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忘却の雨編 5 懸念

夕焼けに照らされて浮かび上がる丸太小屋。

風は穏やかでペラゴニウムの丸く小さい波状弁を優しく揺らしていた。


突然のドンッという音に驚いて裏庭に続く扉の様子を見に行くレオ。扉の向こうから何やら声が聞こえる。

「誰もおらんのかぁー?」

扉を開けると、泥と草に塗れた緑色の毛玉があった。つかつかと中に入ろうとするベルを持ち上げる。

「おかえり、とりあえずお風呂入ろっか」

レオが風呂場にある桶の中に湯を張りベルを浸けてから洗い始める。先ずは葉を取って次に泥を流す、それから街で流行りの石鹸でわしゃわしゃと泡立てると甘くて良い匂いが広がる。泡を流し終えると玄関の方からアーシャの声が聞こえて来た。

「ただいまぁー」

「誰もいないのか?」

「出掛けてるのかな」

風呂場からレオがひょっこり顔を出す。

「おかえり〜」

「お風呂入ってたの?」

「うん、ベルがねっ」

レインとアーシャが風呂場を除くと気持ち良さそうに湯に浸かるベルが見えた。

「夕飯作ってあるから直ぐに食べられるよ」

「ありがとっ、私もちゃんと甘い物買って来たから夕飯の後で食べましょ」

上機嫌なレオは魔法で風を出しベルを乾かす。勢いが良過ぎたせいかボフッと毛が広がり何とも不恰好になってしまった。暖炉の前のソファの上に座ると舐めて毛並みを整えるベル。


三人が囲む食卓には、脂を取り除いた兎肉を焼いて甘めのタレを掛けたものとキャベツと卵のスープ、それから小さなジャガイモを蒸して塩を振った付け合わせが並べられ食欲をそそる匂いを漂わせている。

「レグルスは出掛けてるの?」

「うん、知り合いの所に行くって言ってた」

「そうなんだ」

「で、どうだったの?試験」

「それが凄くて、レインいきなりレベル5なんだって」

「えっ⁈アーシャと同じだ…」

「というか試験っていつもあんな感じなのか?」

「あんな感じ?」

レオとレインがアーシャを見る。

「まさか、上級魔法なんて使ったの史上初じゃないかな」

「上級魔法⁈」

「今日試験で一緒だった子がね、なんか変わった感じで…」

ふとバルトとのやり取りを思い出すアーシャ。

試験での出来事を詳しくレオに説明する。


「大変だったんだね…」

「そういやアーシャ、蘇生魔法が使えるって事は古の聖女エルデから祝福を受けてるんだよな?」

「…えぇ、少し話したでしょ私がレグルスに引き取られた理由」

「子供の頃に生死を彷徨う大怪我をしてその前の記憶が無いんだったよな」

「その大怪我した私を助けてくれたのがエルデ様なの」

二人の会話にフォークが止まるレオ。

「そんな事まで話して大丈夫?」

少し不機嫌そうに呟く。

「これから長い付き合いになるかもしれないんだったら、ある程度は知ってもらう方が良いかと思って」

「レオナルドは何が心配なんだ?」

「…色々だよ、ドラゴニスタの人間ってだけでも不安なのに強くてしかも雷属性なんて」

「まぁそうか、そうだよな…色々訳ありなんだ、二人にもレグルスにも危害を加えるつもりは無いし、信じてくれとは言わないが気兼ねなく接して欲しい」

「じゃあ、リリエンタールに来た目的は?」

「リリエンタールの修道院に用がある」

「祝福なら今日の合格の儀で受けただろうし何の用があるんだよ」

「祝福は受けてない…」

「「えっ?」」

「ギルドマスターからアドラーリングを貰った後、規約の説明を受けて誓約書にサインしただけだ」

「変ね…合格の儀を省くなんてあり得ないはずだけど」

「ギルドに聖女が所属してるって事か?」

「違うよ、ギルド本部の近くにある修道院に専属の聖女様がいるんだ…もしかして用がある修道院って」

何かに気付いた様にレインを見るレオ。

「リリエンタールに修道院は一箇所しか無いのか?もしそうなら俺が探してるのはそこだな」

「全部は把握してないけど、五箇所はあったはずよね…」

「てゆうか、修道院に何があんの?」

「…」

「修道院もそうだけど、ベルとはどういう関係か聞いてもいい?」

アーシャがさりげなく話題を逸らす。するとソファで毛繕いしているベルが口を挟む。

「俺様の事が気になるのか?」

ボサボサの毛のままよじ登って来たベルを撫でながらレインが言う。

「ベルは俺が召喚したんだ」

「え…召喚って、そんな簡単に出来るもんなの?しかも大精霊なんだよね?」

「俺様が一番驚いたわ、しかもレインはまだチビじゃったからな」

「なんか聞けば聞く程謎が増えてくんだけど」

レオは呆れた様子で立ち上がり、食器を片付け始める。アーシャは俯いて何やら考えていたようで慌てて片付けを手伝い始めた。

「レオ、レグルスはいつぐらいに出掛けたの?」

「午前中だったかなぁ…誰か来てたみたいだった、俺は裏庭に居たから誰かは分からないんだけど」

「じゃあこの焼菓子は三人で食べよっか」

ふんわりした焼菓子を三等分に切り分けると、紅茶を入れてまた食卓を囲む。

「そういや、合格の儀を省いたんならそのアドラーリングはアッシュさんが皆に付けたんだよね?」

「あぁ、通例なら誰がやるんだ?」

「今はリリエンタールの聖女フォルトゥナ様よ、フォルトゥナ様もエルデ様からの祝福を受けていて蘇生魔法が使えるからリリエンタールの国民と、アドラー達の怪我や病気を癒して下っているの」

「明日ギルドに行ったらアッシュさんに事情聞いてみる?」

「そうね、異例な事だらけでギルドもバタバタしてるでしょうけど」

三人は焼菓子を食べ終え食器を片付け始める。

「俺やっとくからアーシャお風呂入ってきなよ」

「ありがとう、じゃお言葉に甘えて」

アーシャは風呂場に向かった。

「何か手伝うか?」

レインがレオに尋ねる。

「大丈夫、それより朝の約束守ってくれた?」

「きっちりな、変なおっさんに絡まれてたのを助けた」

「それってレインと同じくらいの背で髪は肩くらいまで伸ばしてる男?」

「知り合いなのか?」

「オルウィン兄弟の弟でジェイドって言うんだけど、アーシャをしつこくパーティに勧誘して来るんだ…多分、気があるんだと思う」

「まぁ、試験で一緒だった奴も似たような感じなんだろうな」

「どういう事?」

「明日、会えば分かると思う」



§§§§§



本部内にある酒場は今日も賑わっていた。相変わらず酒に酔ったアドラー達があぁだこうだと噂話や愚痴で盛り上がっている。


「今日の認定試験凄かったわね」

「あのドラゴニスタの雷使い、何でアーシャと一緒だったんだろうな」

「確かに、レオナルド以外の男と一緒なんて初めて見た」

「にしても上級魔法をぶっ放すなんて相当だぜ」

「あのバルトってガキは見込みあるんじゃねぇか?」

「次のダンジョンに誘ってみるのもいいかもしれないわね」


古参達に遠慮するようにバルト達三人は酒場の片隅でひっそりと祝杯を上げていた。

「三人揃って合格出来て良かったわね」

「運が良かったのかも」

「まさかバルトがあんな事言い出すなんて…でも良い教訓になったわよね、あんなの実践じゃ使えないもの」

バルトは上の空で食べ物を口に運ぶ。

「ねぇっバルト、聞いてる?」

「あぁ、うん…」

「とりあえず明日からダンジョンに行くの?」

不安気に二人を見てレミーが尋ねる。

「その事なんだけど…アドラーリングを貰った時、祝福を受けなかったじゃない?どうしてフォルトゥナ様は来なかったのかしら」

「さぁな、色々と忙しいんじゃないか…明日ギルドマスターから説明があるだろ」

どうでも良いと言わんばかりの態度にイーライが不満を露わにする。

「あの人の事考えてるの?」

「あの人ってアーシャさんの事?」

レミーは不思議そうな顔をしている。

「今日蘇生魔法を掛けてもらったのに、お礼も言ってなかったから明日会ったら謝っておこうって考えてただけだよ」

「あの時、手握ってたよね…」

「そうだっけ」

「ああいうの迷惑になるから止めた方がいいと思う」

「手握っただけで?」

そう言ってイーライの手にわざと触れるバルト。

「迷惑?」

イーライはカッとなってバルトの手を振り払うと、もういいと言って何処かに行ってしまった。二人残され気まずそうにレミーが言う。

「お姉ちゃん、もっと素直になればいいのに」

「俺は分かるよイーライの複雑な気持ち」

二人から、はぁと深いため息が溢れる。


バルト達から離れた場所ではジェイドとグレン達が酒を酌み交わしていた。ジェイドはかなり酒に酔っているようで大声で愚痴を溢している。

「あの野郎っ、許せねぇ!この俺に手ぇ出して謝罪も無したぁ良い度胸だぁ」

隣に座っていたグレンは聞くに耐えないと言う顔で立ち上がると他の者に代金は自分につけておくように伝えて去って行った。

「アーシャは俺のもんだって言ってんだろうがっ!」

「おい、落ち着けジェイド飲み過ぎだ」

「お前らも飲めっ」

ジェイドは覚束ない様子で立ち上がったが足取りはふらふらで一人では歩くのもやっとだ。

「どうする?こんな状態で宿泊施設に連れて行ったらまた受付嬢から苦情が入りそうだしな」

「とりあえず一旦出るか」

そう言って何人かでジェイドを連れてギルドを出て行く。

夜の街は薄明かりに包まれ、収穫祭を祝う者達が噴水のある広場に集まり静かな宴を楽しんでいる。

一本路地を入った通りでは灯りもなく、足元を照らす装飾と静寂だけが広がっていた。

「俺の宿に連れて行くしかないかぁ」

「悪ぃなぁ、うちはカミさんがうるせぇから無理なんだ」

「俺んとこもガキが小せぇからなぁ」

ジェイドを引きづりながら行き先について話し合っていると、ガラガラと音を立てながら馬車が近づいて来た。扉が開き中から今晩はと男の声が聞こえる。

「なんか用か?」

少し警戒する様に尋ねた。

「勘違いだったらすみませんが、そちらの方はジェイドさんじゃありませんか?」

「あんた、ジェイドの知り合いか?お前ら知ってるか?」

男達は顔を見合わせて、皆首を横に振った。

ふと男の手を見るとアドラーリングをしている。

「なんだアドラーか、どこのパーティに入ってる?」

「…いえ、今はアドラーではありません」

その言葉を聞いた途端に男達は後退る。男はフードを目深まで被っていて表情は読み取れないが穏やかな口調で続けた。

「ジェイドさんはよくうちの店を利用して下さっているので、もし宜しければ私の方で彼を介抱致しましょうか?」

「わ、悪いな…じゃあ後は頼んだ」

そう言うと、そそくさと逃げ帰る男達。


ジェイドを乗せた馬車はとある建物の前で停車した。外観は何処にでもある宿泊施設のようで出入りする人の姿が確認出来る。煉瓦造りで大きな窓には豪華なカーテンが掛けられていて羽振りの良さが伺える。

「さぁ、着きましたよジェイドさん」

男が馬車の扉を開けると、そこには大柄な男が立っていてジェイドを軽々と担ぎ上げた。

「二階まで運べ」

黙って指示された通りに建物の二階に上がって行くと、廊下伝いに各部屋からはベッドの軋む音やあられもない声が聞こえて来る。

大柄な男は扉の開け放された部屋に入りベッドにジェイドを寝かせる。

「何処に連れて来やがったぁ、おいっ」

呂律の回らない大声でが怒鳴るとむくりと上半身を起こし部屋をぼんやり見回した。

すると先程の男が女を連れて現れ優しく声を掛ける。

「お待たせ致しました、いつもの娘を連れて来ましたよ…どうぞ御ゆっくり」

大柄な男を連れて出て行くと部屋の扉を閉めて戻って行った。

ジェイドは男が連れて来た女を引き寄せる。その長く赤い髪の女は虚ろな目でにこりと笑った。

「なに物欲しそうな顔してんだぁ?あぁ」

何も言わずに女はジェイドの服を脱がし始める。隣から聞こえて来る声に昂る心のままジェイドは肉欲に溺れて行く。目の前で揺れる赤い髪と背徳感がまるで底なし沼のヘドロのように絡み付き離れない、唯々ひたすら沈んで行く。



§§§§§



夜が深まり、風が森の木々を揺らし始めると葉擦れの音がさわさわと微かに聞こえて来る。

レインは眠れずに天井を見つめていた。

「なんじゃ眠れんのか?」

「…全然似てないはずなのにアーシャを見てると、あの人の事を思い出すんだ」

「故郷が恋しいんじゃな」

「いや、全く」

「では上級魔法を使って体が興奮しておるんじゃな」

「そうかもな…ちょっと外の風に当たって来る」

レインは部屋を出て階段を降りる。

「どうしたの?」

暖炉の前のソファに座っているアーシャが声を掛けた。

「そっちこそ夜更かしか」

アーシャはにこりと微笑むと右手でポンポンとソファを叩く。レインはアーシャの隣に座って背もたれに頭を預けた。

「レインはグランブールに行った事ある?」

「いや、そういう話はベルの方が詳しいかもな…行ってみたいのか?」

「レグルスの生まれた所だし興味はあるんだけど」

「そういや、試験で一緒だった奴も水属性だったな、あと二人は風属性だろうな」

「昇級試験はグランブールでしか受けられないから行くなら二人でと思ったんだけど…」

「さっきレオナルドが言ってたよな?アーシャもレベル5だって、一緒に昇級試験を受けたいって意味か?」

レインは上体を起こしてアーシャの顔を見つめる。

「まさか…そのまま姿を消す気か?」

アーシャは静かにレインを見つめ返す。揺れる瞳も隠さずに、沈黙も恐れずに唯々見つめていると二階から一際大きな声が聞こえて来た。

「ちょっとぉぉ!二人で何してんの⁈」

慌てて階段を駆け下りて来たレオが二人の隙間に割って入る。

「落ち着いてレオ、ただ話してただけだから」

「レオナルドも眠れないのか?」

問いかけて来たレインに眉間を寄せて返事をする。

「…なんか気配がするんだ、俺たち以外の」

「ベルじゃない?」

「はっきりとは分かんないけど違うと思う」

どんよりした空気を断ち切る様にアーシャは立ち上がって提案する。

「ちょっと街まで散歩しない?」


三人は暗がりの中を月明かりを頼りに歩き街にやって来た。広場には沢山の人々が集まっている。中には子供達の姿もあった。

「久しぶりだねぇ」

「なんか良いな、こういうの」

小さなキャンドルの灯りがほんのり周りを照らし出し、陽気な音楽隊の奏でるバイオリンの音色を静かに楽しむ大人達と普段は出来ない夜更かしに興奮して駆け回る子供達に心が暖まる。

その場の雰囲気を少し楽しんでから家路に着く。足取りは軽く頭上には暗闇を埋め尽くす星々の煌めき。

ふとレオの足が止まる。

「…ねぇ、二人とも俺に隠し事してないよね?」

変な間を作らない様にアーシャが直ぐに答えた。

「なんでそんな事聞くの?」

「質問に質問で返すのは駄目だよね、ね?レイン」

「俺は基本的に隠し事しかないんだが」

「レオは私の事、信用してないんだ…ちょっとショックかも」

「全然質問の答えになってない」

「この前言ったよねレオ、もし私のせいで…」

「やっぱり無しっ、さっきの質問気にしなくていいから」

そう言って一人足早に歩き出すレオ。

少し離れて後を歩くアーシャとレイン。

「拗らせてるなぁ…」

「…最低よね私、いっそ嫌いになってくれたら楽かもしれない」

「これは受け売りなんだが、気持ちを紙に書き出すと考えが整ってスッキリするらしい…」

「うん、気が向いたら試してみる」


レオは先に丸太小屋に戻ると、部屋に入ってベッドに潜り込んだ。部屋の外からアーシャの声が聞こえる。

レインにおやすみを言った後、レオの部屋に向かって歩いて来る足音。ノックを無視して寝たふりをしているとアーシャが扉を開けて入って来た、ベッドが少し沈む感覚に軽く胸が苦しくなる。

「レオ、ねぇ」

優しく髪を撫でられて思わず涙ぐむ。

「…酷いよアーシャ、あの話をすれば俺が何も言えなくなるって分かってるくせにっ」

「ごめんなさい、でもそんな風に悩んでばっかりだと体調崩すかもしないしレグルスもきっと心配するから…」

「…分かった、おやすみ」

それ以上のやり取りを拒む言葉を察して部屋を出て行くアーシャ。

眠ろうと意識すればする程目が冴えて行く。

(一言、たった一言でいいのに…隠し事なんかないって言ってくれれば安心出来るのに、アドラーになって何がしたいんだろう…俺だけじゃ満たされないのかな、自由になりたいのかな…アーシャの想い描く未来に俺は居ないのかな…)



夜の帳に隠れるように光は去って行く、誰しもが唯々それを見送って明日が来る事を祈り目を瞑る。

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