76.花の魔女ジェイダ
丘のような大きな黒い魔物はあたりを踏み荒らしながら火を噴いて街を燃やした。神殿もその被害を受け、人々は逃げ惑う。よりによって花の祭。近隣の町からも、祭を楽しむために人がやってくる時期だ。
反対に、幸いだったのは冒険者もこの祭に合わせてミハナダにやってくることだ。おかげで街のあちこちに武器を持った者が多くいた。
ミハナダの氾濫は厄介だ。
魔物だけでなく、街に海水も流れ込むのだ。それらにはたまに人の肉を食らう魚ものってくる。一階は危なかった。
だが、店になると、商品はほとんどが一階にある。大慌てで二階へ運ぶ途中、魔物に店の扉を食い破られ、被害に遭う住民も多かった。また、逃げそびれ近くの家の扉を叩く者の叫びも溢れていた。
最初にその姿を見つけたのは、誰だったのか、あちこちから声があがったときには、誰もがその姿に歓喜の声を上げた。
街にある彫像。ミハナダを訪れたことがある者なら知る姿。
闇夜に浮かび上がるピンク色の霧を纏った、燃えさかる赤い髪と目をした女性。
過去にミハナダの街を救い、花の祭の象徴となった魔女がそこにいた。
「あの黒いのと、氾濫、どちらが使う記憶が少ない?」
左手に手袋はない。魔女の証である花の痣が光っていた。
服装も、普段の冒険者のものでなく、あの銅像がまとっていたような布をふんだんにつかい、すそが引きずられるようなほど長い白のドレスだ。袖も口が広く。腕を動かすたびに風に煽られる。
『断然氾濫だ」
予想していた返事ではあったが声には出さず頭の中で口汚く罵る。
「まずは氾濫を収める」
迷宮内の魔物の排除が追いつかず、下層階から魔物が溢れてくる現象。つまり、迷宮内の魔物を屠る必要がある。
「四十五層までの魔物を全排除する」
今までも細々と記憶を燃やしてきた。足の傷を治したり、クロウの顔の傷をこっそり治したり、風呂を作ったり家を移動したり。
私もそれなりに記憶を使っていた。
だが、これほどまでに燃えさかるようなランタンは見たことがなかった。ごおっとピンクの炎が膨らんだと思えば、左手へらせん状に炎が巻きつき、私を覆う。もちろん熱くはないが、この夜空にさぞ目立っただろう。
そしてその炎が迷宮の門へ突入したのだ。
「街に溢れてる海水を押し戻す。ついでに魔物を花に変えて」
『花の種類は?』
花の種類なんて……この世界の花の種類を私は大して知らない。
「ええっと……、メーネェクでいいや。ただ、色は薄紫だけじゃなくてピンクとか、青赤黄色白、色のトーンも薄かったり濃かったり、とにかくいろんな種類の色にして」
『あいよ』
「記憶は?」
『まだ大丈夫だ。まったく美味しくもなんともない、つまらない記憶だな』
「あのねえ、一大ブランドだよ。文房具から家具家電、お菓子に衣類、なんでもござれのすごいところなんだから」
『食べ物は燃やすなよ』
「はいはい」
私はそのまま迷宮の三枚の門の上に移動する。これまで開いていた門は、一度閉じられ内側から無理やり力で押されひしゃげていた。
「門も直そう」
『俺はいいけど、そんな必要あるか?』
「そこにある記憶全部使わないとお菓子の記憶を共有するのはずっと先のことになるの、わかってる?」
『それはまずいな。恐ろしいほどストックがあるんだぞ』
迷宮の底へ、ピンクの炎が降りていくのが感覚でわかった。
と、真下に見たことのある男がひどい有様で押しつぶされていた。
「ネジャティ……」
私とクロウに新しいタグをくれた人だ。
『二番目の扉は魔力を通して閉めるタイプのやつだ。しかも分厚くて重い。魔力を流し続けていると、補強にもなるんだ』
自分の命を賭して、補強し続けたということか。だが、氾濫の前にはそれもむなしいあがきでしかなかった。腹に穴が空き、腕がない。魔物に食い荒らされたというよりも、その場にいて進行の妨げになったから噛みつかれたのだろう。
『日が昇る前には死ぬさ』
そのまま迷宮から立ち去ろうと空中で向きを変えたところで、ヒジキの言葉にぴたりと止まる。
「まだ死んでないってこと?」
『ああ。カナンにはわかりにくいのか。ぎりぎり生きてる』
「治療します」
『カナン!? クロウの顔の傷を治すのとは段違いだぞ。記憶もかなり使う』
「それでもやろう」
ランタンの炎は、奪うことには案外記憶を使わない。治療、特に人体に干渉するときはかなり記憶を使うのだ。
それでも、異世界の山のような知識をもってすればほんの一粒の砂に過ぎない。
「欠損部分もいける?」
『そりゃできるが』
「やって」
私がはっきり宣言すると、ランタンの炎はギルド長のネジャティを包み込む。腹を穿った傷、手や足も欠けるところなく整える。
「魔法はね、本来こういったことに使うべきなんだよ」
己を犠牲として人々を守るために動いた者へ、振るうべき力なのだ。
ひしゃげた門も元通りにするが、魔導具に関してはわからないのであとからどうとでもしてもらおう。一番内側の門にも魔導具がついている。それくらいの臨時支出はどうにか賄ってほしい。
迷宮の奥へ向かった炎も途切れた。つまり、きれいさっぱり消え失せたということだ。そして街中で花が咲き乱れている。
「それじゃあメインディッシュといこうか」
『メインディッシュ?』
「今日の目玉料理ってこと! あれを倒すのはただ炎を振るえばいいの?」
『むしろ、ただ炎を振るうしかないといった感じだな』
空を進んでいくと、特に神殿やその隣の図書館がひどい有様だった。炎で焼かれ、その身体で踏み潰されている。
どこから来たのだろう。
絶対に迷宮からあらわれたものではない。
周囲の光すら飲み込む真っ黒なからだ。爛々と光る紫の目に、口から噴き出す赤い炎。近づくようにランタンの炎を燃やすのだが、同時に逃げ出したい衝動に駆られる。
私にとって、この世界で目を覚ました瞬間に見た、美しいものと、恐ろしいもののうちの一つだ。あの姿は私の心に、確実にトラウマとなって根付いているのだ。現に腕が震えている。近づけば近づくほど、恐ろしくて身体の芯が冷えていくような感覚に陥る。
そして、あちらも私に気づいた。
完全に目が合う。
「ランタン!!」
ゴオオとピンク色のランタンの炎が、黒の魔物に竜巻のように燃えさかりながら突撃した。
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