2.ランタンの魔女
ローレンが手綱を握り、他四人は荷馬車を囲むように歩いて進む。私はじくじくと痛む足を抱えながら定期的に魔導具で〈探知〉をかける。
幸いその後は盗賊に襲われることもなく、クロツルバミの迷宮都市につくことができた。
門近くの詰め所に盗賊の報告をした。返り血まみれのクロウの有様を見て、兵士たちがため息を吐く。かがり火の下で手早く話をつけて、あとは翌日ということになった。
「呪符の精算はまた明日以降に」
クロウに抱きかかえられたまま私は頷く。傷口のせいか、熱が出てきた。身体がだるい。
ワラン商会の荷馬車はもちろんワラン商会へこのまま向かう。
「宿まで乗せて行こうか?」
ローレンがそう提案してくれたが、クロウが首を振った。
「定宿前の道は細い。気遣いありがとう」
「そちらがいいなら精算はゆっくりしてからでも大丈夫だよ。準備して待っているから」
「わかった」
私はもう応える気力もない。疲れた。
クロウの肩に頭を預けているが、隙間からスルシュの気まずそうな顔が見えていた。
「それじゃあ、ありがとう」
ギルドの依頼書にサインだけはもらって別れる。だがここでスルシュが声を上げた。
「呪符代は出す。俺のせいだから」
キリッとした顔で言い出したから何かと思えば、まさかそんなことを考えていたのか。
いらつきに任せて私の口から飛び出したのはなかなかひどい言葉だった。
「当たり前だ。紙代と墨代は請求する。〈治癒〉の呪符を他から買うより安いことを喜べ! 護衛依頼費なんて飛んでいく。あの程度で動けなくなるなんて向いてない。冒険者なんてやめろ」
「カナン! 言い過ぎだ」
すぐさま人の良いクロウに止められるが、私は言い切った。満足だ。上げていた顔を彼の肩に押しつけて、背に回した手で叩いた。
早く行け。
耳元で小さく息を吐いたクロウは、それじゃあと言って動き出す。そのたびに傷口に響いた。熱が上がれば動けなくなる。その前に描ききらねば。〈治癒〉の呪符はびっくりするくらい高い。それを買ってきてもらわなければならなくなる。
「痛い」
「そうだな。宿に行ったらもう一度薬を塗り直そう。痛み止めを飲んで眠ろう」
「湯を使うのが先。服が血だらけ、髪の毛も」
「こんな遅くに浴びるのは無理だぞ。傷口にも障る」
「それでもせめて拭きたい」
風呂は無理でも埃と血を拭き取りたい。
幸い定宿には空きがあった。
「そろそろ帰ってくる頃だって聞いたからね。いつもの部屋をとってあるよ」
「マーニャ、ありがとう」
クロウの返答に女将のマーニャはにやりと笑う。
「金払いがよくて行儀のいいあんたたちが使ってくれる方が私も安心だからね。それで、湯を運ぶ?」
「お願いします」
「カナンは……ひどい顔だね?」
「大丈夫ですよ。湯をお願いします」
「任せな。ほら、トール、準備して」
夜も遅いというのに、宿屋のマーニャは私のために湯の準備を指示し、明かりを点けた燭台を持って先を行く。部屋の扉を開けると、中のテーブルに燭台を置いた。
「何にも食べてないならこれでもお食べ」
マーニャはポケットから果実を二つ、テーブルに置いて部屋を出ていった。
これも普段から簡単な呪符はほぼ原価で提供し恩を売っているからだ。
私は戦闘に使うような呪符から、生活に根付いた簡単な呪符まで手広く扱っている。
部屋はベッドが二つと小さなテーブル。ベッドの間には衝立があった。クロウが私を抱えたまま血だらけのローブを脱がせて、椅子に下ろす。
「湯を使いたい」
宿に入ったらさらに気が抜けて痛くて泣きたくなってきた。薬も切れてしまった。
「まず傷を見よう」
破けたズボンから見える布を丁寧に取り去っていく。途中トールが湯を持ってきてくれて、私のありさまにぎょっと目を見張っていた。
「手伝うか?」
「いや、大丈夫だありがとう。そこの、カナンのローブの洗濯をお願いできないか?」
クロウの指さす方を見て、トールは再びぎょっとした。血だらけのありさまに私とローブを何往復もする。
「俺のじゃないから、大丈夫!」
わざと元気にそういうと、心配そうな顔をしつつ頷いたトールが部屋を出ていく。クロウは作業を続けた。
「これはまずいな。その状態で〈治癒〉の呪符は描けるのか? 少し化膿し始めている。使うなら早いほうがいいぞ」
熱が上がってきて頭もぼんやりしてきていた。その様子がクロウから見ても明らかなのだろう。
「紙さえあれば。……いや」
慌てて茶色の拡張鞄の中を探る。
瓶を一つ取り出すが、やはりない。
「墨が足りない。〈治癒〉を描く等級の墨を準備しないと」
「なら、治療院に行くか」
「いやだよ! あそこの呪符の値段知ってるだろ? 半額で私が描けるのに」
クロウがすっと人差し指を唇の前にもってくる。
私は言い直す。
「……半額で俺が描けるのに、わざわざ治療院の呪符を買いたくない」
「だが、墨は自分でとってきて、いや、材料を買ったとしても、カナン用の墨にしてもらわないとだろう? 時間がかかるし、店はもう閉まってる」
「最悪血でも……」
「それはやめておいた方がいい」
呪符には特別な紙と墨が必要だった。紙は相性のいいものを探す。墨は基本オーダーメイドだ。冒険者なら自分で素材を持ち込むことも多い。多少負けてもらえる。もちろん他人がとってきたもので作ることもできるが、どちらにせよ出来上がりに二日ほどかかる。間に合わない。まじない師の血で書くこともできるが、それは最終手段だ。
「カナンがなるべくランタンを使いたくないのはわかるが……」
「〈治癒〉の呪符用の紙は高価だ。俺が何枚買うかだって把握しているだろうし、使った枚数と買ってる枚数が合わないと気づかれたら?」
「一介の冒険者をそこまで細かく見てはいないさ。カナンは気にしすぎだ」
「でも、違和感がいくつも重なって、疑われて、バレたら……」
せっかく、せっかく落ち着いてきたところなのに。
目の奥が熱くなってくる。
すると、クロウが私の両頬を、大きな手で押さえ真っ直ぐ瞳を見つめる。
「カナン、確かにこれがきっかけでバレて、また旅に出なければならなくなるかもしれない。それでも、俺がいつも一緒にいるから大丈夫だ。二人でまた次の街に行こう。もっと住みやすい場所があるかもしれない。だろう?」
ギュッと目をつぶって、あふれ出そうになる涙を抑える。
「ランタンを使う」
安堵したクロウの顔がすっと離れた。
待ってましたとばかりに左手の甲がうずく。ピンク色の霧がテーブルの上に渦巻き、それが消えるころには黒い子猫がちょこんと座っていた。
『初めから俺に任せればよかったんだ。そうしたら傷なんて負うことはなかった』
「うるさいよ」
にゃあんという鳴き声とともに、少年の声が頭に響いた。クロウが首を傾げている。
「盗賊をランタンの魔法で倒してたら傷なんて負わなかったって」
ああ、とクロウは苦笑する。
「ストック分で治る?」
『もちろん、十分だよ』
そっと子猫に左手を伸ばすと、ふわりとした毛並みが一瞬で硬質なそれに変わった。持ち手を握る。
赤銅色の四角いフレーム。四方はガラス張りになっていて、中には台座と灯芯のみがあった。そこに、ぽっと炎が点る。赤や黄色やオレンジといった普通の色ではなく、ピンク色の鮮やかな炎だ。
ランタンの魔女、それが私だ。
「足の治療を」
すると炎が大きくなったかと思えば、ランタンから飛び出し私の脚に伸びた。またたく間に、先ほどまで痛くて八つ当たりまでした傷口がきれいになっていた。
「熱とだるさはそのままか」
「炎症を起こして、症状がすでに体全体に出ているんだろう」
『そこまで治すか? もちろんできる』
「いらない。魔法の無駄遣いはやめて。一晩眠れば治るよ。それより、湯を使う。で、とっとと寝る」
「そうだな、そうしよう」
太ももの付け根まで上がってきていた痛みがきれいさっぱり消えていた。立ち上がって椅子を衝立のこちら側、私のベッドの近くまで移動する。
クロウはその動きを見て安心したのか、笑って自分のベッドに向かった。
ベルトを外してシャツを脱ぐ。現れたさらしを丁寧に巻き取った。
胸元を見やる。今年で、十三。押さえつけるのもなかなかキツくなってきた気がする。
冒険者をやると決めたときに女であることは邪魔になるとすぐわかった。クロウと二人で旅をするなら、男のフリをしておく方が断然いい。冒険者をやっていく上で腕っ節で勝負する剣士や弓師ならまだしも、私はまじない師だ。他の冒険者と比べたら腕力ではほぼ勝てない。体力をつけるために走り込みや剣の扱いは学んでいるが、それでも剣一筋でやってきた、体格的にも負けている相手に敵う気はしなかった。
安全のためにできるだけ長く男のフリをする。そう、クロウと決めたのだ。
熱い湯に布を浸して丁寧に身体を拭いた。本当は頭を洗いたいがこんな時間に大量の湯を使うのは無理だ。一日だけ風呂付きの宿に泊まりたい。
そのためには稼がないと。風呂付の宿は普段の何倍もするのだ。
血にまみれた手袋を外す。
左手の甲にピンク色の花の痣があった。炎の色と同じきれいなピンクは、記憶を燃やして魔法を振るう魔女のあかしだ。
燃やした記憶は返ってこない。
だからランタンの使用は慎重になる。
しっかり拭き上げ、新しい服に着替えるとようやく人心地ついた。夜も遅く、眠気がふわりとやってくる。
「クロウはどうするの?」
衝立の向こうに話しかけるが、返事はない。ベッドの横に桶を置いていると起きた時蹴飛ばしそうだ。テーブルのそばに動かしがてらクロウのベッドを覗くと、すでに眠っていた。靴も履きっぱなし、ローブすら脱いでいない。そのあたりの衛生感覚が壊滅的に合わない。
昔いた家には風呂があったというのに、すっかり彼も冒険者だった。
帰路は本当に忙しかった。クロウも気を張っただろう。
薄掛けをそっと身体に掛けた。ブーツを脱がせたら起きてしまいそうだし諦めよう。
私も自分のベッドへ横になり、目を閉じた。
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