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忘却の雨編 15 葛折

リリエンタールを潤した雨雲がまだ空に残り、青空と鉛色の雲が絶妙に溶け合っている。

湿気を含んだ新鮮な空気が溢れていた。

調査員のフローレンスと共にダンジョンを出たジェイド達は帰路につく。

グレンの判断で引き返す事になったのだが、安堵の顔を浮かべるのはエミリーだけで他は皆 二の足を踏まされたという様な表情で会話も途絶えていた。


森の中を抜けて街に入るとフローレンスは擬態用のローブを脱いで丸めて、背負っていた鞄に詰め込む。

ぎゅっぎゅっと無理矢理押し込みながら魔装具を外し、口元を覆っていた布をぐいっと下げた。

すうっと勢い良く空気を吸い込んで伸びをしてから気付いた、ジェイド達全員から注がれる視線に。

「すみませんっ、お待たせしました」

ザックが先に歩き出すと、流れるように皆がその後に続く。

「雨やんでて良かったね」

ティナがエミリーに微笑みかけると、エミリーからも自然に笑みがこぼれた。

「で、何であのダンジョンにいたんだ?」

歩みを進めつつ面倒くさそうにジェイドが尋ねた。

「えぇっとぉ、僕は調査が始まるまでの間は自由にしていろとアッシュ様から言われてまして」

「で?」

「こちらのギルドに来て最初に目を通したのが、さっきまでいたダンジョンの資料だったんですよ…他のダンジョンにはない特徴があって興味をそそられて…」

「行方不明者が出てるのに?」

ティナが理解に苦しむと言わんばかりの顔つきで聞いた。

「あはは…普通なら避けるんでしょうけど僕らは逆です、でも思っていたよりも遥かに厄介な所でした…まずダンジョンそのものが迷路になっていて下の階層に進む程入り組んでいました、その行方不明者も生きていればまだ彷徨っているかもしれません…貴方たちも僕も運が良かった」

「何階層まで下ったんだ?」

「3階層まで下ると行く先々に転移魔法陣があるのですが…何処に飛ばされるかは無作為になっているようでずっと行ったり来たりしてました」

「じゃあどうやって戻って来たんだ?」

そう問われるとフローレンスは、手に持っていたランプを持ち上げて見せた。

見た目はそこらにあるランプと大して変わらないが、傘の部分にエミリーの持っている杖と同じ紋章が刻印されている。

「この中に入ってる雷属性の魔石はある人物の魔力を帯びたもので、その人物の元へ導いてくれます」

全く興味が無い様子のグレンがぼそりと呟く。

「監視のためか…」

「僕も不本意ですが仕方がありません、彼の危険性を考えればこれは相当寛大な措置と言えます」

グレンとジェイド以外は誰の事を言っているのかピンと来ていない。

「迷路だと分かってれば対策は出来るでしょっ、気を取り直して再チャレンジしよ!」


ティナの前向きな明るさにエミリーは感心した。

嫌なものから目を逸らしたくて逃げ続けた日々が脳裏をよぎる。


深呼吸をして顔を上げる。すれ違うリリエンタールの住人達、その充実した生活感が目に入っても心は痛まない。堂々と顔を上げて背筋を伸ばして歩いていられる。

手の中にある細くて小さな杖が勇気をくれる。

何処にも居場所がないと感じていたあの頃、泥の様に体から自由を奪っていた時間さえも今は無意識のうちに溶けて存在感を弱めている。

誰かから必要とされる事の充足感はかけがえないものだった。


一番後ろをトボトボと付いてくるフローレンスにちらりと視線を送る。

気付いて照れ笑いする彼に微笑み返す。

心に余裕があると優しくなれる。

(今ならメリッサとも普通に話せるかもしれない…もう少ししたら一度家に帰ろうかな、きっと許してくれるはず)


ギルド本部に戻ったジェイド達を待っていたのは、腕を組み仁王立ちをしたアッシュだった。

会議室に連れて行かれ、中に入るとルークが席に着いている。

どうやらフローレンスを待っていた様だ。

グレンから事の次第が説明され納得したアッシュはフローレンスを残し彼らを解放した。


「つまり、行方不明者の出たダンジョンは複雑な迷路になっていて…おまけに転移魔法陣がいくつも存在すると?」

「はい、三階層から下に行くのは至難の業かと…運良く行けたとしても戻ってこられるかどうか」

「全く…次から次へと」

「こちらの調査を早く終わらせて、そちらに人員を割けば問題ないですよ」

ルークの表情はにこやかだ。

「分かった、出来るだけ早く対処しよう」


打ち合わせは予想外に早く終わり、アッシュがそそくさと部屋を出て行くと扉からひょっこりと顔を覗かせる人物がいた。

「エミリー…」

「ご無沙汰しております、少しお時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「堅苦しいのはよしてくれ」

苦笑いを返しながらルークが立ち上がる。

二人の間に何とも言えない気恥ずかしい様な空気が流れていた。

場所を移した二人は遠くの景色を眺めながら妙に落ち着いた雰囲気で話し始める。

「まだ王都には戻られないのですか?」

「調査が済んだら戻るつもりではいるんだ」

「気がかりな事があるんですか?」

「…」

「実はとある噂を耳にしまして」

ルークは苦笑いを返す。

「アーシャという方の事ですよね」

「……彼女が心配なんだ、出来たら王都に連れて帰りたいと思ってる」

「心配ですか…」

「交友関係が少しね」

「…もしかして闇ギルド絡みですか?」

驚きを隠せない表情でエミリーを見つめるルーク。

「驚いたな…君の口からその名を聞くことになるとは」

「アドラーになれば誰でも知ってますよ」

「それもそうか…分かってるだろうが決して関わってはいけないぞ」

「…私は大丈夫です」

「君のいるパーティーのリーダーには良い噂がない」

「そうですね、でも今の私があるのは彼のおかげでもあります…それにやっと前向きになれそうなんです、彼らに感謝してると言っても過言ではありません」

「それなら良かった、俺が言うのもなんだが君にもメリッサにも幸せになって欲しいと思ってるんだ」



§§§§§



雨上がりの街には所々に水溜りが出来ていて、馬車の車輪が泥水を小さく跳ね上げて行く。

久しぶりの雨が嬉しかったのか空を見上げる行き交う人々からは笑顔が見られた。


その様子を大聖堂の屋根の上から見下ろしていたのはレインだ。

王都から帰ってすぐにオルガと話せたのは良かったが、状況は何も変わっていない。ライラークの口から告げられたのはドミニクと連絡が取れず、偵察に送った王直属の騎士達が帰らないという事実だった。


明らかな非常事態だ。

それでもライラークがドラゴニスタへと繋がる転移魔法陣を安易に使用しなかった事が何を意味するのか。

そしてライラークは次の手としてルークをドラゴニスタに向かわせる予定だという事。

眼下に広がる平穏な営みの陰で不穏な気配が芽吹いているのを、あの闇ギルドの男は気付いているのかもしれないと考えていた。


(オルガ様の身の安全はレグルスが付いていれば心配ない…となれば俺が厄介事をこの国に持ち込む前に去るべきか)


街行く人々の中にちらほらと聖騎士達の姿がある。ルークの監視役というのは表向きの理由で本命はレインなのだろう。


(正直ドラゴニスタに戻る気はない…欠けた記憶による不自由は感じないが、うっすらとまとわり続ける胸騒ぎをどうしたものか)


今後の身の振り方について考えながら、ベルの事を思い出す。


(ベルの用件はおそらく俺を古の聖女エルデの元へ連れて行くことだろうな…だったらその前に)


レインは屋根から下りて大聖堂の中を歩く、壁に飾られた絵や彫刻には目を見張るものがあった。

規則正しく美しく整えられていて、よく手入れされている。

「あっ、こんな所にいたの」

聖母を模した彫刻の前で足を止めたレインに声を掛けて来たのはルナだ。

「おはよう」

「…おはよう」

洗濯物を抱えたまま呆れ顔で近付いて来る。


昨日バルトを抱えたまま街を歩いているところに、偶然にも通りかかったルナ。降り出した雨も気にせず黙々と歩いているレインを強引に引っ張って大聖堂に連れて来た張本人だ。

アドラーである二人に一晩の宿として快く部屋を開放してくれた司祭。ルナとは馴染みがあるようだった。


ルナの代わりに洗濯物を持って指示された通りに各部屋に配って行く。部屋にはベッドと小さな作業机、椅子があるだけの質素な造りだ。貧しい者達が数人生活している様で、廊下で何人かとすれ違ったが皆表情は穏やかである。

「この重さでも軽々と持てるんだな」

「風の加護があれば誰でも出来るわ、物を浮かすぐらいならね」

「イーライとレミーを見てても気付かなかったな」

「アドラーは魔法のために魔力を温存してるから私たちみたいには使わないかもしれないわね、ていうか貴方すっかりリリエンタールに馴染んでるのね」

「馴染んで、るか?」

「今度新しい宿に移転するつもりなんだけど、アーシャ達と一緒に部屋を取る予定はある?」

「いや俺は遠慮する」

「どうして?」

「長居をするつもりはないんだ」

「アドラーとして必要とされてるんじゃないの?アーシャにも、あの子にも…なのに中途半端に放り投げるのはどうなのかしら」

ふっと笑みをこぼしてレインが聞き返す。

「…前はさっさと帰れって言ってなかったか?」

「今の話をしてるのっ」

ルナとレインは洗濯物を配り終えて礼拝堂にやって来た。そこでは司祭が聖典を手に集まった者達へ天からの言葉を聞かせている。

長椅子に座る者の中にはバルトの姿があった。

二人は長椅子には座らず最後列の端に立ったままその様子を見ている。

「祈らないのか?」

「私は正しい道を外れた愚か者だから、主様に合わせる顔がないわ」

「外れたと思うなら戻ればいい、そのためにある場所だ、簡単だろ?」

「一人じゃ戻れないだけ…」

「手を貸すか?」

そう言ってルナの目をじっと見つめるレイン。

「…どうしてアーシャが貴方と一緒にいるのか分かった気がする」



§§§§§



ベッドから重い腰ををあげたレオはシャワーを済ませ、いつも通りの身支度を整える。

家の中にアーシャの気配は無い。


昨日の出来事が頭の中で繰り返される。

柔らかくて滑らかな肌の感触、サラサラの髪、熱を帯びた瞳、赤らんだ頬、耳にかかる吐息。そのどれもが知り尽くしたものでも、まるで初めて触れた日の様に鮮やかで息苦しかった。


どんなに言葉を尽くしてもアーシャには届かない。

淡い青色の瞳が鏡の中に虚ろな顔を映し出す、前にも後ろにも、どこにも逃げ場は無い。

やっと見つけた光を見失わない様に注意深く息をひそめて。


一階にはブルームーンから引き上げて来た荷物が所狭しと置かれている、それらを踏まないように足を運ぶ。

ふと自分の荷物に目をやると、一通の手紙が挟まっていた。

封筒に宛名は無い。


レオは手を伸ばして手紙を手に取った。

それはとても軽い、中身は空なのかもしれないと思いつつ ゆっくりと封を開ける。


封筒の中には一枚の便箋が入っていた。


アーシャの字で

親愛なるレオナルドへ

と書かれている。

その下に続く文字を目で辿る。


「探さないで…って」


レオは慌てて玄関のドアを開ける。


開けた瞬間アーシャの姿が目に入った。

家の周りに咲いているペラゴニウムに如雨露で水やりをしている。

「レオ、どうしたの?そんなに慌てて」

レオは手に持っていた手紙をぐしゃりと握り潰した。

「アーシャ…」

その表情には悲しみと怒りが入り混じっている。

レオの手に握られている物の正体に気付いたアーシャ。

「ナイトメア」

「アーシャ!!」

「レオを眠らせて」



§§§§§



ガシャン!と音を立ててインク瓶が割れる。その音がギルドマスターの部屋に虚しく響いた。

「…アッシュ様」

アッシュの横でふわりと宙に浮いたままのシドが小言を堪えている。

血を流すアッシュの手に触れることも、止血することも出来ない。


アッシュは手の傷などお構い無しにもう一度机を強く殴り付けた。割れた瓶が更に粉々に砕け散る。

怒りが収まらないのか握った拳が震えていた。

「気はお済になりましたか?」

「国王がこれ程腰抜けだったとは…どうして転移魔法陣を使わないっ⁈使いに出した奴らが戻らない上に師匠と連絡が取れない、この状況で何を躊躇することがあるんだっ⁈」

「転移魔法陣を使う許可が下りればどうなさるおつもりなんですか」

「全員ぶっ殺してやる!!」

「ギルドマスターの発言とは思えませんね」

「…ただ黙って指をくわえてろとでも言いてぇのか」

「いいえ、私はアッシュ様の意見に全面的に賛成です…害悪なものは根絶やしにしてしかるべきかと」

その言葉に少し冷静になったのか自身の手に回復魔法を掛けて深く息を吸い込むアッシュ。

「ですがフォルトゥナ様なら反対なさったのではないですか」

苦い顔のまま黙り込む。

大きな音をを聞きつけて様子を見に来たピルズベリーとレグルスの二人が呆れた顔で部屋に入って来た。

用意が良いピルズベリーは、手に持ったバケツと布で机を綺麗にしながら話を切り出す。

「そろそろフォルトゥナ様を移送する準備をせんか?」

レグルスがアッシュの肩をバシバシと両手で叩きながら無言で促す。

「オルガ様は優秀な聖女だ、なんの不満もない…それでも俺はリリエンタールには…俺がギルドマスターの間はフォルトゥナ様と共にこの国を支えて行きたい、それが駄目なのか」

「お前の気持ちを無碍にするつもりはないんだ、ただな…分らんことが多すぎる…ギルドは不特定多数が出入りする場だ、ウィルの件もある」

「フォルトゥナ様の安全確保を優先するなら移送は早いに越したことはないんだの、城ならばなおのこと」


「分かった…ルークのダンジョンの調査が済み次第手配する」



§§§§§



街の中、噴水の涼やかな水音が聞こえる。

フローレンスはランプを片手にキョロキョロと辺りを見回している。

ランプから小さく漏れ出た光が大聖堂の方へと続いているのを確認し、その光を追って歩き出したがすぐに足を止めた。

「あれ…」

光がとある人物に辿り着いて消えてしまったのだ。

「じゃあ俺このままギルドに戻ります、ありがとうございました」

「気を付けてね、レインみたいな悪~い人に捕まらないようにっ」

頭を下げて女性を見送る少年に近付いて顔を確認する。

目を見て目当ての人物ではないと落胆しつつランプを睨みつけてため息を漏らした。

「おかしいなぁ、何で間違えたんだろ」

「あの…なんか用ですか?」

不審な目を向けて来たのはバルトだ。

「あっ、すみません!ちょっと人探しをしてて…ドラゴニスタの方なんですが」

「…」

バルトの手元に視線を落としてフローレンスが尋ねる。

「君もアドラーですよね?」

「もってことは…」

「彼もアドラーとして活動しているそうで、彼の魔力を追って来たんですが…」

バルトは首を手で押さえて考えを巡らせた。

(回復魔法を掛けられた時のか…探してるのってレインだよな、何が目的だ?)

「怪しい者ではないですよ、僕は王都から派遣された調査員です」

「もしかしてルーク様の」

「そうです、そのダンジョンのことで彼に聞きたいことがあったのですが」



§§§§§



小高い丘に風が吹き抜けて行く。

森の木々たちがざわざわと葉を鳴らす、今になって気付いたのは森がすぐ近くにあるというのに魔物の気配が全く無い事だ。

そもそも森に隣接したこの危険な土地をレグルスが選んだ理由は何なのか。

誰にも打ち明けられず、独りで抱え込まなければならない程のアーシャの隠し事とは。

(オルガ様のレオナルドを見つめるあの目…明らかに初対面じゃない、闇ギルドの男が言った言葉も…全ての出来事は運命のいたずらなんかじゃない)


「そうだよな、アビゲイル」


独り言を発したレインがレグルスの家の扉に手を掛ける。

その瞬間…総毛立ち、か細い瞳孔が丸みを帯びた。

家の中に巨大な魔力が満ちているのが分かる。


「開けるのはよせレイン、厄介事は御免じゃ」


背後からベルの声が聞こえて、その言葉に相反する様に扉に当てた手に力が入る。


ガチャ…


ゆっくりと扉が開く。


そこには変わり果てた部屋があった。鋭い風で切り付けられた傷だらけの壁、天井、床と原型を留めない家具。絶対防御のシールドの中、床に寝かされたレオ。

「アーシャ…」

ピアスを着けなおしながらアーシャがレインに顔を向ける。

「お帰りなさい、レイン」

「…ただいま」

「びっくりしたよね」

(さっきの魔力が消えた…)

「怪我は?」

「私もレオも大丈夫」

「…何かあったのか?」

その問いに優しく微笑む。

「何もないよ」


肩に飛び乗ったベルが静かに問い掛ける。

「レインよ、これ以上関われば引き返せなくなるんじゃ 分かっておるな?」



信じるという呪いがこの身を焼き尽くして、残された炭の塊を愛と称した

それこそが人間に与えられた、たった一つの報いだ。

登場人物

フローレンス・ソアー[男性]30歳 身長170センチ

栗色のくせ毛がふわりと広がっている、前髪は眉の上辺り。くりっとした愛らしい目元に瞳色は髪よりも濃い栗色。王都の調査員。

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