6 Spoonfuls
「それでは、片づけましょうか」
チタンはそう言うと、上着のポケットに手を入れた。
取り出したのは、一つの銀色の懐中時計。
使い込まれた銀の蓋には繊細な模様が刻まれ、縁は朝の光を受けて静かに輝いている。
カチリ。
チタンが蓋を開いた。
その瞬間、懐中時計の内側から、柔らかな深青の光が溢れ出した。
光は細い帯となって空中へ広がり、ゆっくりと形を変えていく。
やがて、チタンを取り囲むように、幾枚もの半透明の「時の断片」が浮かび上がった。
薄い硝子を思わせるその一枚一枚には、それぞれ異なる時刻の厨房が映し出されている。
まだ泡の少なかった調理台。
勢いよく泡を噴き出す銀色の機械。
そして、騒動が始まる前の、いつもどおりの厨房。
ネオンの長いウサギ耳が、ぴんと立ち上がった。
その隣でセレンも動きを止め、静かに目を見開いている。
フランは腕を組んだまま、宙に浮かぶ断片を目で追った。先ほどまで苛立たしげに動いていた黒い尻尾も、いつの間にかぴたりと止まっている。
カルシティルは胸の前で両手を重ね、瞬きも忘れたように深青の光を見つめていた。
何度目にしても、不思議な光景だった。
チタンは断片を一枚ずつ確かめていく。
指先を軽く動かすと、幾枚もの断片が音もなく滑り、別の時刻の光景が現れた。
けれど、どんな時刻でも選べるわけではない。
戻せるのは、そこに映し出された時間だけ。
表示されていない時点へは、今のチタンでは手を伸ばすことはできなかった。
「………これですね」
チタンの指が、一枚の断片の前で止まった。
そこに映っていたのは、泡が噴き出す直前のスイーツ・マスターDX。
チタンはその断片に指先を触れ、表面をゆっくりとなぞった。
すうっ………。
深青の光が、水面に広がる波紋のように揺れた。
次の瞬間、断片から伸びた光の帯が、泡だらけの機械を優しく包み込んだ。
ブシュウウウッ!!
勢いよく噴き出していた泡が、空中でぴたりと止まる。
一瞬、厨房が静まり返った。
そして。
ふわり。
天井近くを漂っていた泡が、ゆっくりと逆向きに動き始めた。
床に積もっていた泡がするすると浮き上がり、調理台に張り付いていた泡も、まるで見えない糸に引かれるように機械へ戻っていく。
シュルルルル………。
泡は次々と吹き出し口へ吸い込まれ、みるみるうちに姿を消していった。
ネオンは思わず一歩前に踏み出した。
その瞳は、泡の動きを一瞬たりとも見逃すまいと、きらきら輝いている。襟足の左右で結んだ二つの髪が揺れ、長いウサギ耳が小刻みに動いた。
セレンはそんな姉の服の裾をそっとつかんだまま、目の前の光景に見入っていた。
フランの黒い猫耳が、ぴくりと前を向いた。
紅色の瞳は、ふわふわと機械へ戻っていく泡をじっと追いかけている。黒い尻尾の先がぴこぴこと弾む。
カルシティルは口元に両手を当て、目をまん丸にしている。
最後の泡が機械へ吸い込まれると、深青の光がひときわ強く輝いた。
そして、スイーツ・マスターDXのランプが消えた。
そこには、泡を噴き出す前の、静かな銀色の機械が置かれていた。
チタンが指先を離す。
時の断片は、端から少しずつ透き通り、細かな光の粒となって消えていった。
一枚、また一枚。
最後の断片が消えると、厨房には朝の柔らかな陽光だけが残った。
カチリ。
チタンは懐中時計の蓋を閉じ、上着のポケットへしまった。
「………完了です」
カルシティルが、恐る恐る調理台へ近づいた。
泡に埋もれていた焼き菓子も、すっかり泡が消え、元の美味しそうな姿を見せていた。
「………!」
カルシティルの顔が、ぱっと明るくなった。
「よかったぁ………! お菓子が無事だよぅ!」
胸の前でぎゅっと両手を握り、嬉しそうにぴょんと跳ねる。
「ありがとうございます、チタンさん」
セレンがほっと息をつき、丁寧に頭を下げた。
「どういたしまして」
チタンは穏やかに微笑んだ。
「ただし、今回戻したのは、泡が噴き出す前の状態です。機械そのものの不具合が直ったわけではありません。もう一度動かせば、同じことが起こるかもしれませんよ」
「………なのだ」
ネオンの長いウサギ耳が、しおしおと垂れ下がった。先ほどまで得意げだった表情もすっかり曇り、しょんぼりと肩を落とす。
そんなネオンを見て、チタンは穏やかに微笑んだ。
「ですが、発想そのものは素晴らしいと思いますよ。きちんと改良すれば、きっとカルシティルさんの力になれるはずです」
「………本当なのだ?」
ネオンのウサギ耳が、ぴくりと動いた。
「ええ。ただし、安全に動くことが大前提です。そこはセレンさんと一緒に、しっかり確認してくださいね」
「もちろん! 次こそ完璧なスイーツ・マスターDXにしてみせるのだ!」
ネオンの顔がぱっと明るくなり、垂れていた耳がぴょこんと跳ね上がった。
「まったく………懲りないんだから」
フランは呆れたようにため息をつき、腕を組んだ。
「思いつきで作ったものはしょっちゅう騒ぎを起こすくせに、誰かのために作るものとなると、一度だって失敗しないんだから………」
ちらりとネオンに目を向ける。
「その腕前を、普段からもう少しまともなことに使ってくれればいいのに」
「むむっ! それって褒めてるのだ?」
「さあ、どうかしらね」
フランはふいっと顔を背けた。
けれど、その口元には、ほんのわずかな笑みが浮かんでいた。
チタンはそんな様子を見て、くすりと笑った。
「さあ、皆さん。開店準備を再開しましょう」
窓の外では、朝日がフィルネッタの町並みを優しく照らしていた。
カフェ・ポルミの開店まで、あとわずか。




