14 知りえぬ者たち②
弓につがえた矢を射る。
放たれた矢は吸い込まれるようにゴブリンの頭部へと命中し、その命を散らす。
周囲には今しがた倒した四匹のゴブリンの死体が転がっている。
おそらく縄張りを巡回していたのだろう。逃せば巣から増援を呼び寄せる可能性が高く、一匹も逃さずに始末する必要があった。
ゴブリンは魔物としては最弱の部類に入り、一対一という条件なら多少剣の心得があれば十二、三歳程度の子供でも勝つことはそう難しくない。
だが、そうであっても土地を治める領主やギルドにおいては人間という種族全体に対しての脅威度は高く設定されている。
何故ならゴブリンは繁殖力が異常に高く、また敵や獲物の貧弱な個体を指向し付け狙う習性があり、そして戦う術を持たない者に対しては滅法強く残虐だからだ。
これに何の対策もしていなければある日突然村が壊滅していた、なんてことにもなりかねない。
それ故に新米冒険者や戦いで身を立てようと望む者が戦闘の経験を積む相手としてゴブリンは最適の魔物だと広く認識されているし各々の土地を治める領主もそれを奨励している。
耳を良く澄ませて周囲を見渡しながら他に敵がいないことを確認しつつ、ダガーを使いゴブリンの死体から素早く耳を切り取って先に向かうと、そこにはギドと三人の家族連れがいた。
ギドは油断なく周囲を見渡していて家族連れはホッとした表情でこちらを伺っていた。彼らを安心させる為に状況を説明しておく。
「縄張りを見回っていたみたいだ。全部倒したから多分大丈夫。麓までもう少しだから後少しだけ頑張ってくれ」
「ああ。あんた、強いんだな。鮮やかだったよ」
「本当にありがとうございます。私たちだけだとどうなっていたか……」
「お兄ちゃん格好よかったよ!」
一家たちとそんなやりとりをしつつ後方に視線を巡らせる。
「お前、腕を上げたか?」
「どうだろ。自分じゃよく分からない。けど、この裏山に関しては嫌って言うほどおじさんに鍛えられたから」
ギドはカイトの手際に関心しつつ声をかけ、カイトは照れ隠しのようにそっけなく応じた。
「野盗退治が終わったと思ったらすぐこんな状況だ。ここんとこお前は働き詰めだし今日ぐらい休ませようと思っていたんだがな……」
そう言ってギドは家族連れを見やる。こんな状況では猫の手だって借りたいぐらいだと思わず嘆息した。
「別にいいって。徹夜くらい慣れてるから」
今朝がたミラマスから戻ってきたカイトはそのままギドたち村のハンターと共にいくつかのグループに分かれて裏山の巡回に参加していた。
カイトはギドと二人組みで参加することになり、そして山の中で侯爵領から脱出してきた家族連れと出会いカナバまで護衛している最中だった。
家族は三人連れで夫婦はともにまだ若く見え子供は女の子で七、八歳くらいだろうか。一家の着ている粗末な衣服は侯爵の暴政と過酷な山越えの結果によるものだろう。
危険を承知で家族連れで山脈越えを決断したのは街道沿いだと領軍の兵士などに簡単に捕捉され捕まるかららしい。
家長であろう男は剣を所持しているがその立ち振舞いを見れば手練れには思えず、戦いが本職には見えない。きっと故郷で自衛用に嗜んだ程度なのだろう。この一家がここまで無事に来られたのは幸運としか思えなかった。
ギドも同じことを思ったか、男に山越えの状況を詳しく聞いていたがトーガの北側で兵士が魔物を狩っているのを遠目に見かけたらしい。見つからぬように移動するのは難儀だったそうだがそのお陰で無事にここまで来れたと男は吐き捨てるように言っていた。
侯爵領の状況をより詳しく聞けばルードに聞いた通りであるばかりか悪化の一途を辿っているという。
おそらく向こうの領民はもう冒険者を雇うのはおろか自分たちで何とかする余裕もないのだろう。その皺寄せが領民を虐げる領軍に直接返っているのは皮肉としか言いようがないな、とギドは感想を漏らし男はその通りだと断じた。
リーネと離れてから十日経った。
今ではトーガの警戒が新しい日課のようになっている。決して喜ばしいことではないが、こうしてやることがあれば幾分気を紛らわせられるのもまた事実だった。
現状を知れば知るほどここにリーネや皆が居ないのは幸運だったのかと思う。
彼女がこの現状を知っていればきっとカナバに戻っていただろうし、もしかしたら極光の皆をも巻き込んでいたかもしれない。
もし皆が居れば戦力としては申し分ないし、村の皆だって諸手を上げて歓迎しただろうけれど、そうならなくて良かったと思う自分自身が浅ましくて嫌になる。
結局は、知られたくないだけなのだ。村の誰にも、極光の皆にも、そして他の誰でもないリーネにだけは。
今まで誰にも力を見せたことはなく、そうして墓まで秘密のまま持っていくつもりだった。
しかしその前提は、脆くも崩れ去る。
ケインとメイ。あの二人を見捨てるという選択肢は、どうしても選べなかった。
人は持って生まれた気質と環境によって人格が形成されていくという。
そして気質はともかく環境面においてカイトに決定的な影響を及ぼしたのはリーネである。それは既に居ない両親やギド、他の村の者たちが全く影響を与えていないことを意味しない。ただカイトにとっては他の存在が霞むほどリーネの存在が大きすぎるだけなのだ。
リーネが善良でありカイトもそうあってほしいと思うからこそ、カイトは人としては善良に育った。例え醜くおぞましい別の面を持っていようとも、それをひた隠しにして。
「おい、何をボケっとしてやがる。置いてくぞ」
呼び掛けに反応すればギドは急かすようにこちらを見ていた。慌てて返事を返す。
「ごめん、すぐ行く」
悠長に考え事をしている暇など無いというのにこの体たらく。カイトは半ば自分自身に呆れながらギドと一家の元へ向かった。
◆
クレスは馬を駆り一心に街道を駆けていく。すぐ後ろには護衛を務める騎士が一人と従卒が二人。何より速度を重視せねばならない旅程である以上馬車を使う余裕はなく、馬は一人一頭として全員が騎乗している。
リンドブルム辺境伯領へ向かうにあたってこれから戦うことがほぼ決まっている侯爵領を通り抜けることは避けたい。どんな難癖を付けられてもおかしくないからだ。
そうなるとトーガ山脈に加えて侯爵領をも迂回するような道程となり、移動距離はその分増えてしまう。
焦りは禁物だ、とクレスは己に言い聞かせるがそれだけで落ち着けるものでもない。
「若様、一度休憩をとりましょう! ずっとこのままでは馬が持ちません!」
飛ばすように馬を駆けさせるクレスに騎士が馬を近づかせて声を張り上げる。
「っ! 分かった!」
このまま駆け続けて行きたい欲求に蓋をしてクレスはそう答えながら天を見上げる。次いで視線を大地に向け影を探しその向きからおおよそ昼過ぎであると当たりをつけた。
なんにせよ騎士の言っていることは正しいのだから昼食も兼ねればいいと判断する。
適当に休む場所を見つけ馬を木に繋ぐと従卒たちが昼食の用意を整えていく。朝にミラマスを経ったばかりということもあり、食事はすぐ食べられるように弁当が用意されていた。
「整いました」
「ああ、ご苦労」
クレスや騎士が汚れないように敷かれたシートに従卒も座るように声をかける。従卒たちは恐れ多いと固辞しようとしたがクレスは有無を言わせない。
道中で従卒たちの服装の汚れを気に掛けるような余裕はなく、ならば最初から汚れにくいように努めればよいというある種の合理的な判断だった。領軍で揉まれてから身に付けた思考である。
「お前たち、今日の昼飯は豪勢だぞ」
そう言うとクレスはシートに置かれたバスケットの蓋を外し中身を自慢げに披露する。中にはたっぷりとサンドイッチが詰まっていた。
騎士や従卒たちには何の変哲もないただのサンドイッチに見えるそれは、誰が作ってくれたのかという情報が一つ加わるだけで宝物にも見えるだろうとクレスは考える。
「シャーロットがな、早起きしてまで作ってくれたらしい。全くどこから情報が漏れたのか……我が家にも腕の立つ間者がいたものだが、それにしても私たちは果報者だな」
「おお、なんと」
「お嬢様が…」
「わざわざ俺たちの為に…」
クレスのおどけたような言葉に色めき立つ騎士と従卒たち。その喜びようは表情をみれば一目瞭然だった。
シャーロットの美貌は屋敷の使用人だけではなく警備を担当する領軍の兵士たちもよく知っている。三年前まで固定制だった屋敷の警備が持ち回りの交代制に変わったのは、同じ兵士なのに屋敷の担当だけズルいという声が対応せねばならないほど兵士の間で大きくなったからだった。
ちなみにその時セドリックは愛娘に不埒な行いをする者が出るかもしれないと最後まで反対していた。当時シャーロットは十歳である。親バカここに極まれりとクレスは苦笑したものだった。
「ですが、俺たちのような従卒までご相伴にあずかってもよいのでしょうか」
不意に従卒の片割れが発した言葉にもう一人の従卒がギギギ、と首をひねり余計なことを言うなとばかりに非難の視線を向ける。
そのやりとりに幾分精神的な余裕を取り戻したクレスは落ち着けと声をかけて続けた。
「構わないさ。量を見てみろ、どう見ても四人分はあるだろう。お前たちも遠慮せず食べるといい」
「そういうことだ。お嬢様のご厚意を無下にするな」
クレスの言葉を騎士が引き取って言い聞かせると従卒たちも安心したようで途端に頬がゆるむ。
「これが幸運だと思うなら、食べた分奮起してくれればいい。ああ、くれぐれも他の者たちには内緒にしておくんだぞ。兵たちに不満が出ても私ではどうしようもないからな」
「「「はい!」」」
「よし、ではいただくとしよう」
最初の一つをクレスが頬張ると騎士と従卒たちも待ってましたとばかりに思い思いに好みの具が挟まれたものを手に取り食べはじめる。
玉子、肉、野菜、彩りが揃えられたサンドイッチにクレスは感心した。味も極上とまでは言えずとも美味い方だと言えるだろう。何よりも妹が心を込めて作ってくれたという事実が最良の味付けだ。
未だ体調の優れない時は寝込むこともあるシャーロットだが、こうなるといつまでも子供扱いは出来ないな、と思う。
「俺……、こんなに美味いサンドイッチを食べたの初めてです!」
「あっ、俺もです! すっごく美味くてこう、なんて言えばいいのか……」
従卒たちは感激しながらそんなことを言う。騎士の方はと見てみれば感涙に咽ぶように頬張っていた、お前もか。
それにしても褒め過ぎだろう、とクレスは苦笑する。まあそうしたくなる気持ちも分からなくはないし、家族を褒められて悪い気がしないのも事実だが。
それはそうとして、とクレスは思い直す。騎士の助言には従ったものの、やはり急ぐべきだという思いが消えてなくなることはない。
スコットの見立てでは侯爵家の領軍が動くのならば規模にもよるが仮に二千と仮定すれば、派遣する部隊の編成や必要物資その他の手配などで十日はかかるだろうとのことだった。
軍はその規模が大きくなればなるほど動きが鈍くなる。着の身着のまま出るという訳にはいかないのだから当然ではあるが、逆にクレスたちのように少人数であれば準備にそう時間がかかることもなければ即日動き出す、ということも可能だし、民が冒険者を重宝する大きな理由の一つがそれだった。
出立に際して路銀は十分な額が支給されている。それこそ往路も復路も全員が毎日宿に泊まれるほどに。
実際セドリックの意図は時間をかけてこい、ということに他ならない。本当は馬車とて用意されていたがクレスはそれが不満で、父の決定に対しささやかな反抗を目論んだ。
――可能な限り早く帰る。
リンドブルム家当主との交渉は恐らく難事となるであろう。だが、手早く済ませられれば本格的に侯爵と衝突する前に牽制することも可能となるかもしれない。
己が使命の重大性を再認識する。守らなければならないものは沢山あるのだから。
クレスの脳裏に今朝がたの情景が浮かぶ。
屋敷の玄関にクライン家の使用人たちが整然と並ぶなかで、些かその場に不釣り合いな言葉を発する者があった。
『お父様もお兄様も隠し事ばかり。仲間外れにされる妹の気持ちも少しは考えてくださいまし』
屋敷を発つクレスの見送りに来たというシャーロットは何故かぷりぷりと怒っていた。その一歩後ろには専属の護衛を兼ねた侍女であるコレットが微笑ましいものを見るように控えている。
そして更にその後方には、物陰に隠れるようにして当主セドリックがどこかハラハラとした様子でこちらを窺っていた。
『いや、違うんだシャーロット。これには訳があってだね……』
『誤魔化されませんっ』
何とか取り繕おうとするクレスからシャーロットはぷいっと顔を背けた。見つからぬよう慌てて物陰に隠れるセドリックに当主の威厳はない。
どうしたものかとクレスが気を揉んでいるとコレットが助け舟を出す。
『お嬢様。そのような心にも無いことを若様に仰る為に早起きなされたのではないでしょう』
そう言ってコレットはぷくぷく膨らんだシャーロットの頬を指で押す。ぷひゅー、と間の抜けた音が周囲に木霊した。
とっさに顔を伏せる使用人一同。笑いを堪える者やその愛らしさに悶えそうになる者など反応は様々だった。あんぐりと口を開けて呆けるセドリックはどこか滑稽に見える。
『こ、コレット! 皆が見ている前で……その、こういうことをするのは、良くないわ』
顔を赤らめながらわたわたと詰め寄ってくるシャーロットに対してコレットはあらあらまあまあ、とどこ吹く風といった反応だった。
『さあさお嬢様、気恥ずかしいのは分かりますが時間もあまりないことですし、ここはグイっと』
コレットはシャーロットの肩を押してクレスの方へと向かせる。
『うぅ……コレットの意地悪……』
そして先程よりも近い距離で向き合うシャーロットとクレス。シャーロットは若干気後れしながらもクレスに語りかける。
『……お兄様、その……誰からとは言いませんが、概ねの事情は聞いていますわ』
教えたのは間違いなくコレットだろうとクレスは思ったが、敢えてそれは指摘しない。罪と言うほどでもないし叱責すべきとも思わなかったからだ。
『そうか…。心配をかけてすまなかった』
『謝ってほしい訳ではないのです。ただ、何も出来ないままでいたくなかっただけで……』
シャーロットはそう言ってちらとコレットへと目配せをすると、その意を汲んだコレットが居並ぶ使用人たちの中から料理人へと向かい用意していたバスケットを受け取ってシャーロットの元へと戻ってくる。
『お嬢様、こちらに』
『え、ええ。ありがとう。あの、お兄様、だからその……わたくしも何か出来たらと思って……』
辿々しいシャーロットにお嬢様、ガンバです、とコレットが小さな声で励ます。
『お、お弁当っ……を、作ってみましたの』
それを合図にコレットからバスケットを受け取っておずおずとクレスに差し出してくるシャーロット。
クレスが思いがけない妹からの気遣いにじんわりと暖かいものを感じていると、
『料理は初めてですから、その……味は良くないかもしれませんけれど、皆の分もありますし、召し上がってもらえればと』
自信なさげに言うシャーロット。コレットを見れば満面の笑みで何の問題も無いことを伝えてきていた。
護衛としてクレスに付き添う者たちはいつでも発てるよう兵舎で待機している。彼らにとっては何よりの土産だろう。
『シャーロット。その心遣いが何よりも嬉しいよ。ありがとう』
クレスは片手がバスケットで塞がっている為抱きしめるのではなく頭を撫でることでシャーロットに対して感謝を示す。シャーロットはそれをえへへ、とはにかんで嬉しそうに受け入れる。セドリックは何故か悔しそうにハンカチを噛んでいた。
…………
……………………
『全く、お前という者は……当主の命を何と心得ているのか……。……だが、まあよい。クレス、お前の思うようにやってみなさい』
『はい、父上。必ずや成果を出してご覧にいれます』
その後なんとかして当主の威厳を取り戻したセドリックが登場し、クレスに見送りの言葉をかける。
軽い叱責はクレスが用意されていた馬車の使用を拒否したからだが、その動機も意図も理解出来るセドリックは当主として認めることにした。
どのみち父子の情だけで時間を無駄にして犠牲を増やす訳にはいかない。クレスの判断は至極妥当と言える。
『お兄様、どうかご無事で……。主のご加護がありますように』
『ありがとうシャーロット。では父上、行ってまいります』
『ああ。頼りにしている』
子の成長に嬉しさと同時に少しばかりの寂しさを感じてしまうのは、それだけ歳を重ねたからか。いずれはシャーロットもクレスの様に親の庇護を必要としなくなる時が来るのだろうか。
その後すぐに屋敷を発ったクレスは知らぬことだが、愛娘の初めての手料理であるのに自身の分が無いと知ったセドリックはとても落ち込んでいたという。




