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10 憂鬱な者たち




 閑散とした冒険者ギルドの中で受付カウンターの周囲にトントン、と音が響く。


 音の発生源は受付嬢ハンナの人差し指であり、その指先がカウンターを叩いている。しかしその小気味よいリズムとは裏腹にハンナの表情は優れたものではなかった。




 少しばかりであれ憂鬱な気分となる原因は、先ほどまで自分が応対していた青年にあった。


 その青年――カイトは依頼でもなしに野盗を討伐し二人の年若い後輩冒険者を救い出してみせ、報酬こそないが礼儀としてその功績を褒め称えてみせてもさしたる喜びを示すことはなく。


 彼は淡々とトーガの現状から暫く冒険者として活動出来ないと告げてきた。それに否やはない。生まれ育った村が危険に晒されているのだから何とかしたいと思うのは人として正しい。


 ただ、だからといって彼一人が残らなければならなかったのかとも思ってしまう。


 何事もままならない。第三者に過ぎない自分がそう思うのだから彼自身が感じる負担は計り知れない程だろう。


 今はお世辞にも良いとは言えない現状ではあるけれど、それでも彼にとって一つでも明るい知らせを伝えてあげようと。


 彼が最も喜ぶであろうリーネからの言伝て。それを聞き取り書き記したメモ書き。


 渡せば食い入るようにそれを読みふけり、そして――

 



 ――泣いていた




 それを見てふと思い浮かんだ一つの可能性。


 もしやこうした事態にリーネを巻き込まないように彼は離れることを選んだのではないかという懸念。


 彼女が二年前の領軍と合同での野盗討伐以来殺人行為に忌避感を持っていることは知っている。


 討伐自体は合同部隊に被害なく成功裏に終わったものの、彼女はそれがトラウマとなったと聞いた。それはその後そうした依頼を勧めないでほしいとカイトが自分たち受付にそれとなく伝えてきたことからも十二分に察せられる。



 はぁ、とため息をつく。



 現状からいって何事もなく、というのは難しいだろう。ギルドとしてどのような対策を取るか、という点もあまり期待は出来ない。


 ギルドは依頼がなければ主体的に動くことはない。営利組織なのだから仕方のないことだがどうしても無力感は拭えない。


 それでもカナバのように狩りと農耕で生計を立てている村はまだマシなのだろう。十分とまでは言えなくとも村のハンターたちを自衛戦力として当てに出来るのだから。


 だが、トーガ麓の村々全てがそうではない。殆どは農耕と牧畜で糧を得ている村が多く、手習い程度の剣術では荷が重い。


 そんな村々が冒険者を雇おうにも安全を得ようとすれば駆け出しや低ランクの者に任せることは出来ず、そして雇う以上は長期間の拘束は必定でありその分の依頼料を捻出できる程の余裕もないだろう。


 結果、どうしても後手に回ってしまう。いつ終わるともしれない隣領の暴政は目に見える形でこの伯爵領に悪影響を及ぼしつつある。


 事は始まる前からギルドの対応範囲を超えていたのかもしれない。そう思い至れば良くない想像ばかり浮かび上がってくる。そしてそれを避ける為に必要な対処は領主たるクライン伯爵の対策次第。



 素早く考えを巡らせる。自分は伯爵に目通りしたことはないが温厚な人柄だと伝え聞く。クライン家の嫡男たる若様にしても悪い噂は聞いたことがない。


 ならばミラマスのギルドとして対応を要請してみるのがいいかもしれない。それで足りないなら商工会に協力を頼んでもいい。少なくともいち領民としての立場で陳情するよりは余程見込みがある筈だ。


 その為にはギルド支部長に動いてもらう必要がある。そうとなれば予定の確認と調整や面会の取り付けなどやらなければならないことは多い。同時に低ランク冒険者たちへの注意喚起も忘れずに行わないと。



 両の手のひらでピシャリ、と頬を打つ。

 うん、と自身に活を入れる。



 気負いはない。何となれば勢い任せに突っ走ってやろう。


 考えは纏まった。まずは支部長の執務室へ向かい相談を。


 立ち上がり思い切り背伸びをすると、肩から小さくパキポキという音がした。これから暫くの間は忙しくなるだろう。今夜ぐらいはうんと恋人に甘えても許されるだろうか。






 ◆






 手にした書状に書かれている内容を理解した瞬間、思わず破り捨ててしまいたい衝動に駆られた。沸々とわく怒りを堪えてまでそれをしなかったのは、ただ単に書簡を送ってきた相手が格上だからという理由でしかない。


 ゴドウィン侯から送られてきたそれは書式こそ貴族らしく整っているものの、内容は不躾かつ無礼極まりないものであり、こんな代物を送りつけられたらどんな田舎領主でも憤慨するであろうことは想像に難くなかった。



 内心の怒りが態度に出てしまっていたのであろうか、顔を上げると我がクライン家の家令であるマーカスがまるで叱責を受けたようにその身を硬くして此方を伺っていた。


 父の代から長年勤め上げてきたマーカスは品よく整えられた口髭と顔に刻まれた年齢を感じさせる皺が特徴的であり、またそれを証明するように白いものが多く入り混じった髪を短く後ろに撫で付けている。


 眼前に居る信頼すべき家令が落ち着きなく佇んでいる様子に幾分かの冷静さを取り戻すと、自身とマーカス両方を落ち着かせるように言葉を選んで告げる。


「マーカス、そう固まらなくてもよい。お前の失態でないことは誰よりもこの私がよく分かっている」

「……恐れ入ります」

「しかし侯爵もよくもまあこんな書状を送れたものだ。幾ら我が家より格上の侯爵家とはいえ恥知らずにも程がある」

「……それほどでございますか」

「気になるなら読んでみるといい」


 そう言って手にしている書簡を手渡すと、「失礼します」と断りを入れてから素早く内容に目を走らせていたマーカスの表情が驚きから徐々に怒りによるものであろう歪みへと変わっていった。


「どうだ。ふざけているにも程があるだろう」


 先ほどは自分もこうだったのかと思うと幾分相手を気遣う余裕も出てくるのだな、と埒もないことを考える。


「これは……、確かに酷うございますな」

「で、あろう。苛政を敷く者が他家に口出しなど笑い話にもなるまいよ」


 吐き捨てるようにそう言ってみても現状が変わる訳ではなく、何らかの対応を模索しなければならないことに変わりはない。



 侯爵から送られてきた書簡の内容は要約すれば近い内に領民の脱出を取り締まり、これからの抑止とする為にトーガ山脈で大規模な山狩りを行うことの通告であった。またそれに伴って“お互いに不幸な行き違いが生じることのないように”伯爵領の兵士や領民、また冒険者を一定期間トーガに立ち入らせないように要求してくるものであった。


 エスタリア王国北西部にそびえるトーガ山脈。その領有にあたって伯爵領と侯爵領の領境は東西に跨がる山脈の一番高い連峰の稜線と定められている。要は稜線の南側がクライン伯爵領であり北側がゴドウィン侯爵領なのだ。


 つまり侯爵は戦時でもないのに領軍または準軍事組織を率いて堂々と領境を侵犯した上でトーガ山脈に限定するとはいえ我が領内で軍事行動を取ると通告してきていることになる。それに加え此方に全く非がないにも関わらずクライン家が要求を受諾した場合に必要となる諸々の補償の提示も全く無いときたものだ。


 こんな恥知らずな要求は断じて呑める筈がない。



 マーカスを見ればその目に強い意志の光が見て取れる。長年に渡り補佐を任せてきた家令も思うところは自分と同じということか。


 たまに昔のように軽口を言い合う時は「そろそろ隠居して曾孫を存分に可愛がりたいですな」などと本気とも冗談ともつかぬことを言い出すが、この情勢ではもう暫く働いてもらわねばなるまい。


「自領に苛政を敷いていると聞いた時から思ってはいたが、まさかこれほどまでに愚かとはな」

「左様ですな。しかしながら相手は侯爵、慎重な対応が求められましょう」

「分かっている。マーカス、クレスは今何をしている?」


 マーカスの言に頷きつつも最悪の場合を想定しておかねばならないだろう。これ以上は嫡男たる息子も交えた上で話し合う必要がある。


「若様でしたらこの時間は兵の調練を終え休憩に入られるところかと」

「そうか、すまぬが呼んできてくれ。それと茶の用意も併せて頼む」

「畏まりました。では一旦失礼いたします」


 マーカスが部屋から退出していったのを見届けてからぽつりと独り言を呟く。


「何事も大禍なく済めばよいが……」




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