15 羨望
夕暮れ時の村では女房衆たちが晩飯の仕度に調味料の貸し借りや食材を融通し合うなど忙しない。その一方では旦那たちも妻の手伝いや子供の相手をするなど思い思いに過ごしている。
あの後無事にカナバへと戻ってすぐにギドと一家は村長の元へ向かっていった。一家の事情の説明と少しの間身を落ち着けられるよう相談に乗ってもらう為に。
カイトは前日からの徹夜で一睡もしておらず、村の井戸で汗と汚れを簡単に洗い流した後は早々に寝るつもりでギドの家に向かっていた。眠気は治まらず今日の晩飯は要らないだろうと勝手に決めていた。
そう思ってギドの家に向かい足を運んでいると、思いがけない相手がこちらに向かってくるのが見えた。
先の一件で芽生えた苦手意識は未だ拭えておらず、また暫くは会うこともないだろうと思っていた相手だが、そのまま無視して通り過ぎる訳にもいかずカイトは声をかけることにした。
「で、なんでここにいるんだ」
目の前の相手から発せられた問い詰めるような声色にケインは困惑する。
「い、いきなりなんだよ、そんな言い方しなくてもいいじゃんか。俺たちはギルドの依頼で来たんだ」
な、とケインはメイとティナに同意を求めた。二人はこくこくと頷いてカイトにケインの言い分が正しいことを示す。
「……ギルドの?」
「そうさ。ハンナさん直々の指名依頼なんだぜ」
「ハンナさんが……」
一体何の為に、という疑問は続くメイの言葉によって氷解することになる。
「あのね、なんだか領主様が事態を重く見ているらしいの。それでギルドにも協力要請がくるかもしれないって」
「そうそう、事情はよく分からないんだけどさ」
「トーガも私たちのような低ランクは入っちゃいけないって……」
そういうことか、と腑に落ちた。ただ領主であるクライン伯爵まで動いているのは想定外であり些か過剰な反応だと思ったが、それもおそらくは今後野盗が増えることを警戒してのことだろうとカイトは得心した。
ハンナは律儀に冒険者への注意喚起もしてくれているらしい。忙しい中でも仕事に真摯に向き合う彼女にカイトは感謝の念を捧げる。
「大体の事情は分かった。それで依頼の内容は?」
「メッセンジャーなんだ。俺たちは村のお偉いさんたちに今の話をするだけだよ」
「そうか。村長なら今は自宅に居る筈だから行ってくればいい」
「えっ、どうせなら一緒に行こうよ」
メイの言葉に頭がくらくらする。何故苦手な相手と行動しなければならないのか、カイトとしては放っておいてほしかったが、直接そう伝えれば角か立ってしまうので丁度いい理由を話して断ることにする。
「悪いな、昨日から徹夜で全然寝てないからそろそろ限界なんだ」
「あっ……そうなんだ」
「また寝てないのか。俺たちの時もそうやって倒れてたじゃんか。あんまり無理ばっかすると良くないんだぞ」
「そうも言ってられないんだよ。今日も三人保護したしな」
少し残念そうなメイと口調こそぶっきらぼうではあるが気遣うようなケイン。リーネと離れていなければこの二人に思うところなんて何もなかった筈なのに。
「あの、そんなにトーガは良くない状況なんですか?」
今まで黙ってやりとりを見ていたティナが口を開く。
「さあな。偶々かもしれないし、そうじゃないのかもしれない。詳しくはギドおじさんに聞くといい。村長の家に居るから」
カイトの返答は当たり障りなく、また素っ気ないものだった。
「悪いけど本当に眠いんだ。もう寝させてくれ」
「あっ、うん……。じゃあ、また明日ね」
「よし、じゃあ俺たちも村長の家に行こう」
結局ティナと自己紹介を交わすこともなくその場を離れギドの家に向かうカイト。何やらまた明日などと不穏な言葉が聞こえたが眠気もあって深く考えることもなく歩いていると、不意に後ろからむんずと首根っこを掴まれ、
「おい、急に一人で村に帰ってきたと思ったら挨拶も無したあどういうことだ」
そんな言葉が聞こえた。その久しぶりだが聞き慣れた声は、リーネの父親であるダンのものに相違なかった。
恐る恐る振り向くと、やはり思った通りダンがそこに立っていた。その表情はやや渋い。
「……久しぶり、です。その、色々あって挨拶する暇もなかったから」
本音を言うならばどの面下げて、というのが正しい。何故なら村を出る時にリーネの両親であるダンとサラから彼女のことをよくよく頼まれていたのにこうして一人で出戻ってきたからだ。
カイトに限らず誰にとってもリーネは特別だった。溢れんばかりの剣技の才に、それを驕ることもない純朴さと、そして何よりも男の目を引く器量の良さ。
カイトもリーネも生粋の村育ちであり都市であるミラマスの世情には疎く、ともすれば悪意ある輩に簡単に騙されていてもおかしくなかっただろう。
当時まだ未成年という若さを差し引いてもリーネを手に入れたいと思う男は数多くいた。何せ数年待つだけであどけなさの残る美少女が洗練された美女になるのは明白だったのだから、未だ年若いうちにツバを付けておこうと擦り寄ってくる男に事欠くことはなかった。
結局それら諸々の危険性は先達であるギドからの助言を真剣に聞いて、またハンナをはじめとする受付嬢たちも気を回してくれていたので回避することはそう難しくなかったのだが。
ダンはカイトから手を離して表情を少し緩めた。ちらりと裏山の方へと視線を向けてまたカイトに向き直る。
「まあ最近は物騒だからな。お前の言い分も分からんことはないが、それでも最低限の人付き合いくらいはしとかないと駄目だぞ」
「……ごめん」
「今回は大目に見てやるが、そういうことを繰り返しているとお前自身の評判が悪くなるんだからな」
「うん、分かってる……」
「ならいい。それで、リーネとはどうしたんだ」
「それは……」
言い淀む。何をどう言えばいいのかが分からない。
「ギドさんからはお前が足手まといになったからと聞いたんだが……本当なのか?」
ダンの声にはカイトへの気遣いの色が多分に含まれていた。
「……うん。前から思ってたことなんだ」
口から吐いて出た言葉はこの場を取り繕う為のものでしかなく。
当たらずしも遠からず。それはカイト自身が以前言った体の良い言い訳に過ぎない。確かに実力差は徐々に開いていたが、それでもまだ足手まといと言うほどではなかった。
結局のところ、誰にでも良い顔をしているだけに過ぎない。だからこうして心配されるのも気遣われるのも心苦しい。
「そうか。……そういえばお前、晩飯はまだなんだろ。うちで食っていけ。久しぶりにお前を呼ぼうってサラが張り切っててな」
カイトの沈む表情を見たダンは本来の用事を切り出す。その誘い自体は嬉しく思ったが、
「……えっと、悪いんだけど、眠いんだ。昨日も徹夜だったから、今日はこのまま寝ようかと思って」
また言い訳、とも言い切れない。少なくとも眠いのは本当だった。
それにしても、とダンは思う。前に会った時のカイトからは考えられないほど卑屈になっているようにみえ、ダンはそれが心配だった。
思い返せば村を出る前やその後も二人で村に戻って来ていた頃はカイトも表情豊かだった筈だ。娘の隣でにこにこと終始機嫌良く過ごしていたし、からかうサラや娘の何気ない一言で顔を赤くしたりもしょっちゅうだった。
それが今では昔のいつも泣いていた幼子の時分を彷彿とさせる。これは良くないとダンは思う。父親としてはこんな陰気な空気を纏う男に娘をやりたいとは思わない。
少なくとも今のカイトはダンが娘をよろしく頼むと認めたカイトではない。
だから多少強引でも構わないと判断する。
「バカ野郎。飯もまともに食わず満足に働けるかってんだ。それにお前、サラの料理を無駄にする気か?」
「そんなつもりは…」
「だったらつべこべ言わずにうちに来りゃいいんだよ」
そう言うとダンはまたカイトの首根っこをひっ掴んで妻の待つ我が家へとカイトを引き摺るように連れて歩き出す。
何だっていうんだ、一体……
カイトの心情など知る由もないとばかりに、それは空へと消えてゆくようだった。
…………
……………………
「さ、遠慮しないで沢山食べなさい」
用意を終えたサラがそう言って自分の席に座った。テーブルの上には三人分としては多いと思うほどの料理が並べられている。
「お、肉の串焼きもあるな。こいつはいい」
「ダンったら本当にお肉が好きなんだから」
「いいじゃないか。男はいつでも肉が好きだって相場が決まってるもんだ」
なあカイト、とダンが同意を求めてくるので相槌を返す。
串焼き肉はミラマスでは普通に屋台で売られているがカナバのような村ではそもそも常設の屋台がなく、滅多に村から出ない村人にとってはちょっとしたご馳走に近い。
ダンが手にとった一串をあっという間に食べ終わり美味いな、と感想をサラに告げる。
「もう、褒めたって何も出ないわよ。手間がかかるものじゃないし串焼きくらいなら誰でも美味しくできるんだもの」
そうは言いつつもどことなく嬉しそうなサラ。カイトは両親を亡くしてから夫婦仲の良いこの二人によく食事の面倒をみてもらっていたことを思い出す。
「おら、お預けをくらった犬じゃねえんだからお前も食え」
ダンがそう言って手渡してきた串焼きを一口頬張り咀嚼していく。
「おいしい…」
自然とこぼれた感想は二人を満足させるに十分でダンはそうだろうそうだろう、と頷いて他の料理にも手を付け始めた。
「よかった。ミラマスじゃ普通に屋台で売ってるものだから、味付けがちょっと心配だったのよね」
じゃあ、沢山食べなさいね、と言ってサラも料理に手を付け始める。
テーブルの上には硬い黒パンではなく茶色のふかふかのパンとシチュー、それにサラダと串焼きといつもの村の夕食というには明らかに豪勢な料理の数々。
本来ならばこの食卓には家族であるリーネがいて当然の状況で、だが実際にはカイトしかいないというのにここまでしてもらう資格が自分にあるのかと思ってしまう。
かといって遠慮すればいいという訳でもない。カイトは両親を亡くしてから食事に関して幾度となくダンとサラの世話になっている。それを思えば今更遠慮出来るような間柄でもなく、そんなことをすれば二人を不快にさせてしまうだけだろう。
千切ったパンをシチューに浸して食べる。
村の仕事は都市などとは違い肉体労働の占める割合が高く、料理の味付けは多少塩味が濃い目である。
今日は何があった、あそこの誰それがこんなことをした、そんなとりとめのないことを話しあいながら夕食の時間は過ぎていく。
「そういえば」
エールを飲み干したダンがコップをテーブルに置いて話しかけてくる。
「お前、酒は飲めないんだったか」
「あ、うん。お酒は駄目なんだ。少し飲んだだけで潰れてしまうから」
「その口ぶりだと体が受け付けない、って訳じゃねえんだろ。お前も成人したんだし少しずつでも慣らしていっておいた方がいいぞ」
「うん…。でも慣れる気があんまりしなくて」
ダンの言うようにやっぱり飲めるようになった方がいいのだろうか。初めて飲んで潰れた翌日にリーネは無理してまで飲まなくてもいいと言ってくれたから、カイトは今までその言葉にずっと甘えていた。
リーネは嗜む程度に飲むが、自分は飲めない。酒に付き合えないのはカイト自身不満でもあったが、酔わない方が都合の良かったこともあった。酒席ではリーネ目当ての男がよく絡んでくるからだ。
酒は酔いの程度にもよるが体も思考も鈍らせるものである。カイトが素面でいられるならその方が周囲への牽制にもなっていたのは間違いなかっただろう。
「ダンはカイトとお酒を酌み交わすのを楽しみにしていたのよ」
ちびちびとワインを飲みつつサラがそんなことを言う。
「いや、俺ぁ別に……」
「何よ、娘の夫になる相手だからって言ってたじゃない」
「そ、そんなこと言ってたか?」
「言っていたわ。少なくとも三回は聞いてるもの」
「そ、そうか……。そん時は酔ってたのかもしれねえな」
くすくすと笑うサラにどうにも歯切れの悪いダン。カイトの知る限りこの二人はいつもこんな感じである。
「半年前にリーネとお酒を飲んだ時のダンったらすっごく嬉しそうだったものね」
「なんだよぅ、あん時はサラだって嬉しそうだっただろ」
「まあね。少し前まで小さな子供だったのにあの娘も大人になったんだなって思うと感慨深かったわ」
「そうだな……。冒険者になるって村を出てすぐの頃は気が気じゃなかったが、ああして無事に成長した姿を見ちまうとな」
「後は早く結婚して安心させてほしいものだけれど」
横目でちらりとカイトを窺いながらサラは言う。突然の妻の発言にダンはゴホン、と軽く咳払いをして誤魔化した。
「サラ。そういうのはあんまり急かすもんでもないだろ」
「そう? でもこのままだと孫ができる頃には私たちお爺ちゃんとお婆ちゃんになっちゃうかもしれないわ」
「い、いや……。俺はともかくサラはまだ若けぇよ」
「何を言ってるの。ダンと私は同い年じゃないの。私が若いならダンだってまだ若いわよ」
二人の言う通りサラは若々しく、ダンは少し老けて見えるが二人ともまだ三十を少し過ぎただけである。二人は成人してすぐに結婚し、それから一年経たないくらいでリーネが産まれたので年齢的にはまだおじさんおばさんと呼ばれるような歳でもない。
「まあ俺はどっちかって言うと老け顔だからな……」
「私はそんなダンも好きだけど?」
「ば、バカ野郎……。そういうのはあんまり人前で言うこっちゃねえよ」
カイトの存在を気にしながらサラのからかいに照れるダンにカイトは自身が邪魔者になったような気分になる。
夫婦の仲睦まじい様子を見て何故心が抉られるように感じてしまうのか。認め難くとも自身の内心は手に取るように分かってしまう。
それはどれだけ望み手を伸ばそうとも、カイトには決して届くことも得ることもない光景だったから。
更新が遅れがちな本作をお読みいただきありがとうございます。
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