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第二十七話 ヨーロッパの風

 1977年1月初旬。コペンハーゲン、モンマルトル。

 ニールス・ヘニング・ウアステッド・ペデルセンは、ジャズハウス・モンマルトルの楽屋にいた。

 今夜は、特別なセッション。

 ヨーロッパ各地から、ミュージシャンが集まっていた。

 ドイツから、ピアニスト。フランスから、サックス奏者。イタリアから、ドラマー。

 そして、デンマークから、ニールス。

 ドアが開いた。

 ケニー・ドリューが入ってきた。

「NHØP、準備はいいか?」

「ああ」

「今夜は、面白くなるぞ」ケニーは微笑んだ。「ヨーロッパのジャズを見せる夜だ」

 セッションが始まった。

 最初の曲は、スタンダード・ジャズ。しかし、演奏は違った。

 アメリカのジャズとは、何かが違う。

 もっと、リリカル。もっと、内省的。

 ヨーロッパの風が、音楽に吹いていた。

 ニールスのベースが、大地のように支える。

 しかし、アメリカのベーシストとは違う弾き方だった。

 一音一音が、歌う。

 クリアで、透明で、空間を感じさせる。

 ECMでの録音経験が、彼の演奏スタイルを変えていた。

 マンフレート・アイヒャーが教えてくれた「静寂の美しさ」。

 それが、今の彼のベースにある。

 ケニーのピアノが、空のように広がる。

 ドイツ人ピアニストが、バッハの影響を感じさせるフレーズを弾く。

 フランス人サックス奏者が、シャンソンのような哀愁を加える。

 これは、アメリカのジャズではなかった。

 ヨーロッパのジャズだった。

 曲が終わった後、観客が拍手した。

 しかし、それは、アメリカのジャズクラブのような熱狂ではなかった。

 もっと、内省的な、深い拍手だった。

 セッションの合間、ニールスはドイツ人ピアニストと話していた。

「素晴らしいベースだった」ピアニストが言った。「あなたのタッチは、完全にヨーロッパのサウンドだ」

「ヨーロッパのサウンド?」ニールスは尋ねた。

「ああ。アメリカのベーシストは、力強い。グルーヴを作る。しかし、あなたは違う。もっと歌う。もっと、空間がある」

「それは、アイヒャーの影響かもしれない」ニールスは答えた。「ECMでの録音で、彼から多くを学んだ」

「そうだろうな」ピアニストは頷いた。「アイヒャーは、我々ヨーロッパ人に独自の音楽があることを証明しようとしている」

「その通りだ」ニールスは言った。「我々は、アメリカのジャズを真似する必要はない。我々には、我々の音楽がある」

 セッションの後、ニールスとケニーは、バーで座っていた。

 ビールを飲みながら。

「ケニー、今夜の演奏、どう思った?」ニールスは尋ねた。

「素晴らしかった。ヨーロッパのジャズが、成熟してきている」

「成熟?」

「ああ」ケニーは頷いた。「長い間、ジャズはアメリカから輸入された音楽だった。我々は、それを真似していた」

「でも、今は違う?」

「今は違う」ケニーは言った。「我々は、自分たちの音楽を作り始めている。クラシック、民謡、教会音楽。それをジャズに融合させている」

 ニールスは、興奮した。

「それが、俺が探していたものだ」

「そうだろう?」ケニーは微笑んだ。「お前のベースには、デンマークの魂がある。それを、もっと前に出せばいい」

 数日後、ニールスはSteepleChaseレーベルのオフィスを訪れた。

 コペンハーゲンにある、小さなレコード会社。

 しかし、ヨーロッパのジャズを世界に発信している重要なレーベルだった。

 プロデューサーのニルス・ウィンターが、待っていた。

「NHØP、よく来てくれた」

「呼んでくれて、ありがとう」

 二人は、座った。

「新しいプロジェクトの話だ」ウィンターは言った。「北欧のミュージシャンだけで、アルバムを作りたい」

「北欧だけ?」

「ああ。デンマーク、スウェーデン、ノルウェー。我々の音楽を、世界に示す時が来た」

 ニールスは、頷いた。

「面白い」

「お前には、中心になってほしい」ウィンターは続けた。「お前のベースが、北欧のジャズの土台だ」

「でも、どんな音楽を?」

「それは、お前たちが決めればいい」ウィンターは微笑んだ。「ただし、一つだけ条件がある」

「何?」

「アメリカのジャズを真似ないこと。北欧の魂を、音楽にすること」

 1月中旬。

 ニールスは、モンマルトルで再びジャムセッションに参加した。

 今夜は、北欧のミュージシャンたちが集まっていた。

 スウェーデンから、トランペット奏者。ノルウェーから、サックス奏者。

 演奏が始まった。

 最初の曲は、スウェーデンの民謡をジャズにアレンジしたもの。

 トランペットが、メロディを奏でる。

 ニールスのベースが、支える。

 しかし、ただ支えるのではない。

 歌う。対話する。

 ノルウェーのサックスが、ハーモニーを加える。

 これは、新しい音楽だった。

 北欧の伝統と、ジャズの自由の融合。

 観客が、息を飲んで聞いていた。

 曲が終わった後、長い拍手。

 ニールスは、確信した。

 これだ。

 これが、自分の道だ。

 その夜、ニールスは一人で港を歩いていた。

 コペンハーゲンの冬の夜。冷たい空気。

 しかし、心は温かかった。

 ようやく、見つけた。

 自分が何をすべきか。

 オスカー・ピーターソンとの演奏は、素晴らしかった。

 世界最高のピアニストから、多くを学んだ。

 ECMでの録音も、貴重な経験だった。

 アイヒャーが教えてくれた「空間の美しさ」。

 ケニーとの友情。

 そして、家族。

 すべてが、今の自分を作っている。

 しかし、これから先は、自分の音楽を作る。

 北欧の音楽家として。

 デンマークの魂を持つベーシストとして。

 ニールスは、空を見上げた。

 雲が晴れて、星が見えた。

 北極星。

 北欧の人々が、何千年も見上げてきた星。

 航海者の道標。

 ニールスにとって、音楽も同じだった。

 道標。

 これまでの経験が、星のように輝いている。

 それを頼りに、次の航海に出る。

 ニールスは、歩き続けた。

 新しい年が、始まっている。

 新しい道が、開かれている。

 そして、どこかで、新しい出会いが待っている。

 ベルリンという街で。

 オイゲン・キケロという、東欧から来たピアニストと。

 彼はまだ、それを知らない。

 しかし、運命は、すでに動き始めていた。




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