66.花の魔女ジェイダ
とうとう明日から祭が始まる。
街中が花の匂いに溢れる花の祭だ。
その昔、このミハナダで大規模な氾濫が起きた。満ち引きに縛られたミハナダの迷宮は、氾濫が起こると迷宮から海が溢れ出すのだ。
うねる海水に人やものが押し流され、それに乗って魔物が姿を現す。
魔物もだが、海水がまた人々の犠牲を増やした。
ミハナダには当時、明確に保護を宣言する魔女がいなかった。ミハナダ伯爵は、緊急用の特別なまじないを用い、王都へ連絡を送るしかなかった。そこからさらに連絡が飛び、いったいどれだけの間待てば救援が来るのか。来たとして、魔女はどこまで助けてくれるのか。
魔女は常に助けに来てくれるとは限らないのだ。
絶望の中、海に翻弄されつつ冒険者は、街の人々は戦っていた。
そこに現れたのがジェイダと呼ばれる魔女だった。目に鮮やかなピンクの霧をまとい、空に現れた。氾濫が起こって半日ほど経ったときのこと。
空中に現れた彼女は、燃えるような赤い髪と瞳を持ち、左手のランタンは薄闇迫るミハナダを照らした。
ランタンの炎が街全体を覆い、魔物を覆い、人々を覆い尽くしたあと消えた。ほんのため息一つの間だった。
濃い潮の匂いが消え、血の匂いが消え、残ったのは甘い花の香りだった。魔物の遺体が消え、そこにはたくさんの種類、たくさんの色の花々が咲き乱れていた。魔物の遺体が消え、海水が消え、人々の遺体が消えていた。
魔女の姿も消え失せていた。
ページをめくる手を止めた。
その後に続くのは歌だった。英雄を、魔女を称える歌だ。最近街のあちこちで聞こえてくる歌だ。賞賛の言葉が長々と続くのですっ飛ばす。とはいえ目には入れる。それだけで思い出そうとすれば思い出せるのだ。
「魔物の遺体まで花にするとか、その後の復興資金がなくなっちゃうじゃん」
もったいないなとつぶやいていると、後ろから押し殺した笑い声が聞こえた。とっさに立ち上がり腰の剣に手を掛ける。
振り返った先にいたのは先日の神官だった。
「失礼。熱心ですね」
まただ。気配を感じられなかった。私だって伊達に何年もあちこち放浪していない。元の世界のような気の抜けた場所ではない。こちらで冒険者としてやってきたのだ。
こいつはいったい何者だ?
「すまない。驚かせてしまったね」
誰だと聞いたからとて、答えを得てどうする。
彼は、神官としてここにいるのだ。
「こちらこそ。騒がしくしてごめんなさい」
神官はテーブルの上にある私が読んでいた本を手にとった。
「花は、魔女からしたら贈り物だったんだろうね。想像するに酷い有様だったろう。視覚からの情報もだが、人に効くのは匂いだ。彼らの心と身体を守るために、魔女ジェイダの気遣いだったと私は思っているよ」
「気遣いか……でも、やっぱり、素材がもったいないなあ」
私が言うと神官はまた笑った。
「別の棚に街の復興史というか、履歴を写したものがあったはずだよ。街を元通りにするのに三年かかっている」
「海水が溢れたっていうから、衛生的にも問題があっただろうからなあ」
「それでも、花にすげ変わったおかげで疫病は流行らなかったそうだ」
「ああ……それはでかい」
大雨で床上浸水した家の復興作業なんかをテレビで見たことがある。あれは想像している以上に大変な作業になるだろう。
日本ですらそうなのだ。衛生観念の緩いこの世界で道に汚泥が残り、家が一度海水に晒された状態で病気が流行らないはずがない。
魔物の処理だって後回しだ。まずは衣食住の確保から。迷宮から溢れた魔物は放置しても消えない。腐敗し腐臭を放つ。ウジだって湧く。ひどいことになっただろう。
「そう考えると魔女のしたことは真っ当だったのか」
とても理にかなっていたのかもしれない。汚れを、ケガレを花に変えるのだ。
「普通はこんな話についてこられないんだよ、お嬢さん」
「私は頭のいいお嬢さんなんだ」
ニッと笑って見せる。
そうだ。普通はこんなことまで考えないしこんな風に熱心に本を読まない。
私のことをこの男はどんな風に認識しているのだろう。
「かなり引っ張り出してきているようだが……」
そういっていくつか開いて見ている。
「さあね。どこにまじないのヒントがあるかはわからなくて」
「そうか、まじないの研究もするんだね。だから、古い文字も読めるのか」
「時間はかかるけどね」
誘導してみたが、彼がどの程度納得してくれたかはわからなかった。
「地図といい面白い視点を持っているね。他に何か面白い読み物はあったかい?」
パッと思いついたのは例の本だ。
ただ、彼らは神官だ。ヨク神に仕えている。そんな彼らに神は去ったのかと聞いてもいいのだろうか?
それでも、こんな風に無駄話に付き合う神官はそういない。彼らは長い年月で体制が変わり、平民より己の方が上と思い込んでいる者が多い。機会はそうない。
「神について書かれた書物は面白かったよ」
「ヨク神様だね。神が成したことを描いている本は多い」
予想通り笑顔になる。
創世記のようなものはわかりやすく書かれたものから、難解な文章まで全部読んだ。
「この世界はヨク神様によって創られた、素晴らしいもの。……魔物について疑問に思うかもしれないが、神にとって私たちも魔物もまた生み出した創造物でしかない」
「私たちからしたら迷惑だけど、でも魔物の素材は暮らしに欠かせないし、言っている意味はわかる」
「共生という言葉がある。この世界のものは、何一つ不必要なものはなく、何一つ特別なものはないのだろう」
とても満足した様子で言う神官に、私は思わず尋ねずにはいられなかった。
「魔女も特別なものではない?」
私の問いかけに神官はうなずいた。
「彼らもまた、神の生み出した世界の理の一つです」
「魔女の力が必要なときがあるから、魔女はいるってことか」
「すべてはヨク神の思し召しです」
神官の常套句を吐く男に、私は思わず意地の悪い質問を投げかけたくなってしまった。
例のあの本だ。
「本当に神はまだいるの? 神は世界を作り終えて新しい世界へ旅立ったんでしょう?」
神官の顔色が変わった。
ブックマーク、評価、いいね、感想、ありがとうございます。
誤字脱字報告も助かります。




