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忘却の雨編 14 信頼

空を覆う雨雲の色が濃さを増して湿気を含んだ風が吹き抜けて行く。

ギルド本部内の酒場では、店の者が食卓に椅子を裏返しに乗せて床の掃除をしながらご機嫌で鼻歌を歌っている。

その様子を横目に見ながら、イーライとレミーが朝食を摂っていた。

温かい卵のスープと新鮮な野菜と白身魚の揚げ物に味をつけ薄い小麦粉の生地で巻いたもの。

「ここも相当儲けたんでしょうねぇ」

「お姉ちゃんは今回の報酬で何か買うの?」

「特に何か欲しいものもないんだけど…新しい髪飾りでも買おうかな」

「バルトも街に行くなら誘ってくれればいいのに、何で一人で行っちゃったのかな?」

「そういう年頃なんでしょ」

誘われなかった事に疑問を感じるレミーとは違い、イーライは不満だった。


ルークのパーティーが解散した後、アーシャ達とは別に三人で活動していたのだがバルトの視線はいつも何かを探している様な気がしていた。そしてそれが何かでは無く誰かであるという疑念。

孤児院にいた頃のバルトと今のバルトの差、それは蘇生魔法を受ける前と後のアーシャを見つめる眼差しの差であり、イーライを悩ませる原因でもあった。


「お疲れ様です」

二人に声を掛けて来たのはシドだ。

「少しお時間を頂けますか?」


ふわふわと移動するシドの後に続くイーライとレミー。

すれ違うアドラー達がシドに頭を下げて挨拶してくるのを見ていると不思議な感覚を覚える。

「何処に向かってるんですか?」

「オルガ様の元です」

「私たちに何か用が?」

「アッシュ様から回復魔法の上達具合を確認するように頼まれているのです」

「アッシュ様はずっとフォルトゥナ様についてるんですか?」

「はい、ギルドマスターとしての業務を済ませた後はフォルトゥナ様のお側を片時も離れません、ご自身のことはどうでも良いとお考えのようで…」

シドの声に怒りの感情が混じっている気がして二人は口を閉じた。


修道院の庭まで来るとシドはピタリと止まって振り返る。

そこにはオルガの姿があり、負傷者も座らされていた。

「二人共こちらへ」

オルガは優しく呼び掛けた。

「負傷者に回復魔法を掛けてみて下さい」

言われた通り、座って待っている男性の負傷した部位に回復魔法を掛ける二人。

出血は止まったが傷口は塞がりきらない。

「嬢ちゃんらは新人かぁ?もっと鍛錬せんと駄目だな」

「何よ、偉そうに…」

「お姉ちゃんっ」

様子を見ていたオルガは治りかけの傷に回復魔法を掛ける。

「ヒール」

傷はあっという間に跡形もなく消えて癒えてしまった。

「やっぱり聖女様は別格だな」

「当たり前じゃない」

「お姉ちゃん…」

すっかり回復した男性は立ち上がると仲間達と何やら話し始める。どうやら怪我でダンジョンから一時的に撤退して来ている様だった。

「なぁシド、俺たち今レイスに苦戦してるんだ…何かいいアドバイスをくれねぇか?」

「では…私と闘技場で手合わせしますか?」

「いやぁぁ…はっはっはっ、冗談だよな?」

「実践を積むのが一番だとアッシュ様は常々仰っております」

「そりゃそうだが、んな事すれば また俺たち怪我人に逆戻りだ」

「ということは…まだその階層が身の丈に合っていないのです、諦めた方が宜しいかと」

男性たちは大きなため息を吐いて食い下がる。

「ここまで来るのに随分つぎ込んだんだ、簡単には諦めきれねぇよ」

「そうですか…では雷属性の武具を揃えるか、雷属性のアドラーを加えて挑戦してみて下さい」

「雷属性の武具を揃えたら金貨が全部なくなっちまう、それに雷属性のアドラーはどいつもこいつも弱すぎる、足手まといにしかならねぇよ」

話を聞いていたレミーは不思議そうな顔で尋ねる。

「どうして雷属性にこだわるんですか?」

するとシドがレミーに手を差し出した。

小首をかしげながら手を出してシドの手に触れようとするがスッとすり抜けてしまう。

「あれ、あれっ…」

シドのどの部位に触れようとしても触れられない。

「私たちレイスは霊体です、雷の加護がなければ触れることもままなりません」

どうしたものかと気落ちする男性たちに、イーライが提案する。

「じゃあレインに頼めば?」

「レイン?」

「最近アドラーになられたドラゴニスタの方です、が…」

「ドラゴニスタの人間なんかとパーティーを組むなんて…」

「レインは皆が噂してるようなドラゴニスタの野蛮人とは違う!まともな人間よっ」

「問題はそこではありません、レイン様は強すぎて いとも簡単に攻略してしまうでしょう…それで下の階層に下っても貴方たちだけでは また足止めですよ」

男性達は顔を見合わせる。

「強いったって知れてるだろう」

「こっちのギルドにいるなら大したことないぜ、きっと」

「そういやちょっと前に噂になってたな、上級魔法を使った奴がどうとかって」

そこで、黙ったまま静かに話を聞いていたオルガは業務があると告げて礼拝堂に戻って行く。

「レイン様が本領を発揮すればこのギルド、いえ…この国の全ての人間を奴隷にすることは難しくないでしょう」

「あ、あり得ねぇよっ!そんな奴をギルドが野放しにしてるってのか⁈」



§§§§§



行方不明者を捜索中のジェイド達は2階層の一角に集まり、ギルドから持たされた地図を開いて頭を悩ませていた。

ダンジョンの2階層にしてはやけに広い、地図に記されているのは他のアドラーが探索済みの箇所だけで実際のフロアを見渡すとそれがほんの一部である事が分かる。松明の示す道から外れ、印を付けながら何か手掛かりになる物はないかと探すが目ぼしいものは何も見つからない。

ジェイドとグレンの間に漂う険悪な空気のお陰でダンジョン内は更に居心地が悪く、ティナから深いため息が漏れる。

「ため息ばっか吐いてんじゃねぇよ」

「…」

これ以上場の空気を悪くしない様にと敢えて無視をするティナの行動にジェイドの苛立ちは増す一方だった。足元の小石を蹴り飛ばしては唾を吐き捨てる。

「適当に探して帰ろうぜっ、なっグレン」

ザック達にとっては取るに足らない面倒事でも、エミリーはこんな状況に慣れている訳もなくかなり緊張した顔だ。そんな彼女を気に掛けているのかいつもは先頭を切って歩くのに今回は一番後ろを歩いているザック。

「そう言えばザック、新しい使い魔は?」

「簡単に用意出来るもんじゃないんだよ」

「そうなの?じゃあ次はもっと強いのにしようよ、シドみたいな」

「馬鹿っ、レイスを使い魔に出来るのはアッシュ様くらいだよ」

「なんで?捕まえて奴隷紋を刻めば人間と一緒で何でも奴隷に出来るんでしょ?」

「もっと勉強しろよ全く…奴隷紋を使って契約すれば、その間は常に魔力が奴隷にした相手に流れ続ける、つまり強い相手と契約したり複数と契約すればその分大量の魔力を消費し続けることになる」

その話を聞いていたエミリーがおずおずとザックに質問する。

「つまり、魔力量が高い人間なら大丈夫ということですか?私…魔力は高いと言われているんです」

「興味があるならもっと詳しく教えるぜ」

「いいねっ、それ!」


盛り上がっている三人にうんざりしながら、ジェイドは辺りをみまわす。

そこで漸く妙な違和感に気付いた。アドラーだけではなく魔物の姿も見当たらないどころか環境生物すら居ない。

足を進めた先にある巨大な岩が行く手を阻み一同は休憩をとる事にした。

適当な場所に腰を下ろして水分補給する。

「あのぉ~…」

突然聞こえて来た声にびっくりしてティナが飲み物をこぼしてしまう。

「びっくりしたぁ~」

そこに現れたのは見知らぬ人影だ。擬態用のフードを被り目を覆う魔装具を装着、肌は一切出ていない格好でランプを片手に近づいて来た。

「誰だ⁈てめぇ」

「落ち着いて下さいっ、怪しい者じゃありませんっ」

グレンは行方不明者の名前を出して該当者か確認するがどうやら別の人間の様だ。

用がないと分かった途端立ち上がり去ろうとする五人の前に慌てて立ちふさがる。

「待って下さい、一旦ダンジョンを出ましょう」

「はぁ?何言ってんだ」

「説明は後できっちりします、ですから」

「何処の誰だか知らねぇがなぁ、おい」

ジェイドが胸ぐらを掴んで睨みつけると、両手を小さく上げて名乗った。

「僕は王都から派遣された調査員のフローレンスです」



§§§§§



薄暗い路地裏を早足で歩く足音が二つ、ザッザッと砂を鳴らしながら街中に向かっていた。

人通りのある場所まで来るとレインは速度を落として、後ろを振り返る。

後をつけて来る者がないか確認すると再び歩き出した。

「なぁっ、レイン!」

バルトの言葉に反応する気がない様だ。構わずレインに話し掛け続けるバルト。

「さっきの奴の言ってた事、どういう意味なんだよっ 何でレインのこと知ってたんだ⁈それにアーシャにそっくりな子はどうすんの⁈変な奴に買い取られるかもしれない…ていうか、アーシャを奴隷にしようとか思ってないよな⁈黙ってないで何とか言え!」

その大声に反応した周囲の人間の視線が刺さる。

「場所を考えろ」

レインが一蹴する。

「そんな事よりっ」

まだ何か言いた気なバルトに視線を向けると大きなため息を漏らして足を止めた。

「アーシャの心配じゃなく、自分の行動を反省しろ」

「反省?俺が間違ってるって?」

「そうだ」

「何でだよっ、誰かを助けようとするのが間違いなんて」

「もし俺が通りかからなかったら?」

「ここはダンジョンじゃない、危なくなったら逃げられる!レインこそ何かやましいことがあるからそうやって話をはぐらかそうとしてるんじゃないのか⁈」

バルトの言葉にレインの顔つきが変わる。冷ややかな目。

おもむろに左手を上げるとバルトの首を掴んだ。

突然の出来事に驚き一瞬固まる。首にアドラーリングのひんやりとした冷たさが感じられ、息をのんだ。

レインの手をどかそうと両手で掴むがびくともしない。


「くっ…は、なせ」

「…逃げられるって?」


「苦し、い…っ」

「街の中なら誰か助けてくれるか?」


二人の周りには街を行き交う人々がいて、何か様子がおかしい事に気付き見てはいるが近付いてくる気配は無い。

見かねた男女が声を掛けてきたがレインに睨まれると逃げる様に去って行った。

ドラゴニスタの人間には関わるなとひそひそ話す声が聞こえてくる。


「あのまま一人で追いかけてたら今頃奴隷として売り飛ばされてるのは誰だったか」

「どれ…も…そ…んな、かんった…に、めないっ…」

「そうだ、対象を完全に無力化させ特殊な筆がなければ簡単に奴隷紋は刻めない、本来なら」


レインは手に更に力を加える、爪が少しだけ尖りバルトの首に食い込む。そこから血が滲んだ。

透明なよだれが滴り、バルトの顔が苦痛に歪む。


「刻まれた奴隷紋は死ぬまで消えない、奴隷になれば待ってるのは地獄だ…大抵は暴力、性欲のはけ口にされるか過酷な肉体労働もしくは拷問が待ってる」


涙目で声を振り絞る。


「レ…イン」


「どんなに苦しくても…痛くても……逃げられない」


体の力が完全に抜けて気を失う瞬間に開放されたバルトは、膝から崩れ落ちそうになりながら両手を地面について堪えた。


乱れた息を整えながら、それでも自分は間違ってないとうったえるバルトの首に回復魔法を掛けた後、正面から優しく抱え上げる。

肩にぐったりと預けられた頭は心地よさそうに落ち着いた。


「ぎもぢわるい…」

「アーシャの蘇生魔法を受けてるからその魔力の影響が残ってるんだろうな、俺の魔力と相性が悪いのかもしれない」

「…おろせよ」

ふっと笑い歩き出す。

「…お前は間違ってないよ、でも正しいことのために簡単に自分の命を懸けるな」

「あんたのせいで死にかけてんだけど…」

「あと、もっとしっかり食べろ 軽すぎる」

(何でこんな目に遭わされてんのに、レインのこと許してんだろ…何でまだ、俺のためにわざとやったのかもとか思えるんだよ…)


§§§§§



今にも泣き出しそうな空を見上げながら、レオは壁にもたれたまま 帰ってこないレインを待っていた。

アーシャとルークはとうに解散して目の届く範囲には居ない。

アーシャがルークのプロポーズを受ければ、それはアーシャにとって幸せな事のはずだと頭では分かっていても心が拒んでいるとはっきり感じる。

どうにもならないもどかしさを搔き消したくて、大丈夫と唱える。

言い聞かせる。

繰り返す。


(大丈夫…大丈夫…何も心配要らない)


「大丈夫」


(ただの悪い妄想だ…アーシャはどこにも行かない…大丈夫)


「大丈夫、大丈夫」


(実際なにも起きてない…アーシャは手の届く距離にいる)


「でも、もし…居なくなったら?」


(だから大丈夫だって…大丈夫、大丈夫、大丈夫)


「大丈夫って、何が…」


頭の中をぐるぐると回る考え事は行き着く場所を持たず、波のように押し寄せては引いてを繰り返し、どんどん心を沈ませる。

鼻をつく湿気を含んだ土の匂いで、降り出した雨に気付いた。

「俺、何してたんだっけ…」


(…帰ろう)


足が自然に向かったのはギルド本部とは別の方角だ。

雨に濡れたローブが纏わりついていつもよりも足取りが重い。


小高い丘の丸太小屋が目に入る。


扉を開けて中に入ると、そこにアーシャの姿があった。

「レオ、そんなに濡れてどしたの⁈」

「…」

「とにかく服着替えて、体が冷えちゃうから」


着替えたレオは風呂場から出て暖炉の前のソファーに深く座り込むと、顔を両手で覆った。

「レインと一緒にいると思ってたのに、どこに行ってたの?」

アーシャはブルームーンから引き上げて来た荷物を整理しながら話し掛ける。

木箱に詰め込んだ荷物の中から、あれでもないこれでもないと物を出し入れしながらせわしなく手を動かす、部屋の中に微かに埃っぽい空気が舞うとレオの乾いた咳が響いた。

返事のないレオに視線を移す。

「ねぇ、何かあった?」


「アーシャ…」

「ん?」

「今日ルーク様と何話してたの?」

「あぁ、ダンジョンの調査のことお願いしてたの」

「お願いって…呼び出したのはルーク様の方だよね?」

「そうだけど…」


アーシャは荷物を一か所に寄せると、立ち上がってレオに近づいた。その気配に気付いたレオが尋ねる。

「…本当は何話してたの?」

「…本当にダンジョンのこと」

「じゃあ何でルーク様はわざわざアーシャを呼び出したの?聞かれたらまずいことだからじゃない?」

「信じられないなら仕方ないけど…」


(ほら…全然大丈夫じゃない、やっぱり)


「もうルーク様に会わないで欲しい」

「レオ、そんなこと急に言っても無理って分かるよね?大丈夫だよ、今回の件が終わったらルーク様だって王都に帰るし、もう会うこともないと思う」


(思うって何?会わないって言えないの?)


「レオ…大丈夫、大丈夫だよ」


「分かってる、ちゃんと分かってるんだ……だってあんなことした俺をアーシャは許してくれてっ、ちゃんと憶えてる…忘れてない、だからっ、でも、でもっ」

顔を隠すように覆った両手がアーシャの手で優しく外されて泣き出しそうなアーシャの顔が見える。


一筋の涙が目からこぼれ落ちる。

窓の外から雨の降る音が聞こえて沈黙を慣らして行く。


「憶えてるはずなのに…またアーシャが欲しくなって、ごめん俺」

「いいよ、レオがしたいようにすれば…だから泣かないで、私が守るから」



水鏡に映る月が選び損ねた未来の様に虚しく謳う、過ちを愛せと。

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