14話 演習
1952年10月20日。
オンタリオ州フレンチリバー付近の英独停戦ラインからさらに西に五十キロほどの場所に存在する町、サドベリー郊外で二つの中隊規模の戦機が激しい機動で戦闘を繰り広げていた。
日英軍と独軍によるものではない。この地に配置された第七独立戦機大隊による演習である。ゆえに相互に撃ち合っているのも徹甲弾ではなく、塗料弾だった。命中すれば機体に鮮やかな染料が飛び散り、審判役の観測士官が損傷判定を下す仕組みだ。
赤の塗料を使う桐島大尉率いる第一中隊、通称「赤中隊」。対するは白の浅見中尉率いる第二中隊、「白中隊」。両者合わせて十数機が、サドベリー郊外の丘陵地帯を縦横に駆け回っていた。観測台に双眼鏡を構えた一ノ瀬の隣で、鹿嶽が腕を組んで眼下を見下ろしていた。
「桐島は相変わらずだな」
「ああ」と一ノ瀬は双眼鏡を下ろさずに答えた。
「本人の動きもそうだが、僚機への指示にも無駄がない。さすがは格上の独軍機相手に戦ってきた大陸戦線帰りといったところか」
桐島機が丘の稜線を利用して白中隊の側背へと回り込み、一瞬の隙を突いて連続して塗料弾を叩き込んだ。緑色の機体の肩口に赤い染料が広がる。審判機が損傷判定の旗を掲げた。
「浅見は」と鹿嶽が続けた。
「まだ自分のリズムで戦おうとしている。それが悪いわけではないが、桐島相手では読まれる」
言い終わる前に、白中隊の浅見機が急旋回で桐島機の射角を外し、奇妙な角度から反撃を試みた。外れた。しかし鹿嶽が小さく口笛を吹いた。
「ただ、あの動きは教本にない。桐島も一瞬迷った」
「浅見の価値はそこだ。型にはまらない性格に加え、ガンガン前に出て敵の攻撃を一手に引き受けやがる。前の戦争で奴の率いた部隊の損耗率が低かった理由も納得だ」
しばらく二人は黙って演習を見ていた。やがて鹿嶽がぽつりと言った。
「しかし俺たちはこうして演習ができてツイてる。独軍の動きにピリついている最前線じゃこんな真似はできない。それにあの塗料弾だって、弾薬庫の空きスペースを作りたかった最前線の第九師団から流れてきたやつだからな」
鹿嶽は双眼鏡を下ろし、ちらりと一ノ瀬を見た。
「大幡司令に目をつけられたと聞いた時は、最前線に放り込まれてすり潰されるもんだと思っていたが。案外、後方で演習三昧とは。杞憂だったか」
冗談めかした言い方だったが、本音が半分は混じっていた。一ノ瀬は双眼鏡を下ろさないまま答えた。
「そいつはどうかな。後方だからといって、楽ができるとは限らない」
「どういう意味だ」
「公式には、日英軍は現在の停戦ラインを絶対防衛線として守り抜く方針だ。フレンチリバーのラインを一歩も退かない、と合同司令部は言っている」
「言っているが」
「だが実際に独軍が動き出した時、あのラインを維持できるかどうかは別の話だ」
眼下で演習が続いていた。白中隊の残存機が必死に桐島の包囲を搔い潜ろうとしている。
「フレンチリバーは平地が多い。戦機の大規模運用に向いており、攻撃側になるであろう独軍にとっては動きやすい地形だ。対してここサドベリーより西は丘陵と湖沼が入り組んでいる。防御側に有利になる。日英両政府は国民保護を大前提に戦略を組んでいる。表沙汰にはしないだけで、非公式の後退計画があっても不思議ではない」
「つまり後退する可能性があると」
「ある。そしてその時に必要になるのは、後退する主力を敵の追撃から守る、しんがりだ」
鹿嶽はしばらく黙った。それから腕を組んだまま、静かに口を開いた。
「……確かに、本格的な戦端が開いた時、消耗した最前線の連中に後衛を任せるのは無理だな」
一ノ瀬は双眼鏡を下ろし、鹿嶽を見た。
「その通りだ。俺たちはここ一ヶ月、演習と整備しかしていない。機体も人間も、今が一番状態がいい。最前線から距離があるから奇襲を受ける可能性も低い。いざ戦闘が始まれば、この大隊が最も有力な戦力になる。後衛戦闘はその過酷さゆえに、最も有力な部隊に任されるのがつねだ」
「つまりこの期間は、軍から俺たちへの平和の生前贈与というわけか」
「うまい言い方だな」と一ノ瀬は言った。
皮肉でも否定でもなく、素直にそう思った。
「だったら有難くいただいておくか」
鹿嶽は双眼鏡をケースに収め、演習場を見下ろした。桐島が白中隊の残存機を粛々と仕留めていく。無駄のない、静かな仕事だった。
「一つ聞いていいか」
「何だ」
「後衛戦闘になった時、お前はどこで指揮を執るつもりだ。零式で前に出るつもりか」
一ノ瀬はしばらく答えなかった。
「状況による」
「状況による、ね」
鹿嶽は鼻を鳴らした。
「その答えが一番信用できない」
眼下で信号弾が上がった。演習終了。丘の斜面に赤と白の染料を纏った機体が散らばっている。しばらくして桐島機が演習場の中央へゆっくりと歩み出た。勝者の報告のためではなく、損傷判定を受けるための整列だった。何事も手順通りに。それが桐島という男だった。
「行くか」と鹿嶽が言った。
「ああ、行こう」と一ノ瀬が答えた。
二人は観測台の階段を降りた。十月の風がサドベリーの丘を吹き抜け、演習場の染料の匂いを運んできた。
この時、第三次大戦の幕開けまで一ヶ月を切っていた。




