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11 伯爵の決断




「……これは、何かの、間違いでは……」


 呻くように漏らされた若様の言葉。書状を持つ手は微かに震え、それらに比例するように普段であれば見る者を惹き付ける金髪碧眼、眉目秀麗な若々しさを感じさせる十八歳の容貌も今この時ばかりは感情に任せるがまま歪んでいた。


「そうであればどれだけ良かったのだろうな……。だが、現実として侯爵からの書状はここにある」


 切れ長の目に少しの皺が刻まれ始めた四十過ぎの容貌は歳相応の渋みがあり、若様と同じ金色の髪は短く揃えられている。その旦那様の表情と纏う雰囲気は先ほどまでとは違い落ち着き払っていた。


 貴族はいたずらに感情を表に出すことを良しとせず、常に品のある所作を心がけるべし。とは言えど旦那様もこの場において若様を咎めることはない。が、それとなくフォローはしておいた方がよいだろう。


「若様、お気を確かに」

「マーカスの言う通りだな。まあそれはいいとして、だ。クレス、お前はこの要求をどう見る」

「……このようなものは受け入れられません。当家は伯爵家、幾ら侯爵相手とはいえこのように軽んじられる謂れは断じてありません」

「そうだな、それは私も同意見だ。だがその先はどうする」


 旦那様は試すような視線を若様に向ける。


「返書は出すべきです。ですが侯爵が聞き入れないのであれば一戦交えることも覚悟しておく必要があるかと……」

「戦ったとして勝てる相手かどうかは考えているか?」

「それは……、実際にやってみなければ何とも……」

「勝てぬよ。我が領軍の常備兵力は八百。有事の際は領民に兵役を課すことで三千五百まで兵力を拡充させられるが、それとて最低限まともに戦えるようになるまで調練すれば二ヶ月はかかろう。それに対し侯爵は領民に課した重税で食料の貯蔵や領軍の拡充に回していると聞く。おそらく相手の兵力は現時点で六千は超えているであろうな」


 六千ともなれば四個連隊に迫る規模である。そして後千も増員すれば一個旅団、国境を守護する要である辺境伯でもないいち諸侯が保有する常備戦力としては破格という他ない。


「六千……、ですが、それを全てトーガに投入することはありえません。そんなことをすればそれこそトーガ以外の各地から領民は脱出する筈です」

「お前の見立ては正しい。だがそれを勘案してもトーガに二千は投入してくるだろう。ただの山狩りではなく領民の脱出を防ごうとするのなら兵を広く配置する必要があるからな。少なくとも私が相手なら必ずそうする」

「……相手が兵を広く浅く配置するのならば此方は兵を集中し各個撃破を……」

「良い案、と言うよりはそれしか出来んだろう。だがそれとて限界はある。兵も人である以上休息もなしに戦い続けることは出来ん。それは普段から兵とともに過ごしているお前なら理解しているだろう」

「では……、父上は打つ手なしとお考えですか……?」


 現状はどう控え目に見繕っても不利な条件ばかりしかなく、吐いた言葉とともに若様の表情が陰る。その様を見た旦那様はすっかり冷めた茶を一息に飲み干し、諭すように告げる。


「クレス、次期当主であるお前を教育の一環として領軍に預け指揮を学ばせていたが、私は荒事にばかり目を向けろと言った覚えはないぞ」

「それは、どういう……」

「単純な力押しばかりが貴族の取り柄ではないということだ。そも同じ王家に臣従する諸侯同士、それが領地を巡り争うなどということ自体があってはならぬことなのだからな」


 確かに。歴史を紐解けば昔はそのようなこともあったらしいが、それとて最後に起きた小競り合いから百年は優に過ぎている。


「……他家に助力を求めるのですか。しかし、上手くいくでしょうか」

「助勢が得られるかどうかで言えば難しかろうが、それでも理解は得られよう。それこそ何の説明も根回しもなしに矛を交えるよりは遥かにな」


 その言葉に考え込む若様。旦那様はこの場において尚も若様の成長を促しておられるか。芳しくない状況とは裏腹な当主の態度に何とも言えぬ頼もしさを感じる。


 我が長年の奉公と忠誠は、決して無駄ではなかったのだ。


 ならば自分も誠心を以て仕事を全うしよう。


「旦那様、発言をよろしいでしょうか」

「構わんぞ。この際言いたいことがあるのならば全て言ってもよい」


 どこか投げやりに聞こえるその声も、気心の知れた仲であれば軽口とそう変わりなく。


「は、ではありがたく。さて若様、諸侯の対立において裁定こそは王家と司法院の領分でありますが、調停であれば有力諸侯や王都の教会にも可能でございます。故に、旦那様が先ほど仰られたように政戦両略の構えこそがクライン家にとって肝要となりましょう」

「政戦両略……」

「左様。若様はまだお若く、そして現在は兵の指揮を学んでおられる。血気が先に出ること、これはどうしても致し方のないことですが、しかしながら世の揉め事と言われるものの大半は互いの利害を調整することで解決が可能でもあります」

「……だが、この一件がそれで収まるとは思えないが」

「で、ありましょうな。だからこそ有力な第三者の理解を得ることが重要なのです。相手の行動に非があり、我が方の行動には理があると。幸いな事にその主張を決定付ける証拠も書状という形でこの場にございますゆえ」

「……っ! そうか、これを使えばっ!」


 机の上に置かれた書状にはゴドウィン侯爵家の花押が印されている。今次の騒動、その発端として何よりの動かぬ証拠であり、これを然るべき場で突き付ければ侯爵とて言い逃れは出来ない。


「大方、武力を見せびらかすように迫れば簡単に膝を屈すると侯爵は思ったのでしょう。かの方の良い評判はついぞ聞いたことはありませぬが、それを差し置いても語るに落ちるとはこのことです」

「そうだな。……だが、根回しをするとしてもどの貴族家がよいだろうか。周辺諸侯たちと教会は当然として……」

「聞けば侯爵は王太子殿下の後見に熱心であるとか。ともなれば王太子派、いえ王閥派に属する諸侯は避けられた方がよろしいかと」

「クリストフ殿下か……。確かにそういった話は聞いたことがある。しかし、じいの言い分だと王家が黒幕のようにも聞こえるが」


 王太子ともなれば次期国王であり、そのような高貴な御方が自派閥に属する有力貴族の圧政をたしなめることもないとなれば、裏を勘繰るのは当然のこと。


「さて、伯爵家当主の側仕えとはいえどいち家令に過ぎぬこの身なれば、王都の政争事情には詳しくありませぬでな。ですが、侯爵と王太子殿下の繋がりを見るにやんごとなき御方々が中立の立場であると考えるのはあまりに早計と言えましょう」

「じいは随分はっきりとものを言うんだな。ことによっては不敬と取られかねないぞ」

「この身は爵位を持たぬ平民なれば王家の方々に拝謁する資格もなく、またクライン家以外に忠誠を誓った覚えもありませんからな。それに何でも言ってよいと旦那様が先ほど仰せになられましたので」


 皮肉とも冗談ともとれる軽口に幾分空気が和らぎ、それを感じとった若様は机の上からお茶請けに用意されたスコーンを一つ取り頬張る。旦那様はと見れば面白そうに此方へと口を開いた。


「それは私への皮肉かね?」


 旦那様が吐かれた言葉に意味するほどの険はなく、その表情もそうであることを示している。


「いいえ、滅相もございませんとも」


 このような状況でなければ穏やかな一幕として記憶に残せたものを、と思う。


「ふっ、まあよい。マーカスの言うことにも一理ある。だがそうなれば我らが頼れる相手は少ないな。宮廷に影響力を持つ有力者ともなれば教会の大司教殿、ヘインズワース公爵あたりが妥当であろうか」

「確かに少ないですな。他にはおられないのでしょうか」

「言葉を尽くせば理解を得られる、そういう相手に心当たりがないではないが、如何せん影響力という点では何の期待も出来ん」

「大司教殿も公爵閣下も味方となれば心強い方々ですが、後もう一手ほしいところですな」

「うむ……。ならばリンドブルム閣下を頼ってみるか」

「なんと……」


 リンドブルム家とは王国北西部ゴドウィン侯爵領の北に領地を有する辺境伯爵家である。


 辺境伯領の北はサロニア帝国と接しており、その国境地帯を守護する役割を任じられたリンドブルム家の武名は王国内のみならず諸国にまで轟いている。


 それを端的に示す評としてリンドブルム家の兵三千はサロニア帝国軍一万に匹敵するという言葉まであるくらいだ。


 サロニアはエスタリアの周辺諸国の中でも天敵とまで評されるほどに折り合いが悪く、両国の関係はここ二十年ほどは小康状態を保っているものの過去には幾度となく互いの領土を巡って戦争を繰り返してきた間柄である。


 それ故に北西部に領地を持つ諸侯たちも長年に渡り王国の北限を侵そうとするサロニアを相手取り常に最前線で戦い続け、そしてそれらをことごとく退けてきたリンドブルム家へ抱く尊敬の念は絶大と言ってよく、かの辺境伯家が味方となってくれるのならばゴドウィン侯爵を除く北西部の諸侯全てを味方に出来たと言い切っても決して過言ではない。ただ――



 ――味方に出来ればの話だが。



「かの御方が動いてくれるでしょうか……」


 リンドブルム辺境伯家は国内政治に関わらないことで知られる。辺境伯家は常にサロニアとの国境地帯へ目を光らせる必要があり、本格的な戦争に発展しないが頻発する小競り合いや越境攻撃に対応せねばならない為に国内の政治に振り回される事を極端に嫌うからだ。


 そしてその使命の重大性を中央の諸侯たちや王家も十二分に認識しているが故にリンドブルム家に対しては国内の政治的な問題の全てに中立でいることを認めている。


「別に子供のように一から十まで世話を焼いてもらう必要はないし、リンドブルム家が動かぬことは承知の上だ。だが先ほども言った通り言葉を尽くして理解を得られるのならば、それをしないという手はない」

「旦那様には何かお考えがおありなのですか」

「さてな。だが閣下とて自らの足元である北西部が荒れることは望まれまい。この状況でリンドブルム閣下が我がクライン家に同情の意を示した、となればそれは我らにとって大きな後押しになるとは思わぬか?」

「それは、確かにそうかもしれません」




 …………



 ……………………




「ギルド支部長には明日会おう。冒険者ギルドにはおそらく協力を要請することになる。マーカス、予定の調整を頼みたい」

「畏まりました。手配致します」


 長くなった話し合いは途中で冒険者ギルドからの使いが来たことで一旦中断されたものの、大まかな方策は話し尽くされた。


 和戦両用。家格に劣るクライン家ではこれ以上の手はない。


 旦那様はひとつ大きく息を吐くと椅子から立ち上がり注意を引く。


「ふむ、では現時点での私の所見を述べておこうか。此度の書簡は事実上の降伏勧告と変わりなく、そして我がクライン家は戦えばおそらく負けるであろう。この要求は遅効毒のようなもの。どのような経緯であれ一時トーガを明け渡せば相手は次にトーガ全域の実効支配を目論み既成事実化し、それを以て正式に領地に組み込むことを王都の有力者たちに認めさせるに違いなく、そうなれば次はトーガ南側の管理が難しいとでも理由をつけて麓の村落郡が狙われるのは自明」


 旦那様が領主として最も危惧しておられるのはそこだろう。このミラマスから最も近いトーガ麓のカナバは馬車で一日程度の距離しかなく、もし麓の村落が侯爵の手に渡ればクライン家はその喉元に剣を突き付けられた形となり、そのような状態ではどんな要求も撥ね付ける余力すら失われる。


 そうなればクライン家の末路は良くて飼い殺し、悪ければ取り潰しもあり得ぬ話ではない。


 野心ある者の欲望には際限がない。それこそネズミにパンを与えれば、次はチーズを欲しがるかの如く。


 だからこそ、と旦那様は続けられる。


「我らは断じて敗北を甘受する訳にはいかぬ。この地は我らが父祖から受け継いできた土地であり、それはトーガとて変わりはしない。それを一時とはいえ犬猫の子を里子に出すように明け渡すような真似をしてしまえば、未来永劫に渡りクライン家は嘲りの対象となろう。であればこそ我々は我々の矜持を示さねばならん」


 それは領主の矜持にして誇り。或いは現実的な問題として領地を守る気概のない領主に民が信頼を寄せる筈もなく、そうなればまともな統治など夢のまた夢、ということでもある。


「クレス、お前は嫡子とは言えまだ若く、本来であれば安全な場所へ置いておくべきなのだろうが、今はそのようなことも言ってられん。存分に働いてもらうぞ」

「元より覚悟の上です」

「良い返事だ。では当主として改めて言う、此度の一件はクライン家の行く末を左右するものと心得よ」


「「はっ!」」



 当主の決定は下った。後は最良の結果を求めて動くのみ。





 ふと脳裏に一人の心優しき少女の姿が浮かぶ。

 クライン家の姫君とも呼ばれるシャーロットお嬢様。やや白みがかった金色の髪に透き通った薄い紅の瞳、絹のように汚れなき白い肌。いわゆるアルビノであり、その可憐な姿は妖精と見紛うほど。


 生まれつき体が弱くその白い肌は陽光にも簡単に焼かれ、日傘を差していても屋敷の庭園くらいしか外を出歩けず、その様はまさに深窓の令嬢と呼ぶに相応しい。


 お嬢様は十三歳という年齢ゆえ未だ公の場に出てはいないが使用人を通じて領内でも噂になるほどの美姫である。その将来など疑う余地もなく、当然諸侯たちの間にも噂は広がっていて舞い込む縁談の数も多い。まだ早すぎる、と旦那様は全てを叩き返しておられるが、それ以外にも縁談を断る理由はある。


 お嬢様は体の弱さ故にお子は望めないかもしれません、とかつて侍医は言った。もしそのような噂が広まれば今来ている縁談は、そのまま愛人か妾の打診へと変わるだろう。


 シャーロットお嬢様は伯爵夫人であるソフィア様亡き後のクライン家に唯一残された一輪の華。旦那様が後妻を娶られぬのも今は亡き奥様を想う心とお嬢様がせめて心穏やかに日々を過ごせるようにとの親心からだ。


 お嬢様を守らねば。決してそのような境遇に追いやってはならない。それは旦那様や若様は言うに及ばず使用人たちも一致した思いである。


 特に侯爵のような輩には、決して渡してはならない。

 自領の民を虐げて何も思わぬような下劣な人間性の持ち主である。そのような輩に引き渡せばどんな目に合うかは火を見るよりも明らかだ。


 此度の一件、少しでも詰めを誤ればお嬢様の身柄を要求されることは想像に難くない。旦那様はお嬢様のことに言及されなかったがそこには必ず思い至っている筈。


 懸念があるとすれば、お嬢様の気性を考えたら自分の身ひとつで問題が解決出来るのなら、と言い出しかねないことだ。心優しく使用人たちからも慕われ愛されるお嬢様であればそれを言うことに何らの不思議はなく。



 故に、お嬢様を守り抜かねばならない。


 例え両家の和解の条件にされようとも。






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