64.領主の息子たち
初対面の男はこちらをじろりと睨むと舌打ちした。
随分と失礼な男だ。
「帰ってきているのに本館に顔も出さずに何をしているかと思えば」
私の向かいに座っていたトゥルランは、彼が扉を開けた瞬間席を立っている。私はタイミングを逃して座ったままだ。
「お前は挨拶にも来ないのか」
「離れでご挨拶は終えました」
「兄や母には挨拶する必要がないと?」
その質問に、トゥルランは返答しなかった。
人の部屋に勝手に入ってはくるが、基本的にその場に準じた態度をとれるトゥルランが、親に挨拶にいかなかったのならそれなりに理由があるのだろう。口を挟むわけにもいかず、私は黙ってその場が収まるのを待つことにした。
「ふんっ、魔女の色香にやられて実家を捨てたかと思ったら、それ以上にこちらを利用する。よくもまあ平気な顔をして何ヶ月も離れを占拠していられるな」
「離れの使用許可は領主様よりいただいております」
「そりゃあ、そうだろう。魔女が使うと言えば、本館ですら差し出すだろうさ……だが、その魔女はもうミハナダに用はいないのだろう? お前たちもとっとと帰ればいいものを、なぜ居座る?」
自分たちが依頼をしたくせにとんでもない言い草に私は目を丸くした。
「祭が終わればミハナダを発つ予定ですので」
「祭が終われば? なんだ、久しぶりに花の香りを味わいたくなったのか」
彼はトゥルランの兄なのだろう。たいへん仲が悪そうだ。なぜそこまでトゥルランを嫌うのかよくわからないが、触らぬ神に祟りなしだ。息を殺して己の存在を消していた。
叩いてもまったく響かないトゥルランに、面白くなさそうな顔をして机の上の本を手に取る。
「父上はせっせと本を増やしているが、無駄なことだ。この一冊がどれだけするかわかっているのか? 大金貨二枚だぞ?」
予想はしていたが、詳しい金額を出されてあらためて領主個人の図書館のすごさを思い知らされる。この世界の通貨は十進法。さらに銅貨十枚が銀貨、銀貨十枚が金貨になるのだが、大金貨は金貨百枚だった。いきなり計算方法が変わるのだ。私の知っている一円玉より小さな銀貨や金貨だが、一度だけ見せてもらった大金貨は五百円玉よりも大きい。模様もかなり複雑だ。
「こんなものに金をかけるくらいなら、他にももっとやることがあるだろうに」
そういって乱暴に本を机に戻す。片手で持ち上げていたが、百ページ以上の薄くない紙なのだ。豪華な背表紙もいれたら一キロ以上は軽くある。
ズンと、音を立てて机が揺れる。
そこでようやく私の存在に気づいたような顔をする。
「この小娘は?」
「冒険者のカナンです。ロアーナ様がこの図書館に出入りすることを許可しました」
「なぜこのような者に?」
「カナンは優秀なまじない師です。呪符の研究をするくらいです。よい話を聞けた褒美に研究のヒントがあるやもと、本を読むよう言われているのです」
「ふんっ、王都の研究者が何年もかけて一つの新しい呪符を生み出すか否かというのに、こんな年端もいかぬような娘に何ができるのだ」
「私はロアーナ様の望みを叶えるだけです」
「叶えるだけといって、あの大量の服やらアクセサリーやら、ミハナダをなんだと思っているのだ」
「兄上はご存じなかったのかもしれませんが、今回ロアーナ様を呼んだのは父ですよ。ロアーナ様は依頼を受けられて、その対価としてドレスを所望したのです。問題があるのでしたら父におっしゃってください」
ロアーナのことになった途端、トゥルランの声は一段低くなる。
弟の変わり方に一瞬たじろいだところに、私と目があった。
遠慮無しに眺めていたのが裏目に出た。
「こやつらもそうだ。話を聞いた礼だといって、高い宿に泊まらせているだろう。その費用はどこから出ると思っているのだ。お前たちの滞在費もだ。どれだけの金がかかるかわかっているのか!?」
カネカネうるさい男だ。それでも貴族。何も反応しないのが吉だと知っている。
だが、次の瞬間男は私の顎を手で掴んだ。
とっさに刀を抜かなかった自分を褒めてほしい。
「ずいぶんと整った顔立ちをしているな。成長すれば高く売れるだろう。なんだ、もしかしてこれも花候補か? この年齢で取り込むのは無理があるだろう」
ぐっと掴まれ頬に指が食い込む。
しかもそのまま上に持ち上げ、己の顔に近づけるから私の身体が宙に浮き、椅子が倒れる。
「兄上! 今すぐ手を放しなさい」
「お前が私に命令するのか!?」
痛いけど、どうするか悩む。トゥルランはここまで私が魔女だと告げずにやり過ごしてくれたのだ。その努力を無にするのも申し訳なく思ってしまった。
でも、やっぱり痛い!
腰の剣を抜くと、私と男の間に滑り込ませる。
突然現れた刃物に男は驚いて私の顔を放した。
「こやつ、貴族に向かって!!」
怒った顔はミハナダ領主が怒ったそれとそっくりだ。習い性でとっさに鞄から呪符まで出していた。
「カナン、すまない。やめてくれ。兄上!! 彼女はロアーナ様の客人だと言ったでしょう」
「ここはミハナダだ! 俺は領主一族だ! 知ったことではない!」
図書館に似つかぬ大声で怒鳴る男に、トゥルランの目が暗く光った。
「ロアーナ様が突然現れたせいで、兄上があの屋敷に隠していた浮気相手が夫人に見つかったのは重々承知しています。また新しい女を招き入れるためにあの屋敷を早く空けて欲しいのも」
「なっ!?」
サイテー男じゃん。
落とされて尻餅をついた私は軽蔑の眼差しで男を見る。顎と頬が痛い。
「それに、滞在費は私の事業から賄っておりますし、冒険者の宿代はミハナダ領主からの報酬の一部です。今回は一ヶ月と長い滞在になりますので、ロアーナ様のドレスも二つほどでしたし、宝飾品はお断りしております。魔女に願って氾濫調査など、ミハナダくらいです。ロアーナ様を頼るのが嫌なら十五階層より下に潜る騎士を育てていただきたい。育てる費用、潜る際の消耗品や罠などの魔導具を考えると、ロアーナ様のドレスの方がどれだけ安いか」
「私のご飯代、トゥルランが払ってたの?」
「そうですよ、もう少し遠慮なさってください」
「美味しいのいっぱいありがとう」
ニカっと笑うと彼はため息を吐いて頭を振る。
「祭が終われば出ていきますので、それまであと少し辛抱してください。さあ、早く帰ることをオススメします。カナンの剣は止めることはできますが、彼女の相棒の剣は止められません。気づいたときには兄上は真っ二つでしょうから」
「ええ、さすがにいきなり斬りかかりはしないんじゃない?」
「顔に赤くあとがついています。私の命もあるかどうか」
マジか。鏡を見たい。そんなことになっているとは。確かにとても痛かったが。
「兄上、カナンは優秀なまじない師ですが、彼女の相棒はとても優秀な剣士です」
トゥルランに再度言われて、男はわざとらしく足音を立てて部屋から出ていった。
「さて、困りましたね。顔の痣はかなりまずいような気がします」
「別に、ちゃんと説明したら大丈夫でしょう?」
「そうは思えません。私が心配しているのは彼が今日にでもミハナダを離れることです」
つまり、ロアーナの命を守らず出て行かれるのが嫌なのか。
「いいよ、ならランタンで治すから」
私は左手に集中し、ピンクの炎が頬を焦がす。
「ずいぶんと、気軽に使うのですね。やはり花を持つことをおすすめします」
「気遣いは受け取っておくよ」
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