにアイゼンハワーは静かに答えた。


「大ゲルマン帝国がカナダから南下した時、東海岸が速やかに占領されたとしても、西海岸にはしばらく手が届かない。カナダに居座る日英が抵抗するだろうし、補給線が持たないからだ。その時、占領されていないアメリカ人たちは必ず日英と手を組んで戦うことになる。そうなった時に合衆国が対等な関係でいられるかは、どれだけ有力な戦力を持っているかにかかっている」

 

「属国にならないために、ですか」

 

「そうだ。戦力なき同盟国は保護国になる。アメリカ合衆国がそうなってはならない。日英に支援を受けながらも、対等に物が言える立場を保つ。それだけの力を残しておく必要がある」

 

アイゼンハワーはリーを正面から見た。


「その師団の指揮官に、君を任命する」

 

リーは机の書類を見つめたまま、しばらく動かなかった。それから顔を上げ、静かに問うた。


「閣下は、どうされるのですか」

 

「私はここに残る」

 

「東海岸に、ですか。しかし独軍が南下してくれば」

 

「わかっている」


アイゼンハワーは窓の外を見た。ワシントン記念塔が夕暮れの光の中で橙色に染まっていた。


「だからこそ残る。君たちがカリフォルニアで育てた戦力を、政治家どもに潰させるわけにはいかない。大統領が恐慌をきたして命令を乱発した時、参謀総長がいなければ止める者がいない。軍人としての最後の仕事は、君たちが動けるよう時間を稼ぐことだ」

 

「それは」とリーは言いかけた。

 

「言うな」とアイゼンハワーが遮った。穏やかに、しかし確かに。


「軍人の仕事だ」

 

しばらく沈黙が続いた。アイゼンハワーは再びリーに向き直った。疲労でも悲しみでもない、静かな何かがその目に宿っていた。

 

「リー。一つ謝らせてくれ。君たちの世代に、こんな世界を残してしまったことを。声を上げるべき時に上げなかった我々のせいで、君たち若者は避けられたはずの戦争を、これから何年も何十年も戦わなければならない。本当に心から申し訳なく思っている」

 

リーは何も言えなかった。

 

「間違いを犯し、その間違いを黙って見過ごし続けた人間には、それ相応の場所がある」


アイゼンハワーはわずかに口の端を上げた。笑みとも苦笑ともつかない表情だった。


「私たちのような愚かな老兵は死すべきだよ。ただし、意味のある死に方でな」


リーは敬礼した。言葉が出てこなかった。アイゼンハワーも敬礼を返した。

窓の外で、星条旗が風に揺れていた。

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