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忘却の雨編 3 約束

小高い丘に朝日が昇る頃、森から新鮮でひんやりとした空気が吹き上げて、丸太小屋の庭の草花を朝露で湿らせていた。

その丸太小屋の2階にある部屋の中で、レインとベルが何やら話し合っている。

「何考えとるんじゃレイン、アドラーなんぞに登録したら馬鹿な第一王子に見つかるかもしれんぞ」

「あいつは、アドラーにもリリエンタールにも興味無いだろ…それにドラゴニスタの外で何をしようが俺の勝手だ」

「じゃが、こちらも向こうの動きが見えん以上油断すれば面倒な事になる可能性が…」

そこまで言ってベルは目を見開く。

「ドミニクか⁈」

「あぁ、アドラーになれば向こうから接触してくるだろうな…その前に問題が一つ、レグルスはおそらく英雄で間違いない、だとしたらドミニクとは旧知の仲って事も」

「つまり、レインの正体に気づいとるかもじゃの」

レインとベルは腕を組んで頭を悩ませる。


コンッコンッ

扉を叩く音の後にアーシャの声が聞こえる。

「おはようレイン、起きてる?」

「あぁ」

ガチャっと扉を開けると開いた瞬間ベルが大声を出す。

「俺様には挨拶も無しかぁー!」

その様子にふふっと微笑んで

「ベルもおはよう、次からは一番にベルに挨拶するわ」

そう言ってベッドにちょこんと座っているベルを撫でた。

「良かったら、裏庭で野菜を取るの手伝ってくれない?」

「分かった、行くよ」

二人はベルを部屋に残して裏庭に向かう。

朝の空気は透き通ったように涼やかだ。裏庭には色んな種類の野菜が植えられていて小さな木の柵で仕切られている。その畑を少し下ると小高い丘を囲むように一面青いペラゴニウムが咲いている。丸太小屋の背面には深い森が人を拒むように高い木々をそびえ立たせていた。

アーシャはニンジンを何本か抜いてレインに渡す。

「そのカゴに」

レインは言われた通りニンジンをカゴに入れて行く。次にタマネギを、それからジャガイモも。

「ねぇ、レイン…昨日の事なんだけど」

「認定試験の事か?」

「私、急ぎ過ぎた気がして…レインやベルの都合もあるのに」

「問題ない、嫌なら断ってる」

「もし…迷惑に感じる事があったら、はっきり言って欲しいの」

「心配しなくても遠慮なく言わせてもらう」

「ありがとう」

ホッと安心した表情を見せるアーシャ。

二人が一緒に部屋に戻るとレオが待っていた。まだ寝巻き姿で寝ぐせもつけたままだ。

「おはよう〜二人とも」

フワァ〜ッと欠伸をして、立ち上がると風呂場に向かう。

「おはよう 今、朝ご飯作るね」

アーシャは台所に向かうと取って来た野菜を流しで洗い始める。次にまな板と包丁を出してニンジンをトントンと切る。

「レインはタマネギの皮を向いてくれる?」

タマネギを手に持ったままクルクルと回しながら何やら考えているレインを見て尋ねる。

「普段は料理しないの?」

「普段というか、ドラゴニスタを出てからまともな飯を食べたのは昨日が初めてで」

「お金に困ってるとか?」

「いや、手持ちはいくらかあるが事情があって人目を避けてたんだ」

レインの手からタマネギを取ると茶色い薄皮を剥いて行く。

「それってベルが言ってた事?」

「というよりベルの存在自体がな」

「ノルンって言わなきゃただの使い魔に勘違いされるだけだと思うけど」

「あいつの性格じゃ黙っていられるとは思えない」

「確かにそうね」

「これは、擦って洗うのか?」

ジャガイモとタワシを手に取り桶に張った水に漬けてからゴシゴシ洗い始めるレイン。どうやら勘が良い。

アーシャは剥き終わったタマネギをトントンと切り始める。

「アドラーの認定試験会場には沢山人がいるからベルを連れて行くのはまずいかも」

「まぁ留守番を頼めば快く引き受けるだろ」

丁度話終わったタイミングで玄関の扉が開く。何処かに出かけていたレグルスが帰って来たのだ。

「ただいま」

「お帰りなさいレグルス」

アーシャが出迎えると紙袋の中身を見せる。

「わぁ〜良い匂い」

「市場は人が多くて立ち寄れなんだからの、代わりにパンを買って来たんだの」

そう言って紙袋をアーシャに手渡すと、レグルスは奥の自室にカバンを外しながら入って行った。

アーシャが台所に戻るとレインがジャガイモを一口大に切ってニンジン、タマネギと共に鍋に放り込んでいた。

「これもスープにするのか?」

「…えぇ朝は暖かい物を食べて血の巡りを良くするの、鍋に張る水なんだけど」

「裏に井戸があるのか?」

「良く分かったわね」

感心したように驚く。

「じゃあ汲んでくる」

「待って、私も行くから」

この二人のやり取りを、風呂場から戻ったレオと自室から戻ったレグルスが呆気に取られて見ていた。

「ありゃ、まるで新婚夫婦だの」


朝ご飯が出来て、皆で食卓を囲む。

野菜に簡単な調味料で味付けしたあっさりスープとレグルスの買って来た少し硬めのパン、充分だ。

なのにレオは恨めしそうな顔をしたまま手が止まっている。

「うん、上手い」

「自分で作るとまた違った味わいがあるでしょ?」

「ベルと森に居た時は適当に焼いた肉を食べてたからなぁ、余計に美味く感じる」

「え…魔物を食べてたの⁈」

アーシャはかなり驚いている。するとレグルスが口を挟む。

「ドラゴニスタの人間は胃腸が特に丈夫な上に魔物を消化する事に優れた体質をしておるんだの」

「まぁ、魔物なんて美味いもんじゃないな」

「レインは器用だから魔物も調理出来そうね、良かったら簡単な料理ぐらい教えるけど」

会話が弾み、三人はあっという間に食べ終わってしまった。食べ終わると直ぐに食器を片付け始めるレイン。レグルスも食器を流しに持って行くと裏庭に向かう。

「ごめん、これもお願いしていい?」

アーシャは自分の食器をレインに渡すと、レオに話しかける。

「お腹空いてないの?」

「空いてる…」

「じゃあ、まだ昨日の事怒ってる?」

「……」

だんまりしている姿を、頬杖をついて笑顔で見つめているとレオが重たい口を開く。

「レインって、かっこいいよね」

「よね?」

レオの言葉の意図が分からず聞き返す。

するとレインが戻って来て椅子にドカッと座った。

「俺はかっこいい、から何だ?」

「…うらやましいよ」

思わずアーシャとレインは顔を見合わせる。目が合った瞬間サッと視線を逸らすアーシャ。レインは気にせず問いかける。

「この家には鏡が無いのか?」

呆れた口調だ。

「あるわ、お風呂場に立派なのが」

「じゃあ、視力に問題があるんだな」

「リリエンタールの人間は加護のおかげで視力も高いの」

「…」

「何が言いたいんだよっ」

レオはレインに食ってかかる。

「早く飯を食えっ、片付けるから」

鼻でフンと軽く笑うとまた流しに戻って行った。

それからレオはスープを口に運ぶ。

「美味しい?」

「うん、美味しい」


食器を全て洗い終わると裏庭に続く扉を開けてレグルスの元に向かったレイン、薪割りをしているレグルスの様子を扉の脇にある長椅子に座って黙って眺めている。

大きな斧を振り下ろす度に薪の割れる小気味良い音が辺りに響く、人間の胴体程ある丸太を軽々と割って行く様はとても年寄りには見えない。

「なぁ、レグルス…どうして俺達ドラゴニスタが魔物食に耐性あるって知ってたんだ?」

レグルスは斧をドスンと地面に置いてレインの方を向く。

「何やら探りを入れられておる気分だのぉ」

「他意は無い」

「魔物食への耐性以外にも、爪を尖らせる事が出来るのも知っておるし」

その言葉を聞いたレインは自身の手の爪を尖らせて呟く。

「まぁ、この程度の特徴はアドラーなら誰でも知ってるか」

「…それから、国王と第一王子の間に軋轢があるのも聞き及んでおるの」

思わずピクッと眉が動く。

(…ドラゴニスタの人間なら誰でも知ってる国内事情なのか?分からない以上下手な返事は出来ない、鎌を掛けたつもりが…)

「回りくどい言い方して悪かった、レグルスあんた英雄だよな?」

「…英雄だったが正しいのぉ、それとお前さんに何の関係があるのか聞いても良いかの?」

二人の間に沈黙が流れる。

「「………」」

その時

「わぁぁぁぁぁー!!!」

突然二階の部屋の窓からベルが飛び降りて来る。声に気づいたレインがすかさず受け止める。

「何やってんだよ」

「助けに来てやったに決まっとるじゃろ!」

今まさに自分が助けられたとは思ってもいない自慢気な顔で言い切った。

「で、どうやって助けてくれるんだ?」

ベルは徐に片方の前足をレグルスに向かって突っ張り手をパッと開いて肉球を見せる。

「それ以上聞いたら俺様が許さんぞ」

その愛らしい仕草に思わずレグルスがフッと笑った。

「それは恐ろしいのぉ」

「冗談は置いといて、今は素性を話せないんだ…分かってくれると助かる」

「まぁ、お前さんがどこの誰でもノルンが付いておるなら悪い奴では無さそうだの」

「レグルスが話の分かる人間で良かったよ」

「…して、レオの機嫌は直っとったか?」

「どうかな…多感な時期なんだろ」

「歳下とは思えん発言だのぅ」

「え、レオナルドは何歳なんだ?」

「20歳だの」

「あやつレインよりも歳とっとるんじゃな」

ベルが驚いた様に呟く。

「……あぁ、らしい」


所変わって家の中では、レオとアーシャが出掛ける支度を済ませて何やら睨み合っていた。

「このぐらい大丈夫、心配し過ぎよ」

「駄目っ、どっからどー見ても短い!」

「ちゃんと長めの靴下履いてるし」

「それが余計に駄目なんだって」

そこにレイン達が戻って来る。

「何やってるんだ?」

「ねぇっ、レインも短いと思うよね⁈」

「短い?」

アーシャを上から下まで観察する。

「ズボンか、ブーツの話か?特に違和感は無いと思うが…」

「ほら、言ったでしょ」

「レグルスは駄目だと思うよね⁈」

「肌なんぞ若いうちに出さんでどうする、むしろ靴下が長過ぎるようにも見えるんだの」

そこでアーシャはパンッと両手を合わせる。

「じゃ、出掛けましょうか」

レオは諦めてため息をついた。

「ギルドに行くんだったら一つ頼まれて欲しいんだの」

そう言ってレグルスはポケットから手紙を出しアーシャに手渡す。少しくしゃっとなった手紙には宛先が無い。

「誰に渡せばいいの?」

「今日は受付にピルズベリーがおるから、渡しておいてくれるか」

「分かった」

「レインはもう出発しても大丈夫?」

「出る前に、風呂を借りてもいいか?」

「あぁ、好きに使ってかまわん」

「じゃあ遠慮なく」

レインはそのまま風呂場に向かう。

「俺は荷物無いしいつでも出発できるよ」

「何を言っておるんだ?レオはワシと一緒に留守番だの」

「え…何で…」

「薪割りがまだまだ終わっておらん…一人増えた分余分に用意しておかんとの、それから水やりに畑の手入れもな」

「じゃあ、ベルも一緒に留守番していてくれる?」

「俺様が付いとらんでレインは大丈夫じゃろうか?」

「私が居るから大丈夫よ、じゃあ二人で行ってくるね」

「そんなぁ…」

落ち込むレオをアーシャが慰める。

「帰りにレオが好きな甘いもの買って来るから」


レインは風呂場でシャワーを済ませ下着姿で髪を乾かしていた。すると突然扉が開く。

ガチャッ、バンッ!

勢いよく入って来たレオを呆れた様子で見つめる。

「…お前なぁ、マナーってものがあるだろ」

「ごめんっ、そんな事より大変なんだ!俺一緒に行けなくなった…」

「なんで?」

「レグルスに家の手伝いする様に言われて…」

「なら仕方ないな」

「だから、レインに頼みたい事があって」

「なんだよ?」

「アーシャが変な奴に絡まれないように守って欲しい」

「心配し過ぎだろ」

「し過ぎじゃない!頼んだよっ」

そう言うとレオはまた慌てて出て行った。



§§§§§



「気にしないでね」

アーシャがため息混じりに声を掛ける。

「まさかレグルスにもアーシャの事を頼まれるとは思わなかった、まぁでも大切にされてるって事だろ?」

アーシャとレインは馬車の窓から外を眺めながら遠ざかって行く丸太小屋に目をやった。街からレグルスの家までの道は舗装されておらず馬車はガタガタと揺れている。

「馬車まで呼んでるなんて」

「そんなに遠いのか?」

「ギルド自体は街にいくつかあるんだけど、認定試験会場は本部にしかないから そこまでは…歩くと7時間くらいかな」

「レグルス、優しいよな…思ってた英雄像とは違ったけど」

「優し過ぎるくらいね」

少しだけ呆れた様な、切なそうな顔で笑う。

「…あの、昨日の話の続きなんだけど」

対面に座るレインの目を一瞬見つめて、俯く。

「別に傷痕どうにかしたいとかは思ってなくて…」

「けど、記憶を取り戻したい?」

「ん〜、記憶にこだわってる訳じゃなくて自分が何処から来た何者なのか知れば現状打破出来るんじゃないかって」

アーシャは膝の上に乗せた両手の拳をギュッと握る。

「現状…幸せそうに見えるが、アドラーとして行き詰まってるって意味か?」

「……」

悩ましい顔をしてアーシャが口を開く。

「レグルスがアドラーを引退したのは私のためなの、それだけじゃない…レオにまで背負わせてる」

「二人にそう言われた訳じゃないんだろ」

「私がアドラーを目指すきっかけになった出来事があって…それからは世界が180度変わった、もう知る前には戻れない…戻れないの」

声が少し震えている。

「で、ベルの力まで借りて一体何をしたいんだ?」

「…最終的には、この国を出ようと思ってるの」

「つまり…レグルスが英雄の地位を捨ててまで作った居場所を捨てるのか?レオナルドには何て言うつもりだ?」

その辛辣な言葉にフッと笑みが溢れる。

「ありがとう、レイン…」

「笑う所か?」

「ごめんなさい…湿っぽくなって、こんな話誰かにしたのは初めてで感情を抑えられなくて」

「他言無用か?」

「約束してくれるの?」

「必要ならな」

「じゃあ、私達だけの秘密ねっ、次はレインの番よ 素性は明かせなくてもリリエンタールに来た目的ぐらいは教えてくれない?」

アーシャの問いにしばらく悩んだ後、答える。

「端的に言うと…聖女を修道院から連れ出す方法を探してる」

「…」

(聖女様を…連れ出す?修道院から?)

「えーっと、つまり修道院から…聖女様を…連れ出したいの?」

「あぁ」

(やっぱりそういう事?…駆け落ちって事よね?)

「…何か良くない想像してないか?」

「大丈夫!誰にも言わないからっ」

「いや、そうじゃなくて」

レインが説明しようとした時だった。馬車が突然止まったのだ。

コンッコンッ

「すみませんお客様、広場までの道が混み合っておりまして」

二人は馬車を降りて外の様子を確認する。

「すごい人だな」

「もしかしたら広場の真ん中で収穫祭の見世物かなにかやってるのかも」

「馬車で突っ切るのは無理だろうな」

御者は余分な金貨を返すとその場を去って行った。


広場に続く道は多くの人々で賑わっている。色とりどりの装飾が街を飾り普段は見ない出し物が露店狭しと並べられていた。楽器を奏でる音楽隊や踊り子達を横目に人の群れを掻き分けて進む二人。

「何処までっ、こんな状態がっ続くんだ?」

人の波に流されるように酒に酔った者達が次々とぶつかって来る。

「こっちに来て」

アーシャはレインの腕を引っ張って近くにある高い建物に連れて行く。

「ここから屋根伝いに街を抜けられるんだけど」

「分かった」

レインはいとも容易く塀を登って屋根にたどり着く。その後を同じように軽々と登るアーシャ。

「急ぎましょっ」

走り出したアーシャをレインが追いかける。

眼下に広がる賑わいには目もくれず唯ひたすら建物から建物へと飛び移りながらギルド本部を目指す。



§§§§§



「ベルッ、そっちは危ないから」

レグルスの使っていた大きな斧で薪割りをしていたレオの後ろをすばしっこく森に向かって駆け抜けて行く。あっという間に木々の間に消えてしまった。

「大丈夫かな?」

「心配無用だの、大精霊に手を出す程魔物は馬鹿ではなかろう」

ベルの事等気にする様子もなく畑の手入れを続けるレグルス。

「ねぇレグルス……もう、その年寄り臭い話し方やめれば?」

その言葉にガハハと笑って答える。

「最初はアーシャのためだったが…いつの間にやら気に入っておったんだ」

レグルスは穏やかな表情で続ける。

「アーシャがこの家に来たのがつい先日の事ように思える」

「もう12年も経つなんて俺も実感ないなぁ」

「12年か……レオ…あの時の約束を覚えておるんだな」

「当たり前だろ」

「……ワシを恨んでおるか?」

少し驚いた表情をしてからフッと微笑むレオ。

「大丈夫、大丈夫だよ、俺はアーシャが居ればどんな事だって耐えられるから」



すれ違う想いが造り出した渦はやがて全てを呑み込み始める。

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